ピンヒール③
スタジオ中が朝倉の走りにどよめく中、空気が少し落ち着いてきたころ。
「……すげえ……いやもう……すげえしか言えん……」
「なにあれ、重心ブレてなかったぞ……?」
樹も遠巻きにぽつりとつぶやいた。
「お前さ、走れるのはわかったけどさ……バランス感覚どうなってんの?」
朝倉は少し考えるように顎に指をあてて、それから言った。
「バク転とか、やってみる?」
「は!?!?」
一瞬で空気が変わった。
配信者陣も観覧者も、コメント欄も、声にならない動揺。
《バク転!?!?!?》《え、今なんて言った?》《ヒールでバク転って言った!?》
《ちょっと待ってマジで言ってんの?》《やめとけ!!お前の身体は国家遺産だ!!》
樹すらも慌てて声を上げる。
「お前、ヒールでやるつもりか!?」
「……いや、脱がない。脱いだら意味がないから」
そのひと言で、再びスタジオが凍りつく。
けれど、朝倉はすでに静かにマットの中央へと歩き出していた。
足元は15cmヒールのまま。
ゆっくりと腕を上げて、体をほぐす。
樹がため息混じりに笑って呟く。
「ほんと、止めても無駄なんだよな……」
そして――
空中で弧を描くように、朝倉が身体を翻した。
背中から踏み切り、手をつき、完璧な反動で一回転。
着地の瞬間、まるで自分が重力を否定したかのように、ヒールのつま先がスッとマットに吸い込まれ、揺れひとつなくピタリと止まる。
「はああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
「なに!?!?なんで!?!?なんでバク転成功してんの!?」
コメント欄が爆発する。
《嘘だろ》《CGじゃないの!?》《人間ってなんだっけ?》《限界オタク発狂中》
《物理法則を愛で殴ってきた》《ピンヒールは武器》《ヒールでバク転とか見たことねぇよ!?!?》
隣の配信者が震え声で言った。
「……ごめん、俺マジで今日来たの後悔してきた……すげーもん見たけど……心がついていかん……」
朝倉は少し息を整えながら、髪をかきあげて一言。
「……これで、だいたいの“ヒールでできる限界”は見せたつもり」
「どの口が“限界”とか言ってんだ……」と樹が頭を抱えると、コメント欄も同意するように盛り上がる。
《限界ってなんだよ》《限界突破してたぞ》《“一般人には真似できません”を地で行く人》《朝倉、特撮のラスボス枠》
そのあと、他の配信者の一人が勢いだけでヒールで小ジャンプしようとして盛大に膝から崩れ落ち、スタジオ中が爆笑に包まれた。
「無理無理無理!!」「こんなんマネしたら骨折るわ!!」
朝倉は、その様子を見て、ほんの少し微笑んで言った。
「……焦らなくていいよ。俺だって、全部急にできるようになったわけじゃないから。焦らず、自分のペースで」
その静かな言葉に、配信者たちもコメント欄も一瞬だけ静かになる。
《……かっけえ》《やっぱ朝倉って育成型天才なんだな》《師匠……》《心までイケメンなのズルいって》
《そりゃ樹さん惚れるわ》《この二人の世界強すぎる》
そして樹が苦笑いしながら肩をすくめる。
「……まったく、お前には敵わないわ」
「うん。敵わなくていい。並んで歩いてくれれば、それで十分」
そんな言葉と空気に、スタジオも配信画面の向こうも、誰もが静かにうなずくしかなかった。




