断章、理想と現実の狭間で
完成もない、完璧もない。
あるのは未熟で未完成。
必要分だけしか摂取しない食事と、適切な運動量によって維持される体型。理想と現実をないまぜにしながら徹底管理していく日々。
私は気づくべきではなかった。
無知蒙昧でいるべきだった。
無個性を強いる実家を出て、個性に陽が当たる職業選択をしたはずなのに、それがまるで理想像という無個性に近付いているんじゃないかと。
そんな疑いはモデルとして売れていくたびに、完成していくたびに、多くなっていく制約の数だけ増えていった。
決定的だったのは去年の10月。
それは『モデル』としての完成度を競う、ミスジャパンの大会当日に起こる。
「…………あぁ」
午前5時。
上り切らない朝日を横目に私は目覚める。
起きぬ頭を掻きたい衝動に駆られるが、整えてきた毛並みを崩すのをためらい、伸ばした手は空を切る。やがてベッドから足を下ろし、ポットに市販の水を入れてスイッチを押す。そのまま洗面所へと移動し、人差し指で温度を確認し、ぬるま湯になってから顔を洗う。
手を合わせて器を作り、蛇口から落ちてくる水を受け止め顔へぶつけていく。それを幾度か繰り返し、近くにあったタオルを雑に掴み取って顔を拭く。
「…………………はぁ」
やはり、やはりか。
私はそう思いため息を吐く。
正面にあるのは鏡。
その鏡の中央に映るのは、動く白飛びした空白。
そう、私の顔である。
これを初めて見た時は顔が無くなってしまったんじゃないかと焦り、生涯初めて病院に駆け込むことになった。顔であろう箇所を両手で何度も確認する様を見て、医師は少しばかり可哀想な目で見ながら口を開いた。
心の病。と。
そんなわけないじゃないかと即座に反論を試みたが、言葉を発することはできなかった。どうやら思い当たる節があったようだ。
いや、そんな上っ面な言葉で誤魔化しても仕方ないだろう。認めるしかないのだ。
自分の中身が乖離していたことを。
「今後のこと……………」
医者は何かを話していたようだが、自分に失望した私には何も聞こえなかった。
ただ相槌を打つ機械となって、千鳥足で病院を出た。
そんなこんなで半年、私の顔はこのまま。
きっともう変わることはない。
仕事を辞めるのも一つの決断としてはありだが、それができる状態にはもうなかった。あともう少しでその道を極められるというのに、今更別の道を行こうなどと、それこそ今までの努力に水を差す行為に他ならない。
もしかしたら実家を出たことも無意味になる。そんな怖さが私の背後をつきまとう。
だから、目の前の道を歩くしかない。
そんなわかりきった結論を下したあと、洗面所を後にする。
タイミングを見計らったように、ポットがピーっと音を立ててスイッチを自動的に切る。
洗ってあったコップに注ぎ、胃が熱で驚かないようにゆっくりと嚥下する。
水を飲みながらひとしきり天井を仰いだ後、オートミールを器に注ぎ、ヨーグルトやフルーツを机に並べる。
「いただきます」
手を合わせ、スプーンで掬って食べる。
美味しくない。
こういう完全食に美味しさを求めてはいけないことはわかっている。味気ない食事に、胃を満たさない量、人間の三大欲求であるところの食欲を杜撰にする行為。
けれど、数年もやってれば文句もなくなる。
そんなことを考えながら食べていると、充電中のスマートウォッチからアラーム音が鳴る。
「………そろそろか」
積み重なる服の上にパジャマを放り投げ、クローゼットにかけてある服を雑に取り出す。
私は常々思っているが、服を着る時というのはどうしても暇な時間になる。
それは誰が着せて着ようとも。
だから、ボタンを留めている時は、その視線は服ではなく家の中へと向けられる。
辛うじて水回りは綺麗にしているものの、散乱した服があるのはいただけない。けれど、それを直そうともしないのは、私が病んでいる証拠に他ならないんだろう。
「よし、終わった」
でも、もういい。
この大会が終われば、こんな不安定さもなくなるだろう。
⬛︎
ワーーーーッ。
歓声が轟く会場。
席を貫くように、ステージから会場中央まで伸びるランウェイ。そこには番号順に呼ばれたモデルが一人一人自分の肉体を誇らしげに披露していく。
観客が唸りを上げる会場の奥の端、その控え室に御厨久遠はいる。
「あと、6番……………」
ただ歩くだけ。たったそれだけ。
そんなことに、私は緊張しない。
「大丈夫だよ、みくりんはいつも通りがすごいんだから」
「ありがとう、冷ちゃん」
大会だろうと、仕事だろうと、いつも通りメイクアップは冷ちゃんの仕事。
冷ちゃんは多分私の異常をわかっている。
わかっているけれど、私が吐き出さない限り何も言わない。自己完結への信頼でもあり、踏み込まない優しさでもある。
彼は、大人だから。
それでいい。それでいいんだ。
いつも通りに仕事をしてくれて、
いつも通りの仕事をすれば、
