死者の声
終業後、ラズロは再びあの店に訪れた。
――からりん。 からりん。
可愛らしいドアベルが鳴り、不機嫌そうな店主が奥から顔を出して、更に不愉快そうに顔を顰めた。
「やぁ、どうも。コンバンハ」
ラズロは店主の青年のそんな表情を意に介さず――少なくとも表向きは――にこやかに、いっそふてぶてしいほど愛想よく笑う。
「いったい何の用だ……まともな質入れ以外の話は聞く気はないぞ」
「そんな……邪険にしないでくださいよ。……エリアス・ケラーさん?」
青年の顔色が、一層蒼白く色を失くす。
唇が微かにわななき、それは言葉を形にする前に壊れたかのように、チッという舌打ちに掻き消された。
「調べたのか……悪趣味な。なんの権限で」
「この店の登記簿をちょっと見れば誰でもわかることでしょう。あんたの前科前歴を警察のデータベースに照会したわけじゃない。……それとも、されたら困りますかね」
「………………」
青年――エリアス・ケラー――は無言だった。
しかし、黒と金のオッドアイの瞳が、ラズロをその視線だけで射殺さんとばかりに睨み付けている。
並の人間ならその眼差しに気圧されていただろう。
「そんな怖い顔しないでください……確認したいことがあるんですよ」
ラズロは、並の人間とは違っていた。
ひょろりと長い手足も、薄い体も、警察官らしからぬ風情。一見すると気弱そうにすら見える顔付き。だが、ラズロは見た目に反して強情なたちだった。
エリアスは黙って、促すように鼻を鳴らした。
「あんたのとこか……もしくは最近、ちょっと良い……懐中時計の質入れの話なんて聞いてませんか」
「…………時計関係は質種のスタンダードだ。心当たりがありすぎる」
「ここ一ヶ月以内でも難しいですかねェ」
「…………大きな質屋なら一日に二、三十くらい持ち込まれるかもな。………うちでは、この一ヶ月でそういう持ち込みはない」
ラズロは頭をがしがしと掻いた。
この辺りの主だった質屋の全てを当たるには時間も権限も足りなすぎる。
その間にもあの母子は絶望を深め、困窮していくのかもしれない。
ばばい、と振られた小さな手がちらつく。
ラズロは口端を歪めるように苦く笑うと、エリアスを改めて見た。
「やっぱりちょっとだけ、あんたの力を貸してくれませんか、エリアスさん」
エリアスの表情が再び険しくなる。
「いま、協力してやったばかりだろう」
質問に答える、という協力。
それ以上をするつもりはないという宣言でもあるだろうか。
「その結果、あんたの能力がやっぱり必要になっちまったんですよ」
「…………ふざけるな」
エリアスは吐き捨てるように言うと、ラズロから目を逸らす。
「嫌だ……と言い続けたらどうするつもりだ」
「はは……どうしましょうねェ……ひとまずは、うんというまで、居座りましょうか……?」
エリアスの冷えた眼差しがラズロに向け直され、舌打ちをすると。
「………………一度だけだ」
諦めたように言った。
「はは。ありがとうございます。……じゃ、外は寒いのであったかい格好で」
「………………は? ここに持って来てるんじゃないのか」
「いやぁ……持ってはこれないんすよねぇ、これが」
ラズロは頭を掻いて、お手数お掛けしますねぇとちっとも悪びれずに笑った。
◇◇◇
運河の柵の前で、エリアスが相変わらずの不機嫌な顔で佇んでいる。
店からここに来るまで――大人の足でせいぜい十分程度の距離――何度となくエリアスはやっぱり嫌だ、帰る、めんどくさい、寒い、と文句を言い続け、ラズロはそれをまぁまぁと宥めすかしながら誘導した。
終わったらあったかい珈琲か酒でも奢りますよ、と繰り返し「センスがない。茶だろ」と舌打ちとともに返された。
ラズロはそれを、渋々ながらの手打ちの提案として受け取った。
「ここです」
と、そうして連れ出したエリアスに、ラズロは柵を指差して言った。
