─第1章─28話「王者の威厳」
【由比ヶ浜ケイの受難】
舞台袖の御空は握り拳をグッと握りしめ、ステージを睨みつける。
準決勝の第1試合が幕を開ける
【先攻:御空ユミ】
青を基調としたスタイリッシュな和洋折衷の衣装でステージに現れた御空ユミ。
「行くよ……!!」
バッッッ!!!
ステージが一瞬にして血のような深紅に染まる。
スタートとともに、鼓膜を突き破るような爆音のエレキギターと、ツーバスのドラムが刻む超高速のビート。
BPM200を超える『メロディック・スピードメタル』。
「――ッアアアアアアッ!!!」
普通なら、楽器隊の凄まじい音圧にボーカルがかき消されるか、あるいはその速度に喉が追いつけず自滅する。
しかし、御空ユミは違った。
彼女の喉は、その爆音をさらに上回る出力で会場を制圧し、複雑なメロディラインを完全に乗りこなしていた。
ダンスも、これまでの彼女とは違う。
坂本雅から学んだ基礎、由比ヶ浜ケイと磨いた分析力。それらが「勢い任せ」だった彼女のパッションに「理」を与えていた。
髪を振り乱し、鋭く、速く、そして正確に。
(届く……! 今なら、あの領域に……!)
観客の熱狂が渦巻く。
御空ユミは、確かにその指先を「神の領域」にかけていた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
全力を出し切り、確かな手応えを感じて舞台袖に戻る御空。
やりきった。これなら、あの神野愛理にだって届くはずだ。
そう確信し、顔を上げた瞬間。
「……なっ!?」
そこで目にした、これから出番を待つ神野愛理の姿に、御空は驚愕した。
「…………」
そこにいたのは、いつもの太陽のような愛理ではなかった。
青を基調とし、金色の紋章のような刺繍が施された、騎士の礼装を思わせる重厚で落ち着いた衣装。
彼女は静かに目を閉じ、片手を胸に当て、マイクを口の前で祈るように握りしめていた。
その立ち姿から放たれる冷たく研ぎ澄まされたオーラは、紛れもなく「クール系アイドル」のそれだった。
【後攻:神野愛理】
元天才子役。劣化。誰かの下位互換。
そんな戯言を完全に払拭するまで、彼女は止まらない。
No.1しか求めていない最強のアイドル、神野愛理。
今の彼女は、ただの勝利ではない。「相手の土俵で、相手を上回る絶対的な勝利」しか欲していなかった。
ズゥゥゥゥゥゥン…………
イントロが流れる。
ユミと同じ、爆音のエレキギターとドラム。
しかし、その音圧はユミのものよりもさらに重く、腹の底に響く。
『シンフォニック・ドゥームメタル』。
ユミが「速さ」なら、愛理は圧倒的な「重さ」と「荘厳さ」を選んだ。
「――――」
愛理が口を開く。
ユミよりも遥かに響き渡る、しかし全く煩いとは思わない。
聴く者の思考を停止させ、強制的に聴き入らせてしまう、深淵なるクールビューティーな歌声。
そして、ダンス。
重く遅いリズムの中で、愛理が動く。
ブンッ!!
