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 鈍い陶器の杯に注がれた水がきた。 

 だが、水面には草が浮かんで底の部分には細かな砂がたまっていた。それを凝視する。彼女は、深くうつむいて強く下唇を噛む。


 「どうしたんだい、お嬢さん。遠慮はいいよ、はやくお飲みよ。」 

 小太りの気さくそうなおかみが、すすめた。

 

(どうしてこうなった、どうしてこうなった……ああ、もうやだ。) 


 虚ろな両眼で水の満ちる杯を睨む。 


そう、全てはつい数日前に遡る―――。





  ――温かい光が瞼を熱く照らした。まるで燃やすように。 ≪私≫は長い、永久にも等しい眠りから解放された。まるで、固く繋がれた鎖のようなまつ毛が、次々と眠りから切り離され、眼覚める。



 四月の半ば、朝晩の冷え込みがきえた蒸し暑いある昼。

 閑静な住宅街は雨後特有のアスファルトが湿った香りに満ちていた。鉛色の雲の隙間から青空が見え隠れした。



 元々企業団地として開発された区画であるだけに交通の便利もよく、県下でも有数の立地条件である。しかし、開発中に世界的な不景気で一気に開発は滞り、工事の音も減り、数年経た今なお住宅街に空き地や風に煽られたブルーシートで覆われた建築物も数多い。

 そして、この区画に、光を防ぐように一日中カーテンを閉めっきりにした窓がある。その一軒家はクリーム色をした外壁であり、玄関には皆川という表札がかかっていた。



 この家を実行支配する城主、皆川真希はひとり、長い睡眠から目覚める。外の騒々しい小鳥や車の走り去る音、なんらかの業者の男たちの話し声。


 わずらわしく思いながら、彼女は床に放り投げた鼠色のパーカーをベッドの上から器用に足で掴み、毛布の中で着替える。腰より下はパンツ一枚という格好でベットから飛び起きた。 



 ゲーム機やカセット、漫画にたたまれずに散乱した衣類。飲み捨てたペットボトルが部屋中に跋扈している。ふと、彼女の腕の産毛をカーテンの隙間から漏れた日光が黄金に照らす。背伸びをして、目覚ましを一瞥する。 


 

(お、もう12時まわってるし。ま、いっか。)


 微睡からしばらく目線を漂わせて、ベッドに腰を下ろす。投げ捨てられた、衣類の山に紛れた制服を一瞥する。 


 高校にあがってすぐ登校拒否を決意した真希は、傍に置いたメガネをつけると携帯端末をパーカーのポケットから取り出しつつ、再び布団に潜り込もうとする――その刹那である。


 ノートパソコンの画面が光っているのに気が付いた。

 勉強机まで歩くと、そのまま、何気なく、キーボードを叩き検索をかけた。

 画面には、そのまま「検索ワード 日常の脱出方法」と映し出された。

 「……はぁ」 


 嘆息した。こんなことは何の意味もないのだ。 

椅子から立ち上がろうとしたとき、1階の玄関が開く音がした。


 真希は心臓が凍えるほどに驚いた。まさか、強盗だろうか? 戸締りを怠っていたツケが回ってきたのだろうか。しかし、考えるよりも早く、護身用のゴルフクラブを手に持ち、部屋の扉の前で構える。

 ≪侵入者≫はどうやら、二階にやってくるらしく、階段をパタパタとのぼってくる。 

(やばい、ほんとやばい) 

