14. 傷口
ジャスティーナは、うなされていた。ルドヴィクスは、悪夢を見るジャスティーナの傍を、片時も離れずにいた。
時々もれ聞こえる言葉で、彼女がどのような悪夢を見ているのかは分かってしまう。誰だって、悪夢ぐらい見るだろう。あれはそれほどに凄惨な光景であったのだから。
そして、まる1日ほど経ったその時、その瞬間は訪れた。ジャスティーナの瞼が痙攣する。ルドヴィクスは、慌てて彼女の顔を覗きこんだ。ルビーのような瞳が、瞼の下から姿を現す。彼女があれほど忌み嫌った瞳だが、それでもルドヴィクスは綺麗だと思った。ただ、綺麗だと思った。
「ルイス……君? 私……どう……し」
ジャスティーナは、言葉の途中で、全てを思い出したように目を見開く。唇がわななき、彼女の動揺を伝える。
「私……私!! お父さんとお母さんは……!? ねえ!?」
真実を知らせたとき、彼女がどれほど動揺したかを知っているルドヴィクスは、再びその問いに答えることも出来ず、ただその表情を暗くする。
それに、ジャスティーナはかえって悟ったように、パニックを抜け出す。
「……死んじゃった、の……? やっぱり。死んじゃったんだ、ね。私のせい、で。私ってさ……やっぱり、人間じゃなかったんだね……。子供の頃からさ。取替えっ子とか魔女とかさ。好き勝手言われて……違うって、そんなの本当じゃないって思ってたけど……。本当は……化け物だったんだ。だから、村の人たちが怒ったんだね。だから、お父さんとお母さん、死んじゃったんだね……」
「――違う!」
ルドヴィクスはたまらずに否定する。だが、ジャスティーナは笑って――笑うことでかえって痛々しい表情で――首を振る。
「私、ちゃんと覚えてるよ。お父さんとお母さんを殺した人たちが……あいつらが、憎くて悔しくて許せなくて……! 私は、自分で、選んだ。皆、死んじゃえばいいって思った。皆皆殺してやるって。分かってて、歌った。何でだか、知ってた。あの歌を聴いた人はね。……何もかも破壊しちゃうの。周りにいる物も人も……自分自身ですら。そして、皆狂って死んだの。――私が、殺したの。私の意識はどこか現実味がなくて、世界が薄絹を通したみたいに見えてたけど、私は自分が何をやっているのか知っていた。皆ね。狂ってたけど、死ぬ寸前だけ、正気みたいな顔をするの。『嫌だ死にたくない! 死ぬのは怖い!!』……って。……悲鳴と血の雨が降り注ぐ中なのに、ね。私、何も感じなかった……。当然だって、ざまあみろって思った! 私、私……最低な子だよね。それでもね。今も……申し訳ないって思えないの……。だって、お父さんもお母さんも何も悪いことしてなかったのに!! 殺すのなら、私を殺せばよかったのに……! 何で。何で!!」
ジャスティーナはそう言うと、自分が眠っていたベッドを殴りつけた。
「ジャスティーナ……」
「許せないの……! 報復には十分すぎることをしたって分かってるのに、それでもまだ許せないの!! もう嫌! 私が人じゃないのなら人じゃなくていい……! でもあの人たちだって人じゃないでしょう!? 人なんかじゃないでしょう!? 優しかったお父さんとお母さんをあんな風に殺すような奴らが、人間なわけがないでしょう!? きっと、あいつらだって人の皮を被った悪魔なの……! ……私も。多分、同じ悪魔なの。だから……!! 私は……!!」
少女の混乱が、ルドヴィクスには痛々しいほどによく分かった。下手な言葉は、かえって傷をえぐりそうで、ただジャスティーナの悲鳴のような述懐を聞くことしかできなかった。
激情のあまり、ハアハアと息切れすらしていたジャスティーナは、勢いをそがれたように、肩を落とした。
「それとも。ねえ、ルイス君。あいつらは、人間なのかな。……人間は、あんな風に無抵抗の人間を平然と殺せる生き物なのかな。だとしたら……私は人じゃなくていい。人なんかでいたくない……。ねえ……ルイス君。貴方も人じゃ、ないんだよね……? だって。少しだけど、覚えてるよ。ルイス君、目が金色に光ってた。信じられないぐらい……綺麗だった」
