最悪な未来を回避します
日が暮れようとしている中、クラシックがかかっているカフェの窓際の席で、頭の中が真っ白になってしまった。
天宮美鶴、18歳。どうやら告白をされている最中です。
この至近距離で私に恋しいなどと言った男、元婚約者であった西園寺翔也は私が前世でバイブルとしていた少女漫画のヒーローだ。物語ではプライドが高く俺様で、それでもヒロインが困っていると優しさが垣間見える男だった。ヒロインへ思いを告げる場面なんかはロマンチックで、桜ノ宮学園のダンスパーティーで着飾った上に、学園全員の前で騎士のように跪いて手の甲にキスを送るような、キザッたらしいところもある、それでも女の子の読者からは騒がれるような男だったのだ。
それなのに、目の前の男はどうだろう。どこか必死で、余裕がなくて、それでも真剣に悪役であった私に対して公衆の面前で半ば叫ぶようにして理解しかねる言葉をつらつらと吐いている。
だから、我に返った私は彼に言った。「あなた、誰ですか」と。
その言葉に西園寺翔也は目を見開いて、それまでつらつらと紡いでいた言葉を止めた。……ああ、恥ずかしい。さっきからコーヒーとモンブランを持ったウェイターさんがどうしたら良いかと苦笑いをしながらこちらの様子を伺っているし、そんなにいなかったお客さんは騒ぎだした私たちへと視線を向けている。
「み、美鶴……お前、記憶喪失に……」
「そんな訳はないでしょう」
どうやら動揺している西園寺翔也の恥ずかしい発言を止める為に言ったことなのに、そんな事も解らないほどに動揺しているのだろうか。……というか、いつの間にか名字から名前呼びに変わっているし。
「大体、あなたはそのように軽く愛を囁くような人間でしたか?違うでしょう?たとえこれが冗談だとしても、質が悪いですよ」
冷静になった私は恥ずかしい思いをさせられた仕返しとばかりに、嫌みを言う。たとえ動揺していたとしても、自分以上に動揺して余裕のない人間がいれば冷静になれる、と誰かが言っていたことは本当だったのね、と頭の片隅でそんなことを考えられるほどの余裕がでてきたらしい。
「か、軽くもないし冗談でもない!」
私の嫌みに気づく程度には落ち着いてきたのだろうか、先ほどまでの余裕のない様子ではなくなったようだ。立ったままだった彼は一度深呼吸をしてから私の正面の席に腰を下ろした。
「どこがです?たとえ言語が違うからって、公衆の面前で恥ずかしげもなくそんな言葉を告げられる人間は俗にいうチャラい人くらいですよ」
「チャラいって、お前な……俺は真剣に」
「真剣に、なんです?本当にそうなんですか?私、あなたに好かれるような事をした覚えもないですし、あなただってこれまでそんなこと一度も言わなかったし、とらなかったじゃないですか」
最初こそ婚約は西園寺翔也は強引だったが、その後はしつこいとしか思えなかったし、婚約者であった私に執着があったようだけれども、それは他の奴に奪われるのはプライドが許さないって感じにしか思えなかった。だって一言もなかったのだ。彼が私をどう思っているか、なんて言葉は。
「それは……確かにそうだったが。それでもお前のことは最初から恋愛対象として見ていた」
「……はあ?」
思わずそんな声が出てしまった。最初、というのはあの誘拐未遂事件のパーティーの時だろうか、なんて考えていると、さらに衝撃的なことを言う。
「一目惚れだったんだ」
「……うそでしょ……」
まさかの事実。そんな事には全く気がつかなかった。聞けば、あの事件の時、私が倒れてしまったので名前を聞く事ができずに、自分なりに調べたようだ。やっと名前が解ったと思ったら、もともと彼が通っていたお金持ちの幼稚園から大学まで一環の学園の生徒ではなく桜ノ宮学園の初等部に入学すると知って、簡単に会えない事にがっかりしたのだという。その学園は中等部卒業までは外部に受検することも許されない厳しいものだったらしい。だから高等部から桜ノ宮学園に入ってきたのか。物語の始まりは高校生からでそんな描写は漫画にもなかったしなぁ、なんて妙に納得してしまう。
「やっと同じ学園に入れたというのに、全く姿を見かける事すらできないのはおかしいと思ったんだ。始めてあった頃あんなに人目を引く容姿をしていた奴が、話題にも上がってきていなかったから。だから気がついた、避けられているのだと」
