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ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


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第10話 展示する気持ち

 文化祭まで、あと二週間。


 写真部の部室では、展示用の作品選びが始まっていた。


 西川さんが「一人三点まで」と言った。部員それぞれが夏の間に撮りためた写真の中から、展示に出すものを選ぶ。


 悠真は自分のフォルダを開いて、夏の写真を見返していた。


 合宿で撮ったもの。川沿いで撮ったもの。何気ない日常の隙間に撮ったもの。


 多すぎて、選べなかった。




 玲奈が隣に来た。


「どれにするか決まった?」


 タメ口だった。


 先週、部室で西川さんが「同学年なんだからタメ口でいいじゃない」と言って、それからなんとなく切り替わっていた。


 玲奈のタメ口は、思ったより自然だった。丁寧さは残っていたが、距離が少し縮まった感じがした。


「全然決まらない」と悠真は言った。「多すぎて」


「見せて」


 悠真はカメラの液晶を玲奈に向けた。


 玲奈はゆっくりスクロールしながら見ていった。


 途中で手が止まった。


「これ」と玲奈が言った。


 一枚の写真だった。


 川沿いの夕方。光が水面に落ちていた。そこだけ見ると風景写真なのだが、画面の端に人の影が二つ、写り込んでいた。


 並んで歩いている二人の影。


 誰かは分からない。ただ、二つの影が同じ長さで、同じ方向に伸びていた。


「これ、いいと思う」と玲奈は言った。


「これは……」と悠真は言いかけた。


「何?」


「これ、紗奈と歩いてた時に撮ったやつで」


 玲奈は写真をもう一度見た。


「それは関係ない」と玲奈は言った。「写真として、いいと思う」


「そうかな」


「うん。影だから誰かは分からないけど、二人がいることは伝わる。距離感が、いい」


 距離感。


 悠真はその言葉を聞いて、少し考えた。


 近くて、でも触れていない。並んでいるのに、それぞれの輪郭がはっきりしている。


 写真の話をしているのか、別の何かの話をしているのか、一瞬分からなくなった。


「出してみます」と悠真は言った。


「そうして」




 玲奈は自分のフィルムを現像に出していた。


 合宿で撮った三本分。現像が上がってきたのが先週で、今日初めて実物を見ていた。


 悠真は隣で玲奈が写真を見る様子を、横から見ていた。


 玲奈の表情が、少しずつ変わっていった。


 いい写真の時は、ほんの少し目が柔らかくなる。そうでない時は、静かに次へ移る。


「どうだった?」と悠真が聞いた。


「三枚、気に入ってるのがある」


「見せて」


 玲奈が三枚を並べた。


 一枚目は、山の朝霧だった。木の輪郭が霧に溶けていた。


 二枚目は、古民家の縁側から見た山の稜線だった。夕日が稜線の向こうに沈む直前の色だった。


 三枚目は──悠真だった。


 川沿いを歩きながらカメラを構えている悠真の後ろ姿。本人は気づいていなかった。


「これ、俺ですか」


「そう」


「いつの間に」


「二日目の午前中」と玲奈は言った。「被写体のいない写真ばかり撮ってるから、人を入れてみようと思って」


「勝手に撮られてた」


「ごめん」と玲奈は言った。でも謝っている感じがあまりしなかった。「展示に出していい?」


「俺の写真を?」


「後ろ姿だから、誰か分からない」


「まあ……いいですけど」


「タメ口」と玲奈が言った。


「あ、いいけど」


「うん」と玲奈は少し笑った。


 悠真は自分の後ろ姿の写真を見た。


 カメラを構えて、川を向いている後ろ姿。


 自分の写真なのに、なんだか遠い人みたいに見えた。


「俺って、こんな感じに見えるんですか」


「タメ口」


「こんな感じに見える?」


「どんな感じに見える、って思ってるの」


「なんか、一人みたいで」


「一人で撮ってたから」と玲奈は言った。「でも、そういうところが好きで撮ったんだけど」


「一人でいるところが好きって、寂しくないですか」


「タメ口って言ったじゃん」


「……寂しくない?」


「寂しい、じゃなくて」と玲奈は写真を見ながら言った。「ちゃんと自分の世界がある感じ、がする写真だから」


 悠真はもう一度、自分の後ろ姿を見た。


 ちゃんと自分の世界がある感じ。


 そう言ってもらえると、悪くない気がした。




 作業が一段落して、二人は部室の窓際に座った。


 外は暗くなり始めていた。


 九月の夕方は、八月より早く暗くなる。


「文化祭、楽しみ?」と玲奈が聞いた。


「まあ、そこそこ」と悠真は言った。「この学校の文化祭、初めて見る側じゃなくてやる側になるから」


「去年は?」


「去年も一応やったけど、一年の時は先輩についていくだけだったから。今年は自分たちで決めてる感じがある」


「そっか」と玲奈は言った。「私、この学校の文化祭は初めてだから、比べるものがないけど」


「前の学校の文化祭はどうだったの」


