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『巡査と質屋の共犯目録 灰色の正義について』  作者:
未亡人の哀しみと死者の声

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2/26

噂。不機嫌な店主。

「やぁラズロ、どうしたしけた顔して」


 狭くて暗くて煙草臭いいつものBARで、いつもの顔触れがラズロを迎える。


「やあオイゲンさん、どうも。そんなにしけた顔すかねぇ」

「おうおう、いつもの二割……いや、三割り増しでしけてんな。仕事が退屈かぁ?」

 

 ひっひっと遠慮のない笑い声を上げるBARの常連のオイゲンは、すでにだいぶ飲んでいるのかすっかり機嫌良く出来上がっている。

 

「いらっしゃいラズロさん。いつもので?」

「あぁ、頼むよ」


 マスターが心得たようにボトルを取り、グラスにウィスキーを注いでいく。

 仕事帰り、特に行くあてもないラズロはこのBARで一杯やって帰るのが日課となっている。


「おぉ、そういやぁさラズロ。あんたもうあの話は聞いたかい?」


 オイゲンがラズロの肩を抱き、声を顰めて囁くように尋ねた。

 ラズロは、彼のその様子に軽く眉をあげる。口端が曲がり、なんとも皮肉げな笑いを浮かべた。


「さぁ、なんのことだか。今夜はどんなトンデモ噂話なんです?」

「ひゃっは! こりゃ単なる噂話じゃねえぞ、ほんとのことなんだから」


 オイゲンは楽しげにカラカラ笑いながらラズロの薄い背中をバシバシと叩いた。

 マスターが置いてくれたグラスを受け取りながら、肩を竦めるマスターと目線を交わし合う。


「はいはい、うそでもほんとでも、聞かせてくださいな。ぜひ」


 ラズロはオイゲンの話を促した。


「おう、聞いて驚け……! なんとよぉ、なんと……そこの路地裏のずっと空き家になってた元骨董屋あんだろ。あそこに新しい店ができてよ」

 

 オイゲンが話し出す。

 うらびれた薄暗い小路で、華やかな大通りと胡乱なスラムのちょうど境にある所だ。

 

「その店の主人てのがね……なんでもどこかのお偉い貴族様の落とし胤だとかで。骨董屋なんだかガラクタ屋なんだかよくわからねえ店をやり始めたのよ」

「へぇ……。まぁよく聞く話じゃないですか、貴族の坊ちゃまが遊び半分の店を開くのは」


 そんな勿体ぶるような話かな、とラズロは思わず苦笑を深める。

 オイゲンは赤ら顔でジロリとラズロを睨み付けた。


「慌てんな、話はこっからさ。なんとその主人てのはよ……触ったものから、死者の声が聞けんだと」

「………………はぁ?」


 重々しく告げられた噂の真相に、ラズロはついそんな声を溢す。


「リーサ婆さんは知ってるだろ、あの婆さんがな……死んだ倅の遺したたくさんのガラクタを持ってったんだとよ。そしたら……」

「はは……まさか……なんです、倅殿の声が聞こえて感動的な話でもできたって……?」


 ラズロの相槌の声音は、どうにも冷めたものになる。


「あぁ……いや、それがな。リーサ婆さんの言うには……感動ってより……。あすこの倅、ずっと画家目指して目の出ないまま死んじまったろ。その……怨念めいたよ」

「…………怨念?」


 ここまで言っておいて、オイゲンは躊躇うように口を閉ざす。


「ちょっとちょっと……! 気になるとこでやめないでくださいよぉ」


 ラズロは促す。

 ここまで聞かせておいてオチがないのはいくらなんでもつまらないと思うのだ。


「ふふ……オイゲンさんが言い淀むのも仕方ないことですよ」

「マスターは知ってるんですかぁ。ならマスターから言ってくれても」

「いや……! 俺が言う!」


 オイゲンが再び口を開く。


「リーサ婆さんの倅の霊はよ、こう言ってたんだと。“どいつもこいつもクソだ! おれの絵の価値をわからないインポ野郎だ! クソクソクソ!”って……よ」

「……………………えぇ」


 マスターは苦笑していた。

 ラズロは、予想だにしていなかったそのオチに、ぎょろっとした目を丸く見開く。


「そ、そりゃ……リーサさんはなんて……?」

「間違いない、あたしの倅だ……って、よ……」





 会計を払ってBARを出ると、夜の冷気はさらに深く突き刺さるようだった。


「は……。なんとも……けったいな話で悪酔いしそうだ」


 ラズロはそう溢すと、ゆっくり夜の闇を泳ぐようにふらりと歩き出す。

 コートのポケットに手を突っ込んで体を丸めて、酒で温まった熱を逃がさないよう。

 

(死者の声……ねぇ)


 ラズロの頭の中には、さっき聞いたばかりのくだらない……得体の知れない噂話がこびり付いて消えなかった。


 教会では、人は死んだら速やかに魂を浄化させ穢れなき白の世界へ行くのだと教えている。


 死んだはずの者が、いつまでもこの世にあって話ができるなら……それは、教え的にどうなのか? と疑問が沸く。


(教会に知られたら……いや、いまどきあって精神病院送りか……)


