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極彩色のエピローグ

 そして、高校三年の春──始業式の日。


 さやかは、四葉のクローバーの鉢植えを抱えて、サンダルのまま玄関を飛び出していた。


 道に出て、すぐさまキョロキョロすると、左へ歩いていく男の背中が見える。


「コウキくん!」


 早朝の朝靄に、その背中が霞んでしまうより早く、さやかは大きな声で彼を呼んだ。もはや、子供の背中ではない。背は彼女より高いし、骨格だって男のもの。髪も少し長い。


 あのコウキと同じ人間だと、分からなくてもおかしくない成長ぶりだ。だが、さやかは分かった。


 紫のラメシャツに、茜色のズボン。こんな色彩感覚のファッションが出来る人間は、あのコウキ以外にありえないからだ。「何故ラメにした」と笑い出したい気分を抑えられないまま、さやかはその背中に駆けて行く。


 彼の足が止まる。


 振り返る。


 もう、前髪はツンじゃない。額に降りた黒髪は、同級生の宮脇幸喜とは随分違う印象をさやかに与えた。


 目も、違う。悟りか何かを開いたんじゃないかと思えるほど、彼は優しい目をしていた。


 宮脇幸喜と同じDNAを持つ彼は、ミヤワキコウキとしての「個」を確立させている。それが、さやかにはありありと見て取れた。


「久しぶり、コウキくん、これありがとう!」


 目の前で止まって、彼女は鉢を持ち上げて見せる。そこにこめられた素朴な「愛」を感じたのだ。去年の河川敷の出来事を、コウキが忘れていなかった証拠だ。


「いえ、朝から突然訪ねて済みませんでした」


「いいって……でも、今日イナさんは? 宮脇くんは?」


 さやかは、もう一度キョロキョロした。さっきのキョロキョロはコウキを探すためのものだったが、これはイナと幸喜を探すため。


「イナなら船です。幸喜さんは……家じゃないでしょうか」


 優しげに微笑む彼に、さやかは首を傾げた。不思議だったのだ。彼は、イナから余り離れられなかったはずだ。主に、イナが危険だという理由で。そして、こちらの世界に来たということは、幸喜のところに顔を出しにきたはず。


 コウキにとって重要なパズルのピースが、二つも抜け落ちた状態で、ここに一人でいるのは、とても珍しいことのように思えた。


「大丈夫なの? イナさん」


 何を怪訝に思っているか、黙っていても伝わらないと思って、彼女はその唇を開く。


 そうしたら、コウキが幸せそうに微笑を強めたのだ。「大丈夫ですよ」と。


「いま、イナのおなかの中に幸福の種が入っていますから、不幸な体質は一時お休みです」


 そして──その笑顔のまま、奇妙なことを口にしたのだ。


「え?」


 鉢を抱えたまま、さやかは一瞬固まった。


「え、えっと……それって」


 戸惑いながら、彼女はもう一度コウキの言葉を反芻しようとした。そんな彼女の横では、犬の散歩をしている老婆が、凄まじい色彩感覚に驚いて、コウキを二度見しながら通り過ぎて行く。


「僕の子です。クローンじゃありませんよ」


 ふふふと、コウキが間違いようの無い言葉を付け足しながら笑った。さやかは目をむいて、そんな彼を見上げた。


 見た目の年の頃は、さやかと同じくらい。いっててもせいぜい二十歳前。けれど、彼はクローンで、どういう成長方式を取っているのか、ほんの数年でここまで成長していた。


 そんな彼が、子供の父になるというのだ。


「お、お、お、おめでとうっ!」


 彼女は、つい赤くなりながら、ついでに言葉もすっ転ばせながら、何とかそれを自分から搾り出した。めでたいことは心の底から本当なのだが、微妙なお年頃のせいで、どうしてもこうなってしまったのである。


「ありがとうございます、山下さん……貴女のおかげです」


「へ?」


 まだ頭の中がわやわやの状態でコウキにそう言われ、さやかは素っ頓狂な声を出してしまった。彼女にしてみれば、突然話が飛んだ気がしたのだ。


「この一年、僕はとても沢山、幸喜さんと山下さんのことを考えました……イナのことはもっと考えましたけど。僕はまだ、『愛』というものをきちんと理解しているとは言いがたいですが、こうして誰かのことを一生懸命考えるのも、『愛』なんだということは……分かりました」


 彼の視線が、さやかの手の中にある鉢植えに注がれる。同じ白い柄を持つ四葉が、朝靄の中青々しく鉢から溢れている。


「去年のあの日、僕の側にいてくれてありがとうございました。おかげで昨日、僕は一人で幸喜さんに会うことが出来ました」


 四葉の群生を見つけて、コウキの頭を撫でた日から、まだたったの一年。その一年でこれほど大きくなった彼は、あの時さやかが言いたかった言葉を理解してくれたのか。


 彼女が過ごした一年と、本当に同じ長さなのかは分からないが、コウキはまるで一年草の植物のように一気に大人になってしまった。もう、さやかが撫でる高さに、その頭はない。


 女子高生でありながら、気にかけていた近所の小さい子が大人になったのを見るおばちゃんの気分を存分に味わいながら、さやかは「そんな、えへへ」としまりなく笑った。


 笑った後、はたと気づく。


「宮脇くんと、昨日会ったの?」と。


「はい、会ってきました」


「えー……何で連絡くれなかったんだろう、宮脇くん」


 それが、彼女にとっては不満だった。毎年、彼らが来るとわざわざ電話をくれていたのに、どうして今年はなしだったのか、と。こう見えてさやかは、結構楽しみにしていたのだ。