「普通だった」と玲奈は言った。「どこの学校でも、文化祭は似たような感じかな、と思ってたけど」


「今はどう思う?」


「少し違う気がしてきた」


「何が」


「一緒に準備してる人たちが、ちゃんといる感じがするから」と玲奈は言った。少し考えながら。「前の学校の時は、準備してる間もどこかよそ者みたいな感覚があって」


「今はよそ者じゃない?」


「まだ少しあるけど」と玲奈は言った。「でも今年は、ここにいる感じがする」


 悠真はその言葉を聞いて、なんとなく嬉しかった。


「それはよかった」


「うん」と玲奈は言った。「朝比奈く──悠真が話しかけてくれたから、だと思う。最初に」


 名前で呼んだ。


 タメ口になってから、初めてだった。


 悠真は少し驚いて玲奈を見た。


 玲奈は窓の外を見ていた。耳が少し赤かった。


「……どういたしまして」と悠真は言った。


「変なこと言ったね、忘れて」


「忘れない」


「忘れて」


「覚えておく」


 玲奈は悠真を見た。少し困ったような、でも嫌ではなさそうな顔だった。


「悠真って、たまにそういうことするよね」


「そういうこと?」


「人が流したいことを、流させてくれない」


「そう?」


「そう」と玲奈は言った。「紗奈さんには、逆にそれができてないのに」


 悠真は少し黙った。


「……痛いとこ突いてくるな」


「ごめん」と玲奈は言った。今度は本当に謝っている感じがした。「でも、そう思って」


「合ってるから、何も言えない」


 玲奈は少し間を置いた。


 それから、静かに言った。


「悠真に、一つ言ってもいい?」


「どうぞ」


「前に、自分の感情の理由をそのうち言うって言ったやつ」


「覚えてる」


「言ってもいい?」


 悠真は玲奈を見た。


 玲奈は窓の外を向いていた。


「聞く」と悠真は言った。


 玲奈は少しの間、黙っていた。


 外で風が吹いた。木が揺れる音がした。


「私、悠真のことが好きだと思う」と玲奈は言った。


 静かな声だった。


 告白、というより──確認しているような言い方だった。自分の感情を、声に出して確かめているような。


「思う、って」と悠真は言った。


「はっきりとは言えないから」と玲奈は言った。「でも、好きに近い何かがある、とは思ってる」


「それを、俺に言う?」


「言わないと前に進めない気がして」


 悠真は何も言えなかった。


 玲奈は続けた。


「返事は今じゃなくていい。というか、今すぐ返事されても困る」


「なんで」


「悠真の中に、まだ別の感情があるから」と玲奈は言った。静かに、でもはっきりと。「それが片付いていない状態で答えをもらっても、お互いにちゃんとしたことにならない」


 悠真は玲奈を見た。


 玲奈はまだ窓の外を見ていた。横顔が、夕方の残光を受けていた。


「……橘さんって」と悠真は言いかけた。


「玲奈でいい」と玲奈は言った。


「玲奈って」


「うん」


「自分のことより、人のことを先に考えるんだな」


 玲奈は少し笑った。


「そうしないと、うまくいかないことが多かったから」


「それは、玲奈が損してる」


「そうかもしれない」と玲奈は言った。「でも今は、それでいいと思ってる」


 悠真は何も言えなかった。


 何か言うべきだとは思った。


 でも何を言っても、今夜は足りない気がした。


「ありがとう」とだけ、悠真は言った。


「うん」と玲奈は答えた。




 部室を出た。


 玲奈は「先に行くね」と言って、足早に廊下を歩いていった。


 悠真はしばらく部室の前に立っていた。


 玲奈の言葉が、頭の中に残っていた。


悠真の中に、まだ別の感情があるから。それが片付いていない状態で答えをもらっても、お互いにちゃんとしたことにならない。


 片付いていない感情。


 紗奈のことだ、と悠真には分かっていた。


 玲奈にも、分かっていた。


 それを分かった上で、言ってくれた。


 悠真は廊下の窓を見た。


 外はもう暗かった。


 自分の顔が、ガラスに反射していた。


 答えを出さないといけない、と思った。


 どちらに対しても。


 でも今夜は、まだ出せなかった。



 家に帰ると、紗奈からメッセージが来ていた。



紗奈 18:52

今日遅かったね

写真部?




悠真 19:24

そう、展示の選考してた




紗奈 19:25

どんな写真出すの?



悠真 19:25

川沿いのやつ

影が二つ写ってるやつ



 少し間があった。



紗奈 19:27

それって、私たちが歩いてた時の?




悠真 19:28

そう



 また間があった。


 今度は少し長かった。



紗奈 19:31

見たい

文化祭で見るね




悠真 19:31

うん




紗奈 19:32

楽しみにしてる


 悠真はその言葉を見た。


 楽しみにしてる。


 その五文字が、今夜は少しだけ重かった。


 玲奈の言葉と、紗奈の言葉が、頭の中で並んでいた。


 どちらも、大切な言葉だった。


 だからこそ──どちらかを選ぶことが、今の悠真には、まだできなかった。






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