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道を究める二刀流  作者: 沢村俊介
12/20

8月下旬、調子が上がりはじめたように感じる宮本

 少しずつ調子が上がりつつある、と宮本は感じはじめている。

 たぶん、日本からやって来てくれた、吉原トレーナーのおかげではないかと思う。足首や膝の関節、肘の関節などは、骨と骨の間にあるクッション(=関節軟骨)の消耗が激しい。でも、激しく消耗した結果、母床から削れ落ちた垢というものは微量のあいだに、どんどんリンパ腺を通して排出していかなくてはならない。そのためには、リンパ腺やリンパ節のマッサージは欠かせない。球団のトレーナー(=マッサージ・セラピスト)から受けるマッサージのほか、自分自身でも入浴中に自らの手で揉むことを続けている。関節内の物質(栄養分と老廃物)の新陳代謝を促進していくうえで、マッサージは有効であることを宮本は確信できつつある。

 もうひとつ、好調を迎えつつある要因としては、宅野和尚の何気ない一言であったような気がする。

 和尚は、精進料理のあと、お茶を飲みながら言った。

「なに、デッドボールなんて怖くないさ。バッターは、決して無手ではない。木のバットを手に持っているわけだからね。顔の辺りに危険なボールが飛んで来たら、持っているバットで横に打ち払えばいいことです」

 宮本はそれを聞いた時、さすがに、そんなことはできないよ、目の前を飛んでいる蠅をはえ叩きで撃ち落とすようなこととは違うんだからと、一笑に付したい気持ちだった。

しかし、考えてみれば、インコースの高めに食い込んでくるフォーシーム(=ストレート)は、右肘・前腕・手首を立て、バットを立てて、さばくしかない。それが一塁線を切るファールになろうともだ。

もっとも、デッドボールはさらに内側にやって来る。だから確かに危険だ。

肘や前腕部に当たるかもしれないし、顎や頬、頭に当たるかもしれないからだ。そういうところは筋肉がほとんどないようなところだから、骨折もしやすい。

でも、よく考えたら、そういう近めで高目の球というのは、目に近いがゆえに、見やすいともいえる。顔を反らして避けるよりも、バットでさばいた方が楽になることだってあるのではなかろうか?。

なぜなら、どちらかと言えば、バッターの方は打つ気になっているから、気持ち的には前のめりになっている。だから、体を後ろに反らすという、前のめりとは反対の行動は瞬時には取りにくい。しかし、打ち気になっている右肘、前腕、手首は容易に反応でき、目の前に迫ったボールは、右手一本で握った木の棒で容易に一塁側のファールゾーンに払い去ってしまえるであろう。

 宮本は、そのことをピッチング・マシーンを使いながら実験してみた。

 立つ位置はいつもよりずっと、ホームベース盤の側に寄っている。そして最初は、ゆるい球から始める。時速50キロ程度で。それくらいなら、ファールチップ、空振りなどで失敗し、からだに当たってもさほど痛くはない。マシーンの速度は、毎度毎度、少しずつ上げて行った。今では時速120キロ程度のインハイのボールなら、70%程度の確率で、ファールエリアにさばけるようになっている。

 そのような練習は、デッドボールに対する恐怖感を徐々に薄れさせてくれている。

 しかも、そのような練習から思わぬ副産物も得ることができた。つまり、インハイに対するバットコントロールが上手になったような気がするのだ。

つまり、インハイは確かに脇を締めて、バットを体に巻き込むようにして打てばいいのだが、稀には、それらの球はバッドの根元に当たったり、芯で捕らえてもライトのファールラインから外側に切れてしまうことがある。しかし、脇を締め、バッドを立てたまま、腰だけを回すという感じで対処すれば、打った球はライナーで飛び、外野のフェアグランドに落ちるのだった。

