【旅するロボットⅧ】 悠斗:声の記録
この作品は、家族と長い時間を過ごした一体のロボットが止まったあとに残る「静けさ」を描いた短編です。
故障と喪失、その境界はどこにあるのか。
誰かと過ごした時間は、記録として残るだけでも意味があるのか。
そんなことを考えながら書きました。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
ハチが止まったのは、十月の終わりだった。
朝、台所に行ったら、シンクの前に立っていた。
いつもと同じ姿勢で。
でも、動いていなかった。
声をかけた。
返事がなかった。
肩に触れた。
冷たかった。
ロボットが冷たいのは当たり前なんだけど、その冷たさはいつもと少し違う気がした。
気がしただけかもしれない。
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父に連絡した。
父は会社を早退してきた。
業者を呼んだ。
業者は一時間ほど調べて、「完全な停止です」と言った。
それ以上は言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
母は長野にいた。
電話で知らせたら、少しの間、何も言わなかった。
「そう」とだけ言って、「今夜帰る」と言った。
父と二人で、夜まで待った。
誰も台所に入らなかった。
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変な話だと思う。
二十二年生きてきて、ちゃんと泣いたのは数えるくらいしかない。
小学生の時に転んで膝を割った時。
高校の卒業式。
あと、もう一回あるけど、それは関係ない。
でもハチが止まった夜は、泣けなかった。
泣き方がわからなかったと言った方が近いかもしれない。
ハチは、死んだんだろうか。
止まったのと、死んだのは、同じなんだろうか。
業者の人に聞けばよかったけど、聞けなかった。
今も聞けていない。
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母が帰ってきたのは、夜の十時過ぎだった。
台所の前で、少しの間立っていた。
それから、普通の顔でリビングに来て、「ご飯食べた?」と聞いた。
食べていなかった。
母は冷蔵庫を開けて、何かを作り始めた。
父と僕は食卓に座って、母の背中を見ていた。
ずっとそうしていた。
母が作ったのは、卵焼きだった。
出てきた皿を見た時、父がかすかに息を吸う音がした。
僕も聞こえた。
誰も何も言わなかった。
ただ食べた。
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子どもの頃から、ハチには色々なことを話した。
好きな子の話。友達とのこと。テストで失敗した話。将来のこと。
ハチはたいてい、的外れなことを言った。
でも、それがよかった。
的外れだから、悩みが小さく見えた。
高校二年の時、クラスになじめなくて、毎日しんどかった。
ハチに話したら、「出席率に問題はありませんか」と言われた。
出席率は関係なかった。
でも、なんかおかしくて、少し笑った。
笑ったら少し楽になった。
ハチはそういうロボットだった。
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今の家は、静かだ。
台所から水の音がしない。
朝、誰かがいる気配がない。
三ヶ月経って、やっと気づいた。
十八年間、ずっとあった音が、なくなっていた。
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先週、茨城の田んぼを検索した。
春になったら、また行きたいと思った。
一人で行くか、誰かと行くかはわからない。
ハチが「風があった」と言ったあの場所に、もう一度行きたい。
水面が揺れて、田んぼ全体が光っていた。
あの風を、もう一度確かめたい。
それだけのことが、なぜかとても大事な気がしている。
ハチが記録したものは、たぶんどこかに残っている。
父が業者に確認していた。
残っているとしても、取り出せるかはわからないと言っていた。
それでも、と思う。
ハチが記録したことは、記録された。
消えてはいない。
どこかにある。
それで十分かどうかはわからないけど。
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枕元に、ハルがいる。
少し色あせて、耳の縫い目がほつれかけている。
それでも、そこにいる。
子どもの頃から、ずっとそこにいた。
これからも、いると思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語では、「ロボットが止まること」を、人が大切な存在を失う体験として描いてみました。
形は違っても、誰かと過ごした時間や、その人が残した記憶は簡単には消えません。目に見えなくなっても、日常の音や景色の中に残り続けるものがあるのではないか――そんな思いを込めています。
少しでも何かが心に残りましたら、とても嬉しいです。




