微睡みの森
薄暗い洞窟の様なものだと思っていたが、妙な事に空が広がっている。 千切れ飛んだ雲が風に乗って太陽の光が降り注いでいる平原。 何かの幻覚かと目を擦ったが歩んできた階段は確かに背中側に鎮座し、苔むした石像が物言わずに佇んでいる。
奴隷は誰かが踏みしめたであろう土の道を辿って、辿り続けていると日が傾く頃になっていた。 森の中で眠る場所を探すも火を起こす道具もない。 剥き身の剣だけがあっても物資を得る方法は少ない。
気味の悪い森の中、女の悲鳴の様な音がする。 動物の鳴き声かもしれないが、音のした方ははっきりと分かるほどだ。 遠くは無い。
夕焼けの色に染まった空の地平線には太陽が沈みかけていて握っている剣にその光を宿しながら声の元へと近付いて行く。
焚き火をしているのか煙の様な筋が立ち昇るのを遠目に眺めると、武器を抜いた人影が見えた。 どちらも男で、互いに何かを話している様だ。 草むらへと腹這いになって草の隙間から姿を見つめる。
「……今の聴いたよな?」
「あぁ、君の知り合いが怪我をしただとかじゃ無いのか」
煙が燻っている焚き火跡へと手を伸ばし片方はひどく怯えた声で呟くのだった。 凍てついているかの様に冷たいと。
その瞬間、焚き火跡に触れた男の側に白色の影が現れた。 面と向って話をしていた男は半狂乱で逃げ出したのは、この後何を見せるのかを知っているかの様だった。
影に触れられた男の身体は凍てつき始め、その場へと倒れ込むとウェディングドレスを着たミイラの姿をした怪物が凍った指を引き千切っては頬張ってを繰り返す。
まるで子供に言い聞かせる迷信の類いだと思いつつその怪物が男を食い散らしていく様を眺めていた。 腹を破って内臓をつまんで咀嚼する吐息は若い女のモノに近く、時折生前の姿に戻ったりを繰り返しているようにも見える。
奴隷はその様子をそれでも見続ける。 汗1つ流すこと無く、おぞましい光景であるのに唾を飲むことも無い。 あの男は残念だったが潤沢な凍てついた装備が手に入るのなら好都合だと。
日が傾くと共に輪郭を濃くする怪物が草むらの気配に気が付く。 野生動物なら食べる物が増えて好都合だと若い女のクスクスと笑う様な音を立てながら近づいて来る。
もう逃げられない距離に入った所で奴隷が草むらから飛び出ると、力の籠った横薙ぎが怪物の首を捉えて吹き飛ばしてしまう。
やるかやられるかの状況で仕方が無くやった事だが上手く転んだ様だ。 やはり武力だ。 切れないものなどこの世に存在するものかと転がった首を踏み砕くと、灰となって崩れ去った。
灰の中から球体の宝石の様な物と菱形の石が顔を覗かせていた。 石の中には夜の星々が輝くかの様な模様。 いいや、天体模様そのものが宿っていて何かの斥力が働いているせいか地面から少し浮かび上がっていた。
慣習に習って殺した獲物の耳でネックレスを作る様にこの石にも穴を開けたいが、道具が無い。 まぁそんな腹の足しにもならない石ころなど、どうでも良いと食われていた男の側に近寄った時だった。
「……頼む。 殺してくれ……」
水をぶっ掛けられたかのように濡れた男の姿。 食われた傷からは血が溢れ、雑にほじくられた腹の臓物からも出血している。
奴隷は男の頼みを聞くことはなく、息絶えるまでその瞳を覗き込んでいた。 放っておいてもすぐに死ぬと経験で知っていたからだろう。 それに、戦争奴隷として狩られた身からすれば介錯してやる義理もないと思ったのだろうか。 黙って見届ける目だけではどちらとも言い難い。
瞼を閉じてやると、早速だが死人には必要の無いバックパックを死体から剥ぐ。 日が落ちた途端に吐息が白む程に冷える。 火を起こす火打ち石と火打ち金を見つけると荷物の確認は後だとその場を離れる。 死体があれば獣が寄ってくることは明白だからだ。
衣服は濡れているし奴隷と比べて小柄な男だった。 坂を下るかのように暫く歩くと奴隷はその辺の乾いた枝と地衣類で火を起こし防寒布を木に吊るして乾かす。
兎にも角にも湯を沸かし、湿った梱包の中にあった乾いた植物をカップに入れて湯を注ぐ。 味も良くてこっちの方で嗜まれている茶であると理解して多めの葉を入れてしっかりと味わうのだった。
荷物を漁っていると何かの御守りが入っていた。 知り合いが居たのだろうと思うと同時に、彼は運が無かったとその御守りを火に焚べるのだった。
奴隷にとっての迷宮の初日はこうして過ぎていくのだった。
つづく




