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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第一章 この世界で生きる

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第19話 選ぶもの

 今日も職人区の稽古場を渡る風は湿り気を帯びていた。呼吸を整え、木剣を正中線に置く。ドランの足がわずかに沈み込む動きに合わせ、左足を斜め前へ滑らせた。首元を狙う突きの軌道から身体を逸らし、同時に軸足を後ろへ踏み替える。


 以前のように一歩目で止まりはしない。足を踏み替えた勢いのまま、右腕の木剣をドランの側腹へ向けて振るい抜こうとした。


 だが、手と足の連動が噛み合わなかった。反撃を急ぐあまり、踏み替えた足が地面を捉えきる前に、腕が出た。わずかな前傾姿勢をドランは見逃さず、木剣が下からすくい上げるように俺の剣身を叩いた。乾いた硬い音が跳ねる。


 手に強い痺れが走り、木剣の先が大きく上方へ跳ね上げられた。がら空きになった胴体へ、ドランの木剣の先端がぴたりと添えられる。


「……反撃が早い」


 ドランは木剣を添えたまま、低い声で告げた。


「動けと言ったが、急いで振れとは言っていない。先に足を置け。それから振れ。体勢が整わんうちに刃を振れば、自分で守りを捨てることになる」


「……すみません。避けられたので、ついそのまま打てるかと思ってしまいました」


 乱れた息を吐きながら構えを解く。ドランは木剣を引き、静かに俺を見た。


「一日空けても、避けた後に足を止めなくなったのは良い。だが、一度成功した動きへ無意識に攻撃を繋げようとするな。動きながら整えるというのは、ただ連続して暴れることじゃねぇ」


「注文が増えていませんか」


「できることが増えれば、直すところも増える。当たり前の話だ」


 褒められたような気もしたが、素直には喜べない。ドランはそう言うと、いったん離れて木剣を構え直した。


「もう一度だ」


「はい」


「今と同じ動きをしろ。急ぐな」


 木剣を正中線へ戻す。ドランの足が沈んだ。突きが来る。


 左足を斜め前へ滑らせ、首元を通る剣先から身体を外した。そこですぐには振らない。後ろへ踏み替えた足の裏が地面を捉える。膝をわずかに緩め、傾きかけた身体を戻す。


 肩だけを先に出さない。足から腰へ。腰から肩へ。順番を確かめるように、木剣をドランの側腹へ走らせた。


「止めろ!」


 低い声が飛ぶ。反射的に腕へ力を入れかけて――やめた。踏み替えた足へ体重を残したまま、腰の回転を止めた。遅れて、木剣も止まる。


 剣先はドランの脇腹の少し手前で震えていた。完全には止まりきらず、身体もわずかに前へ流れた。それでも、さっきのように姿勢を崩して踏み込むことはなかった。ドランが俺の足元から木剣の先までを順に見る。


「……今のは止められたな」


「かなりギリギリでしたけど」


「それでいい。足が決まる前に振れば、途中で変えられん。振ることだけ考えるな」


 ドランが木剣を下ろした。


「打つのも、止めるのも、お前が決めろ」


 側腹の手前で止まった木剣を見てから、ゆっくり構えを解いた。


「難しいですね」


「お前は笑えるくらいに不器用だからな」


 師匠を叩きのめせるほど強くなりたいです。


「今日はここまでだ。さっさと行け」


 ドランは背を向け、いつもの腰掛けへ戻って油布を手にした。


「ありがとうございました。また明日よろしくお願いします」


 足を踏み替え、身体を整えてから反撃へつなぐ。振り始めても、身体が崩れていなければ途中で止められる。頭では理解していても、実際の身体はそう簡単に理想通りの順番では動いてくれない。


 それでも、ただ打たれて終わるのではなく、次の課題が見えるところまでは来ていた。そのことに確かな手応えがあった。右手を握ったり開いたりして、指先に残る痺れを確かめながら、俺は稽古場を後にした。