エリアスの金色の左目が細く歪められる。
「なんのつもりだ……」
「なにって……いや、まぁ。最期の夜、何を思っていたんだろうなぁ、って」
「はぁ……?」
ラズロの答えは、エリアスには不満足なものだったらしい。
「警察は自殺として処理しました。遺された家族は、それを否定してる。……自殺では教会もその魂を罪人として扱いますし……」
「…………何が言いたいのかよくわからないが……死人の声が聞こえたところで、自殺の事実が覆るとは思えないぞ」
「……ですね。むしろ確定するかもしれない」
「……そもそも、おまえが期待してるような何かが見える保証も、変わる保証もない」
ラズロは、諦念とも憂いともつかない曖昧な笑みを浮かべる。
「でも、もしかしたら……何かは変わるかもしれないでしょう?」
明確に何を望んでいるのかも曖昧な、一縷の希望に縋るような心地でラズロは今ここに立っていた。
ただ、エリアスの持つ不思議な力に賭けるしかできなかった。
エリアスは甚だ不本意そうに嘆息して、分厚い手袋を外すと運河の柵に手を触れた。
――――――――――
彼は焦っていた。
はやく新しい仕事を見つけないといけなかった。
金目のものはだいたい質に入れてしまったし、あちこちで金を借りて、返せるアテもなかった。
もう質種になりそうなものもない。
彼は手の中にチャラチャラと、もはや唯一残された価値あるモノを見つめた。
金の鎖に繋がった懐中時計。
彼にとってそれは、愛しい妻からの大切な贈り物だった。
どんな時も肌身離さず必ず持ち歩いていた。
だが、とうとうこれも手離す時が来たのだろうと諦めにも似た気持ちでそれを眺めて。
その煌めきが、ふいに、パッと手から消え失せる。
「待て……! 返してくれ!」
一瞬の早業で彼の手から時計を奪った男に、彼は必死に飛び掛かる。
「テメェこのヤロ、離しやがれ……!」
ふたりの男が揉み合い、へしあい、そうこうしているうちに懐中時計は両者の手から離れ、飛んで……ポチャン。
冷たく暗い運河に沈んでいった。
彼は叫び、躊躇なく……飛び込んで……
――――――――――――
「っ…………ぅ、ああ!」
柵に触れたエリアスは、がくりと膝を突いた。
その声は、慟哭と、悲痛な叫びのようにラズロには聞こえた。
「お、おいおい、大丈夫ですか……?!」
ラズロは駆け寄ると、エリアスの背を撫でて落ち着かせる。
エリアスは激しく肩を上下させ、淡く光る金の目からは涙が零れていた。
「…………と、時計……、」
「え……?」
「………………時計、盗まれそうになって揉み合ってたら、川に落ちたから……拾わなきゃって…………思っ……、ゔ…………」
「どんな……やつでした? その盗人は」
「は……わからない……暗かったし必死で……あぁ、でも……怪我、したかも。引っ掻いてしまっ……」
エリアスの言葉は、エリアスというよりはマイク・コナーそのもののような語り口だった。
それからふいにまた呻いたかと思うとひどく不快そうな顔をして、頭痛や吐き気を堪えるようにこめかみを抑える。
ラズロは、暗くうねる運河を見る。
「あぁ…………そういう、ことか」
確かに自分から飛び込んだのだ。
だが、その心情は。
決して死ぬためではなく、むしろ、生きるためにした事だろう。
ラズロは、ぐしゃぐしゃと髪を掻きながら息を吐いた。
それを、エリアスが冷たい目で見上げている。
「あぁ……と、すみませんね。手、貸しましょうか」
「……チ、ひとりで立てる」
エリアスは、ラズロが差し出した手を拒むようにふらふらと立ち上がった。
まだ気分はかなり悪そうだ。
「どうするんだ……」
「さて……どうしましょうね……はは」
ラズロは困ったように両手を挙げてみせる。
それを見つめるエリアスの瞳は、確かな軽蔑の色を湛えていた。




