菓子と茶と
「やぁ旦那、景気はどうです?」
署での勤務を終えた夕暮れ時、ラズロはいつもの薄っぺらい草臥れたコートでエリアスの店に訪れた。
――からりん。 からりん。
と、愛らしく軽やかなドアベルの音を背に突っ立つみすぼらしくひょろ長いラズロの姿をみとめると、エリアスは不快感を露わにした。
「いやぁ……酷い顔ですね……きれいな顔が台無しだ」
ラズロが苦笑を浮かべる。
エリアスの表情はますます苦々しく、この男と関わるくらいならシラミを飼う方がマシだとでも言いたげに歪んで目線は逸らされた。
「一度だけの約束だ。……もう用は済んだはずだろ。……それとも、その薄汚いコートを質に入れにきたか? 一ペンスにもならないゴミだ、引き取れない」
しっし、とエリアスは虫を追い払うように手を振った。
その手は以前はしていなかった黒い革の手袋を嵌めていた。
「これでも毎月給料もらってる身ですからね……まだ金回りは問題ないですよ」
「…………まだ?」
「給料日からまだ五日しか経ってない」
ラズロが手をひらっと開いて言った。
エリアスは鼻に皺を寄せて、その言葉の意味を咀嚼することを放棄したようだった。
ラズロはへらへらと笑いながらカウンターに寄って行き、土産の菓子をとんと置いた。
「私の財布がまだ元気なうちに、世話になったお礼をしておこうと思いまして」
「…………らしくなさそうなチョイスだな、大通りの有名なとこの袋だ」
「センスあるでしょう? ……うちの署の若い連中にリサーチしたんですよ」
ラズロの言葉に、エリアスはふんと鼻を鳴らした。
エリアスは来客でも気にするように視線をラズロ越しに扉の向こうに向ける。
しかしこんな路地裏のどん詰まりの怪しげな店に、客など来る気配もない。
「どうせ暇でしょう?」
エリアスは、いちいち何か言うのも追い払うのも面倒だと言うように息を吐く。
「茶くらい入れてやる。どっかその辺の椅子にでも座っていろ」
そう言っておもむろに立ち上がると、奥の部屋に消えていった。
「その辺の椅子っつっても……」
高価そうな椅子、曰くありげな椅子、今にも壊れそうな椅子……。
改めて店内を見渡すと、価値があるのかないのかわからないようなモノが、これといって分類もされず雑然と置かれている。
質屋、骨董屋……というよりは、ガラクタ置き場という方がしっくり来る様子だ。
接客態度も酷いものだし、とラズロは頭を掻いた。
(お偉いさんの落とし胤ってのも……あながち単なるゴシップじゃなさそうだな)
なんらかの援助を受けているか、贈与された信託預金があるか。
いずれにしろ、金銭的な困窮はなさそうな男らしい、とラズロはエリアスへの認識を更新する。
この店は道楽か……あるいは、唯一社会と繋がるための微かで細々としたハブとしての役割があるのかもしれない。
店内を眺めながらつらつらと思索に耽っていると、ふわりと芳しい香りが漂ってきた。
黴臭い店内と、自分の草臥れたコートに染み付いた安い煙草や酒の匂いとは全く違う、華やかで爽やかな香り。
ラズロは思わずそちらへ顔を向ける。
そこには、不機嫌そうな顔をしたエリアスがカップとポットを載せたトレイを手に立っていた。
「座っていろと言ったはずだ」
「……ぁあ、…………すみません、どの椅子に座るべきか、ちょっとした哲学をするくらいには悩んでしまいまして」
「どの椅子でもいいだろう、そんなつまらないことに哲学を騙るな。おまえを椅子にしてやろうか」
苛立たしげに言うと、エリアスは自身の専用の豪奢で上等そうな革張りのソファに座った。
「そんな怒らなくても……別に盗ったりしませんよ」
