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夜。
静かな森に囲まれた湖畔に、小舟を押す五つの人影があった。
淡水の荒く波打つ水面には青い三日月が浮かんでいる。
――――気温は3℃
人の吐息が白く凍えていた。
「急げ、はやくしろッ!」
薄い髭の若い男が怒鳴りながら、地面の泥濘にハマった小舟の後部を必死で押している。
「しかし、兄貴! オレたちも必死なんですぜ?」
大柄で禿頭の男が困ったように弁解した。年の頃は三〇半ばだろうか――――とにかく、外見に似合わないノンビリした声だった。
「チッ、うるさい! 喋る暇がありゃあ、早く小舟を押すんだ! いいな?」
苛立ち紛れに再び怒鳴る。
森の奥からランタンの暖かな火の輪が幾つも夜闇の中から浮かび近寄る。
「まずい、急げ、急げ!」
まるで、お祭りを準備する若者のような様子で、逃走する人間というよりは真剣さが足りず、この空間は滑稽さが過剰に加味されていた。
Ⅰ
薬湯から引き揚げられた真希は体を拭かれた。まるで貴重品を扱うような感じだった。
「ねぇ、私をどうしたいの?」
真希は警戒心の強い口調で、自らの前を立ち回る黒いローブを来た女性に訊く。
「――――……。」
無言。
苛立ちの強まる真希の問いかけには答えない。
丁寧に躰を洗われて清潔になった真希は、《風の魔術師》に着替えさせられた。
肩を出したエンパイアドレス風の服は、無垢の純白で美しくウェディングドレスのような印象を受けた。
(――なんで私にこんなモノを着せるの?)
《風の魔術師》は、嬉しそうな様子で「お似合いですよ」「やはり、お綺麗ですね」と賛辞を送っていた。
フードを目深に被って屈んだ彼女を見下ろしながら、真希は先程の素顔を反芻していた。
魔術師の女は一瞬だけ、少女の求めに応じてフードを払って素顔を見せた。鼻筋の通い、大きな瑠璃色の瞳が宝石のように美しい女性だった。ぽってり膨らんだ唇には毒々しい色のルージュが塗られていた。
だが特に印象に残るのは、白い肌だった。
まるで人形のように白く透き通った肌。雰囲気は大人びているものの、素顔は可憐な幼さを残した美人だった。
しかし、マジマジと見られることに慣れてないのだろうか? 《風の魔術師》はすぐに、恥部を見られたような態度でフードを深く被り直した。
真希は着替えなどをされるがまま任せた状態で、茫然と脱力した躰と頭で考え込む。
…………盗賊の砦
ここは、かつて真希たちの立て籠もった「黒馬の民」の砦を襲った連中の本拠地だった。
真希が大鎌の男と死闘を繰り広げ、瀕死の状態になりながらも勝った。その後の記憶だけがポッカりと欠落しているのだ。
自分がいつ、どうやってこの場に来たのか? なぜ、自分が連れ攫われたのか? ――その理由が分からずにいた。
(私が異邦人だから? それとも女だから、慰み者にするため?)
様々な類推をするものの、魔術師である彼女の行動からはほど遠い。どれも決定打に欠いていた。
見ず知らずの少女である筈の自分に対して明らかに、親しい間柄のように接する《風の魔術師》という存在だけが不気味で、ひたすら謎だった。
「ああ、やっぱり真希さんにはこの服が似合うと前々から思っていたんですよ? ふふっ、うん。見立ては間違いありませんでしたね」
そう言いながら、魔術師の彼女はドレスの鳩尾辺りに垂れた紐を引いてコルセットのように服の腰を締めた。
無視されたと思った真希は我慢の限界に達した。
「――ねぇ、答えて! どうして私を助けたの? アンタは何者? 全然意味が分からないって言ってるじゃん!!」
溜まっていた不安な感情を一気に吐露するように真希が言った。……かつて、日本に住んでいた頃のような年相応の口調で、真希は叫ぶ。
脈拍が上がる気がした。心臓の鼓動が煩いくらいドクドク鳴っている。
顔が火照って熱い。
肩で荒く息をつく真希は、不審の眼差しで魔術師を睨む。
「――……真希さん」と、困惑したような寂しげな口調で風の魔術師は、目深に被ったフードを真希の顔がある方に向けた。「――――ごめんなさい。〝戒め〟によって答えることができません。それでも、わたくしは、貴女を大切に思っているんですよ? それだけは信じて下さい。……と言っても無理なことは分かっています」
「……勝手だって! アンタも黒馬の砦を攻撃した盗賊連中に加担してたんでしょ? 今更、自分だけ都合が良すぎるって思わない?」
「――答えられません」
「じゃあどうして? 私を殺さないのは気まぐれ?」
「――答えられません」
「ああ、そうか分かった! あれだ、私はペット感覚で生かしたんでしょ? この世界だと黒髪のアジア人の顔形は珍しいからね。違う?」
「――答えられません」
風の魔術師の声は微かに震えていた。
(何なの……)
内心、真希は動揺した。しかし、それでも相対する人物が大事な場所を、人々を奪い去った一員だというなら容赦はしない。……そう誓った。
(ナターシャ、ごめん)
かつて、砦で仲良くなり、短く色濃い時間を過ごした親友に対し詫びる。
「……そう、私はペット感覚で生かされたんだ。なら、ペットらしく生きてもいいかなー――なんて言うわけないじゃん!! 許さないから! 絶対に私の命がある限り、絶対にここの連中に復讐するから」
真希はいつの間にか過呼吸になりながら宣言していた。
ガバッ、と突然に風の魔術師に真希が抱きしめられていた。
「えっ、なに――――!?」
フードの奥から流れた藍色の毛先が真希の石鹸で洗われた肌を擽る。
「……今はわたくしを恨んでもらって構いません。それでも、いつか知ってほしいんです。わたしは恨まれて結構です。忘れ去られる亡者よりも幸せでありたいですから――あなたの失った大切な人たちを、どうぞ忘れないで下さい。わたくしも、大勢の親しい人々を失いました」
耳元に熱い吐息交じりに語られる魔術師の女の言葉。
それは、同性ながらもドキリとする程に艶めかしく、延髄まで痺れるほど妖しい声色だった。――そして何より、彼女の言葉に嘘偽りがないと本能的に、真希は悟ってしまった。
お久しぶりです。不定期に書きます。でも、すぐではありません。ご了承ください。