それなら囲い込んで逃げられないようにしてやろうと婚約をしたのだという。全く、あのときは本当に迷惑だったわ。悪役回避に必死だったのに、結局それと同じ立場に立たされてしまって。
「それでも、お前はアメリカに行ってしまうし、俺に深く関わるのを避けていたから、お前と同性である宮野に相談していたんだが……」
「……それで、宮野さんと抱き合うんですか?」
「それを見ていたのか!」
西園寺翔也は私の言葉に、やはりか、という顔をしてすごい剣幕で迫ってきた。
「あれはただあいつがつまずいたから助けただけだ!お前はタイミングよくその場面を見ただけなんだ、あいつとの間にやましい事なんて一ミリもない!」
「……そ、そうなんですか」
この必死に食い掛かって来るこの男の言う事が真実だとしたら、私はただ単に勘違いしていただけなのか。
なんて、簡単に納得出来るほど素直ではないが。
「信じてないな……」
「はぁ……そんなに素直な性格でもないですし」
「だが、真実だ」
真剣な顔で告げられれば、ドキリとする。しかしそんな動揺を悟られたくなくて、私は俯いて視線を逸らした。もしかしたら、この男は私が想像していたよりもよっぽど誠実な男だったのかもしれない。そう思い至ると、私は冷静になった。
彼の言葉が真実だとしたら、私はあの漫画のストーリーのようにヒロインを邪魔する悪役になる事を恐れ、回避しようと学園から、西園寺翔也と宮野絵里から逃げ回り、勝手に勘違いして空回りしていた事になる。……物語に捕われないようにと行動していたのに、誰よりも物語に捕われていたのだ。
漫画の物語の世界だと思って、私以外の周りの全てが物語の通りに考え、行動していると勝手に決めつけていたのではないのか。ちょっと考えれば解った筈だ。この世界でも私が自由に選択して自分の道を歩んできていた筈なのに、物語に捕われすぎていて気がつかなかった。物語の登場人物であるとしても、私の目の前で彼らは自分で選択して、自分の道を生きているのに。
それに気がついたら、私は何だが今まで張っていた緊張の全てがほどけてなくなっていく感覚に陥った。ああ、私って本当に愚かだ……。私を真剣に見つめているこの目の前の男のことも、ちゃんと見ていなかったのだから、彼がどう思っているか、なんて気がつく筈がなかったのだ。
「すみません」
口に出た言葉は、それだ。
「……それは、何に対しての謝罪だ?」
少し硬い表情でそう尋ねてきた西園寺翔也に、私は答える。
「仮にも婚約者だったのに、貴方の事を知ろうともしないで避けていたことです。」
「……避けられているとは解っていたが、婚約を解消するとお前の父親から告げられた時は、本当に焦ったんだ。婚約をしている間は、他の誰かのものになる事もないと思っていたから。」
「それに関しては、手段が強引すぎではないかと思いました。……この時代なのにこちらの意思も確認せずに外堀を埋めていかれて」
「やっと見つけたお前を誰かにとられたくなかったんだ」
「それにしては、私に好意があるなんて、態度にも口にも出さなかったではないですか。だから、政略的なものだとずっと思っていました」
「そんなことはない! く、口に出さなかったのは……すまなかったと思っているが、普通好意を抱いてないと手は出さないだろう」
顔を赤くしている目の前の男の言葉に、私もつられて頬を赤く染めた。
「……気持ちが伴ってなくても、手を出せるのが男性なのではないのですか」
少なくとも前世ではそういう男性とつきあったこともあった。それに、金持ちで盛りの高校生男子ならば尚更だと思っていたのだが。
「な……!俺はそんな軽薄な人間ではない!側に居たいと思うのも手を出したいと思うのも、全てお前だけだ!」
大きな声を出してしまって、ハッとして周囲の視線を気にする西園寺翔也の様子に、私は笑ってしまう。
この男はただ言葉の足りない、ちょっと不器用な男だったのだ。
向き合ってみれば、こうして相手の事が解る。私と西園寺翔也に足りなかったのは、こうして向き合って話をすることだった。ただ、私が顔を背けてその機会を作ってこなかったのだ。
「本当に私、何も見えてなかったのね」
ぼそりと呟いた言葉は、私の中にすとんと落ちた。