宮本は幼い頃、剣豪たちの伝承を基に書かれた漫画を読んだことがある。その中で、塚原卜伝という剣豪が、食事中に武者修行中の武士に切りかかられ、咄嗟に囲炉裏の鍋蓋を盾にして、その刀を受け止めたというエピソードが語られていた。その時、幼い頃の自分は、まさか木の鍋蓋で鋼の刀が避けられるなんて漫画チックだと思ったものだった。

しかし、今考えてみると、剣豪であれば、普通の人間よりは気合いが十分であり、木で作られた木刀であるとか、鋼で造られた刀であるとか、そういうことは、ひょっとしたら超越しているのかもしれない……。

 8月24日から、地元アナハイム市にある、本拠地のスタジアムで、ヒューストンを根拠にするチームとの3連戦がある。宮本にとって、ここはDHでの出場の可能性があり、試合前のバッティング練習においても、投げられたボールの真っ芯を叩くこと、叩いた瞬間にはバッドヘッドを少し上げるようにフォロースルーを大きく取り、ボールを遠くに飛ばすように努めた。

 最近は、そのような打撃練習の中で、ボールの真っ芯から5ミリぐらい下を、上からバットで叩くと、ボールが上方に上がるとともに、逆スピンがかかっていくのが見て取れるようになった。逆スピンがかかれば、ボール自体の回転方向とボールの飛んでいく方向とが合うので、ボールの上側は空気の流れが速くなり気圧が低下していく。一方ボールの下側は、空気の流れが遅くなり、気圧が上昇する。飛んでいくボールの上側と下側とで気圧の差が生じ、その結果、気圧の低い下から気圧の高い上へと、揚力が働いて、ボールの飛距離が伸びていくように思われる。

それは、投手がフォーシーム(ストレート)を投げる時、リリースの瞬間、指先に力を入れて、逆スピンをかけ、ボールの伸びを確保することと似ているように思われる。

逆スピン回転のボールは、進む方向と、ボール自体の時計回りの回転とが重なって、ボールの上側は空気の流れる速度が速まり気圧が低下するが、一方でボールの下側は流れる速度が遅く、気圧が上昇をするため、揚力(浮力)が生じ、ボールが地面に落ちていく時間が引き延ばされる。

逆スピンがかけられたバッターの打球、逆スピンがかけられたピッチャーの球、これらはともに揚力という力によって、なかなか地面に落ちない、という共通の特徴があるようだ。

「宮本さん」

 呼びかけられた方を見ると、寺坂マネージャーだった。

「実は、明日のチケット、余りがありまして」

 ちょっと考え事をしていた宮本は、寺坂の問いに答えるのに、ちょっと手間取った。

「えっ、あっ、そうですか」

 宮本は、遠慮がちな寺坂を見遣る。

大リーグにおいても、所属チームの選手には、本拠地の試合では何枚かのチケットが優先的に割り当てられる。家族や親戚の人々の観戦ができるようにとの、球団側の配慮だった。

「うちの叔父が観戦したいらしいのですが、叔父に回していいでしょうか?」

 叔父とはだれ?。ああ、あのお寺の和尚さんか……。宮本には、ようやく何かがはっきりしてきた。

「もちろんいいですよ。でも宅野和尚は、野球に興味がおありなんでしょうか?」

 宮本は多少、心配しながら寺坂に疑問を投げかけてみる。

「それが、興味があるようなんです」

 寺坂は、内心動揺している。何しろ、叔父の話だと、自分よりも内弟子とも言うべき水野五月が野球に興味があるらしいのだ。それを正直に宮本に言うべきかどうか、寺坂は迷っているのだ。

 宮本は、寺坂が遠慮しているような感じがして、前向きなことを言おうと思う。

「いいですよ。わかりました。和尚さんにはよろしくお伝えください」

「はい。すみません」

 寺坂は、なかなか正直に言えなかった自分を責めている。何しろ、和尚と水野五月と2枚も割り当てをもらうことになるのだから。しかし、何かしらの言い訳を考えているうちに、宮本はこちらに背を向け、ずんずん向こうへ歩きはじめていた。(つづき)

 

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