最終話 引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか
「基本的には我々の革命を受け入れている。教会、もしくは騎士団駐屯地が存在する地域は特に協力的な傾向がある、か……順調じゃの」
「ええ。蜂起時、対話での解決に尽力する騎士たちの姿を間近で見ているはずですからな。教会の方は、正式な認定はまだとはいえ、“聖女”を肯定する方向で動いてくれているおかげでしょう」
「うむ。諜報部の分析でも今のところ革命は成功したとの統一見解が出ておる。残りの地域も、協力的とまではいかないが、今のところは静観していてくれるみたいじゃのう」
「……ひとまず内戦の危機は越えた、か。ベル、何かあるか?」
「いえ、こちらの方も同じ結論です」
「そうか」
王国軍本部、将軍執務室。先ほど来室し、去って行った騎士が扉を閉じたのを見送って、ラブリッド様とマッグポッド様がそう肯いた。ラブリッド様が言うとおり、私の元に届いたマリアーナ・アイリス諜報員からの情報も、そのようなものだった。国が分裂して内戦というような展開は避けられ、帝国も情報の察知が遅かったらしく、もはや侵攻の機は逃した。私たちの革命は、あれから更にしばらくの時間を経てようやく一段落を見せていた。
だというのに、私たちの顔はずっと暗いままだった。……その理由は、考えるまでもない。
ぼうっとして明らかに心ここに在らずな私に気を遣ってくれたのか、ため息が二つ零れて。
「呼び出してすまなかったの。それで……アリスは」
「……はい」
「……そう、か。――――もうすぐ、七歳の誕生日なのにのぉ」
私は何も言えなかった。答えられなかったわけではない。でも、その現実を口にしてしまいたくなかった。その先のことを……受け入れられない終わりを、認めてしまうような気がしたから。
俯いた御二方の顔を見ないようにしながら、私は執務室を去った。
「……あ」
「これはどうも、ノクスベルさん」
階段を下り、何もかも上の空で廊下を歩く私を誰かが呼び留めた。ハッと声の方を確かめて、そこにいたのは王女殿下とステラさんだ。きっと私と入れ違いで執務室へ向かうのだろう。
慌てて礼をしようとするも、いいわよそんなの、と苦笑した王女殿下のお言葉を受け、中途半端に下がった頭を戻す。
「御二人は、ラブリッド様とマッグポッド様に?」
「ん。通例に従えば私が王座に就いて、誰かに補助してもらうわけだけど。……いっそのこと、王という身分はそのままにするにしても、実際に政策を練り、治世をするのは別の……例えば王国中から選抜した有力者たちによる会議を設けてそこで決める、とか。そんな風にしてはどうかと思ってね」
「それを提案しに行くのです」
「そうでしたか。……確かに、そのような大規模な変革はこういった機会でもないと不可能ですね」
「ええ」
王女殿下の語られた案に、なるほどと感嘆する。今まで王国の統治はすべて国王の権力の下で行われてきたけれど、実際に国王がそのすべてを管理する必要はない。それが遥か昔から今まで続く伝統だったとはいえ、実際にこうして国が揺らぐほどの問題を生じさせたのなら変革しなければならないのだ。それは当然難しい問題だけれど、王女殿下のご提案は実に素晴らしいものに思えた。
私の解釈が正しければ、王女殿下は王という身分自体は無くさず、しかしその実際の権力は分散してしまおうというわけだ。“王国”を保ちつつ、王権を複数人で分散、均衡。いわば相互監視の状態をつくることによって、ある種の自浄作用を生み出すということだ。誰をどこにどう配置するか、また如何に抜け穴のない、腐敗の起こりにくい規則を定めるかなど考えなければならないことは山ほどあるけれど、そこさえどうにかなれば国王の性格や能力のみによって国が左右されるような体制からは脱却できるだろう。
もちろん、同じ考えに至った貴族や魔導師は他にもいるだろうけど、しかし。相変わらず王女殿下は、本当に八歳なのか疑いたくなってしまう。普段の振る舞いといい、こういった機転の良さといい、まるで……まるで。
「……アリス様」
「……。……今日も、部屋に寄ってみたの」
……ああしまった、声に出てしまっていたらしい。
悲しんでいるのは、私だけではない。王女殿下のように親しい方々はもちろん、今や王国に住む大多数の人々が、その貴い黄金の瞳が再び輝きを取り戻す日を待ち続けている。
憎しみの連鎖を断ち、その先へと私たちを導いた、一人の少女の目覚めを。
「満足そうな顔で眠っていたわ。……ほんとう、に――――」
「……ルーンハイム様」
「っ、……ごめんなさい、もう行くわ」
たた、と。漏れる感情を隠すように私の横を通り過ぎた王女殿下。左右で色の違う、その宝石のような瞳から零れた涙が斜めに降って、私の手の甲に落ちた。
続く足音が、三歩ほどで止まって。振り返ると、背中を向けたままの王女殿下が、目元を拭いながら。
「ノクスベル。……アリスは、ちゃんと、もどってくるよね……?」
