ファンの皆さんの期待に応えられなかった悔い
食事のあと、宮本は宅野和尚に声を掛けられる。
「タクシーを呼ぶまで、少し時間があるでしょう。日本間で休んでいきなさい」
「ありがとうございます。しかし、食事の後片付けをして、そちらに参ります」
「おお、それは、それは。それはいいことだ。野球以外でも、積極的になることはよいことですからな」
和尚が微笑んでいた。横をみると、水野さんも少し笑顔を見せていた。
水野さんのそばで、宮本は台所用の乾いたタオル生地の布巾で食器を拭いた。そばに水野さんがいるので緊張している。しかし、ともかく丁寧に拭くことに集中した。と、宮本は今自分の手に持っているものが、うちの家で使っている布巾より拭きやすいことに気がついた。
「これ、とてもいい布巾ですね」
「ええ、水分をよく吸い取ってくれますし、とても丈夫なんですよ」
水野さんが、そう教えてくれた。
「布巾でも、こういう、いいものがあるんですね」
「そうでしょ。和尚さんの話だと、どうやらこれは、日本の四国地方の、今治市というところにある、タオル工場で作られたもののようですわ」
「そうですか」
宮本は、興味深げに、そのタオル生地の布巾を見た。肌理が細やかのように見えた。それで、宮本は、「日本製って、やはり、いいものがありますね」と言った。水野さんは笑っていた。
そして、宮本は水野さんの指示を聞きながら、食器を水屋の中のそれぞれの棚に収納した。
「お手伝いいただいて、ありがとうございました」
水野さんにお礼を言われた。宮本は恥ずかしかった。なぜなら、自分の家では、こんなにも丁寧に食器を拭いたことはなかったから……。
「いえいえ、そんな」
宮本にすれば、何か付け加えて言いたいことがあったのだが、それが何かわからなかったので、宮本はおじぎだけをして、厨房を後にした。そして、和尚の待つ畳の間に行く途中、水野さんに何か言いったかったこととは、『いつもおいしい食事を作っていただき、ありがとうございます』というような感謝の言葉ではなかったかと思った。
日本間に行くと、和尚が日本製の緑茶を入れて待っていてくれた。
「ありがとうございます」
宮本はお礼を言って、陶器の湯呑み茶椀に入ったお茶をいただく。匂い、苦味、やはり日本を思い出す。
「和尚、お尋ねしてもいいですか?」
座卓に湯呑みを置いて、宮本は尋ねる。
「何なりと」
「どうして、和尚にしろ、水野さんにしろ、野球のことがわかるのですか?」
「そりゃ、たぶん君のバッティングを見て、野球のおもしろさがわかった、ということではないのかな」
そう言いながら、和尚は照れて、頭を掻いておられる。
宮本も何やら照れくさい。
すると、和尚が言葉を継がれた。
「なにせ、こちらではバッターというのは、スラッガーといって、重いバットで強くボールを打ち叩くというイメージしかない。でも、君のバッティング・フォームを見ていると、力みがなく、素直にボールを打ち返している。それはまるで、合気道で、相手の攻撃をかわす柔らかな身の所作に似ているなと思ったね。こちらのスラッガー(強打者)とは全くちがうスタイルなんだな」
「それは、どうも」
「膝の関節、股関節などに力を貯め込み、柔らかな身のこなしで、ボールを弾き返す技術は、大リーグの選手の間ではめったに見られないね。そういう柔らかいバッティング・フォームは、君独特のものがあるように私には見えるんだね」
宮本は自分の打撃フォームを誉めてもらい、うれしかった。こちらの大リーグではパワーでホームランを打つ。こちらでスラッガーという強打者は、背筋を貫く体幹が強く、上半身の鍛え上げられた筋力で、球を叩きつぶすような、パワフルなバッティングで、宮本はそのようなスタイルをうらやましく思っていた。しかし、こうして、和尚のように、自分のバッティングを認めてくださる人もいる。やはり、すべて人まねをするのではなく、自分の特徴は大事にしていかなくてはいけないのではないか、と宮本は思う。
和尚が日本庭園を見ながら、つぶやかれる。
「ベースボールというのは、明治の初め頃、東京大学の前身である、東京開成学校予科にアメリカから教師が赴任して来られてね、そのアメリカ人が学生たちに教えられたものらしい。日本でも、野球は約150年の歴史があるということかな」
「へぇー、明治生まれの人たちも野球をやっていたのですか?」
「そうだよ、明治の頃、近代俳句の基礎を築かれた、俳人の正岡子規という人が、東大の学生時代に野球をされ、『ベースボール』を『野球』と日本語に翻訳された、という話を私は聞いたことがあるんだが……」
「そうですか。確か、正岡子規という方は、『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』という俳句を詠まれた方ですよね」
「そうだよ。『ノ・ボール(野・球)』というのは、正岡子規の幼名が『のぼる』だったというので、正岡子規が、アメリカ発のベースボールを、そういう日本語に訳した、という説もあるくらいなんだ」
「日本の野球においても、そういう長い歴史があるんですね」
「そうなんだ。今年の8月、日本の甲子園球場で行われた、全国高校野球選手権だって、100回の記念大会を迎えられたらしいじゃないか。それにね、昭和の初め頃、全日本チームのエース澤村栄治投手が、来日したアメリカチームの強打者である、ベーブルースから三振を奪った、という話を聞いたことがあるけれども、そういう話を聞くと私なんかは誇らしくてね」
「・・・」
宮本は黙っていた。
わかっている。大正7(1918)年のシーズンに、ベーブルースが、投手として13勝という二桁勝利を上げ、打者としても11本という二桁のホームランを打つ、という記録を打ちたてたのだが、まさしく、100年後の今年2018年に、宮本がその記録を超えてくれることを日本の野球ファンの人たちは願っていたのだ。しかしそれが、現状ではもろくも崩れ去ってしまっている。日本のファンの皆さんの夢を実現してあげられなかった、その無念の想いは、宮本の心の中にくすぶっていた。
そんな宮本の胸の内を見透かしたかのように和尚が言った。
「ファンは期待する。そして、選手はその期待に応えようとする。それは逃れられない事実なのだ。しかし、かといって、そう簡単に夢は実現しないものだ。一方では、その夢に向かって努力し続けることが、プロの選手にはファンやマスコミから期待される。でもね、仮にその選手がその夢を実現できなくても、何年後か何十年後かには、必ず後輩たちが、その夢を引き継いでくれるものだよ」
宮本は目を瞑った。目を閉じながら、記録やお金、名誉なんて、天国や地獄へ持って行けるものではないし、結局はその日その日、全力でプレーをし、ファンの皆さんに喜んでもらうのが一番いいことではないか、と思った。(つづく)