高い位置への回し蹴り。
そこから流れるような美しい回転。
かと思えば、サビの爆発に合わせて鮮やかなバク転を決め、会場を沸かせる。
言ってしまえば「力技」のアクロバット。
しかし、体幹が全くブレないため、それが野蛮な運動ではなく「至高の舞踏」に見える。
激しく動いても、声は1ミリも揺らがない。
神業だった。
「クール系アイドル」である御空ユミに対し、彼女の得意分野である「クール」で真っ向勝負を挑み、そして格の違いを見せつける。
それは公開処刑に近い、王の示威行為だった。
演奏が終わり、神野愛理が冷たく美しい表情のままフィニッシュを決める。
静寂。そして悲鳴のような歓声。
結果発表のためにステージに上がる御空…その表情からは魂が抜けていた。
投票結果がスクリーンに映し出される。
御空ユミ:24%
神野愛理:76%
大差。
愛理は結果を一瞥すると、業務的に完璧なファンサービスを済ませ、表情一つ変えずに颯爽と舞台裏へ戻っていった。
そこに「勝って嬉しい」という感情はない。「当然」という事実があるだけだ。
一方。
ステージに残された御空ユミは、スポットライトの中で呆然と立ち尽くしていた。
全力を出した。過去最高を更新した。
それでも、自分の得意分野で、真正面からねじ伏せられた。
その残酷すぎる事実を噛み締め、彼女はしばらく動くことができなかった。
「ユミ……」
控え室のモニターで、神野愛理と御空ユミの戦いを見届けた由比ヶ浜ケイは、言葉にできない重苦しい感情を抱いていた。
それは『神野愛理への畏怖』。
あえて相手の得意分野(土俵)に上がり、それを上回る力で徹底的に叩き潰す。
それが可能な実力を兼ね備えている彼女への、底知れぬ絶望感。
そして、もう一つ。
「なんで、こんなやり方を……」
ケイは震える声で呟いた。
こんな公開処刑のような勝ち方をする必要はないはずだ。いつもの『ビッグバン』のような、圧倒的な「神野愛理」のパフォーマンスでも十分に勝てた。
なぜ、あそこまでユミのプライドを粉々にする必要があったのか。
ケイには、その真意が分からなかった。
重苦しい空気が部屋を支配する中、マネージャーの瓦幸慈がパンと手を叩いた。
「ま、まぁ、気を取り直していこ! 次は準決勝、相手は城ヶ崎莉杏先輩だよ!」
瓦は強引に明るい声を出す。
「冬季ライブでは凄かったけど、今回のトーナメントはずっと省エネモードで勝ち進んでるし! もしかしたらやる気ないかもしれない! ワンチャンあるよ!」
「……そうね」
ケイが少しだけ前を向こうとした、その時だった。
ガチャ……
ノックもなく、控え室の扉がゆっくりと開いた。
「………久しぶり……」
「「城ヶ崎莉杏先輩!?」」
ケイと瓦の声が重なる。
入り口に立っていたのは、次の対戦相手である城ヶ崎莉杏その人だった。
いつものように眠そうで、気配が希薄だ。
何をしに来たのか。宣戦布告か、偵察か。
ケイが身構えていると、莉杏はとぼとぼと歩み寄り、手に持っていた「何か」をケイに差し出した。
「………お菓子代………」
「…え?」
ケイの手のひらに乗せられたのは、ピン札の一万円札だった。
以前、購買部でカツアゲ同然に奢らされた、あのお金だ。
「………返した………」
「…あ、ありがとうございます」
あまりの拍子抜けに、ケイの全身から力が抜けた。
この人、本当にただ返しに来ただけなんだ。律儀というか、マイペースというか。
「………じゃあ………」
万札を渡して用は済んだとばかりに、莉杏は踵を返し、さっさと部屋を出ていこうとする。
「あ、あの! 準決勝ではよろしくお願いします…!」
ケイは慌てて背中に声をかけた。
敵とはいえ、礼儀は尽くすべきだ。
莉杏はドアノブに手をかけたまま、足を止めた。
「…………」
彼女の視線が、壁のモニターに向けられる。
そこには、勝者インタビューを受ける神野愛理の姿が映し出されていた。
「………次は、本気出す………」
「え?」
ケイが聞き返すと、莉杏はゆっくりと振り返った。
その表情を見て、ケイは息を呑んだ。
いつもの眠そうな瞳ではない。獲物を見つけた猛獣のような、光のない瞳。
口元には、ニヤリと好戦的な笑みが浮かんでいた。
「………戦ってみたくなった……神野愛理……」
バタン。
扉が閉まる音が、静寂に響いた。
その場に残されたケイと瓦は、しばらく動けなかった。
「本気を出す」
「神野愛理と戦いたい」
その言葉の意味するところは、あまりに明白で、残酷だった。
城ヶ崎莉杏にとって、準決勝の対戦相手である由比ヶ浜ケイなど眼中にない。
ケイは、彼女が愛理という「メインディッシュ」にありつくための、単なる「通過点」であり、踏み潰すべき「邪魔な小石」に過ぎないのだ。
あの冬季ライブで見せた「神の領域」。
あれが、最初から、フルパワーで、私に向けられる。
「ははっ…」
ケイの口から、思わず乾いた笑いが漏れ出した。