◆


 朝の混雑が和らぎ始めたギルドの一階広間へ入ると、壁際の大きな掲示板の前に、見覚えのある小柄な後ろ姿があった。エルザは小さな帳面を胸元に抱え、背筋を伸ばして依頼票を読んでいる。ギルドに来れば彼女がいるかもしれない、とは頭のどこかで思っていた。実際にその姿を見つけ、自然とそちらへ足が向いた。


「おはようございます、エルザさん」


 声をかけると、エルザはすっと向き直ってこちらを見上げた。


「おはようございます、ノワールさん。来られると思っていました」


「待っていましたか」


 問いかけると、エルザは抱えていた小さな帳面を一度胸元に引き寄せ、少し間を置いてから答えた。


「掲示板の依頼票を見ながら、ノワールさんが来る頃だと思って待っていました」


「それを世間では『待っていた』と言うと思うのですが」


「……形式上は、そう言っても差し支えありません」


 エルザは視線をわずかに泳がせ、ぺこりと頭を下げた。俺は苦笑を噛み殺し、彼女が眺めていた掲示板の紙面へ目を向けた。


「何か、良さそうな依頼はありましたか」


「はい。こちらの案件を検討していました」


 エルザが指先で一枚の依頼票を示した。


『東街道旧道標の状態確認。三基。周辺の薬草および樹脂素材の採取を含む。二人以上推奨。討伐不要』


 目を通すと、東門から街道を半刻ほど進んだ先にある、古い分岐の道標三基の破損状況を調べ、その周囲で指定された素材を採取して持ち帰る仕事だった。


「林縁の採取より、街道の先へ足を伸ばす形ですね」


「ええ。距離は伸びますが、街道沿いなので迷う危険は低そうです。二人なら、一人が道標を確認している間、もう一人が周囲を見られます」


 エルザの説明は淀みがない。依頼票の細部を確かめながら、顎へ手を当てた。


「二人以上推奨で、内容も無理がなさそうですね。……ただ、今日は今からすぐ出発するのではなく、しっかり準備を整えて明日の朝に出る方が良い気がします」


「準備、ですか。日帰り可能な距離ですが……」


「前回より街から離れますし、道標の記録や樹木からの樹脂採取なら、専用の道具や灯りがあった方が安全です。焦って今から出るより、今日は道具を買い揃えて、明日の早朝に出直す方が確実に仕事をこなせると思いますが、どうでしょう」


 エルザは一度目を瞬かせ、それから自分の帳面へ視線を落とした。


「……そうですね。現地で足りない物に気づくより、今日のうちに揃えた方がよさそうです。明日の朝にしましょう」


「では、受諾の手続きと確認を済ませましょう」


 受付へ向かうと、ミラは依頼票と俺たちを見比べ、手際よく手続きを進めながら口を開いた。


「『旧道標の確認と採取』ですね。明日の出発で登録しておきます。……ノワールさん、エルザさん、お二人とも前回の林縁より遠くへ向かうことになりますから、持ち物の点検は怠らないでくださいね」


「必要な道具で、不足しているものはありますか」


 俺が尋ねると、ミラは羊皮紙の裏に手早く文字を書きつけた。


「道標の確認用には簡単な地図と筆記具。それから、街の外で離れて作業する場合、お互いに位置を知らせる『警笛』は各自持っておいた方がいいです。あとは夜間の遅延に備えた携帯用の灯り、頑丈な短い縄、それぞれの水筒と応急用の布ですね。ギルドの貸出もありますが、冒険者を続けるなら自分の分を買っておくことをお勧めします」


「分かりました。買い足しておきます」


「無理は禁物ですよ。明日は気をつけて行ってきてくださいね」


 ミラから仮控えを受け取り、ギルドの扉を押して外へ出る。


◆


 日差しが石畳を明るく照らす中、商業区の装備店へ向かった。大きな木製の看板に剣と盾の絵が描かれた店舗の扉を押すと、カウベルがからりと乾いた音を立てた。店内には、鞣した革と防錆油、それから削られた金属の匂いが重く漂っていた。壁には太さの違う縄や革帯が吊られ、木棚には小瓶、水筒、火打石の道具、革袋、補修用の金具が整然と並んでいた。