見ていたのは物語で、自分のことしか見ていなかった。回避しようとしていた物語から誰よりも捕われていた、悪役。けれどそれを認めてしまえば、そこから抜け出すのは簡単だ。
「西園寺さん」
「なんだ」
「どうしてここまで私を探しにきてくださったのですか」
そう尋ねれば、彼は眉を潜める。
「お前に会いたかったからだ」
「それはどうしてです?」
「……それくらい、改めて言わなくてもわかるだろう。」
気恥ずかしいのか顔を背けている西園寺翔也に、私は困ったように笑った。
「私、解らなかったんです。貴方はずっと、他の人が好きなのだと思ったから」
ヒロインとヒーローは結ばれて、ハッピーエンドを迎える。悪役は、終盤に物語から退場しなければならない。ずっと、そう思ってた。
「俺は‥……」
何かを言おうとして彼が私に触れようとした時だった。その手は横から誰かに掴まれ、彼は驚いてそちらを向く。
「美鶴ちゃんの付け回して、ストーカーにでもなったのかな?西園寺君」
「霧崎 悟……!」
「呼び捨て、って年上を敬う事も出来ないのかい、君は」
待ち合わせをしていた事がすっかり頭から抜け出ていた私は一瞬惚けていたが、すぐに取り繕って霧崎さんに尋ねる。
「霧崎さん、もう少しおそくなるのではなかったのですか」
「いやぁ、好きな女の子からお誘いがあったから張り切って終わらせたよ」
「あ、そうですか。ははは……」
どのように切り返せば良いか解らず、曖昧に笑っていると、我に返っただろう西園寺翔也は霧崎さんを睨みつけた。
「霧崎、さん。あなた、まさか美鶴のこと、」
「うん?君には関係のないことだろう、美鶴ちゃんの元婚約者なんだから。」
「俺はまだそれに納得していない!」
「しつこい男は嫌われるよ」
「な……」
何やら西園寺翔也が劣勢な言い争いを始めた二人に、店の中の視線は再びこちらへ集まってしまったので、私はとりあえず二人を止めようと試みたのだが。
「あの、二人とも……」
『美鶴は黙ってろ』
『美鶴ちゃんはちょっと待ってて』
口を出せば二人にそう言われて、再び彼らは言い争いを始める。それに苦笑いしか出ない私は、視線でウェイターに謝罪をして、とりあえず落ち着くまでは待っていようと静観を決め込んだ。
騒がしい中運ばれていた水の入ったグラスを傾けて、私は外の景色へと視線を向けた。
ああ、綺麗な夕焼けだなぁ。
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結局その日話そうとしていた私は霧崎さんからの婚約の申し入れはまだ考えられない、といって後日断った。彼本人のおつきあいの申し込みと一緒に。霧崎さんは、振り向いて貰えるまで頑張るよ、と言っていたが両親やお兄様はその答えに何も言わなかったし、むしろ自由にしていいと言ってくれた。お父様の様子がとても喜んでいるように見えたのはきっと幻か何かだろう。
それからは相変わらず私は研究をしていたし、霧崎さんとの関係も、彼は諦める様子はなくアプローチをして来るがそんなに変わらずに良好である。
それに、宮野絵里とももう一度会う機会があって、その時から私たちは意気投合するほどに仲良くもなった。
もともとこの漫画の物語を知っている転生仲間だったこともあるのだが、妙にさばさばしているところもお互いにあって、何故もっと早く仲良くならなかったのか不思議なくらいで、そう彼女に言ったら、
『私は多分仲良く慣れるだろうなぁ、と思ってたのよ?だって、あの外面は完璧だけど独占欲の固まりでねちっこい男から逃げようとする人なのよ』と言われた。確かに、西園寺翔也は見目麗しく、大抵の女性は騒ぎ立てるほどのものだ。だから、その彼のアプローチから逃げようとする女性は珍しいし、私が彼女であってもそんな人が居たら仲良くなってみたいと思うだろう。
そんなこんなで、彼女とは仲良くなってから日は浅いのに、お互いの恋愛話をする程には仲良くなっていた。
そうそう、驚くべことに、彼女は彰お兄様のことが好きらしい。曰く、『私って昔から主人公達よりも脇役の方が好きになる質なのよねぇ』
だが、それだけではないだろう事は私にも解る。彼女がお兄様を見る目は本当に恋する乙女そのものだから。お兄様は彼女に対しては何となく穏やかな表情にもなるし、もしかしたら、なんてこともあるかもしれない。
