第37話 三人で帰る依頼
身支度を整えて自室の扉を開け、階段を下りる。一階の食堂へ行くと、朝の冷たい光が浅く差し込む玄関脇で、ヴェラが自分の装備を身につけているところだった。昨夜、自室の扉の右側へ立てかけた丸盾と短槍。
左腕へ丸盾を通し、右足首には、昨日〈鉄床亭〉で当て革を足してもらった革帯を巻き付けている。カチリと小気味よい音を立てて金具を留める指先の動きには、緩みも無駄もなかった。
「ヴェラさん。革帯の状態はどうですか」
「申告します。痺れ、擦れはありません。当て革にも問題ありません。階段を下りる時も、右膝の沈み込みは昨日より小さくなっています」
「分かりました」
俺が頷くと、ヴェラは装備を外さないまま食堂へ入り、厚手で表面に粗い溝の入った自分の湯呑みを卓へ置いた。そこへ厨房から大きな鍋を抱えて出てきた女将が、湯気の向こうから口を挟む。
「朝から通り道を塞ぐんじゃないよ。難しい確認が終わったなら、座って食べな」
「すみません、女将さん」
「……申し訳ありません」
ヴェラが深く頭を下げかける。女将は鍋を置くと手巾をひらひらと振った。
「いいから。仕事へ出るんだろ。朝飯が冷めるよ」
ヴェラは丸盾を外し、短槍と一緒に玄関脇の壁へ寄せてから席についた。野菜スープの入った器が俺たちの前に置かれる。湯気の立つ野菜スープと黒パンを口へ運び、いつも通りの朝食を終えて、俺とヴェラは〈鈍色亭〉を出た。
◆
冒険者ギルドの一階広間へ入ると、朝の混雑の中で、エルザが掲示板の脇に立っていた。壁一面へ貼られた依頼票の前を、冒険者たちが入れ替わり立ち替わり行き交っている。報酬額だけを見て紙を剥がす者もいれば、依頼主の名前を確かめてから首を振る者もいた。エルザは手元の帳面へ何かを書き込んでいたが、俺たちを見つけるとペンを収めた。
髪際では、リンが白い雫のような身体を小さく揺らしている。
「おはようございます」
俺たちは挨拶を交わす。エルザはヴェラの足元と、新しい丸盾へ一度視線を滑らせてから、帳面を開き、挟んであった三枚の依頼票へ目を向けた。
「昨夕に決めた条件へ合いそうなものを、三件まで絞りました」
最初の依頼票は、南街道を通る商人の荷車護衛だった。紙の端には、泥のついた指跡が残っている。日帰りでき、道も整っているが、歩く距離は長い。襲撃があるなら、どこから来るかも読みづらい。
二枚目は、東側の灌漑水路に出る小型魔物の駆除だった。依頼票には簡単な地図が添えられていた。平地ではあるが、水路沿いにはぬかるみと、膝近くまで水に入る場所があるらしい。三枚目は、王都南東の放牧地周辺に出る、野犬に似た小型魔物の追い払いと安全確認。
開けた草地で、高低差や狭い場所は少ない。退くなら南側の街道へ出やすい。
「三件の違いは、おおむね以上です」
エルザが説明を終える。俺はヴェラへ向き直った。
「ヴェラさん」
「はい」
「この三つの中で、右脚や装備の扱いに明らかな問題が出そうなものはありますか」
ヴェラは依頼票を順番に見た。
「荷車護衛は、長時間の連続歩行によって右脚への負担が蓄積します。水路の依頼は、泥濘では踏み込みが遅れ、盾を構えたまま動きにくくなります」
それから、三枚目へ視線を移す。
「放牧地であれば、足場が平坦で、盾で進路を塞ぐ動きと退路の確保を行いやすいと判断します」
「ヴェラさんとしても、今の三件なら放牧地が一番動きやすいという判断ですか」
「はい」
エルザが俺を見る。
「私が考えていた条件とも一致します」
「では、今回はこれにしましょう」
俺は放牧地の依頼票を手に取った。
◆
受付の窓口へ向かい、ミラの前へ依頼票を置いた。
「南東放牧地の安全確認ですね」
ミラは依頼票へ目を通し、それから俺たち三人を見た。
「ヴェラさんを含む三人での受注ですね。登録内容に変更はありませんか」
「ありません」
俺が答えると、ミラは受諾控えへ印を加えた。その途中で、エルザの髪際にいるリンへ視線を上げる。
「そういえば、以前ご相談いただいた精霊の件なんですが」
「何か分かりましたか?」
エルザが聞くと、ミラは首を横へ振った。
「私では、やはり食事のことまでは分かりませんでした。ただ、精霊と一緒に活動している冒険者の方に話を聞けそうです。都合が合えば、一度お引き合わせしますね」
ちりん。
リンが小さく鳴いた。
「ありがとうございます」