 奥の作業台では、頑丈そうな店員が革紐を小刀で切り揃えていた。


「いらっしゃい。備品の補充かい?」


 店員が顔を上げる。俺は短く頭を下げた。


「ええ。街道での作業用に、警笛や縄、携帯用の灯りを見に来ました」


「それならあっちの棚だ。警笛は真鍮のやつが一番丈夫で音も通るよ」


 示された棚へ向かう。そこには箱に分けられた様々な小さな備品が収められていた。俺は棚から長さ十センチほどの真鍮製の警笛を拾い上げた。装飾のない無骨な造りだが、ずしりと程よい重みがあり、革紐もしっかりしている。


「俺はこれで良さそうですね」


 隣を見ると、エルザが棚の一角で足を止め、何かをじっと見つめていた。彼女が視線を注いでいたのは、同じ警笛の箱だったが、その中に数個だけ混ざっていた別の意匠の品だった。大きさは俺の選んだものより一回り小さく、色は落ち着いた淡い青銀色をしている。側面に、羽を休めた小さな鳥の形が丁寧に刻印されており、結ばれた革紐も細くしなやかなものが使われていた。


 エルザはその警笛へ伸ばしかけた手を一瞬止め、一度息を吐いてから、すぐ隣にある無骨な真鍮の標準品を取り上げた。


「……こちらの標準型が、耐久性の面において最も信頼性が高いと思われます」


 エルザは真面目な口調だったが、警笛を棚へ戻す時、また青銀色の鳥の刻印へちらりと目を向けていた。一度視線を逸らし、また戻す。手に取って重さを確かめるわけでもなく、また鳥の刻印へ視線を戻した。俺はその視線の動きを静かに見ていた。


 青銀色と小さな鳥の刻印は、きちんと整えられた彼女の装備に自然と馴染んで見えた。そして彼女の容姿に良く合っていると思った。俺は店員へ尋ねた。


「店員さん、そっちの青銀色の警笛と、俺が持っている真鍮のもので、音量や機能に違いはありますか?」


 作業台の店員が作業の手を止めずに答える。


「音の高さは少し違うが、街道で使う分には音の通り方や丈夫さに大きな差はないよ。そっちは若い冒険者や女性向けに、職人が遊びで鳥の絵を刻んだだけでね。刻印代も込みで値段は真鍮のと同じだ」


 店員の言葉にエルザの背筋がわずかに強張る。俺は彼女へ向き直った。


「だそうですよ。エルザさんが気になるなら、そちらを選んでも何の問題もないと思いますが」


「……っ。私は、別に装飾を求めているわけではありません。ただ、小型であるため装備に装着した際の動線阻害が少なく、また特有の色彩により暗所での識別性が高いという合理的利点が――」


 エルザは言い訳のような理由をすらすら並べ立てる。


 だが、俺が何も言わずにいると、彼女は途中で言葉を詰まらせた。鞄の紐を指先で軽く握り直し、胸の動きとともに息を整える。そして、棚の青銀色の警笛へもう一度手を伸ばし、それを丁寧に持ち上げた。


「……こちらに、します……」


 耳の先をわずかに赤くしながら、自分の手で選んだ。


「可愛いですよね、それ」


 俺が微笑むと、エルザは「……はい、可愛いです」と低く呟いた。小銭入れから硬貨を出してカウンターへ置く。俺も真鍮の警笛の代金を支払う。


「同じ物にしないのですか?」


 手元を覗き込んできたエルザが尋ねてきた。


「俺の物まで鳥の刻印が入っていたら、落ち着かないでしょう。俺はこれで十分です。……それとも、俺も鳥の方にした方が良かったですか?」


 冗談めかして言ってみると、エルザは真鍮の警笛と俺の顔を交互に見比べ、真顔で頷いた。


「いいえ。ノワールさんには、そちらの無骨な形状の方が適合しています」


「そこまで迷わず言われると、複雑ですね」


「適合性の話です」


 きっぱり言い切られて思わず吹き出した。エルザもつられたのか、笑みを浮かべる。こうした目的の薄い軽口が、いつの間にか二人の間で自然に交わせるようになっていた。初対面の頃には、こんなふうに笑い合える距離感など、まだなかったはずだった。