私は完成する。
それでいいんだ。
「終わったよ、みくりん」
ゆっくりと顔を上げる。
鏡には首から下の胴体のみ。
だけど、きっと大丈夫だ。
「行ってくるよ、冷ちゃん」
控え室を出て、ランウェイに向かう。
廊下の端にモデル達が百面相をしながらずらりと並んでいる。それを見ることもなく、自信ありげに胸を張りながら間を悠然と歩く。
「久遠だ」「久遠さんだ」「実物綺麗」「ま、眩しい」
争う場で、憧れを口にするのか。
私からすれば負けましたと言ってるように聞こえる。
「……………大したことはないな」
舞台袖へと言葉を吐き捨て、ステージへと。
「エントリーNo.19 御厨久遠!」
登場とともに会場のボルテージは二段階上がり、轟く歓声は地を揺らすほどのものへと変貌する。ランウェイに繰り出される一歩一歩に大衆は視線を向け、その表情に釘付けになる。やがて会場の中央、ランウェイの終わりで止まり、ポーズを極める。
瞬間、地鳴りは止む。
振り返り様にウィンクをして、ステージへとモデルは帰っていく。
それでやっと呼吸をすることを許される。
再び歓声は上がり、世界は音を取り戻す。
そんな大盛況なミスジャパン大会。
優勝はもちろんーーーー。
⬛︎
次の日。
「……先輩」
顔を上げると、そこには不満そうな顔をした後輩君がいた。
「うん?君、休みに大学に来るような真面目君だっけ」
「あんたが呼び出したんでしょうが。今からなんかするから手伝ってって。ったく、目的も明かさずに先輩のとこに来るやつなんか、僕ぐらいなもんですよ」
ぶつぶつと文句を言いつつも、ベンチの隣へと座る。何か連絡事があったのか、携帯を操作して『用事が出現したから行けるかわからん』と、誰かにメッセージを送っていた。
「君、存外暇だよね」
「帰りますけど」
仏頂面をする後輩君をよそに、私は自慢するために持ってきた透明なトロフィーを取り出す。
「ほれ、これ」
「何ですこれ」
「トロフィーだよ、大会の」
「なんかあったんすか」
「何かはあったんだよ」
ふーん、へー、と言いながら後輩君はトロフィーを見回すが、これと言って感心してる様子もない。
「すごい………んじゃないっすかね?」
「何で疑問系なんだよ」
「いやだって何もわからんし。ミスジャパンとか印字されてますけど、日本を女の子に擬人化表現するための選別会ってことですか?それに優勝したんですか?」
「そんな特異的な大会はゲームだけで十分だよ」
後輩君は一通り見た後、トロフィーを返す。
どうでもいいと言わんばかりに。
「後輩君」
「何ですか」
「君は自分の選択を後悔したことはある?」
「らしくないセンチっすね。ありますよ、そりゃ何度も。というか、そもそも怪異事件に首突っ込むこと自体後悔しまくってますよ」
飄々と後輩君は言う。
「というか、後悔しないことなんてないでしょ」
「ふーん、その心は?」
「後悔しないなんて、そんなものは何もしない奴か綺麗事ばかりを述べる中身のない馬鹿野郎だからですよ。結局何をどう選択しても、それが最善手ではないことは毎回だし、そう感じてもそれは常に後付けですよ。というか、人間の時点でそれは決まりきってるようなもんですよ」
仰いでいた空から私へと視線を向け、気だるげながらも口を開く。
「だって、人間はいつだって間違えますから」
その言葉はどこか他人行儀だったけど、経験則からも来ているような気もする。
「先輩はもっと………………」
そこから先の言葉は覚えていない。
でも、今でも思う。
それを覚えていれば、こんなことになっていなかったと。
⬛︎
「……………?」
気づけば、私はベッドで寝ていた。
リンゴーンリーンゴーン。
学校のチャイム。
どうやら、大学の保健室らしい。
「私は何を」
脇に置いてあるのはいつも教科書やらノートやらを入れているバッグ。
「倒れたのか」
仕事の疲れか、それとも大会のものが尾を引いているのか。
「鍛え方が足りないな」
思わず漏れたそんな言葉に、私も案外体育会系だと知る。早速ベッドを降りようと置いてあった靴に足を通した時、それは聞こえる。
「「「「キャーーーッッッ!!!」」」」
近くで聞こえる女子の黄色い歓声。甲高い声に寝起きの頭は耐えられず、目を細めながらカーテンを開けると、そこには。
「シーーーッ」
人差し指を唇に当て、囲む女子を促している、御厨久遠がいた。
「は?」
目の前から襲う情報に思わず間抜けな声が出たが、咄嗟にカーテンを閉めて、ベッドにもう一度座り直す。
「どういう………こと………」
驚愕のあまり、疑問が乱立し、思考が乱れる。
しかし、経験則から即座に結論は出る。
「これは、怪異か」
再び確認しようとカーテンを僅かに開けて、その隙間から様子を探る。
すると、御厨久遠は興奮する女子を宥めながらも、こちらを見てニヤリと笑う。
そしてわかりやすくゆっくりと口を開く。
『偽物』と。




