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ランクSの炎術師、引退してバーのマスターになる。やってくるのが普通じゃないお客様ばかりで困るんだが?  作者: 秋津冴
第一章

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少女は姫巫女と遭遇する 前編


 ラーゲル通り128番地にたどり着いたのは、朱色の満月が王都の西の空に傾きかけた早朝だった。

 深夜と早朝の合間にあるこの時間帯。


 王都の城壁の外側にはそばを流れる運河から支流を引き込んでいる。

 東から流れて込んでくる暖かい海流と湾内に注ぎ込む大河の水がぶつかり合い、うっすらと沸き立った夜霧は霞となって月の光を天空に四散させる。


 朝焼けでもないのに真っ白な雲が緩やかな赤色に染まる様は幻想的で、王都の名物にもなっていた。


「こんな光景初めて見たかもしれない。綺麗……」


 王宮の中から、緊急時に利用する転移魔法を利用して王都の中に紛れ込んだアデルは、たまたま通りがかった辻馬車を拾いそれに乗り込んだ。


 こんな深夜だから、銀色の髪をしているからというだけで、彼女のことを姫巫女だと見抜く者は誰もいない。

 もっとも銀色の髪にアイスブルーの瞳の人間は、この王国には一般的にいて、アデルだけが特別というわけではなかった。


「もうすぐ着きますがね」

「あ、そう。ならそこで降ろして……もらえるか」

「へい、旦那」


 辻馬車の御者は眠たそうにそう言うと、ぴしりと馬に鞭をくれてやる。

 一頭建てのこの箱馬車は存外、乗り心地が良い。

 足元を固めるレンガの舗装路がきちんと管理されていることを示していた。


 目的地にたどり着くと御者が「つきましたよ」と一声かけてくる。

 アデルは提示された銅貨数枚を手渡して、軽やかに馬車を降りた。

 それが街角に姿を消すのを確認してから、ラーゲル通り128番地。


 そこに建つ、六階建ての灰色の建物にアデルは目を向けた。

 ここの三階に、エミーナが用意してくれた部屋があるという。そこは様々な住人が住む、集合住宅。アパートメントだった。

 入り口から入ると管理人がいるわけでもなく、誰が出入りしたかなんて監視する人間もいない。


 だけどアパートの住人からしてみたら誰がどこで何をしたかなんてある程度手に取るようにわかるのだろう。


「管理人がいないアパートなんてあるんだ」


 故郷のバーレーンではどこのアパートメントにも、必ず管理人が住んでいた。

 建物の平均が六階建ての王都に比べて、バーレーンのそれは二十を超えるのが普通だったから単純換算して、住民の数も一棟につき三倍いることになる。


「それだけ人数がいたら管理人も必要かな」


 なんとなくあちらとこちらの事情が違うことを理解してアデルはぽつりとつぶやいた。

 誰でも出入りできるということはある意味危険なことで。

 その意味ではこの王都は様々な地方都市よりも治安がよいことになる。


 三階に上がり部屋数だけで言うと一階層に十二室。

 その七番目に目的の部屋があり、エミーナから預かった鍵をドアに差し込んで扉を開ける。

 どことなくかび臭いにおいが室内には漂っていたが、窓を開けてやるといつのまにかそれは消えてしまった。


 すぐに住めるようになっているから。

 エミーナはそう言っていたっけ、とアデルは思い出す。確かにベッドには新品のシーツがかけられ、クローゼットには神殿の女官たちが着る制服が数着かかっている。


 あらかじめアデルの着るような服も運び込んだと彼女は言っていた。


「昨日の今日で用意したんじゃなくてもっと前からバレてたんだ」


 ラボス爺とエミーナが相談して用意してくれていたのだろう。

 普段生活するに困らない食材や生活用品まできちんと手配されている。


 なんだか手のかかる子供が両親の目の届く範囲で遊ぶことを許されているような。そんな現状がなんとなく嫌でアデルは、はあ。と大きくため息をついた。


 でもそれは感謝の込められた溜息だった。






「動かないなー」


 翌朝。

 あれから数時間の仮眠を取り目覚めてアデルはベランダのバルコニーから一望することができる、王都の東地域の景色を楽しんでいた。

 朝食用にともたされたパンにいくつかの具材を挟み込んだ弁当を持ってきたバックから取り出して、リビングにあるテーブルにそれを並べると遠慮なく食事を開始する。


 この王都ではオーブンを使う時は薪を燃やすのではなく、魔石を利用するのが一般的だ。

 魔力を注ぎ込み発火するそれは一度火がつくと後は薪を燃やすのと方法は変わらない。

 火力を調整しながらかけていたポットを取り上げてお湯をカップに注いでやる。


「後から茶葉でも買いに行こうかな」


 その一言がポツリと漏れ出てくる。

 バーレーンでは王宮よりもエミーナの実家や与えられたアパートで過ごす時間の方が長かった。

 アデルはそれだけ庶民の生活に慣れていて、自分のことは貴族よりもどこかの商家の令嬢と名乗った方がいいような気がしていた。

 料理もできるし家事や掃除、洗濯だってお手の物だ。


 おおよそ貴族令嬢らしくないし、姫巫女が一介の町娘と同じようなことができるというのもそれはそれで面白い。

 街中では喧嘩もしたし悪い連中と対等に取引をしたこともある。

 歴代の姫巫女の中でもアデルほど不良と呼んでいい女性はいなかっただろう。

 それほどに、彼女は異例の存在だった。


「あそこにライシャがいるんだ」


 自分が預けた少女は視界の左隅にあるホテルの一室で眠っているという。

 神器を鞘から抜き出して刀身を覗き込んだらその様子は手に取るように分かる。

 今のところ猫耳のメイドが甲斐甲斐しく介護をしてくれていて、ライシャは悪い扱いを受けてはないようだ。


 しかし、預けた主の炎術師にはいろいろな噂が飛び交い、今ひとつ信用が置けない。

 自分から訪ねて行くのはちょっと危険な気がして、どう動いたものかアデルは考えあぐねていた。



 



 今日のエミーナさん。


「さぁほら早く早く」


 ええ……ちょっと待ってよ。

 急かされるようにして玉座に座らされた。

 こんな話聞いてないよ?


 私の心の声はアデルに文句を言うものの、それは届かない。

 乳姉妹で本当の姫巫女様は王都にぶらりと出て行ってしまい、毎日の神官たちによる報告を受けるのは私に一任された。

 とはいっても……。


「容姿が違うのに替え玉なんてできるわけないじゃない!」


 小さくそう叫んでみる。

 無理やり座らされた玉座の向こうには御簾が降りていて。

 バーレーンにいた頃から、アデルの替え玉は何度もやって来たからこれが初めてというわけでもない。

 予行演習は何度も重ねてきたから……引き受けるんじゃなかった。

 心に後悔が浮かぶ。

 

 五層も重ねて着る姫巫女の衣装はずしりと重くて、肩に食い込んでくる。

 まるで偽りの姿をしかられているみたい。

 御簾が上がらない限り、ばれることはないだろう。

 そう思っていたら。


「何やっとんじゃお前は!」


 御簾の外側。

 玉座の側に立っていたラボス様にあっさりと見抜かれてめちゃくちゃしかられた。

 アデル、許さないんだから……!

 

 

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