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ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


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第82話 大学の匂い

 一月中旬、悠真の大学は後期の講評会を終え、束の間の休みに入っていた。


 久しぶりにできた平日の午後、悠真は紗奈の家を訪ねた。縁側で日向ぼっこをしていた紗奈は、悠真の持つ大きな紙袋に目を留める。


「何それ」


「講評会で出したやつ、全部持ってきた。見る?」


 紗奈が頷くと、悠真は縁側にプリントを並べ始めた。何十枚もの写真。夜の教室、誰もいない駅のホーム、雨に濡れた自転車置き場──どれも、紗奈が知らない悠真の日常だった。


「これ、いつの間に撮ってたの」


「講評の前の三日間、ほぼ寝ないで撮ってた」


「バカじゃないの」


 紗奈が思わず笑うと、悠真も笑った。


「先生に、“お前は説明が下手すぎる”って言われた。写真はいいのに、なんでこんな喋れないんだって」


「悠真らしいね」


「だろ」


 紗奈は一枚ずつ、ゆっくりと写真を眺めていった。どの写真にも、悠真がその場に立って、何かを見つめていた時間が写り込んでいるような気がした。


「羨ましい」


 紗奈がぽつりと言った。


「何が」


「悠真の生活。大学の匂いがする」


 悠真は少し困ったような顔をした。


「無理に羨ましがらなくていいよ」


「無理じゃない。本当に、羨ましいの」


 紗奈は写真の一枚──雨上がりの校舎を写したものを手に取った。


「私も、こういう景色の中に、また立ちたいって思う。それが今日、分かった」




 その夜、紗奈はノートに向かった。


悠真の写真を見て、「羨ましい」と思えた。

前は、誰かの日常を見るのが怖かった。自分と比べて、苦しくなるだけだった。

でも今日は、苦しさより先に、「戻りたい」が来た。


 書きながら、紗奈は自分の変化に気づいていた。以前なら、悠真の充実した大学生活を見るたびに、置いていかれるような焦りだけが募った。でも今は、その焦りの中に、小さな希望のようなものが混じっている。



 二月に入り、紗奈は復学に向けて、ゼミの担当教授にメールを送ることにした。何度も書き直した末の、短い文面。


〈ご無沙汰しております。療養しておりました柊です。来年度からの復学を考えており、一度お話を伺えればと思いご連絡いたしました〉


 送信ボタンを押すのに、思ったより時間がかかった。指が震えるほどではなかったが、心臓は確かに早く打っていた。


 三日後、返信が届いた。


〈連絡ありがとう。元気そうで何よりです。復学の件、大歓迎です。無理のないペースで、また一緒に頑張りましょう〉


 短い文面だったが、紗奈はそれを何度も読み返した。


(大歓迎、って書いてくれた)


 自分がいなくなっても、誰も困らない。そう思っていた頃の自分を思い出す。でも今、ここに「戻ってきてほしい」と言ってくれる場所がある。



 その週末、佐伯からも連絡が来た。


〈聞いたよ、復学するかもって。ゼミの席、ちゃんと空けとくから〉

〈焦らなくていいから、無理しないでね〉


 紗奈は返信を打った。


〈ありがとう。まだ、途中だけど。少しずつ〉


〈途中でいいんだよ。私だって、途中だし〉


 その言葉に、紗奈は少し泣きそうになった。誰もが、何かの途中にいる。自分だけが取り残されているわけではない。当たり前のようで、忘れがちなことを、佐伯の一言が思い出させてくれた。



 二月の終わり、紗奈は正式に、四月からの復学を決めた。


 母にその報告をすると、母は静かに、でも確かな安堵の表情を見せた。


「無理しないでね」


「うん。無理はしない。……たぶん、しないと思う」


 紗奈は少し笑って言った。完璧な自信ではなかったけれど、それでよかった。


 窓の外では、まだ寒さの残る空の下、木々の枝先にわずかな膨らみが見え始めていた。


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