エルザが頭を下げる。
「日帰り圏内ですが、無理な深追いは避けてください。数や被害状況が依頼内容と違う場合は、戻って報告して構いません」
「分かりました。ありがとうございます」
控えを受け取り、ギルドを出る。建物脇の小さな広場で、俺たちは立ち位置を確認した。
「配置を復唱します」
エルザが落ち着いた声で言う。
「中央前方にノワールさん。右側で前衛の補助と進路を塞ぐ役をヴェラさん。私は左側面を警戒します。退く場合は、南側の街道を目指します」
「了解です」
俺が応じる。ヴェラが、短槍を持ったままこちらを見た。
「質問があります」
「何でしょう」
「昨日、ドラン様から、何も言われない間に何か一つ決めるよう課されました。本依頼でも、指示のない時間を設けるのでしょうか」
声は平静だったが、槍を握る指に少し力が入っている。
「いいえ」
俺は首を横へ振った。
「実戦で、こちらからわざと指示を止めることはしません。必要な時は、できる限り声を出し、指示を出します」
「……実施しないのですか」
「訓練と実戦は別です。今日の目的は、ヴェラさんを試すことではありません。三人で行って、三人で無事に帰ることです」
エルザが続ける。
「ただし、戦闘中は指示が間に合わないことがあります。その場合は、昨日と同じように声を出してください」
「……承知しました」
ヴェラは短槍を握り直した。
「それから、長く歩くので、途中で一度革帯を確認しましょう。違和感が出たら、その前でも申告してください」
「承知しました」
◆
王都の南門を抜け、土の街道を進んだ。朝の日差しが草地を温め、低い風が道の上の砂埃を薄くさらっていく。荷車の車輪が刻んだ轍の脇を歩くたび、ヴェラの丸盾の金具が小さく鳴った。道の半ばで休憩を取った時、ヴェラは自分から革帯を緩めた。
ブーツを脱いで足首の皮膚と痺れを確かめ、異常はないと申告する。少し休んでから、もう一度革帯を巻き直した。一時間ほど進むと、街道の脇に低い木柵で囲まれた放牧地が見えてきた。入口近くの丸太小屋から、羊毛の作業着を着た年配の牧人が出てくる。
「ギルドの冒険者さんたちかい。助かるよ」
牧人は北側の草地を指した。
「二日ほど前から、野犬みたいな魔物が二匹、奥をうろついていてね。羊はまだやられていないが、夜になると吠え声がするんだ」
俺とエルザで話を聞く。
最後に見た場所。逃げた方向。柵の傷。羊が今どこにいるか。
人が残っていないか。
「北側の草地には、今は誰もいません。羊も南の囲いへ移したよ」
「分かりました」
牧人へ礼を言い、俺たちは放牧地へ入った。青い草が広がる、なだらかな平地だった。足元は乾いている。
「ここから先は警戒しましょう」
俺が言う。
「ノワールさんを中央前方、ヴェラさんは右側、私は左側を見ます」
「承知しました」
三人で北側へ進む。しばらくしたところで、ヴェラが足を止めた。
「申告します」
右斜め前の古い木柵を見ている。
「北東側の柵が二本倒れています。あの方向へ退いた場合、盾を構えたまま通ることは困難です」
俺とエルザも、その場所を確認した。朽ちた木柵が根元から折れ、倒れた丸太が足元を塞いでいる。
「分かりました。北東側は退路に使いません」
俺が答える。エルザも頷いた。
「退く場合は、南の街道へ向かいましょう」
「承知しました」
ヴェラはそれ以上何も言わず、再び右側へ戻った。
◆
北側の草地へ差しかかった時、エルザが足を緩めた。踏み荒らされた草の間に、土の露出した場所がある。
「足跡があります」
エルザは膝をつき、地面へ残った爪痕を確かめた。大きさの違う跡が二種類。さらに、同じ大きさのものでも、片方だけ外側の爪が欠けている。草を踏み倒した筋も、三方向から重なっていた。
「ノワールさん」
「はい」
「二体ではありません。少なくとも三体いる可能性が高いです」
俺は剣の柄へ手をかけた。
「警戒」
その声と同時に、ヴェラの丸盾が胸元へ上がり、短槍の穂先が斜め下へ据えられる。エルザも立ち上がり、左側へ視線を走らせた。風が草の先を同じ方向へ撫でていく。
「申告します」
ヴェラの声が落ちる。
「右前方の草が、風と違う動きをしています。何かが低く潜んでいる可能性があります」
俺が視線を向ける。右手の草むらが大きく沈んだ。
「来ます!」
エルザの声が飛んだ。