「…………どうだか。警察官にしては手癖が悪いみたいだからな、警戒はするさ。……ほら、そこの椅子を使え、せっかく入れてやったんだから冷める前に飲むくらいの礼儀は見せろよ」
エリアスの物言いに、ラズロもさすがに声が漏れた。
耐えきれない笑いの音だ。
エリアスが訝しむように眉を寄せている。
「いやぁすみません……あんたに礼儀のなんたるかを説かれるとは思いもよらず。……有り難く頂戴いたしますよ」
曰くはありそうだがそこそこシンプルで壊れもしなさそうな椅子を選んで引き寄せて、ラズロは長い手足をやや窮屈そうに丸めながら腰をおろした。
お土産の菓子箱を開ければ、近頃人気の大通りのパティスリーの焼き菓子詰め合わせ。
東洋ブーム華々しい昨今は、あらゆる菓子に桜味や抹茶味が用意され見た目にも香りにも華やかだ。
「…………ふん」
エリアスはその詰め合わせに、どうやら満足したらしい。
それ以上何かを言うことはなかった。
「じゃ、いただきます」
ラズロも、エリアスが入れた茶を飲む。
署内の不味い珈琲かBARで飲むキツい酒ばかりの舌には、センスの良い芳醇な味わいはいささか難しかったが。
エリアスは優雅にカップを傾け、焼き菓子をひとつ摘んでいく。
(ちゃんと飲み食いするんだなぁ……)
ラズロは、当たり前のことをつい考えてしまった。
エリアスという男は、どこか現実感に乏しい美貌をしている。
絹糸のような光沢の黒い髪、左右で違う目の色、血の通っていないかのような青白い肌。
不健康と言ってしまえばそれまでだが、退廃的な美、とも言える。
黙っていれば人形のように美しいのだ。
「チッ――人の顔を無遠慮にジロジロと」
口を開くと台無しだが。
「難しいですねぇ……じゃあちょっと教えてくださいよ」
ラズロの言葉に、エリアスはジロリと睨むような視線を投げ付ける。
何を聞かれるのか、警戒しているような風情でもある。その様子にラズロは苦笑した。
「まぁ……言いたかないでしょうけど。……あんたのその能力、いったい何がどう見えるんです? なんか触ったらなんでも見えちゃいます?」
エリアスは、目を伏せ深く嘆息した。
それは、どうせいつかは聞かれることだったろう、と予めわかっていたかのような諦念を感じさせる。
「おまえが期待しているようなモノじゃない。……なんにも聞こえない、見えないものの方が多いさ。ありがたいことだ」
冷めた……厭世的な……或いは倦み疲れきっているような声。
エリアスは手袋を嵌めた手をひらりと揺らしてみせた。
「それに、素手だけだ」
だからもう不意打ちは喰らわないぞ、という宣言にも見える。
ラズロは、エリアスのその言葉と様子に、なんとも言えない……いたましいような、申し訳ないような顔をした。
「いつまで人の顔をジロジロ見てるつもりだ」
いつまでも外れないラズロの視線に、エリアスが痺れを切らしたようにまた舌打ちする。
「いやぁ参った……店内を眺めても、あんたを見てても文句を言われるんじゃ……私はいったいどうすれば?」
「さぁな。外でも見てればいいんじゃないか。客が来そうだったら言え」
エリアスの答えはにべもない。
ラズロは苦笑しながら、仕方なく扉のガラス越しに外を眺めることにした。
とはいえ、こんな店にどれほどの客が来るのか。
来たとしてもそれは……。
(ワケアリなんじゃ……?)
しばらく無言……無音の時が過ぎていく……。
やがて。
――からりん。 からりん。
と。
あの可愛らしくも軽やかなドアベルの音がして。
「――ハッ!」
ラズロはうたた寝から顔を上げた。
音が静まったその扉の前。
佇む客の姿。
「おい………………」
ラズロの背後では、地を這うような不機嫌な声がした。




