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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第一章 この世界で生きる

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第17話 仕事のあと


 翌朝も、職人区の稽古場には乾いた木剣の音が響いていた。ドランの木剣が喉元へ伸びてくる。昨日、東門外の林縁でホーンラビットを避けた時と同じように、斜め横へ足を出した。木剣の先が胸元を通り過ぎる。


 避けられたと思ったところへ、引き戻された木剣が横から飛んできた。木剣の側面で、俺の右脇腹が容赦なく打ち据えられる。


「くっ……」


 低い衝撃が肋骨に響き、脚が止まった。ドランは木剣を引き、低い声で俺を見下ろした。


「横へ動けば終わりだと思うな。避けた後の足が死んでいる」


「……昨日、うまくいったもので」


「一度うまくいった動きを、正解にするな」


 ドランは木剣の先で俺の足元を突いた。


「敵も木剣も、お前が避けた場所で止まってはくれん。構えてから動くのが遅いなら、動きながら次を整えろと言ったはずだ。一歩避けて安心している間に、二打目が届く」


「はい……」


 脇腹を押さえながら、崩れた体勢を立て直す。避けたところで安心して、次の木剣から目を離していた。


「もう一度だ。次は当てるぞ」


「勘弁してください。さっき当てたじゃないですか」


「あれは撫でただけだ、次は当てる」


 その理屈はおかしい。稽古が終わる頃には、右脇腹に鈍い痛みが残っていた。昨日できた足運びも、一歩動いただけでは終わらない。次の動作へつなげるところまでが稽古らしい。


 宿へ戻って汗を拭い、身支度を整えてからギルドへ向かった。


◆


 冒険者ギルドの一階広間は、朝の混雑が引き始めた頃だった。壁際の掲示板の前へ進み、下段の石級向け依頼票を指先で追っていく。掃除や単純な運搬に混ざって、一枚の依頼票が目に留まった。


『マーロウ商会より東区画への小物運搬。割れ物注意。二人以上推奨』


 依頼主はグレイソンさんのマーロウ商会だ。内容を確認していると、広間の入口近くから足音が近づいてきた。振り返ると、エルザがこちらへ歩いてくるところだった。


 右手には小さな帳面を抱えている。俺と目が合うと、歩きながらそれを鞄へ収めた。


「ノワールさん。おはようございます」


「おはようございます、エルザさん。ちょうどいいところに来てくれました」


 前に掲示板で会った時は、エルザの方から声をかけてきた。今度はこちらから、掲示板の依頼票を指し示す。


「今日も、条件の合いそうなものがありますよ」


 エルザは俺の隣へ立ち、依頼票に書かれた文字を目で追った。


「……マーロウ商会からの運搬依頼ですね。二人以上推奨。荷物は割れ物を含む小箱が二つ、とあります」


「どうでしょう。受けてみますか」


「報酬は均等。判断が割れた時は、安全な方を選ぶ。それでどうでしょう」


「はい。問題ありません」


「では、決まりですね。今日は『面接』も省略できたようで助かります」


「前回の実績がありますので、事前確認は簡略化できます」


 大真面目な顔で返され、俺は苦笑した。本当に真面目な人だ。受付でミラの窓口へ向かい、共同受注の手続きを済ませる。ミラは俺たちを見て微笑み、「気をつけていってらっしゃい」と控えの用紙を渡してくれた。


 俺たちはギルドを出て、商業区にあるマーロウ商会へ向かった。


◆


 大通り沿いに立つ石造りの建物に入ると、広い土間の奥から恰幅の良い店主が顔を出した。


「いらっしゃい。……おや、ノワールかい」


 グレイソンは丸みのある顔に笑みを浮かべ、俺と隣に立つエルザを見比べた。


「前回の反物は助かったよ。仕立て屋のオーラからも、綺麗な状態で届いたと連絡があった。今日は連れがいるんだな」


「ノワールさんと共同で依頼を受けました、石級のエルザと申します」


 エルザが背筋を伸ばして挨拶すると、グレイソンは頷いた。


「よろしくな、エルザちゃん。今回の荷物はこれだ」


 グレイソンが作業台の上へ運んできたのは、頑丈な木で組まれた二つの小箱だった。両手で抱えられるほどの大きさだが、角が補強されている。


「中身は染料と香油の小瓶だ。固く栓をして布で詰めてあるが、強く揺らしたり、落としたりすれば割れる。一箱ずつ抱えて運んでおくれ」


「この二箱なら、一人でも運べそうに見えます」


 エルザが言うと、グレイソンは二つの箱を順に指した。


「一人で二箱を持てば、前も足元も見えにくくなる。一人一箱なら、互いに見えないところを声で知らせられるだろ。商業区は正午を過ぎると人が増える。ぶつかられて箱を落とされたら、中の染料が全滅するんでね」