冷や汗どころではない。


 やがて、侵入者は迷わず真希の部屋の前まで気配を近づけた。

 そして、ノックを律儀に三四回やる。侵入者がドアノブを回そうとした――瞬間であった。

 真希は迷わず、自分から扉を開き、ゴルフクラブを、目をつぶりながら、震える腕で振り下ろす。

 「――うぉ! 危ない」

 侵入者は、咄嗟の行動で、一撃を避けた。

 野太い声……確か、聞き覚えのある……

 「あれ? もしかして……その声?」

 つぶっていた目をひらくと、扉の傍で腕組みをし、薄い廊下に差し込む日差しから浮かび上がる樽腹。まさしく、見慣れた姿が立っていた。

「どうゆうことなんスかねー、真希さんよーう。」

 その発言者は、怒りを含んだ口調で、額に青筋を浮かべている。


 「あれ? 誰」

「ふざけんなよ、おいおい。俺の可愛い娘よ。オレだよ。」 

 そこには、太り気味で黒のシャツと厚手のズボンをはく人の良さそうな男がいた。 

 その彼が、大仰に腕を広げる。 

 真希は、頬を引きつらせた。

「詐欺?」

「違わい」

「じゃあ、小太りの変質者とか?」

「……そろそろ泣くよ、オレ」

 四〇代も過ぎようとしている太った男の潤んだ瞳を瞬かせるのが気持ち悪い。 呆れた彼女はため息混じりに、

「お、お父さん?」

「そうだよ、なんで疑問なんだよ。忘れたのかよ。」

 茶化しつつも応じた。

「どうして帰ってきたの?」

「どうして、だとォ? いいかお前、高校行ってないんだってな。学校の先生から連絡あったぞ。」

「え? 国際電話でかかってきたの?」

「いや、一応日本に帰って来たときに連絡が来たんだ。どうしたんだ? またなにかされたのか?」

「……別にお父さんなんかに話さなくてもいいじゃん。」

「どうしていつもお前はそうやって学校から逃げるんだ。」 

真希は、父親の皆川壮一を睨めつける。 

そして口をひらいた。

「全部お父さんが悪いんじゃない。冒険家だの戦場記者だのとかいって。全く関わろうとしないから、結局お母さんが病気だったときも……。」 

そこまで言葉と紡ぐと、途中でやめた。


「真希、お前……」

壮一は眉根を深く沈める。真希の顔は複雑な顔に歪んだ。

「もういいでしょ。ほっといてよ。」 そう言うと、真希は布団の中にこもった。 

部屋の扉に佇んだ壮一は、深い呼吸をする。

「なあ、聞いてくれ。お父さん、また旅にでるんだ。」

「……あっそ。勝手に行けば。」

 自然と彼女の語気が強くなる。

「怒らずに聞いてくれ。お前も一緒に行くんだ。」

 被っていた布団を投げ出し、

「なんで? 私関係ないじゃん、意味わかんない。なんで? 別に普通に暮らしてるんだからいいじゃん。たかが、不登校くらいで勝手に決めないでよ。」

「じゃあ、いままでお前、いくつ学校変わった? 

それにお前、そうやって中学から引きこもっては転校の繰り返しだろ。まあ、それは別にいい。だが、オレには生憎だが頼る親戚親類がいない。それに両親も行方不明、妻にも先立たれ、保険にも入れない、誰がこの先お前の面倒みるんだ?」

 真希は押し黙ったまま、なおも父に嫌悪の眼差しを向ける。



「それに、今回の仕事は国からの依頼なんだ。なんでも出発先の大陸で家族共々移住してもいいそうだ。だからオレはお願いしてお前と一緒にあっちの方で暮らすことにした。」

 絶句した。

 しかし、それと同時に奇妙な安堵が胸に湧いた。 

だから不思議と衝撃は少ない。いや、やけになったのかもしれない

「もう勝手にしてよ。」 

 別にこの地に愛着なんてない。だから別の都道府県だろうが、国だろうが、今更慣れっこである。  

 そうたかをくくると、真希は眉間の皺を解き、

 「どこに行くの?」

 と努めて明るくきいた。無論この時点までは彼女も後ろ向きな気持ちでもあった。 

だから父の一言が彼女にとってまさに青天の霹靂であった。


「ん? 異世界だ。」 

「え?」 

続けざまに壮一は、

「あ、そうそう。あと国家機密で移住するから、戸籍謄本とか諸々は国がしばらく預かるからオレとお前は今から法律上はいない人間だぞ。」


 満面の笑みであった。


―――騙された。それが彼女の異世界に対しての反応であった。

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