ジャスティーナの思わぬ指摘の言葉に、ルドヴィクスはぎくりとなる。ジャスティーナの大きな緋色の瞳がルドヴィクスに注がれた。
「……ああ。俺は……人じゃない」
ルドヴィクスは、重々しく答える。
「私の仲間なの? ……魔族、なの?」
「――ごめん。俺も、まだ分からない……。思い出せないんだ……。だけど、多分……魔族なんだと思う……」
ルドヴィクスは、目を閉じると、懺悔するようにそう答えた。
「良かった。ルイス君が一緒なら、いいかな……。あの人たちと一緒なのより、よっぽど……。人間なんて……!」
「違う!」
美しい緋色の瞳を憎悪に染めるジャスティーナが痛々しくて、ルドヴィクスは思わず反論する。
「え……?」
「人とか、魔族とか。関係、ないんだ。そういうことじゃなくて……。ただ、個人としてどうあるかというだけなんだと思う。俺は……平安を願う気持ちは理解できるけど……そのために、確たる証拠もなく、君たちの一家を一連の災厄の原因だと決め付けて私刑を下した彼らは間違いなく卑劣だと思う。だけど、人が間違っていて魔族が正しいわけじゃない。人だからとか魔族だからとかじゃなくて……個人の罪は個人に帰属すべきだと俺は思う。君の両親は、人だった。君自身もかつては。それはきっと、否定してはいけないことだから……」
魔族を悪とし、人を善とするのは完全に人の側からの理屈だ。だが、魔族には魔族の論理があり、人には人の業がある。人間が善なわけではなく、魔族が悪なわけではない。だからといって、逆転させて魔族が善で人間が悪だとするのもまた愚かでしかない。
ルドヴィクスの言葉に、ジャスティーナはくすんくすんと泣き始める。その泣き顔は、お世辞にも洗練されているとは言いがたく。ボロボロとこぼれる涙を、乱暴に拭う姿は、妙に子供じみていた。
「俺が……君に最初に名乗ったルイスという名前が嘘なわけじゃない。ただ、俺にはもうひとつの名前がある。ルドヴィクス。それが……俺の名前だよ」
「ルドヴィクス……君?」
「俺は人じゃない。かつて自分を人と信じていたが……そうじゃなかった。だから、人であった時の名前を、君に名乗った。――それでも、俺は人であった時の自分にすがっていたから。幸せだった時間に。……でも、もういいんだ。俺はもう人でも魔族でもかまわない。俺は、俺だ。――それだけで、いい」
魔族は人を殺せる。そして、人も人を殺せる。それは、ただのひとつの事実。
人を殺さずには生きていけない魔族と、その脅威から身を守るために「魔族」を殺さねばらない人。その両方を見て、ルドヴィクスが選択したのは、ただ己が己であるというそれだけの事実だった。
「自分は、自分……?」
「俺は、ルドヴィクス。君は?」
ルドヴィクスは、優しくジャスティーナに訪ねる。
「……私、は。ジャスティーナ。ジャスティーナ・ハース」
まるで、初対面のときのように、ジャスティーナはそう言う。
「そうだ。それが、多分君の真実なんだと思う。……俺が今君に与えられる答えはそれだけだけれど。……それでもいいかな」
「私は、私。……そうか。お父さんと、お母さんがくれた名前。――ありがとう。ルイ……いや、ルドヴィクス君」
ジャスティーナは、精一杯に微笑む。
ジャスティーナが心に負った傷が治ることはないのかもしれない。悲惨なあの光景は、これからもこの心優しい少女の胸を傷つけ続けるだろう。申し訳ないとは思えないとは言っていたが、それでも優しすぎる少女は、自ら犯した罪にすら傷つくのだろう。
正当防衛だと言ってやるのはたやすかったが、おそらくジャスティーナはそれを望まない。被害者ぶった欺瞞で誤魔化すぐらいならば、憎しみにかられて村人を惨殺したと言う方が楽だろう。
おそらく、彼女が覚醒した原因は、自らの身を守るというよりは両親を殺された憎しみであるのだろうことは、事実なのだから。自らよりもよほど両親を大切にしていたジャスティーナだからこそ。あの光景は、ジャスティーナが優しいからこそ、正当防衛の結果ではなく、憎しみによる殺戮であったのだ。
