看破、ここからが本番
看破、してしまった。
類似例もない、対処法が存在しない、未知の怪物と敵対してしまった。
恨むぞ数秒前の僕、お前が変な衝動に駆られなければ、命の危機に瀕することもなかったろうに。
「人間模倣は完璧であると、相当な自信を持っていたんだけどね。なにしろ、この大学入ってから一度も指摘されたこともないし、私を観測したのはそれこそ君ぐらいなもんだからね」
「僕を、知っていたのか」
「当たり前だろ?入学早々廊下を爆走するような珍獣を調べないわけにはいかないだろ?」
深淵を覗いている時、深淵もこちらを覗いている。ってわけだな。
今後の教訓としよう。
特異的な容姿をしている人物がいても、足を止めて凝視をするような真似をするのはやめろと。
「どうやら、その本で私を看破できたと見える。どれ、私にも見せておくれよ」
彼女が、いや勿忘草が手を伸ばす動作をするとともに、周囲の蔦がこちらにジリジリと詰め寄る。獲物を囲って、狩りを行う肉食動物のように。
「名前」
「うん?」
「名乗りを上げたろ、初対面の時に」
「あぁ、そうだね。だって、人間は個人名をひけらかして、宣誓する生き物だ。だから、私もそれに倣ったまでだよ」
「2度名乗らねぇんだよ、普通はな」
僕は与えられたヒントそのまま、勿忘草へと言い放つ。すると、それは肩を振るわせる。
「はっはっは!これは、傑作。いや、駄作というところだろうか」
そうかそうかと紫苑らしくもない豪快な笑い声を上げながら、勿忘草は手を叩く。
「だってそうだろ?名前ってのは、人間が生まれた直後から持っているものだから、いわばアイデンティティの象徴みたいなものだ。そのはず。私ら怪異は個人名なんてものはないからねぇ、まさか人間らしい行動をしたつもりが、墓穴を掘っていたとは。いやはや、人間とは奥深い」
「名前、あるじゃねぇか。勿忘草って」
「それはあくまでも現象名だ。犬で言えば柴犬で、猫で言えばマンチカン。いわば、種名で読んでるようなものさ」
時間稼ぎも意味をなさないな。
ここまで囲われてしまっては、どう足掻いても縛り上げられて終わりだろう。
このままじゃ、詰将棋の王将のように、逃げ惑うことすらもできなくなっちまう。
だが、必至に近いこの盤面をどうやってひっくり返しゃいいんだ。
「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「いいよ、命乞いはいくらでも聞くよ。私はそこまで、狭量な人間じゃない、と思っているからさ」
「そうか、そりゃ助かるよ」
カバンの中から一枚の紙を引き摺り出す。そこにあるのは、ミステリーサークルの暗号。
「なんで、ミステリーサークルに依頼を出したんだ」
これは、時間稼ぎではない。
単純な疑問だ。
紫苑の話を聞いてから思ったことだが、怪異という特殊現象に巻き込まれているなら、ミステリーサークルみたいな素人集団ではなく、それを専門とする奴らに解決をして貰えばいいのではないかと。結局中身が怪異ではあるため、それをするわけにはいかないことは理解できる。
だから、これは単なる興味だ。
「そうだね、それぐらいは答えてあげてもいいけど」
勿忘草は肩をすくめながら蔦を指差す。
「私の能力。勿忘草という怪異現象の本質、君は知っているか?いや、知らないのか。ならば、予測はできるかい?」
勿忘草…か。
字面から察するに、記憶に関するものだと思うが、それぐらいしか思いつかない。というよりも、思いつきようもない。
「ぶー、時間切れ。どうせ、記憶の〜とか、その程度しかなかったんだろ?君は長文問題は得意でも、一問一答は苦手なようだからね。さて、そんな君に、ミステリーサークル会員になる予定の君に、最大限の侮辱を与えようじゃないか」
そう言いながら、彼女は本の山へと歩き、その中に手を突っ込む。あーでもないこうでもないと言いながら、一つの本を取り出して、そのまま対面していた机へと本を放り投げる。
その本は中身を晒すために、空中で勢いよくパラパラと捲られる。
僕は、言葉の真意を探るために、開かれ続けるページの数々を見逃さまいと、一気に流し見する。
そして、ドスンと音を立てながら本は机に着地する。
「……………っ」
本が開かれた時間は一瞬だった。
だが、その一瞬で僕は彼女の真意に辿り着き、それとともに全身が総毛だった。
「情報の吸収・・・・・か」
真っ白だった。