「分かりました。周囲を確認しながら運びます」


「話が早くて助かるよ」


 俺とエルザは、それぞれ木箱を一つずつ両手で抱え上げた。ずしりとした手応えはあるが、持てない重さではない。箱の中で瓶がかすかに触れ合った。


「届けるのは前回と同じ、東区画のオーラの店だ。よろしく頼んだよ」


「承知しました」


 商会を出ると、商業区の大通りは昼前の活気に満ちていた。行き交う荷車、威勢の良い呼び声、店先へ張り出した屋台の匂い。その間を、買い出しの客や職人たちが入り乱れて歩いている。


「横に並ぶと、通行人の邪魔になりますね」


 箱を抱えたエルザが周囲を見回した。


「前後に分かれましょう。俺が前を歩きます。エルザさんは間を空けて、後ろから来てください。人混みがきつくなったら交代しましょう」


「分かりました。私は後ろと、ノワールさんから見えにくい足元を確認します」


 俺たちは前後に分かれ、ゆっくりと人混みの中へ足を踏み入れた。


「エルザさん、左の路地から人が出ます」


 俺が路地の前を通り過ぎた直後、視界の端で、水をたっぷり汲んだ桶を抱えた男が角から姿を見せた。後ろへ声をかけると、エルザの足音が緩み、右へ寄る気配がした。男は水をこぼすことなく、エルザとすれ違った。


「助かりました」


 しばらくして、今度は背後から軽い足音が近づいてきた。


「ノワールさん、後ろから来ます」


 エルザの声に合わせて右へ寄り、足を止めて箱を抱え直す。木製の玩具を掲げた子供がエルザの脇を抜けてこちらへ走ってきたが、俺に気づくと慌てて速度を落とした。


「走る時は、前を見た方が良いですよ」


 後ろからエルザが声をかける。子供は頭を下げると、今度は歩いて人の間へ戻っていった。その後も、狭い路地では一人ずつ通り、濡れた石畳を避ける時は後ろへ短く知らせた。前と後ろで必要なことだけを声に出していけば、箱を抱えたままでも歩調は乱れなかった。


◆


 東区画の静かな路地に入り、白い扉の脇に糸巻きの木札が下がる仕立て屋へ着いた。扉を押すと、チリンと鈴の音が鳴る。奥の作業台から立ち上がったオーラは、俺たちの抱えた木箱を見て、柔らかく目を細めた。


「マーロウ商会からの荷物ですね。こちらへどうぞ」


 言われた場所へ、二つの木箱を静かに下ろした。オーラは箱の封を解き、中の小瓶を手早く確かめた。


「二人で気を付けながら運びました」


 エルザが告げると、オーラは木箱の中を確かめて頷いた。


「ありがとうございます。どれも無事ですね。……そういえばノワールさん、ギルドの医務室の手伝いについてですが、ミラさんへ正式な依頼条件を整理してお渡ししておきましたよ。またお手すきの時に確認してみてくださいね」


「ありがとうございます。見せてもらいます」


 先日ミラから聞いていた待合手伝いの話だった。オーラは受領のサインを書類に記し、俺たちへ渡した。控えを受け取ると、オーラは作業台の脇に置かれた小箱から銅貨を四枚取り出した。


「それと、こちらは心付けです。丁寧に運んでくださったお礼に、お二人へ二枚ずつ」


「前にもいただきましたね」


「ええ。良い仕事をしてくださった方には、お渡ししていますから」


 オーラから差し出された銅貨を二枚受け取る。隣では、エルザが自分の前に差し出された銅貨とオーラを見比べていた。


「依頼の報酬とは、別なのですか」


「はい。これは私からです」


 エルザはもう一度銅貨へ目を落としてから、二枚を受け取った。


「……ありがとうございます」


 俺たちはオーラへ礼を言い、店を出る。チリン、と扉の鈴が鳴り、午後の風が路地を吹き抜けていった。


◆


 ギルドへ戻り、ミラの窓口へ受領の控えを提出した。箱にも中身にも問題がなかったことを伝えると、ミラは書類を確かめ、報酬を二人分に分けてくれた。硬貨を受け取り、返された控えを折って腰の袋へ収める。これで今日の仕事は終わりだ。