「それは……」


 コウキは、少し困ったように苦笑した。


「『いまのお前に、山下が抱きつくのを見るのは勘弁だ』、だそうです」


 そして、またしてもさやかの想像を超えた意外な言葉が、彼の口から転がり出てくる。「ほへ」っと、さやかは奇妙な声をあげてしまった。


「何それ……いくら私だって、いまのコウキくんにはそんなことしないよ」


 赤ん坊だった頃の彼を抱き上げ、小学生くらいの彼をぎゅっとした。だが、さすがに目の前の、紫のラメシャツの男性に抱きつくことは出来ない。


 くだらない理由で呼ばれなかったというのなら心外だと、さやかは不満に思ってぶつぶつと見えない幸喜に文句を言った。


「お礼ついでに……山下さんにいいこと教えてあげます」


 そんな彼女に。


 コウキがやや頭を下げて、耳元である事を囁く。


「えっ!?」


 またまた意外な言葉に、彼女がばっと顔を上げてコウキを見ると。


「ああ見えて、結構馬鹿なんですよ……幸喜さんは」


 兄弟でもなく、家族でもなく、かといって他人でもない男のことを、彼はそう言って笑うのだった。



 ※



 朝から容量いっぱいいっぱいになりながら、さやかはようやく登校した。今日から高校三年生。


 高校最後の年が始まるピカピカなはずの日が、彼女にとっては複雑なものだった。


「はよ」


 下駄箱で上靴に履き替えていると、クラスメートの男子──いや、宮脇幸喜が挨拶を投げた。


「お、はよ」


 その瞬間、さやかの心臓とポニーテールの尻尾が、同じ勢いで飛び跳ねた。出来たら、まだ会いたくなかったのだ。悪いことをしているわけではないのに。


「どうした?」


「何でもない」


 さやかは慌てて両手を振って、早足で歩き出す。既に人だかりが出来ている下駄箱そばの廊下には、新しいクラス分けの名簿が掲示されていた。そこで、既に一喜一憂している人たちの群れに、彼女は紛れ込んだ。


 やーやーやー。


 山下なんて苗字は最後の方なので、彼女は名簿を逆さまから見る癖が出来ていた。1組なし、2組なしと、自分の名前を探す。


「また同じ4組だな、山下」


 自分の名前を見つけ出すより早く、後方の高い位置から声をかけられる。またポニテの尻尾をはねさせてしまう。しかし、いまの彼女は振り返るより先に、その言葉が本当かどうか確認するために、4組の名簿を見た。


 山下さやか。


 宮脇幸喜。


 確かにその二つの名は、名簿の中にあった。


 中学から数えて6年連続同じクラス──その事実と、朝のコウキの言葉が混じりあい、さやかは名簿を前に頭にかーっと血が上るのを感じた。


『今日、山下さんは幸喜さんと同じクラスになりますよ……幸喜さんが、それを望んでますから』


 囁かれたその言葉は、彼女を混乱に陥れた。走馬灯のように、これまで同じクラスだった宮脇の姿が脳裏を横切る。


 元気で優しい、理想的なクラスメートだった彼を、だ。理想的なクラスメートというものは、さやかにとって居心地のいい人である。だが、逆に言えば、強く印象づかない人でもあった。


 少なくともあの中学三年の冬までは、さやかの幸喜への印象は「いい人」に過ぎなかった。


 1回目のあの日から、宮脇幸喜は「いい人」ではなく、彼女にとって「気になる人」になった。


 そんな宮脇幸喜は「気になる人」ではなく、「秘密を共有する人」になった。馬鹿馬鹿しい異世界人なんていうものを信じ、小さいコウキをだっこした2回目のあの日から。


 そして宮脇幸喜は、「秘密を共有する人」から「コウキの幸福を願う仲間」になった。これが、3回目のあの日。


 一年に一段ずつ上がってきた階段の上で、さやかは今日コウキと幸喜に会った。


「今日、やっぱおかしくねぇか?」


 彼女が耳まで赤くなっているのを、後ろの幸喜は見ているのかもしれない。そんな彼に、さやかはバッと振り返った。


 誰のせいだと思ってる、と。


 しかし、勢いよく振り返ったはいいが、彼女は口を何度か開け閉めするしか出来なかった。この気持ちを、どう言えばいいか分からなかったし、幸喜の顔を真正面からちゃんと見られなかったのだ。


 そんなもどかしい気持ちを持て余して、心の中であうあうと唸った後。


 ようやく。


 さやかは。


 こう言った。


「超幸運の……無駄遣いだよ、これ」


 その瞬間の、幸喜の顔ときたら。


「えっ!?」と、心底驚いた顔をした挙句、さやかと同じように彼は真っ赤になってしまったのだ。


「コウキの野郎だな……」


 そっぽを向いて、苦々しげにそう毒づく幸喜。


 その唇から出てきた「コウキ」の響きは──兄弟に向けるものでもなく、家族に向けるものでもなく、かといって他人に向けるでもなかった。



 この日から、さやかは幸喜に対して「コウキの幸福を願う仲間」とは別の名前が必要になる。


 ただし、クラス分け名簿の前の彼女はまだ「」の中に入れる言葉を、上手に選び取ることが出来なかった。


 来年、イナとコウキが赤ん坊を連れて会いに来る日までには、きっと新しい文字が「」の中には座っているだろう。



 目が痛いほどの色彩感覚の持ち主が、また一人増えることを楽しみにしながら、さやかは最後の高校生活を過ごすことになるのだった。




『終』



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