開かれたページそのどれもが、文も、熟語も、単語その全てがなくなっていた。
これだけでは抹消と思ったが、その思考を修正するに至ったのは今現在机の上で開かれているページにある。
それはほぼ全てが余白であるのだが、その端に黒い塊がまとまっている。
目を擦らなくともわかる。それは、間違いなく文字だ。
そして、その本の端の先に蔦が引きちぎられたように、欠片が残っていた。
「……随分と、酷いことするじゃねぇか。ここにいるのが僕以外なら、憤慨されてもおかしくないぞ」
僕は陵辱された本を閉じて、怪異へと反論を述べる。ただそれは虚しく、意味のないことだった。
「何を言っているのかわからないな。知識を蓄えることは人間誰しもやっていることで、私はその真似事をしたに過ぎない。それに、どうせ君らは本を新しく出しても、古本だなんだとずらりと並べておきながら、結局は邪魔だと燃やすじゃないか。私は、それを有効活用したに過ぎない。どうせ、図書館に並ぶのも骨董品だろ?だったら、処分しただけありがたいと思ってもらいたいね」
勿忘草は周囲の蔦を操り、再び本の山へと登っていく。僕の方を見ながら、僕のことを見下しながら。
頂上に着くとゆっくりと座って足を組み替えて、冷静に僕を見下ろす。
「さて、命乞いは以上かな?そろそろお腹が空いてきてね、食事を取らなきゃなんだ。添加物まみれの加工食品はそろそろ飽きてきたし、味変で生物を食べたい気分なんだ」
勿忘草がそう告げると、本の山の後ろから無数の蔦が姿を現す。そのどれもが獲物を捕捉して、涎を垂らした獣のように、今か今かと蠢く。
「文字通り、自然の摂理というものだよ。悪く思わないでくれよ?それに、私の正体を知った人間を、生かして返すわけにはいかないんだ。だから、死んでくれ」
彼女が手を振り下ろすとともに、蔦は一斉に獲物を襲う。周囲一体から伸びる蔦は逃げ惑う時間を与えず、逃げ場を埋め、やがて一つの繭を作り出す。
いただきますとも、ご馳走様も必要ない。
なんてことのない普遍的な面白味の欠けた食事。
勿忘草はそう思っていた。そう機械的に思った。
獲物が、何もしなかった、という違和感を諦念だと決めつけて。
「僕からも、問題をくれてやる」
「………っ!?」
そう言って、抹消したはずの、吸収したはずの存在が、繭の中から元気そうに声を上げる。
「窮鼠猫を噛むって、どういう意味か知ってるか?」
その言葉とともに、獲物はその手の中にある一本のナイフを煌めかせながら、繭の中から脱出を成功させる。
「なっ……」
「数秒ぶりだが、随分と愉快な顔をしてくれるじゃないか。それでわかったかよ、さっきの単語の意味」
あっぶねぇ。まじで、よかった。
暗号をバッグから取り出した時に、ナイフも取り出しといて成功だったな。流石に片手で二つのものを掴むなんて難しい芸当だったが、紙であることだ救いだったな。
しかし、攻撃はある程度予測できたからいいものの、こうやって煽った後にどうするかまでは決めてねぇな。
どうしよう。
まぁいい、ここからは仮説もクソもあったもんじゃない。はったり上等、それでいかせてもらう。
「見上げながら見下すなんて、随分と器用なことをしてくれるじゃないか。一度防いだぐらいで調子に乗って。人間のくせに、天狗になってどうするのさ」
勿忘草は手を翳し、次々と蔦を差し向ける。だが、一本一本削ぎ落としながら獲物はしぶとく生き残る。掠めてはいるが、絡め取れなければ、勿忘草の能力から逃げ切れる。
そんな攻撃の暴風雨に晒されている最中、息を切らしながら獲物は口を開く。
「本質は情報を奪うって言ってたよな。でもそれは、能力であってお前の核心じゃねぇよな」
ここからはハッタリだ。
推論の飛躍だ。
でも、なんとなく、間違いじゃないと思う。
「本質は植物だ。つまり、お前は根を生やしたこの場、要は図書館から動けないんじゃねぇのか?」
「…………っ!」
まな板の前の食材だったはずなのに、手の中でぴちぴちと跳ねるだけの魚だったはずなのに、いつの間にか腕をすり抜けて………。
「凡人らしく、逃げさせてもらうぜ。今の僕に、お前は倒せそうにないからな」
「……………」
受け入れきれない現状に、勿忘草は数秒間フリーズする。だが、現実逃避は数瞬にとどまり、再び蔦を動かす。
「逃すかぁ!」
右、左、上、下、上、右、下!
ゲームのコマンドのように、迫り来る蔦を矢継ぎ早に切り払う。
死ぬ死ぬ死ぬ。
全身全霊、全力全開で、命を掴み取る!
