表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/4

第1話 いつもの朝

もう会えない、けれど今もベストフレンズである二人へ捧ぐ物語

 六月の空は、やけに青かった。


 朝比奈悠真(あさひなゆうま)が目を覚ましたのは、スマホの目覚ましが鳴る三分前だった。いつものことだ。鳴る前に起きてしまう体内時計だけは、自分でも妙に几帳面だと思う。


 アラームをオフにして、天井を見上げる。


 白い天井。染みが一つ。それだけで何もない。


 (今日は……月曜)


 ため息をつく前に、体を起こした。ため息は、朝いちばんにつくものじゃない。それも、なんとなく決めているルールだった。


 洗面台で顔を洗いながら、鏡の中の自分を見る。


 特別イケてるわけでも、冴えないわけでもない顔。前髪が少し伸びた。切らないと、と三週間前から思っている。


 歯を磨きながらスマホを確認する。


 通知が一件。


紗奈(さな) 7:21

起きてる?


悠真は口の中に泡を溜めたまま、片手で返信した。


悠真 7:22

起きてる


悠真 7:22

知ってる


紗奈 7:23

レポート出した?


悠真は手を止めた。


 泡をそのままに、洗面台の縁を握る。


悠真 7:23

……出した


紗奈 7:23

嘘つかないで


どこで分かるんだ、と悠真は洗口を終えながら思った。文字だけのやり取りで、なんで分かるのか。十年以上の付き合いというのは、もはや念話に近い。


悠真 7:24

朝飯食いながら書く


紗奈 7:24

15分で来るから、急いで


返信する間もなく、スタンプが届いた。ハムスターが走っているスタンプ。


 悠真はそれを見て、一度だけ笑った。


 朝食は食パン一枚だった。レポート用紙をテーブルに広げ、左手でペンを動かしながら、右手でパンをちぎる。母親はもう仕事に出ていて、家には悠真一人だった。


 生物のレポート。テーマは「細胞分裂のしくみ」。


 写してきたノートを見ながら書き写す作業は、考えているのか考えていないのか、自分でも分からない。手だけが動いている。


 七時三十八分。


 インターフォンではなく、玄関のドアが直接開いた。


「悠真、鍵開いてた」


 紗奈だった。


 柊紗奈は玄関先に立って、悠真の食卓を一瞥した。散らばったレポート用紙と、半分残ったパンと、ペンを持ったまま固まっている幼なじみ。


「……やっぱり」


「入ってくるなよ」


「十年以上入ってるから今更でしょ」

 そう言いながら、紗奈は上がり込んできた。鞄を椅子にかけて、悠真の手元を覗き込む。


「どこまで書いた?」


「三分の一」


「何行?」


「六行」


「規定は二十行でしょ」


「分かってる」


 紗奈はため息をついた。呆れと諦めが混ざったような、しかしどこか慣れきった音だった。


 彼女は自分の鞄から一枚の紙を取り出した。


「はい」


 悠真は受け取る前に、その紙の上段を読んだ。


 自分の名前があった。


「……待って、なんで俺の名前が」


「書いてあげた」


「お前が?」


「二十分で書けるから、いつもの五倍のスピードで書いたの。見直しはしてないから、先生に疑われたら自分でなんとかして」


 悠真はしばらくその紙を見つめた。


 紗奈の文字ではなかった。悠真の文字に近い、少し雑なブロック体。真似て書いてくれたらしい。


「……なんで」


「なんでって、困ってるから」


「頼んでないけど」


「頼まれなくても分かる」


 紗奈はもうこちらを見ていなかった。鞄を確認しながら、独り言のように言う。


「毎週月曜の朝にレポートの話しないと気づかないの、学習しないよね。去年から言ってるのに」


 悠真は何も言わなかった。


 言えなかった、というより──言う言葉が見つからなかった。


 ありがとう、は違う気がした。いつも言いすぎて、もう軽くなってしまった言葉だから。


「行くよ」と紗奈が立ち上がった。


 悠真はレポートを鞄に突っ込んで、残りのパンを口に押し込んだ。


 六月の朝は湿っている。


 梅雨の合間の晴れだったが、空気にまだ水分が残っていて、歩くたびに肌に絡みついてくる。


 悠真と紗奈は並んで歩いた。


 どちらかが半歩前を歩くこともなく、かといって手を繋ぐわけでもなく、ただ肩の高さが揃うくらいの距離。十年以上かけて調整された間隔は、もう意識しなくても保てるようになっていた。


