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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第一章 この世界で生きる

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第23話 精霊使いではありません


 冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、広間の空気が少しだけ変わった。正確には、俺たちではなくエルザの肩の横へ視線が集まった。親指ほどの白い光が、薄緑色の半透明な羽を揺らしながら、青銀色の警笛の近くを漂っている。


 ちりん。


「……鳴きましたね」


「『おおい』だそうです」


「人数のことでしょうか? まあ、ギルドですからね」


 昼前の広間には、依頼を終えて戻ってきた冒険者と、これから外へ出る者が入り混じっていた。受付へ向かう間にも、何人かが露骨にこちらを見ている。


「精霊?」


「誰のだ?」


 そんな声が背後から聞こえた。エルザは歩調を変えなかったが、肩の横のリンへ一度だけ目を向けた。俺たちはミラの受付へ向かった。


「ミラさん、少し相談があるのですが」


「はい。どうされ――」


 ミラの声が途中で止まった。視線が俺からエルザへ、そのまま肩の横へ移る。


 ちりん。


 ミラが瞬きをした。


「……精霊、ですよね?」


「そうみたいです」


「そうみたい、というのは」


 エルザが少し困った顔をした。


「今日、丘で会いました。そのまま王都までついてきました」


「ついてきた?」


「はい」


 ミラは受付台の向こうから身を乗り出すでもなく、リンをしばらく見た。リンの方も、ミラを見ているのかどうかは分からない。目も口もない白い雫のような光が、ただ空中でゆっくり揺れている。


「契約は?」


「していません」


「召喚したわけでも?」


「ありません」


「精霊術の心得は?」


「ありません」


 三つ続けて答えたエルザが、最後だけ少し早口になった。


「門でも精霊使いかと聞かれましたが、私は使役しているわけではありません」


 ちりん。


「今、何と言ったんですか?」


 ミラが尋ねる。


「『ついてきた』と」


「……精霊自身もそう言っているのですね」


「私には、そう聞こえます」


 ミラは今度は俺を見る。


「ノワールさんにも?」


「俺には鈴の音だけです」


「門の衛兵にも聞こえていませんでした」


「なるほど……」


 ミラは受付台の上の帳簿へ片手を置いたまま考え込んだ。普段の依頼処理より、明らかに返事までが長い。


「私は精霊について専門ではありません。ただ、人に付き従う精霊が珍しいことくらいは知っています」


「やっぱり珍しいんですね」


「ええ。土地や水場の近くで姿を見た、という話なら時々あります。契約した術者に従う例も記録にはあります。でも、会ったその日に何もせずついてきた、というのは……私は聞いたことがありません」


 エルザがリンを見る。


 ちりん。


「『なにもない』と」


「そこは念を押すんですね」


 俺が言うと、リンがこちらへ少し寄った。


 ちりん。


「……『じゃま』」


「まだ何もしていませんが」


「ミラさん。この精霊、俺にだけ当たりが強いんですが」


「私に相談されましても」


 ミラの口元が一瞬だけ緩んだ。


 しばらく話が続いたせいか、リンの動きがゆっくりになった。白い光がエルザの肩の横からすっと上がり、そのまま耳の上あたりの髪へ寄る。薄緑色の羽が小さく畳まれ、白い雫のような光が髪の間へ収まった。遠目には、小さな髪飾りが一つ増えたようにも見える。


「……休んでいるんでしょうか」


「たぶん」


 エルザが目だけを上へ向けようとして、途中で諦めた。首を動かせば落ちるとでも思ったのかもしれない。


 ちりん、と一度だけ小さく鳴った。


「『おちつく』だそうです」


「気に入ったんですね」


 エルザは髪へ手を伸ばしかけたが、触れずにそのまま下ろした。


◆


 とりあえず、人へ危害を加える様子がないことと、エルザが何らかの術で縛っているわけではないことを伝えた。ミラは受付の奥から一枚の小さな紙を持ってきた。


「正式な登録用紙ではありません。門や受付で毎回止められると大変ですから、今日確認したことだけギルド側の記録へ残しておきます」


「何を伝えればいいですか?」


「遭遇した場所と、今分かっていることだけで結構です。推測は書かなくて大丈夫です」


 エルザが帳面を出しかけて、俺と目が合った。


「あ」


「今日は持ってきていて良かったですね」


「……はい」


 丘では書かなかった黒い帳面が、ここでようやく開かれた。エルザは日付と場所を確かめながら、必要なことだけをミラへ伝えていく。


 東街道の北側にある丘。大樹の根元にある朽ちた祠。そこで精霊と遭遇したこと。鈴のような音が自分には言葉として聞こえること。丘から離れても追ってきたこと。王都へ入っても離れなかったこと。


 ミラの筆が、一項目ごとに短く止まっては動く。


「名前は?」


「リンです」


 ちりん。


 エルザの髪の中から鈴の音がした。


「本人も返事をするんですね」


「そうみたいです」


「名前はもともと?」


「ありませんでした。町までついてきたので、私がつけました」


 ミラの筆が一度止まった。


「エルザさんが?」


「はい」


「……そうですか」


 それだけ言って、また紙へ書き始めた。何か珍しいことでもあるのかと思ったが、聞くほどでもない。リンはエルザの髪から出てくると警笛のそばへ寄り、鳥の刻印の周囲を小さく一周した。


