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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第四章 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
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第8話 Avalanche

「はー、すっきりした」


 肌にぬめりついた汗を濡らした布で拭き取り、その水気を乾いたもので吸い取って、ようやく汗の気持ちの悪さから解放された私はぽすんとベッドに座り込んだ。そのまま、一糸纏わぬ裸の状態なのも気にせず寝転がりたくなるけれど、ちょっとそれははしたなすぎるのでやめておく。ステラに怒られるのが見えている。


「ルーンハイム様」

「わーかってるわよ、今着ますー」


 案の定咎められたのに大人しく立ち上がる。ドロワーズに足を通して、ステラが裾をリボンで巻き付けるのをじっと待つ。実はこのドロワーズ、つい最近身に着け出したものだ。いつもは別に下着なんて気にしたこともなかった。というより、下着という存在を知ってはいても実際に所持して普段から使っているような人の方が稀だ。帝国では結構普及しているらしいと聞くけれど、王国はそうではない。唯一噂に聞いたとすれば一部の物好き……包み隠さずに言うなら、“性に大胆”な人には妙な需要があるということだけ。そんな不名誉な印象もあってか、私にとっては縁がないものという認識でいた。


「……アリスが穿いてるのを知った時は流石にびっくりしたわね」

「ドロワーズですか?」

「そう」


 だから、アリスがドロワーズを穿いているのを見た時は本当に、視線ごと固まってしまったのだ。まさかアリスがそれを身に着けているとは思ってもいなかったから。しかし、思い返せばあれはやはりかなり失礼なことをした。じーっとスカートの下を凝視するなど……。未だにこうして謝りたい気持ちで頬が熱くなってくるくらいには修正したい過去だ。

 勿論その瞬間は色々な思考が頭を巡った。単純な衝撃もあれば、意外と大胆なのかしらなんて普段との差に混乱したり、よくよく考えればその思考自体が混乱の極みである。まず別にドロワーズはそういった用途で生まれたわけではないし、もしアリスがそうだったとしたら色々と拙い。いや、色々と。


「ドレスの下に何も着ていないのが恥ずかしい、なんてね」


 言われてみれば、なんとなくその気持ちはわからなくもない。衛生面のことも言っていたが、確かにドレスで覆われているとはいえ、舞い上がった埃などが直に肌に触れてしまうことはなくはないし、何かに座る際に直接お尻が触れるのが不潔という主張は理解できなくもない。それが常識だからという思考停止でいたために気付かなかったが、冷静にアリスの言い分を考えればなるほど、あっさりと納得出来てしまった。むしろ、今まで何故自分は平気でいられたのかという気分にすらなった。聞けば従者のノクスベルにも手作りのものを贈ったのだという。これは後で秘密だからね、との前置き付きで聞いたことだけれど、その内騎士のミランダの分も作って贈るつもりらしい。

 それはともかく、最近私がドロワーズを穿くようになったのはすべてそのアリスの発言の影響なのだ。アリスが時折見せるそんな一般的ではないような変わった言動は、きちんと話を聞いてみれば大体に納得できる理由がある。でもそれはアリス的には当たり前のこと認識している場合が多く、身分の違いこそあれ同じ王国の上流階級で育ってきたはずだというのにまるで他の国からやってきたように感じてしまう時がある。

 ……まあ、アリスが私と出逢うまでどんな環境でどんな生活を送っていたのかという情報は朧げに掴みつつある。本当にそんな過去があるのならば、きっと自分の考えばかりで世界が構成されて、そんな世間知らずな部分も出てくるだろう。アリスはまさに、私以上に箱入り娘なのだ。少し境遇が似ているとも感じるけれど、私は別に外と隔絶されていたというわけではないのだから。


「はいルーンハイム様、ばんざーい」

「ばんざーい」


 裾のリボンを結び終わって、今度は服をされるがままに着せられながら。狙ってかはわからないけれど、アリスと同じような上下に分かれた薄手のものだ。……いや、狙ってやっているに違いない。恐らく私にしか見分けられないが、この表情は主に私に嫌がらせをしている時の上機嫌な顔だ。後でアリスと並んだ私を見て白々しくお揃いですね、なんて宣うつもりなのでしょう。

 そういえば、このばんざーいというよくわからない掛け声もアリスからの影響である。一緒に学園祭の練習をした際にアリスが何気なく衣装に着替えながら呟いていたのをステラが気に入ってしまったのだ。


「はい。いつもどおりお綺麗です」

「それはどうも……さ、結構待たせちゃってるわね。早く行きましょ」

「急ぎすぎて廊下の角で運命の人とぶつからないように気をつけましょうね」

「……何でもかんでも流行に乗ればいいってものでもないわよ」

「左様で」

「然様よ」


 学園祭での演劇の効果というか、アリス効果というか、今学園中の令嬢の間で恋物語が流行しているのだ。廊下の角で運命の人と、というのは確かその中でも人気のある一作の冒頭である。