ルドヴィクスは、心の底から、この不器用で優しい少女が愛しくなった。それは、例えば妹に感じるような穏やかな想いで、友人に感じる誇らしさにも似ていた。
「自首、すべきかな。人を、殺したんだし」
ジャスティーナは静かに言う。
「……それは、駄目だ。ジャスティーナ。ハース家の親戚は……生きているんだろう?」
ルドヴィクスは、苦いものを吐き出すように言った。
「え……うん。遠縁の人が、少し遠い村にいるって聞いたことがあるけど……」
「国府は君を『殺人』の罪なんかで裁かない。君を、『魔族である』という罪で裁く。そして……その血縁者として、一族郎党にまで被害が及ぶ。君は覚醒遺伝だけど、人間にはそんなことは分からない。魔族の血縁は魔族であるとして、排除の対象になるだろうな。だから、俺は……アルベルトゥスに命じて、村人の、あの殺戮に対する記憶はすでに消してある。――あれは不幸な事故だ。火事で、ハース家の人間と、そこに招かれていた村人が焼け死んだ。それだけの、事故だ……」
魔族の血縁者と見立てられた者の悲劇は、アルベルトゥスが忠告したことだった。だからこそ、ルドヴィクスはジャスティーナに付き添いながら、彼に村人の記憶の改変を命じた。
「じゃあ……私は、死んだことになってるの……?」
「……ごめん」
言いづらくて、最後まで黙っていたことだ。ルドヴィクスは、罪悪感に目をそらす。
「ううん。実際、人としての私はあの場で死んだんだと思うから。それに、これ以上誰かに迷惑なんてかけられないし……自首なんてしたら、かえって迷惑になっちゃうんだね……」
ジャスティーナはそう言って、悲しそうに微笑む。
「ジャスティーナ。君の居場所を奪ったのは本当に悪いと思っている。だから、俺の傍にいないか? 君が新しい目標なり何なりを探すまででいい。俺は目的があって旅をしているんだけど、俺の話し相手としてでも、傍にいてくれると嬉しい……。駄目かな?」
「でも……私、そんな迷惑をかけるわけには……」
「迷惑なんかじゃないよ。アルベルトゥスは、堅苦しくて会話して楽しいってタイプじゃないし、レオは頭がいい奴だけど、残念ながら会話はできないし。君が傍にいてくれると、きっと楽しいと思う」
ルドヴィクスは、出来るだけ気軽に見えるように微笑んだ。
「私、そんな風に期待されるようなことできないよ……? でも。本当に……いいのなら……置いてもらっても、いいのかな。私、家事は一通りできるから。メイドでも何でもやって頑張るから。でも……本当に……いいのかな?」
「主の俺がいいと言っているのに、いいに決まっているだろう」
ルドヴィクスはそう言って不敵に微笑んだ。アルベルトゥスは反対するかもしれないが、主導権はこちらにあるはずだと、そう思っていた。
「ん……それより、ね」
「うん?」
「私……生きてても、いいのかな?」
ジャスティーナの言葉に、ルドヴィクスは思わず痛ましそうな顔をしてしまう。
そう簡単に、割り切れるはずもないのは当然であろう。
「俺が……許すよ。君は生きていてもいい。いや、生きていてほしい。俺が、そう思う。それじゃ……駄目かな?」
ルドヴィクスの言葉で、初めて、ジャスティーナの瞳から涙がこぼれた。
「……ありがとう。……ごめんね。――私、ルドヴィクス君なら、優しいから、そう言ってくれるんじゃないかって、どこかで思ってた気がする……!」
「ジャスティーナ。俺は、優しくなんて、ない」
戸惑って、ルドヴィクスはそう言う。
かつてはそうだったかもしれないけれど、記憶を取り戻した自分がそうだとは、とても思えなかった。
「ううん、優しい。ルドヴィクス君は、誰よりも優しいよ。誰が何と言っても、ルドヴィクス君自身が否定したとしても、ルドヴィクス君は……絶対に優しいよ」
ジャスティーナの言葉に、ふとルドヴィクスは何かを思い出す。『君は優しい人なんだね』そう言って微笑んでいた、亜麻色の髪の少年。ルドヴィクスの胸は、針でつかれたかのように、酷く痛んだ。
そんなわけで、ジャスティーナが同行者となります。彼女は一応ヒロイン位置かと思われます。