 店員から「音の試し方」を聞き、店の裏手にある小さな空き地へ向かった。


「吹き口を布か指で軽く覆いながら息を入れると、大きな音を立てずに振動だけで音の鳴りを確認できる」


 教わった通り、エルザが吹き口を指で軽く押さえて息を吹き込んだ。チッ、と小さく高い金属音が通り抜ける。


「思ったより、澄んだ音が出ますね」


 エルザが感心したように警笛を見つめる。俺も警笛を試してみると、低く太い音が手に響いた。


「店員さんの話では、合図は『危険や異常を知らせるなら短く三度』『居場所を知らせるだけなら長く一度』だそうです。これを俺たちの基本ルールにしましょう」


「了解しました。緊急時の短三音、位置確認の長一音。忘れないよう記録しておきます」


 空き地のベンチに腰を下ろし、買い集めた道具を並べた。短い縄、携帯用の小さなランプ、応急用の布、予備の紙と木炭。エルザは買った鳥の警笛を、革帯の奥へきれいに収めて固定した。並べた道具を前に、分担を確認した。


「水筒と応急用の布、警笛は、それぞれ持ちましょう」


「はい。離れた時に困りますから」


「水魔法が使えますが、魔力が切れたり動けなくなったりした時に備えて、俺も水筒は持っておきます」


「その方が安心だと思います」


「縄と予備の資材は俺が持ちます。エルザさんは記録用の紙と木炭、それと携帯灯をお願いできますか」


「分かりました。その分け方でいきましょう」


 道具を分け終える頃には、明日二人で街の外へ出るという実感が、鞄の重みとして残っていた。


◆


 買い出しと準備を終える頃には、午後の柔らかな光が街並みを包んでいた。商業区の露店を抜け、東門へ続く道をエルザと並んで歩く。エルザの腰元には、新しく取り付けられた青銀色の小さな警笛が、歩調に合わせて静かに揺れている。彼女は歩きながら、時折その側面の鳥の刻印を指先でそっとなぞっていた。


「明日の集合ですが」


 俺が口を開くと、エルザは指を止め、こちらへ顔を向けた。


「はい」


「早い鐘が鳴ってから一刻後、東門の内側でどうでしょう。もしどちらかが半刻待っても来なかった場合は、事故か取りやめと判断して、一人では出発せずにギルドへ戻る」


「前回のルールと同じですね。了解しました。早い鐘から一刻後、東門内側です」


 エルザは帳面を開かず、まっすぐ俺を見つめた。


「ノワールさん。その……警笛についてですが」


「はい?」


「私がこういう造形の物を持つのは変ではないでしょうか?」


 俺には、質問の意味がよく分からなかった。


「エルザさんによく似合っていると思いますよ?」


 エルザは一瞬だけ言葉を詰まらせた。それから、青銀色の警笛へもう一度視線を落として、静かに口を開いた。


「……そうですか、良かったです」


 その小さな一言に、深く頷いた。


「ええ。大事に使いましょう。まずは明日の仕事で」


「はい。よろしくお願いします、ノワールさん」


 東門へ続く分かれ道で足を止めた。


「では、明日の朝に」


「はい。遅刻しないよう、注意します」


 エルザは丁寧に頭を下げ、くるりと向きを変えて宿筋へ歩き出した。背筋をぴんと伸ばしたその小柄な背中を、俺はしばらく見送っていた。曲がり角へ入る直前、腰の青銀色の警笛が一度だけ光を返した。俺も自分の真鍮の警笛へ触れる。


 明日の朝は、東門だ。



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