 でも、そうね。私のおすすめ以外にそういった身近で流行中の本を紹介してあげるのもいいかもしれない。それで上手く周りの話題に入ることが出来ればアリスの交友関係が……


「って、私はあの子の母親か」

「姉では?」

「ちがう」

「なるほど、妹でしたか」

「ちょっと黙ってなさい」


 失礼しました、と楽しそうなステラに溜め息を一つだけ。薄く笑いながら肩の力が抜けたのを自覚して。アリスに本を紹介する、ということで少し張り切りすぎていたのかもしれない。頭の中で何を勧めれば喜んでくれるかを考えながら、踵が低めの足の負担が少ない靴を履いた。……そうね、今から私はアリスと好きなものの楽しみを共有しにいくのだから。もう少し気楽に、気軽に自然体の方が良いと、その方がアリスも喜ぶ、と。そう言っているのでしょう、ステラ?


「……ふんっ」

「私は何も言っておりませんよ」

「その発言で確信したわよ」

「余計なことを言いました」


 こうしてステラと交わす会話は、普段を知らぬ者が聞けば仰天するだろう。主を、それも王女を揶揄う従者なんてそうそういるものではない。いてたまるか。けれど、飄々と無表情で冗談を言いながらもこうして気遣いをしてくれているのを私は知っている。だから私はこんなステラの態度を一度も怒ったことがないし、周りもそれを知っているから何も言わないのだ。ちょっとばかり遠回しすぎるけれど。


「少し話しすぎたわね。急ぎましょ」

「畏まりました」


 ぱたりと扉の閉まる音を聞いて、廊下にカツカツと足音を鳴らしながら無言で抜ける。きっともう返却するのなんかはとっくに終えて、三人一緒に本棚を眺めていることだろう。私の足は自然と早足になっていった。


「……あら。雨が降りそうね」

「十日ぶりでしょうか」


 そのくらいだった? と短く返しながら、アリスの待つ図書室へ急いで。ああでも、もしも図書室から帰る前に雨が降り出せば借りた本が濡れてしまうかもしれない。噴水の近くまで来たところで、すれ違った鎧姿の騎士を振り返った。敬礼を止めて再び巡回に戻ろうとした彼を引き留める。


「ね、ちょっと」

「はい、王女殿下!」


 彼は私に着いてきた親衛騎士の内の一人だ。けれど完全武装の鎧姿の彼らをずっと傍に付かせ回っては色々と、相手も私自身も気疲れしてしまう。だから、昼間もずっと着いて回るのはステラだけで十分だとなんとか説得したのがおよそ一月ほど前。その代わりに部屋の番や学園内の巡回警備をしてもらっているのだ。まあ、王都のど真ん中であるここに何かよからぬことを仕掛けてくるような輩はいないとは思うけれど。しかし彼らとしても何かそういった、私の身辺警護を行うことが出来なければ気が気ではないだろうし、やっぱり騎士が守ってくれているというのは大きな安心感にも繋がる。だからどうせならと命じた。結果として彼ら親衛騎士の面々は昼は主に学園内の巡回警備と部屋の番、夜間は全員が寮舎内の警備をするといった任務を待機人員と交代しながら続けてくれている。本当はこれでさえ警護不十分だと言われそうなものだというのに、まったく中枢の奴らよりよっぽど融通が利く。


 そして今呼び止めたのも、そんな“融通が利く”彼らの力を借りるためだ。今日はアリスの来室にあたって部屋の番は一時的に外してもらっていた。寮舎へ向かおうとしていた様子を見るに、恐らく彼が部屋の番の担当なのだろう。なら、都合がいい。


「雨が降りそうなのに、傘を部屋に置いてきてしまったの。申し訳ないのだけれど、取って来て貰えないかしら」

「畏まりました。勿論です、王女殿下。……して、何処にお持ちすれば?」


 一瞬詰まるもすぐに了承してくれた彼。恐らく普通の騎士なら王女殿下のお部屋に勝手に入るなど、などと言って説得に無駄な時間を費やすことになるだろう。或いはそれでも承ってくれないかもしれない。彼ら親衛騎士は私がそういうやり取りが面倒で嫌いなのをわかってくれているのだ。

 そして無論、彼は自分がした質問の答えは知っているのだろう。私が今から図書室へ向かうことは当然親衛騎士たちの間でも共有されている。先に図書室へ向かったアリスを見送ってすぐ後、ステラが伝えていた。けれど幾ら極力合わせてくれる彼らといえど、私からのお願い……命令ともあらば、流石に詳細を聞かずに畏まりましたというわけにはいかないのだ。これはいわば形式上の、確認に近いもの。