「それで、ギルドとして何か問題はありますか?」


 エルザが聞いた。


「今のところはありません。魔物を連れ込んだわけではありませんし、危険行動も確認されていません。ただ――」


 ミラが広間へちらりと目を向ける。俺もつられて振り返った。見ていないふりをしている者が、何人かいる。目が合うと、そのうち二人は慌てて掲示板へ向き直った。


「しばらくは珍しがられると思います」


「精霊使いではないのですが」


「そうですね。でも、事情を知らない人から見れば、精霊がエルザさんについて歩いていますから」


 エルザは返事をせず、リンを見た。


「その都度訂正するしかないでしょうか」


「全て説明する必要はありませんよ」


 ミラは紙を帳簿の間へ挟んだ。


「何か聞かれた時に、契約も使役もしていないと伝えるくらいで十分です。それでも勝手に呼ぶ人はいるでしょうけれど」


「……分かりました」


 エルザの返事は、あまり納得していないように聞こえた。


 ちりん。


 エルザの眉が動いた。訳す前から、もう嫌そうだった。


「……『せいれいつかい』」


「覚えなくていい言葉を覚えましたね」


 ちりちりん。


「『エルザ』『せいれいつかい』……違います」


 エルザが即座に訂正した。俺は笑いを堪えた。


「本人が一番広めそうですね」


「ノワールさん」


 エルザに、名前だけで咎められた。


「すみません」


 ちりん。


「……『あやまれ』」


 カウンターの向こうで、ミラが口元を押さえたのが見えた。


「俺が悪い話になってるんですか?」


 ミラが笑い声を漏らした。


◆


 相談を終えたところで、隣の受付にいた男がこちらへ近づいてきた。革鎧の肩に古い傷があり、腰には使い込まれた短槍を下げている。


「悪い。ちょっといいか?」


 俺は何となくエルザと男の間を見る。敵意があるようには見えない。男の目は、ずっとリンへ向いていた。


「その精霊、触っても平気か?」


「私に聞かれても……」


 エルザがリンを見る。


「触らせてもいいですか?」


 ちりん。


 白い光がエルザの肩の後ろへ回った。


「……嫌だそうです」


「そうか。悪かった」


 男はあっさり手を上げて引いた。もっと食い下がるかと思ったが、そのまま自分の仲間のところへ戻っていく。


「ちゃんと嫌って言うんですね」


 俺が言うと、エルザが頷いた。


「そのようです」


「エルザさんの言うことなら何でも聞く、というわけでもなさそうですね」


「試してみますか?」


「何をです?」


 エルザはリンへ顔を向けた。


「リン。ノワールさんの肩へ行ってください」


 ちりん。


 動かない。


「……『やだ』」


「即答ですか」


「私の命令にも従っていませんね」


「ん?……わざわざ俺を使って実証しなくても良かったんじゃないですか?」


 エルザは答えず、鞄の留め具へ指をかけた。外すでもなく、留め直すでもなく、親指で二度ほど撫でている。目だけが笑っていた。


 リンはそんなことなど気にせず、また青銀色の警笛のそばへ戻った。


◆


 ギルドを出る頃には、昼の鐘が近づいていた。大通りへ出ても、リンがいるだけで何人かが振り返る。子供は遠慮がなかった。母親と手を繋いだ小さな女の子が、すれ違いざまに足を止める。


「おかあさん、ひかってる」


「見ちゃ駄目よ」


「なんで?」


 母親が困った顔で頭を下げ、子供の手を引いていく。教育上良くないのだろうか。リンはその後ろ姿を追うように一度だけ高く浮かんだ。


 ちりん。


「リンは子供に興味を持っているんですか?」


「『ちいさい』だそうです」


「リンも十分小さいでしょう」


 ちりん。


「『もっと』」


 基準が分からない。エルザがくすりと笑った。妙な感じだった。


 このところ、知られたくないことと言えば俺の方に多かった。《授かり》のこと。人には言わない方がいい感覚のこと。


 けれど今日は、通りを歩く人の視線が俺を素通りして、ほとんどエルザの肩へ向かっている。俺はただ隣を歩いている人になっていた。悪くない。


「ノワールさん?」


「はい?」


「何か笑っています」


「今日は俺が普通に見えるなと思いまして」


 エルザが首を傾げた。


「普段も普通だと思いますが」


「ありがとうございます」


 ちりん。


「今のは聞かなくていいです」


「まだ何も言っていません」


「どうせ『うるさい』でしょう」


 エルザがリンを見る。ちり、ちりん。間を置いて、エルザが少し声を震わせながら答えた。


「『ちがう』」


「お」


「……『へんなの』」


「……その評価は定着したんですか?」


 エルザが顔をそらした。


◆


 大通りの分かれ道で、俺たちは足を止めた。ここから先は、それぞれの宿へ向かう道が分かれる。いつもなら「では、明日」で終わるところだ。今日はエルザの横に白い光が一つ増えている。


「宿、大丈夫でしょうか」


 俺が聞くと、エルザも少し考えた。


「確認してみます。少なくとも、部屋の中で暴れるようには見えません」


 ちりん。


「『おとなしい』そうです」


「当てにならない本人の自己申告ですね」


「リンを信じるしかないです」


「追い出されたらどうします?」


 エルザは少し黙った。リンも、なぜか一緒に止まった。


「……その場合は、ギルドへ戻って相談します」


「俺の宿へ来てもいいですよ。女将が許せばですが」


 ちりん。


「『やだ』」


「人が親切で言ってるのに……本当に失礼ですね」


 エルザがとうとう声を立てて笑った。ほんの短い笑い声だったが、通りを行く人が一人だけこちらを振り返った。


「では、まず自分の宿で確認します」


「はい。また明日」


「また明日、ノワールさん」


 ちりん。


 俺はリンを見る。


「今のは?」


 エルザも小さな光へ目を向けた。


「……『また』だそうです」


「おぉ……少しデレましたね」


 さんざん冷たくされた後に少し優しくされると沁みる。エルザが歩き出す。リンも青銀色の警笛のそばを漂いながら、その後についていった。俺はエルザと、その横を漂う白い光をしばらく見送り、それから〈鈍色亭〉へ向かった。



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