「昨日、何してた?」


 紗奈が先に言った。


「部活終わって、帰って、ゲーム」


「ゲームしてたならレポートする暇あったじゃない」


「ゲームしてる時間にレポートはできない」


「なんで」


「脳の使う場所が違う」


 紗奈は少しだけ笑った。鼻から息を抜くような笑い方。


「悠真のそういう謎の理論、昔から変わらないね」


「合理的だと思ってる」


「全然合理的じゃない」


 しばらく無言で歩いた。


 信号を一つ渡る。横断歩道の白線が、六月の光を反射して白すぎるくらい白かった。


 向かいから来た女子二人が、悠真たちを見て何かを囁き合っていた。気づかないふりをしたが、聞こえた。


 また朝比奈と柊さんだ。仲いいよね、あの二人。


 いつものことだった。


 悠真も紗奈も、そのことについては何も言わない。言う必要も、言いたいことも、特にない──と、少なくとも表向きはそういうことになっていた。


「今日の放課後、図書館行く?」と紗奈が聞いた。


「英語の課題あるんだっけ」


「提出来週だけど、早めにやっとこうと思って」


「俺も行く」


「ちゃんと自分でやって」


「一緒にやるじゃなくて?」


「一緒にいるけど、答えは教えない」


「厳しい」


「甘やかしすぎてるのは知ってる。でも英語の読解は自分でやった方が絶対いい。入試に出るから」


 悠真は黙って聞いていた。


 紗奈のそういう言い方──押しつけがましくなく、でもちゃんと相手のことを考えている言い方──が、昔から好きだった。


 好き、という言葉を、悠真はあまり深く考えないようにしていた。


 考え始めると、どこかに辿り着いてしまう気がして。


 校門が見えてきた頃、後ろから声がかかった。


「悠真ー! 紗奈ちゃん!」


 振り返ると、真島恒一が小走りで追いかけてきていた。ネクタイが曲がっている。鞄が片肩にずり落ちている。いつも通りだった。


「遅い」と悠真が言った。


「ごめんごめん、コンビニ寄ってた」と恒一は息を切らしながら追いついた。「二人は早いなー、朝から仲いいこと」


「そんなんじゃない」と悠真。


「そうだよ」と紗奈。


 二人の返しが重なった。


 恒一は面白そうに二人を交互に見て、何かを言いかけて——やめた。


 やめた、というのが悠真には分かった。恒一が何かを言いかけてやめる時の顔を、悠真はよく知っていたから。


「今日の一時間目、生物だろ」と恒一が話を変えた。「レポート出した?」


「出した」


「俺も! 昨日の夜ギリギリだったけど」


 悠真は何も言わなかった。


 鞄の中のレポートを、内側から感じながら。


 教室に入ると、窓際の席から朝の光が差し込んでいた。


 悠真は自分の席につき、鞄を置いた。


 紗奈は三席隣に座った。距離にして、二メートルくらい。遠くもなく、近くもない。


 紗奈は席についてすぐ、教科書を出して読み始めた。予習か、それとも復習か。どちらでもおかしくない。


 悠真はその横顔を、二秒だけ見た。


 二秒で、目を逸らした。


 それ以上見ていると──何かを、思ってしまうから。


 何を思うのかは、まだ自分でも分からな

い。


 ただ。


 (紗奈が隣にいると、落ち着く)


 そう思うことは、ずっと前から変わっていなかった。


 それが何なのかを、悠真はまだ、考えないことにしていた。


 一時間目のチャイムが鳴った。


 六月の朝は、今日も変わらずに始まった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