「……はい。アリス様は、王女殿下を悲しませるようなことは致しません」
声の震えは、隠せただろうか。ありがと、と呟いて去っていく王女殿下を、私はただ見送ることしかできなかった。
本当にそう断言出来れば、どれほど幸せだろう。……でも。
アリス様は、人間だ。聖女と呼ばれていても、本当に聖女のようでも、それは変わらない。
絶対に目を覚ますなんて、言い切れるわけがなかった。
「……ハッティリア様、戻りました」
「ああ、ベル。……どうだ?」
「はい、革命はやはり今のところ成功です」
「そうか」
これから暫く専用の執務室となる部屋の荷物を整理しながら、ハッティリア様はあえてそれだけを話した。
お手伝いします、と木箱に詰まった書類の束を抱え上げようとして。閉じたばかりの扉が再び開き、聞きなれた声が入室の礼をした。
「――――あ、マム……じゃない、ノクスベルさん。おかえりなさい」
「……カルミア。ええ、ありがとう」
「はいっ。……えっと、ありがとうございました、ハッティリア様」
「ああ。……もういいのか?」
「……はい」
革命の主導者である私たちは、当然この後の体制が整うまではそのままこの席に座る義務がある。よってここ軍本部施設内の部屋を幾つか貸し出され、滞在することとなっていた。
そのためハッティリア様は七日ほど前、僅かな間でもアリス様のそばを離れることになるのを憂いながらも一度マリアーナに戻り、諸々の準備を整えてから今朝、再びここに戻って来たばかりなのだ。マリアーナは白百合騎士団の協力もあって平穏そのもので、住民それぞれが積極的に協力してくれるため、残った従者たちと騎士団の方々に任せてしばらく空けても問題ない状態らしい。
そしてその際、あらかたのことを館で聞いたカルミアは溢れる涙を隠そうともせず、ハッティリア様に頼み込んで着いてきたという。
……それはともかく、主がこうして部屋の整理をする中、それを置いて何処かへ行っていたというのはどういうわけだろうか。ハッティリア様の反応から察するに、何かを頼まれて、という様子でもない。むろんカルミアが理由もなくそんなことをするとは思えないけれど、場合によっては叱責せねばならない。
「ハッティリア様のお手伝いを放り出して、何処へ行っていたの?」
「いえ、それは、その……」
「――――いい、ベル。私が行っていいと言った」
カルミアの様子とハッティリア様の言葉から、何処に行っていたのかを理解した。……当たり前だ。カルミアが今ここにいるのは、きっとそのためがほとんどなのだから。
いつもなら、これくらいすぐに察しているのに。
わかっていたことだけれど、私はどうしようもないほどアリス様に依存してしまっている。
「……眠っておられました。苦しそうには、しておられませんでした」
「……ああ」
沈黙が部屋に落ちる。私は、居ても立ってもいられなくなった。
「ベル。こんな、部屋の整理なんていい。そばにいてやってくれ」
「……――――はい」
露骨に顔に出たのだろう、私の内心を読んだかのようにハッティリア様が言った。
退室の礼さえ忘れて部屋を飛び出し、二つ隣の扉へ。廊下を巡回していた騎士の青年が、走る勢いで急ぐ私とすれ違うと驚いたように、けれどすぐに反対側の壁へ避けて敬礼してくれた。
従者にすぎない私にそんな対応をしてくれるのは、私が革命の主導者の一人だという認識からだろう。けれど、今はそんなことどうでもいい。訂正する余裕はなかった。
「失礼、します」
言うのと同時に扉を開けて、部屋の中へ。元は貴族など高い身分の方が来客した時用の部屋だったのだろう、広めの、装飾は少ないながらも気品のあるカーペットや吊り下げ式の魔法灯などが備え付けられた、落ち着いた部屋。
その奥。白いベッドの上、窓から射す陽光に包まれて穏やかに眠る、最愛の。
「――――ああ……」
「……ノクスベルさん?」
声を掛けられてようやく、ベッドの隣に置かれた椅子に座るミランダさんの存在に気が付いた。
少し驚いたように立ち上がったミランダさんは、けれどそれ以上何も言わなかった。すれ違いざま合った目を互いに伏せ、会釈して。気を利かせてくれたのだろう、部屋を出たミランダさんが扉を閉じるのを待って、ベッドの隣へ。
態々空けてくれた椅子にも座らず、私はただその寝姿を見つめた。
「アリス様」
……こうして見ると、本当にぐっすりと心地よさそうに眠っていて。今にも可愛らしい欠伸とともに瞼を擦りながら、べる、と。愛おしい笑顔を浮かべて呼んでくれそう、なのに。
アリス様はあの、ノブリス・オブリージュ宣言と呼ばれている宣言の直後、すべてを使い果たしかのように倒れたあの時から、あの日から。もう数十日も経つというのに、一度も目を覚ましていない。何人医者を呼んでも、魔導師に診せてみても。彼らは眠るアリス様を一通り調べると見つめ、何も言わずに首を振るだけだった。
……悪い予感はしていた。あんなに目から、鼻から、耳からも血を流して。無事なはずがなかった。