 異端審問だの火炙りだの、野蛮な習俗もまた過去の異物だ。

 教会はそのような過去を認めてすらいないのだが。


「そういや……質屋、か……」


 コナー夫人が零した懐中時計の話がふと脳裏に浮かんだ。

 質屋に売ったか預けたかしたなら、何かわかることもあるかもしれない。


 好奇心にそれとなく言い訳めいたものを加えて自分を納得させると、ラズロは例の裏路地の新しく開かれたという店へ足を向けていた。


 とはいえ、すでに真夜中に近い。

 行ってみたところでやっているわけはないとも思いながら……。



◇◇◇



 果たして。


 街路灯もない真っ暗な闇の凝る路地の突き当たりに、うっすらと浮かび上がる店の燈。


「まだ……やって……?」


 こんな時間に。

 ラズロは驚きの声をぽつりと溢しながら、燈の揺らめくその店へと足を踏み入れていた。


 ――からりん。 からりん。


 軽やかで涼しげな音がする。


 しかし、そんな爽やかとも可愛らしいとも言えるドアベルの音で出てきたのは、全くそうした風情から程遠い人物だった。


「………………何の用だ」


 と。

 店の主人――まだ若い、整った容姿の青年――は、その優美とも言える見た目からはとうてい予想もつかない低く唸るような不機嫌な声で言った。


 青白い不健康そうな顔は、苦々しげに顰められている。

 とうてい客商売でしていい顔と態度ではなかった。


 ラズロは思わず両手を挙げ、敵意のないアピールをした。


「あ、いや……ええっと、ですねぇ」


 見たところ青年はラズロより幾つか歳も下だろう。だというのに異様なまでの威圧感がある。眼差しだけで人を殺せるのでは? とラズロは困惑した。


「…………質入れか、鑑定か。言っておくが盗品は受け付けない。面倒ごとは御免だからな」


 青年は仕立ての良いガウンの裾を揺らし、これまた豪奢な革張りの椅子にどかりと座って膝を組む。

 客商売とはとても思えぬ態度だ。


「盗品て……そんな風に見えます……?」


 泥棒と勘違いされたことには、ラズロは苦笑を浮かべる。

 らしくないとはいえ、泥棒を取り締まる側なのだ。


「………………違うのか?」


 青年は意外そうに片眉をあげ、ふんと鼻を鳴らした。よく見ると左右の目の色が違う。ラズロもこれまで見たことのないタイプの人間だった。


「実は……その……ちょっと確かめたいことが……それと、噂を聞きましてね」

「………………」


 そう切り出すと、青年の顔がいっそう険しく……かつ、面倒くさそうに歪んだ。辟易、という形容が正しそうな。


「それで……誰かの遺品でも持ってきたか? 恋人か、母親……父親……あるいは……うっかり殺した強盗仲間……」

「そ、そんなに泥棒に見えます……?」

「………………違うのか」


 ラズロは甚だ心外だったが、青年はどうも半信半疑という様子だ。

 

(何が悪いんだ……コートか……?)


 たしかにだいぶ着古して草臥れている。これがいかにもうだつの上がらない、情けない泥棒に見えるのかもしれない。


「まぁいい……誰の遺品だか知らないが、見る気はない。帰れ、店じまいだ」

「えぇ……ちょっと待ってくださいよぉ。リーサ婆さんの持ち込んだ遺品から死者の声を聞いたって……聞きましたけど」


 青年の顔が、ますます歪んだ。

 青白い顔に一瞬、怒りとも羞恥ともつかぬ赤味が差す。

 

「………………不快な事故だった。とにかく、帰れ」


 青年の声は微かに震えていた。

 必死に感情を押し殺しているかのように。

 その様子は、あの話があながち与太でもないような気がしてくる。


(単なる気触れ……かもしれないが……)


 ラズロは青年の店じまいの声を無視して、彼の元へ歩み寄った。


 コートのポケットの中で、誰にも秘密のまま仕舞い込んだモノを握り込む。


「おい、なんだ……今日はもう店じま――」


 ラズロは、虫でも払うように振られた青年の手を取った。

 その手に、ギュッと握らせる。


「おい、何を――ッ!!」


 青年の目が見開く。

 黒い右目と、金の左目。

 その金色の目が一瞬暗く光ったかと思うと、青年は唸るような低い声を吐き出した。


「ゔ、ぅ、ァア……ァァァァァア!!」


 ガンッ!

 青年の手がカウンターを叩き、ラズロが彼の手に握らせた弾丸がコロコロと転がる。


 青年はゼェハァと肩で息をして、青白い顔をますます蒼くしてラズロを睨み付けた。


「な……なんだ、いまの……」

「………………本物なんですか、あんた」


 ラズロは驚きに震える声を漏らした。


「おい……!」

「見えたんですか……?」


 ラズロは弾丸を摘み上げ、布に包んで小袋に仕舞いながら尋ねる。

 青年は酷い頭痛を堪えるかのような顔でなおもラズロを睨み付けて。


「…………いいや、なにも」


 青年は端正な口端を歪めるように持ち上げ、意地悪く笑った。


「………………。ふ。…………そうですか」


 ラズロは軽く頭を下げて。


「わかりました。……すみませんね、どうも……泥棒より手癖が悪いようで」

「………………そうらしいな。………………まさか、刑事だとはな」


 青年は意外そうに、かつ憎々しげに吐き捨てる。そして扉を指差した。


「今度こそ店じまいだ。警察に文句言われるような商売はしていない」

「…………どうでしょうね。…………ラズロと申します」

「………………」


 青年は名乗らなかった。

 ラズロは苦笑して、一礼する。

 

 ――からりん からりん。


 なんとも不似合いな可愛らしいベルの音を立てて、店を出て行った。

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