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ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


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第6話 夏の解像度

 夏休みまで、あと一週間というところで、誰かが「海行こう」と言い出した。


 誰が最初に言ったのかは、後になっても分からなかった。気づいたらLINEのグループに話が流れていて、気づいたら十二人の参加者が集まっていた。


 クラスの有志、という感じの集まりだった。仲のいい人間が声をかけ合って、自然に人数が増えた。悠真も恒一も紗奈も入っていた。


 玲奈も、誰かに誘われて入っていた。




 当日は快晴だった。


 電車で四十分ほどの海。地元の人間にとっては「少し遠い」くらいの距離で、観光客が来るような場所でもないから、混みすぎず空きすぎず、ちょうどいい砂浜だった。


 悠真はカメラを持っていこうか迷って、結局持っていかなかった。


 砂と潮風がレンズに悪い、という理由もあったが、それより──今日は撮る側じゃなくていい気がした。そういう日もある。




 砂浜に着くと、みんな思い思いに散らばった。


 海に入るグループ、砂浜に荷物を広げるグループ、コンビニで買ってきた食べ物をひろげるグループ。


 恒一はすぐに海に飛び込んでいた。


 悠真は荷物を置いて、砂浜に座った。


 波を見ていた。


 光が水面に乱反射して、眩しくて、でもその眩しさが気持ちよかった。カメラを持ってこなかったことを、少しだけ後悔した。でもこういう光景は、レンズを通さない方が鮮明に残ることもある。そう思うことにした。


「座っていいですか」


 横に玲奈が来た。


「どうぞ」


 玲奈は麦わら帽子をかぶっていた。学校では見たことのない格好だった。私服だと少し印象が違う。柔らかい感じがした。


「カメラ持ってこなかったんですか」と玲奈が言った。


「今日は」


「珍しい」


「そういう日もあります」


 玲奈は海を見た。


「私も持ってこなかったです」


「同じですね」


「たまに、目で見るだけにしたくなります」


「分かります」


 波が来て、砂に吸い込まれた。また来て、また消えた。それを繰り返している。


「楽しいですか、今日」と玲奈が聞いた。


「まあ、楽しいです」


「歯切れが悪いですね」


「こういう大勢でわいわいする感じが、得意でも苦手でもないんですよ」と悠真は言った。「嫌じゃないけど、積極的に求めるものでもないというか」


「私もそうです」


「でも来たんですね」


「誘われたので」と玲奈は言った。「断る理由もなかったし。こういう時に輪に入っておくと、後で話しやすくなるから」


「計算してるんですね」


「計算、とは少し違いますけど」と玲奈は少し考えた。「転校先で孤立しないための、習慣みたいなものです」


 悠真はその言葉を聞いて、何かが胸に引っかかった。


 習慣。


 新しい場所に来るたびに、一から関係を作り直す。それを三回繰り返している。その都度、輪に入るための行動を習慣にしている。


 そのことの重さを、悠真は少しだけ考えた。


「大変じゃないですか」


「何が」


「毎回、ゼロから始めること」


 玲奈は少し間を置いた。


「慣れましたよ、一応」


「一応、ですか」


「……一応、です」と玲奈は繰り返した。今度は少し笑いながら。


 その笑い方が、いつもより少しだけ力を抜いた感じがした。




 昼頃、みんなで輪になってご飯を食べた。


 コンビニのおにぎりとサンドイッチと、誰かが持ってきた唐揚げが混在していた。


 恒一は海から戻ってきて、全身びしょ濡れのまま唐揚げを食べていた。


「乾かせよ」と悠真が言った。


「乾くから」と恒一は言った。


 笑い声が起きた。


 紗奈は悠真の斜め向かいに座っていた。


 楽しそうだった。女子たちと話して、笑って、いつもより少し声が大きかった。こういう場での紗奈は、悠真が一番よく知っている顔だった。学校にいる時の紗奈より、少しだけ力が抜けている。


 玲奈は輪の端の方で、おにぎりを食べながら話を聞いていた。


 話の流れに乗れる時は乗って、乗れない時は笑顔で聞いている。自然だった。無理をしている感じがしない。


 悠真はその二人を、交互に見ていた。


 見ていた、というより──無意識に視線が行き来していた。


 恒一がそれに気づいた。


 気づいた、と分かったのは、恒一が何も言わなかったからだ。言いたそうな顔をして、何も言わなかった。


 それが恒一の、一番嫌なところだと悠真は思った。



 午後、海に入った。


 悠真も入った。冷たくはなかった。七月の海は温度が高くて、入ってしまえば気持ちよかった。


 波と遊んでいると、紗奈が隣に来た。


「入ったんだ」


「入りました」


「似合わない」


「なんで」


「なんとなく、陸にいる感じがして」


「失礼だな」


 紗奈は笑った。波が来て、二人同時に少し後ずさった。


 こういう時の紗奈は、表情がいつもより柔らかい。日常の中の紗奈より、ここにいる紗奈の方が、幼い頃の紗奈に近い気がした。


「楽しい?」と悠真が聞いた。


「楽しい」と紗奈はすぐに答えた。「久しぶりに、こういうのもいいね」


「そうだな」


「来てよかった」


 波がまた来た。


 今度は少し大きくて、紗奈がよろけた。悠真が反射的に腕を掴んだ。


 紗奈が悠真の腕を掴んで、体勢を立て直した。


 ほんの二秒くらいのことだった。


 紗奈が「ありがと」と言って、手を離した。


 それだけのことだった。


 でも悠真は、自分の心拍数が少し上がったことに気づいた。


 (気のせいだ)