けれどアリス様は、最後まで立っていようとしていた。
そんな姿に、意思の強さを見て。結局私は何も言えなかった。
本当は、すぐにでも止めるべきだったのに。
つまらずに喉を流れるように潰した食事と水を飲ませて差し上げながら、いつか目覚めることを祈って。
日に日に、少しずつ弱っていくアリス様を見守ることしか、もはや私たちにはできなかった。
「……ベルが、来ましたよ。そばにいますよ」
アリス様は応えない。
小さな肩の隣に転がるスノウベアーのぬいぐるみは、綺麗に洗われた後だ。
ほんの思い付きで差し上げてから、けれどずっと、離すことなく胸に抱いてくれていたぬいぐるみ。
どうしても連れていけない時を除いて、眠っている時も、起きている時も、ずっと大切にしてくれたぬいぐるみ。
今は抱かれることなくただ隣に転がっている、あいぼーと、そう呼ばれていたぬいぐるみ。
「アリス様」
そんな彼を、私はそっと、肩に寄り添わせるように寝かせ直した。
願わくは、いつものように胸に抱いて笑ってくれないか。
……そんな、淡い期待はけれど、安らかな寝息の中に泡と潰えた。
「アリス、様……」
優しく賢く、勇敢で。
ちょっぴり抜けてて、臆病で。
私より成熟したような思考を見せたかと思えば、幼く弱々しい姿で泣いて。
“しあわせ”のために立ち上がって、自分を見失って。
聖女なんて呼ばれて。必死でそうあろうとして。
聖女かもしれない。希望の光かもしれない。
けれどアリス様はそんな、たった六歳の、幼い少女なのに。
「……どんな夢を、見られているのですか」
止められない涙が、ぽつり、ぽつり。
白いシーツに染みを作っていく。
止められない想いが、ぽつり、ぽつり。
黒い瞳から零れ落ちていく。
「そこに……そこに、っ、ベルは……“みんな”は、いますか……?」
闇の中にいるのだろうか。
光の中にいるのだろうか。
寂しくないだろうか。
泣いていないだろうか。
しあわせな世界に、行けたのだろうか。
「アリス、さま、っ……」
闇の中でもいい。
光の中でもいい。
寂しくなければそれでいい。
泣いていなければそれでいい。
でも、どうか。
きっともう、目覚めないのだとしても。
「――――わらって、くださいっ……もう一度、笑顔をみせてください、アリスさまぁッ……!」
わかってる。
この世界は、御伽噺じゃない。
けれど、こんなに、こんなに頑張ったアリス様に、少しくらい。
少しくらい、奇跡が起きても――――
――――呼んでいた。
誰かが私を、呼んでいた。
誰かが私のそばで、泣いていた。
それが誰かなんて、考える必要もなかった。
だから私は手を伸ばした。
夜の鐘に、導かれて。
「……べ、る?」
そう言ったつもりの私の声は思いの外掠れていて。
ベルさんの大きな嗚咽に掻き消されたそれは、きっと届かなかった。
そっと体を起こそうとしても、ぷるぷると震えるだけで上手く動けない。
なんとなく、いつもより少し体が軽い気がした。
……ああ、そっか。もしも私が自分で思っているよりも遥かに長い時間眠っていたのだとしたら、体が痩せ、弱ってしまっても不思議ではない。それでもちゃんと肉が付いている感覚があるのは、きっとベルさんたちがどうにか食べさせてくれていたのだろう。
けれど、弱っているらしいことには変わりない。ベルさんはやっぱりまだ泣いていて、私が起きたのに気付く様子はない。薄っすらと開けた瞼から射しこむ光は眩しすぎて、見えるようになるまで少しかかりそうだった。
おそらく気配から察するに、ベルさんはベッドの端に突っ伏しているのだろう。酷く悲しそうな声が、私の涙腺すら刺激する。なかないで、べる。だいじょうぶだよ、わたしおきたよ。
どうにかして、声を――――そうだ。
「つき、の……けひゅ、んん」
「ぇ、あ……?」
がばり、ベルさんが顔を上げたのが分かった。……しっぱい。
本当は思い出深いあのお歌で気付いてもらおうと思ったのに、咳き込んだので気付いてしまった。いや、良いんだけど、なんかちょっと気まずい。
ぼんやりと、私の顔を覗き込むベルさんの輪郭が見える。
ああ、早く、早く光に順応して、がんばれ私の目。ベルさんの顔が、見えない。
「――――“月のひかりのその下で”」
今度は、ちゃんと声が出た。
歌うのは、続き。ベルさんが歌ってくれた、その続き。
小さくて、きっと意識して聞かないと何を言ってるかわからないくらいの声だけど。
でも、ベルさんなら。そんな心配はいらなかった。
「“ああ、我が愛しき人よ。耳を傾けてくれないか。あなたに手紙を読みたいんだ”」
ねえ、ベル。
まだこのお歌くらいだけど、ちゃんと発音、できるようになったよ。
ちゃんと、自分の言葉で話せるようになったよ。
「“鐘が夜明けを告げるまで。雪が日向に溶けるまで”」
ねえ、ベル。
まだ怖くて怖くて、不安でいっぱいだけど。
わたし、ちゃんとお外に出れたよ。
ちゃんと、ほんとの自分と向き合えたよ。
「“私はもう、その扉を閉めずにいるから……”」
――――革命はどうなったの?