 ギルドの重い扉を出たところで、エルザが立ち止まった。鞄から小さな帳面を取り出して開く。


「……本日の行程で、確認したいことがあります」


 エルザはページを繰り、書き込んだ文字へ目を落とした。


「人混みでの前後配置は有効でした。ただ、路地の角では、もう少し近くを歩いた方が声を掛けやすかったと思います。それから、商業区の道順について――」


 俺の腹が軽く鳴った。早い鐘の前にパンを食べたきりで、昼を過ぎた今は、さすがに腹が減っている。


「エルザさん」


「はい」


「立ったまま続けるより、座りませんか。昼食がまだなら、近くの食堂へ行きませんか」


 エルザの手が止まり、帳面から顔を上げた。


「……食事、ですか」


「ええ。実はお腹が空きまして」


 エルザは一度口を開きかけ、帳面を閉じた。


「……依頼の後ですし、食事は必要ですね。同行します」


「お腹が空いてはいませんか?」


 エルザは視線を横へ逸らした。


「……空いています」


「では、行きましょう」


 俺が歩き出すと、エルザは短く「はい」と答え、その隣に並んだ。


◆


 商業区の脇道にある小さな食堂は、昼の混雑を過ぎ、客足が落ち着いていた。使い込まれた木の卓に向かい合って腰を下ろす。店内には肉と野菜を煮込んだ匂いが満ち、奥の厨房から鍋のはぜる音が聞こえていた。店員が持ってきた品書きの木板を前に、エルザは真剣な表情で固まっていた。


「値段と栄養を考えると、豆のスープですが……肉の煮込みも気になります」


「食べたい方を選べばいいのでは」


 俺が言うと、エルザは木板から顔を上げた。


「……効率的な選択をしようと考えていました」


 エルザらしい選択基準だと思う。


 俺はエルザの違う選択が見たくなった。


「それも良いですね。でも今日は、食べたいものを選んでみてはどうでしょう?」


「食べたいもの……ですか」


 エルザは品書きと、隣の卓で客が食べている湯気の立つ皿を見比べた。


「肉の煮込みが気になります」


「良いですね、俺もそれにします」


 店員を呼び、肉の煮込みを二つと、黒パンを注文する。エルザは品書きをもう一度見てから、静かに木板を卓へ戻した。


「……選択肢が多いと、決めるのに時間がかかります」


「迷うのも楽しいですよね」


 しばらくして、熱い木椀に入った煮込みと黒パンが運ばれてきた。木匙を取り、煮汁を一口含む。じっくり煮込まれた肉の旨味と塩気が、疲れた身体に染みていく。


「うん、おいしいですね」


 エルザは木匙を口へ運び、ゆっくりと飲み込んだ。目をわずかに見開き、もう一口を掬う。


「……おいしいですね」


 栄養や効率の話は続かなかった。


「昨日の硬いパンより、ずいぶん食べやすいですね」


 エルザが黒パンを煮汁へ浸しながら言った。


「あれは持ち歩くためのパンですから。味わうには向いていません」


「ノワールさんは、途中から水で柔らかくしていました」


「次からは、最初からそうします。顎が負傷してしまいそうなので」


 エルザは木匙を持ったまま、俺の顎のあたりへ一度視線をやった。


「稽古は、今朝もされたのですか」


「ええ。昨日の避け方を試して、脇腹を打たれました」


「運搬中は、痛そうには見えませんでした」


「箱を持っている間は忘れていました。今、思い出しました」


 そう答えると、本当に脇腹の鈍さが戻ってきた気がした。姿勢を直した俺を見て、エルザは何か言いかけたが、代わりに黒パンをもう一口ちぎった。依頼中の確認とは違い、どの話にも結論はなかった。今日の子供は危なかった、煮込みの肉は思ったより柔らかい、ドランの木剣は加減をしているとは思えない。


 そんな話をしながら、二つの木椀を空にした。食べ終えてから、腰の袋に入れていた依頼の控えを取り出した。裏返し、朝に書いた短い文字の下へ書き足す。


『肉の煮込み、黒パン。』


 控えから目線を戻すと、エルザも帳面に同じように記録していた。


「エルザさんも食べたものを記録するのですね」


「ええ。ノワールさんを見習ってみようと思いまして」


「見習ってもらうほどのことでもないですけどね」


 俺はそう言って苦笑する。


「後で見返した時に、今日のことを思い出せそうです」


 エルザはそう言いながら、帳面を閉じた。


◆


 食堂を出ると、夕方前の日差しが大通りの石畳を柔らかく照らしていた。店先で、エルザがこちらへ向き直った。


「ノワールさん。本日はありがとうございました。運搬も、その後の食事も……有意義な時間でした」


「こちらこそ、助かりました。また条件の合う仕事があれば、よろしくお願いします」


 エルザは鞄の紐へ指を添えたまま、すぐには返事をしなかった。


「ええ。……また条件の合う仕事がありましたら、お願いします」


「もちろんです。その時は、また食事まで依頼に含めるか考えましょう」


 軽口を混ぜて返すと、エルザは真顔になった。


「食事は、依頼とは別です」


 今度は俺が目を丸くした。エルザは小さく頷き、頭を下げた。


「では、失礼いたします」


 そう言って、彼女は大通りの人混みの中へ歩いていった。その背中を見送り、俺は息を吐いた。


 ――食事は、依頼とは別です。


 さっきの言葉を思い返しながら、俺も宿へ向かった。仕事が終わったあとに、すぐ別れなくてもよい相手が一人できたらしい。


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