 波の音が大きかったから、と思うことにした。




 夕方、砂浜に戻って荷物をまとめ始めた頃、悠真は少し離れた場所に一人で座っていた。


 夕日が海に沈みかけていた。


 オレンジと赤と、少しの紫。水平線のあたりだけが燃えているような色をしていた。


 カメラを持ってくればよかった、と今日二度目に思った。


 足音がして、紗奈が来た。


「一人でいた」


「眺めてた」


 紗奈は隣に座った。砂が少し舞った。


 二人で夕日を見た。


 しばらく何も言わなかった。


 波の音だけがあった。


 紗奈が先に口を開いた。


「ねえ、悠真」


「うん」


「橘さんのこと、好きなの?」


 悠真は驚いて紗奈を見た。


 紗奈は夕日を見ていた。こちらを向かなかった。


「どこから出てきたの、その話」


「なんとなく」


「なんとなくって」


「……今日、二人で話してるの見てたから」


 悠真は海を見た。


 どう答えるべきか、考えた。


 好きか、と問われたら。


 玲奈のことを、嫌いではない。話しやすい。写真の話が合う。一緒にいて変に気を使わない。


 でもそれが「好き」かと聞かれたら。


「好きとは違うと思う」と悠真は言った。


「違うと思う、って」


「断言できないのは、好きの種類がいくつかあるから」


「……友達として、は好き?」


「それは好きです」


 紗奈は少し間を置いた。


「恋愛としては?」


「分からない」


「分からないって」


「本当に分からないんだよ」と悠真は言った。「橘さんのことも、そういう目で見たことがないから」


 紗奈は何も言わなかった。


 波がまた来た。


「なんで聞いたの」と悠真が聞いた。


 紗奈はしばらく黙っていた。


 夕日が水平線に近づいていた。空の色がどんどん濃くなっていた。


「……分からない」と紗奈は言った。


「分からないって」


「気になっただけ、かな」


 気になっただけ。


 その言葉を、悠真は心の中で繰り返した。


 紗奈が「気になった」と言った。


 それがどういう意味の「気になった」なのか。


 聞こうとして、やめた。


 聞いたら、何かが動く。


 今日はまだ、動かしたくない。


 「そっか」とだけ悠真は言った。


 紗奈も「うん」とだけ言った。




 帰りの電車の中。


 十二人がバラバラに座った。


 悠真と紗奈は隣の席だった。いつも通りだった。


 紗奈は窓の外を見ていた。流れていく景色を、ずっと見ていた。


 悠真はそんな紗奈の横顔を、見ていた。


 夕日に焼けた頬。少し乾いた髪。窓の光が横から当たって、輪郭がやわらかくなっていた。


 カメラを持ってくればよかった、と三度目に思った。


 でも今度は、写真として残したいからではなかった。


 ただ──この景色を、どこかにとどめておきたかった。


 変わる前の、今この瞬間を。


 紗奈が窓から視線を外して、悠真を見た。


「何見てるの」


「何でもない」


「また」


「また、って」


「悠真、たまに人のこと無言で見てるよね。昔から」


「そうかな」


「そうだよ」と紗奈は言った。少し呆れたような、でもどこか嬉しそうな言い方で。「気持ち悪い」


「ひどい」


 紗奈が笑った。


 悠真も笑った。


 電車は走り続けた。




 その夜。


 紗奈はベッドに横になって、天井を見ていた。


 今日一日を、頭の中で再生していた。


 波に揺れた悠真の横顔。唐揚げを食べていた恒一の間の抜けた顔。夕日と砂浜。


 そして──悠真と玲奈が並んで話していた場面。


 二人の距離は、特別近かったわけじゃない。普通に並んで座って、普通に話していた。


 なのに。


 胸のどこかに、小さな石が落ちたような感覚があった。


 ちゃぽん、という感じで。静かに、でも確かに。


 (気になっただけ、って言った)


 悠真に聞いた時の、自分の言葉を思い出した。


 気になっただけ。


 本当にそれだけか?


 紗奈は目を閉じた。


 考えたくなかった。


 考えてしまったら、名前をつけなければならなくなる。


 名前をつけてしまったら──今の関係が変わってしまう。


 ずっと隣にいてくれた人。


 家族みたいな人。


 親友という言葉では少し足りなくて、でも恋人という言葉は怖すぎて。


 (やめよう)


 紗奈は目を開けた。


 天井を見た。


 何も考えない、と決めた。


 それでも、胸の中の石は、そこにあり続けた。


 小さくて、硬くて、ちゃんとした重さがあった。


 夏が来た最初の夜に、紗奈はその感情に、まだ名前をつけなかった。


 つけたくなかった。


 だからまだ、つけないでいた。




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