「ウオオオオオ!」
数十度の命のやり取りの末に、数歩先に図書館の出口を発見する。僕はそれを視界に収めた瞬間、ニヤリと笑いながらこちらを憎しみのみで見据える勿忘草に、言い放つ。
「僕の、勝ちだ!」
そう言って出口へと滑り込むと、謎の空白に蔦は阻まれ、廊下に出た僕を襲うことはなかった。
「はぁはぁ、このナイフすげぇな」
数十本の蔦を切ったはずだが、切れ味は少しも落ちることがなく、しかも紙切れのように当然の如く切っていた。このナイフじゃなければ、僕はあそこで………。
考えたくもないな。
「だが、どうしたもんかな」
疲労感とともに虚脱感が全身を襲う。だが、図書館の付近で寝そべる豪胆さは兼ね備えてはないため、全身を引きずりながら外へと出て、近くにあったベンチへと寝そべる。
「どうすりゃいいんだ、あんな化け物」
あぁーと疲労を包み隠さず声に出しながら夕焼けをしばらく眺めていると、唐突にベンチの背面から影が差した。
「お疲れ様、後輩君」
僕はこの呼び名で察したが、流石に今は濃いものを食べると胃もたれを引き起こすため、即座に目を閉じて無視を決め込むことにした。
「おーい、起きてるんだろ?後輩君よぉ」
無視だ。無視無視。
たった一度あった人物を無碍に扱うのは心が痛むが、おちょくるような真似事をする人には、このぐらいの対処でいい。
「先輩にナイフの使い心地を聞けって言われたんだけどな。寝てるのか、ならしょうがない。ならば、こうしよう」
こうしよう?
僕は疑問に思った瞬間、
「「「「「「ギャー」」」」」」」
女の悲鳴が聞こえた。
え?何、僕何されるの。
公開処刑?
そんなことを思いながら、恐る恐る目を開けると、そこには案の定御厨先輩の顔があった。
なんでと思ったが、見渡せば瞭然だった。
お姫様抱っこされていた。
公開処刑だった。
「起きたかい?愛しのマドモアゼル」
「誰やねん」
はっ、つい似非関西弁ツッコミしてもうたがな。
「知らないのかい?マドモアゼルってのは、姫って意味があるんだーー」
「いや、それは知ってますよ」
あー、突っ込んでしまった。
もう、話す気力なんてないのに。
「お疲れなようだね。寝てなよ。今日私がやるのは、モデルとしてじゃなくてただの運び屋だから」
「そうですが……、それじゃ、お言葉に、甘えて……」
そこで、ブツンとブレーカーの電源を落としたように、僕の意識は消えた。
脳も肉体も様々なストレスと疲労に晒されていた影響だろう。
…………。
…………。
…………。
僕の意識が回復するには、それこそ8時間かかったのだろう。なぜわかったって?それは僕が体内時計で時間を把握できるからだ。
さて、どこかに運ばれていたようだが、そこの行き先を確認する前に、僕の意識が途切れたわけだが。どこだろう。
僕は再び、恐る恐る目を開く。
そこには、春夏秋冬先輩の顔があった。
「やぁ、探求者君」
「…………っ」
頭の後ろに、何やら柔らかい感触がある。
左耳には先輩のお腹の感触があり、覗く顔はわずかに発達した胸に隠れている。
つまり、僕は今膝枕されている。
え、なんで。
「怪異との初戦闘だったようだからね、こちらで回収させてもらったのさ」
あ、そうか。
心読めるのか、この人。
「そうだよ、正真正銘の読心術さ」
僕はどうやら未だ疲労感が薄れないようだ。
この声を出す必要のない便利な状況に甘んじているんだから。
「いいんじゃないかい?君は、自分で彼女が怪異であると看破したんだ。つまり、私らのサークルの門戸には立てた証拠だね」
何言ってんですか、僕一人だけでは……うん?
なぜか左手に違和感があることに気づいた。急ぎ持ち上げて確認すると、それは勿忘草と対面時に落ちてきた紫色の本だった。
「………っ!?」
見た瞬間、僕はギョッとした。
なぜなら、その本は僕が握っていたわけではなく、本と手が蔦でぐるぐる巻になっていたからだ。
勿忘草の新手の攻撃かと思ったが、そのつもりがあるのなら、気絶していた8時間で僕はどうにかなっているだろう。
そう結論づけ、よくよくその本を見てみる。
表紙全体が紫色の中に何かの花であろう紋様がそこには刻まれていた。
表裏どっちも確認したが題名がないため、文字が欠けてしまうほどの古い本なのかと思ったが、それは次の瞬間裏切られる。
なぜかは著者名を見れば瞭然だった。
そこには、『黛紫苑』と書かれていたのだから。
「情報は出揃ったね。さて、そろそろ長文問題を解こうじゃないか。君、得意なんだろ?」
春夏秋冬先輩は僕に有無を言わさないと言う圧を感じさせながら迫る。
そして、
「勘弁してくださいよ」
僕はため息まじりにそう答えた。




