─第5章─4話「激痛」
【城ヶ崎杏樹の受難】
「後攻、城ヶ崎杏樹ッ!」
名前がコールされると同時に、杏樹は満面の笑みで叫んだ。
「よろしくお願いしまーーーす!!!!」
可愛らしく、どこまでも透き通る声が、広大な全国大会の会場の隅々まで響き渡る。
しかし、直後に鳴り響いたのは、その爽やかな声とは対照的な、地を這うような重低音だった。
ズン、ズン、と心臓を直接叩くようなビート。
「…………ッ!」
杏樹の表情から愛想がスッと消え、好戦的で不敵な笑みが浮かぶ。
今回は、朝陽ノフォールカップで見せた『秘策』のマントはない。身一つでの勝負だ。
城ヶ崎杏樹が踊り出す。
師匠である由比ヶ浜ケイから徹底的に叩き込まれた「洗練された基礎」。
そこに彼女の爆発的な「パワー」が乗ることで、そのダンスは空間を鋭く切り裂く刃となる。
空気が悲鳴を上げるような、鋭く、そして重い一撃。
(……?)
激しいステップを踏んだ瞬間、杏樹は右足の裏に微かな違和感を覚えた。
何かが、ほんの数ミリだけズレるような奇妙な感覚。
だが、思考を巡らせる暇はない。曲は一気にサビへと突入していく。
姉・莉杏の動きを研究して取り入れた「空間支配」を展開する。
しなやかで、それでいて強引に空間の座標を捻じ曲げるようなムーブ。
観客はその圧倒的な迫力に完全に呑まれ、ただ口を開けて見入っている。
舞台袖。
その光景を、一人の少女が祈るように見つめていた。
「……転けろ……!!」
『何か』が起こらなければ、吉野カナメに勝ち目など万に一つもない。
恥をかけ。失敗しろ。そして私の勝ちになれ。
嫉妬と自己保身にまみれた歪んだ願望が、カナメの口から呪いのように漏れる。
曲のクライマックス。
杏樹が手足を大きく使い、助走をつける。
ロンダート、バク転、そこから高く跳躍しての豪快な前方宙返り(フロントフリップ)。
高さ、回転速度、空中姿勢。全てが完璧だった。
(よしッ……!)
杏樹が着地の体勢に入る。
全体重と凄まじい遠心力が、ブーツに集中する。
バシュッ!!!!
嫌な音が響いた。
カナメが接着剤で誤魔化していたソールが、強烈な負荷に耐えきれずに完全に剥がれ、大きくズレたのだ。
「――ッ!!?」
着地の瞬間、支えを失った右足首が、ありえない方向へグニャリと曲がる。
脳天を突き抜けるような激痛。
顔が苦痛に歪む。体勢が大きく崩れ、誰もが無様に転倒すると思った――
「きた……!」
カナメが思わずガッツポーズをした、その刹那。
杏樹の身体が、地面に激突する寸前で回転した。
転倒のエネルギーを力任せに殺さず、そのまま柔道の前回り受け身のようにクルリと前転。勢いを前方へ逃し、片膝をついて見事なフィニッシュポーズを決めたのだ。
咄嗟の判断。
驚異の反射神経と、ブレない体幹の強さが、最悪の大事故を一瞬の機転で「ダイナミックな演出」へと昇華させてみせたのだ。
「ふぅ……ッ」
曲が終わり、杏樹は思わずポーカーフェイスを崩して荒い息をついた。
嫌な汗が頬を伝う。
会場からは、その迫力満点のアクロバットに対し、割れんばかりの大拍手が送られる。
ほどなくして吉野カナメが、アナウンスに促されてステージに呼び込まれる。
彼女の顔は、ひどく引きつっていた。
メインモニターに、無情な結果が表示される。
吉野カナメ:【430ポイント】
城ヶ崎杏樹:【471ポイント】
勝者:城ヶ崎杏樹
予選の481ポイントからは大きくスコアを落としたものの、それでも格の違いを見せつける、文句なしの圧勝だった。
「はぁ……」
カナメは深いため息をついた。
結局、『怪物』は倒せなかった。
「ありがとーーー!!!」
杏樹は満面の笑みで観客に手を振る。
そしてカナメに向き合って、健闘を称えるように右手を差し出した。
「カナメさん、また一緒にステージやろうね!」
「は、はいぃ……」
こうして、杏樹とカナメの1回戦は、表向きは華やかに幕を閉じた。
しかし。
歓声から逃れるように楽屋へ戻り、重い扉を閉めた瞬間。
杏樹は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「っ……うぅ……ッ!」
震える手でブーツを脱ぐ。
ソールが半分剥がれかけたブーツの中から現れた右足の足首からかかとにかけて、赤黒く大きく腫れ上がっていた。
ステージ上のアドレナリンが切れ、激痛が容赦ない津波のように押し寄せてくる。
超新星・城ヶ崎杏樹は、理不尽な『受難』に見舞われていた。




