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旅するロボット

【旅するロボットⅧ】 悠斗:声の記録

作者: macchao
掲載日:2026/06/21

この作品は、家族と長い時間を過ごした一体のロボットが止まったあとに残る「静けさ」を描いた短編です。


故障と喪失、その境界はどこにあるのか。

誰かと過ごした時間は、記録として残るだけでも意味があるのか。


そんなことを考えながら書きました。


最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

 ハチが止まったのは、十月の終わりだった。


 朝、台所に行ったら、シンクの前に立っていた。

 いつもと同じ姿勢で。

 でも、動いていなかった。


 声をかけた。

 返事がなかった。


 肩に触れた。

 冷たかった。

 ロボットが冷たいのは当たり前なんだけど、その冷たさはいつもと少し違う気がした。

 気がしただけかもしれない。


---


 父に連絡した。

 父は会社を早退してきた。

 業者を呼んだ。

 業者は一時間ほど調べて、「完全な停止です」と言った。

 それ以上は言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。


 母は長野にいた。

 電話で知らせたら、少しの間、何も言わなかった。

 「そう」とだけ言って、「今夜帰る」と言った。


 父と二人で、夜まで待った。

 誰も台所に入らなかった。


---


 変な話だと思う。

 二十二年生きてきて、ちゃんと泣いたのは数えるくらいしかない。

 小学生の時に転んで膝を割った時。

 高校の卒業式。

 あと、もう一回あるけど、それは関係ない。


 でもハチが止まった夜は、泣けなかった。

 泣き方がわからなかったと言った方が近いかもしれない。


 ハチは、死んだんだろうか。

 止まったのと、死んだのは、同じなんだろうか。

 業者の人に聞けばよかったけど、聞けなかった。

 今も聞けていない。


---


 母が帰ってきたのは、夜の十時過ぎだった。


 台所の前で、少しの間立っていた。

 それから、普通の顔でリビングに来て、「ご飯食べた?」と聞いた。

 食べていなかった。

 母は冷蔵庫を開けて、何かを作り始めた。


 父と僕は食卓に座って、母の背中を見ていた。

 ずっとそうしていた。


 母が作ったのは、卵焼きだった。

 出てきた皿を見た時、父がかすかに息を吸う音がした。

 僕も聞こえた。


 誰も何も言わなかった。

 ただ食べた。


---


 子どもの頃から、ハチには色々なことを話した。


 好きな子の話。友達とのこと。テストで失敗した話。将来のこと。

 ハチはたいてい、的外れなことを言った。

 でも、それがよかった。

 的外れだから、悩みが小さく見えた。


 高校二年の時、クラスになじめなくて、毎日しんどかった。

 ハチに話したら、「出席率に問題はありませんか」と言われた。

 出席率は関係なかった。

 でも、なんかおかしくて、少し笑った。

 笑ったら少し楽になった。


 ハチはそういうロボットだった。


---


 今の家は、静かだ。

 台所から水の音がしない。

 朝、誰かがいる気配がない。


 三ヶ月経って、やっと気づいた。

 十八年間、ずっとあった音が、なくなっていた。


---


 先週、茨城の田んぼを検索した。


 春になったら、また行きたいと思った。

 一人で行くか、誰かと行くかはわからない。

 ハチが「風があった」と言ったあの場所に、もう一度行きたい。

 水面が揺れて、田んぼ全体が光っていた。

 あの風を、もう一度確かめたい。


 それだけのことが、なぜかとても大事な気がしている。


 ハチが記録したものは、たぶんどこかに残っている。

 父が業者に確認していた。

 残っているとしても、取り出せるかはわからないと言っていた。


 それでも、と思う。

 ハチが記録したことは、記録された。

 消えてはいない。

 どこかにある。


 それで十分かどうかはわからないけど。


---


 枕元に、ハルがいる。

 少し色あせて、耳の縫い目がほつれかけている。

 それでも、そこにいる。


 子どもの頃から、ずっとそこにいた。

 これからも、いると思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この物語では、「ロボットが止まること」を、人が大切な存在を失う体験として描いてみました。


形は違っても、誰かと過ごした時間や、その人が残した記憶は簡単には消えません。目に見えなくなっても、日常の音や景色の中に残り続けるものがあるのではないか――そんな思いを込めています。


少しでも何かが心に残りましたら、とても嬉しいです。

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