「ええ、図書室へお願い。出来るだけ入り口の近くにいるようにするわ」

「そんな、お気になさらず。……では、急ぎお持ち致します」

「ありがとう」

「恐縮であります。大切な御交遊、お楽しみくださいませ」

「……え、ええ、そうね」


 不意打ち気味に残していった妙に含みのあった気のする最後の言葉に軽くステラを睨んだ。きっとまたこのメイドが秘密の逢瀬だとか、密会だとか余計な脚色を加えて話したのだろう。まさか彼もそれを間に受けているわけではないだろうけれど。


「どうされましたか」

「……まったく。なんでもないわよ」


 今回は、いや今回も、普段の働きぶりに免じて許す。仕方なく。

 本日何度目かの溜め息を零して、食堂を横切ってさっさと階段を登る。廊下に曲がれば、図書室はすぐそこだ。そういえば、直接自分でここへ来るのはまだ二度目だった。生徒として、という意味なら初めてである。見学の際に案内された際に確認した限りでは既に読んだか興味のない本が多く、アリス関連のことで頭がいっぱいだったのもあって態々足を運ぶようなことはしていなかった。きちんと探せば思わぬ掘り出し物があるかもしれない。この機会にじっくり見てみよう。そうして楽しみを加速させながら、ステラが扉を開けて。目立つ銀色の髪を探しながら中に入った。


「どこにいるのかしら、っと……」


 羊皮紙の紙とインクの混ざった独特の匂いがふわりと体を包んだ。ぎっしりと隙間なく本の詰まった高い棚が立ち並ぶ様は、王宮の書蔵庫には劣るものの、そこらのものとは比べ物にならないくらい立派だ。この大きな舎の二階の空間ほぼすべてをそれだけで占有しているのだから、教会に付随するようなものなんかとは規模が違うというものだ。


「……りあん、まり……」


 三つか四つほど向こうの列から、微かにアリスの呟きが聞こえた気がした。その拾えた僅かな声だけで何をしているのかがすぐにわかってしまって。思わず苦笑が溢れた。察するに、何かマリアンについて書かれた本がないか探しているのだろう。言えば絶望の表情を浮かべそうだけれど、たぶんそんなものはない。


「ほんと、何かの狂信者みたいね」

「確か、マリアーナ発祥の果実がお好きなのでしたね」

「ええ。少しでも話題に出せば理性が遠くに飛んでいってしまうくらいよ。よっぽど好きなみたい」


 そう、これも時々アリスに変な子という印象を抱いてしまうことの一つだけれど、あの子はマリアンがやたらと好きである。やたら、という言葉では収まらないくらい、本当にやたらと好きである。一度マリアンの名前が出れば、いや名前が出なくとも、マリアンという存在が少しでも匂えばすぐに金色の目を燦々(さんさん)と煌めかせて、食べているわけでもないのにまるで今まさに頬張っているのかと幻視してしまうほど幸せそうに唾液を溢れさせる。実際に何度かそんな様子のアリスを目にしたし、手持ちのムシュワール(ハンカチ)でそれを拭ってやりもした。何度か呼んでやれば正気に返るけれど、あれはもう完全に中毒の域である。飲んでいない時間はすべて地獄と思うまでに中毒した無類の酒好きが酒を語るかのごとく、マリアンを語るのだ。勿論マリアーナの名物として有名なマリアンは私も口にしたことがあるし、確かに果実の中では上位に入るくらいには好きだけれど、それでもあれほどではない。一体何がそんなに彼女をマリアン愛に駆り立てるのだろうか。


 苦笑をそのまま笑顔に変えて、声のした方へ向かう。幾つかの本棚を通り過ぎて四列目の通路を覗くと、揺れる銀色を見つけた。その隣でノクスベルとミランダが少し困ったように微笑みながらそれを眺めている。やっぱりいた。


「アリスー、私よ。待たせ……」


 たわね。と、そう途中まで呼びかけて。更にもう一つ隣の本棚の影から不意に妙な視線を感じた。急に黙り込んだのにステラを含めた四人が首を傾げるのを意識の隅で感じながら、そっと身を乗り出して気配の方を覗いて……。


「……あら? あなた、あの食堂の――――」

「ち、違っ――――、ぁっ」


 見覚えのある少女が焦ったように後退ろうとして。足を縺れさせ、かなりの勢いで本棚へぶつかった。不幸にも元々木が劣化して不安定になっていたのか、その衝撃に耐えられなかったその大きな本棚は、ゆっくり、ゆっくりと。その瞬間を、見せつけるように。



「――――アリスッ!」



 アリスの方へと、倒れ始めた。

次回更新は明日の12時です

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[一言] アバランシェ、直訳すると雪崩 ……なるほど
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