「美鶴、まだ終わらないのか」
「あのですね、私は大学院生で、研究して論文を書くんですよ?当たり前に暇ではないですし、今は分析ソフトをまわしていて、いい所なんですから。邪魔しないでください」
データをコマンドで分析している最中に、西園寺翔也は話しかけて来る。この男、あの一件からこの研究室に押し掛けてくるようになったのだ。
「そうだよ、西園寺君。美鶴ちゃんの研究は結構面白い観点だし、先生達からも期待されているんだ。彼女を煩わせるのは感心しないよ」
「……霧崎、さん。あなたも大抵美鶴の近くにいて話しかけているじゃないですか。」
「僕は手伝っているし、邪魔はしていないよ」
そうしてここ最近はおなじみとなった言い争いを私の周囲で始める始末。私が何を言ってもこの二人がそれを止める事はないので、まるっきり無視をするのが私の最近の行動パターンだ。
最初は大人な対応をしていた霧崎さんも、最近は張り合うような言動をするようになった。案外、彼も余裕がないのかもしれない。
対する西園寺翔也は、私の邪魔をするかのごとくべったりとして来るが、たまに研究にも助言をしてくれたりもする。もしかしなくてもこの男、ハイスペックなのではと思った回数は少なくない。
婚約者ではなくなったが、そうであった時よりも私たちの距離は近い気がするのは間違いではないだろう。私が彼と向き合うようになったのは大きな理由だとは思うが、それだけではない気がする。彼の中で何があったのかは解らないのだが、聞くだけでも恥ずかしくなるような甘い言葉を吐くようになったし、本当に私が嫌だと思っていることに関してはしてこない。
何だかそれが大切にされているようでむずかゆくなる理由はわかっているが、それを明確にするのはまだもったいないような気持ちになる。
だから、今はもう少しこの小さな幸福に浸っていたい。いつまでもあいまいな返事しか返さないのは悪いとは思うが、今までの西園寺翔也の強引な行動に対してのちょっとした意趣返しだ。それでヤキモキしている彼の様子をみて面白がっている私は、本当に悪役なのかもしれない。
これからの将来、どうなるかは誰にもわからないが、あの漫画の未来は私に訪れないだろう。他の人々が漫画と関係なく彼らの道を歩んでいるように、私の人生は、私の物語なのだ。そのときそのときに後悔をしても前に進み続けて、最後に笑えるものにしたい。
その後、西園寺翔也に思いを寄せる女性たちからの嫌がらせにウンザリして彼から離れるような行動をとって彼に公衆の面前でプロポーズされることも、それに応戦するように霧崎さんからもたまたま出た社交パーティーで婚約の申し入れを再びされることにも、便乗して他の社長令息たちからも婚約の申し入れが大量に来て、面倒になって全部放り出して今度はお兄様だけでなくお父様の手を借りて逃げ出そうとするのも、そして今度は西園寺翔也だけでなく霧崎さんからも追われることになるのもまだまだ先の話。
とにかく、どんなことが起こっても、私は最悪の未来を回避します!
ここまでのお付き合い、大変にありがとうございました。
この話は完全に見切り発車で、おまけに更新が亀で、お待ちいただいていた方には本当に申し訳なかったです。
この話はとにかく逃げる女の子が書きたくて書き始めた話でした。それに、悪役令嬢を題材とした作品が多くある中、回避しようとするのならその物語に誰よりもとらわれてしまうんじゃないかなぁ、と思って書いた話です。
最終的に彼女が誰と結ばれたのかは作者にも解りません(笑)。最初は婚約者さまとくっつくんだろうなぁと思って書いていたのですが、徐々に『この男だめだ、予想以上にしつこいヘタレになっちゃった。自分ならこんな男嫌だ』、と思ってきちゃったので彼女にお任せすることにしました(先輩と婚約者を選べなくて面倒になったのは秘密)。その後の彼女は読者様のご想像におまかせします。
さて、長くなりましたがもう一度、本当にこのような稚拙な作品に最後までおつきあいいただきまして、大変にありがとうございました。
需要がございましたら番外編や、婚約者視点のお話、先輩のお話もUPしようかと思っております。
また、他の私の作品でも再びお会いできたら幸いです。ありがとうございました。