――――みんなは大丈夫?
尋ねたいことも、たくさんあるけれど。
「……アリス、様……アリ、ス、さっ、――――アリスさまああぁ……!」
「ふぎゅっ」
――――心配させてごめんね
――――ありがとう
言いたいことも、たくさんあるけれど。
「ああ、ああ、夢では、ないですよね、ほんとうに、ほんとうにッ……」
「うん。ここに、いるよ。べる」
「……ぁ、う、うう、うううぅぅ、アリスさ、ぁっぐ、アリスさまあぁ……」
でも。
今一番、伝えたい言葉は。
「べる」
「ひぐっ、ふ、ふー、……はい、アリス、様っ」
そして私は目を瞑り、思い出を巡らせながら。
あの日のように、語り始める。
「わたしね、がんばったよ」
「……はい」
「しあわせなせかいをつくろうとした。みんなといっしょに、えがおでいるために」
大切な人の血が流れる姿に、怒りと愛情を知った日。
誕生を祝われ、そして祝い、喜びと感謝を知った日。
世界を学び、友ができて、楽しみと友情を知った日。
現実や自分と向き合って、悲しみと勇気を知った日。
初めて部屋の外へ、踏み出した日。
初めて部屋の中に、向き合った日。
「……でも、ちがうの。それだけじゃ、たりないの。ほんとうにかえなきゃ、かわらなきゃいけないのは、わたしじしんも、なの」
「アリス様……」
いつも、私のそばにいてくれた。
ずっと、私を見守っていてくれた。
いつも、私をわかってくれた。
ずっと、私を抱き締めていてくれた。
「すぐには、できない、けど。でも、でもみんなといっしょなら、きっと、かわれるから」
そんな貴女に、もう一度。
今度は壁の内側からじゃなくて、ありのままの心を見つめ合って、伝えたいから。
「すこし、ずつ。ちょっと、ずつ。……これからも、そばにいてくれる?」
やっと見えるようになったベルさんの顔。きゅっと瞑ってぱちくり、慣らした瞳でじっと、尋ねるように。
ベルさんはきょとんと涙の残った目を丸くすると、ふわり。
私の大好きな笑顔を、浮かべてくれて。
「勿論です、アリス様」
自然と、へにゃり。私の頬も緩んだ。
……再びここから、はじめよう。今度はみんなと一緒に、しあわせを守るための物語を。
御伽噺では語られぬ、“おしまい、おしまい”のその先も、みんなと笑顔で、いるために。
まずは、素直な気持ちを伝えるところから。
もうとっくに“好き”を通り越していたそれを、はっきりと伝えるところから。
あえて、どういう意味かは言わない。色々と問題があることはわかってるし、まだまだ私は未熟だから。
でも、知っている。私はベルさんがわかってくれることを知っている。
きっとベルさんが同じ気持ちでいてくれているということを、知っている。
だから、抑えきれないこの想いを。
今はただ、一度だけ。一言だけ。
……ねえ、ベル。わたしね。
わたし、貴女のことを。
「――――あいして、る」
驚いたように口を開けたベルさんは、けれどたっぷり十数秒。色々な言葉を飲み込んで。
不安そうに、けれど本当に心の底から、嬉しそうに。
とびっきりの笑顔で、答えてくれた。
「――――私も、愛しています。アリス様」
ふわふわと、温かな気持ちが胸の中を満たしていく。熱く、甘酸っぱい感情が、雪を解かしていく。
……紅に染まった頬を、お互いにくすりと笑って。ベルさんの細くて白い指が、私の頬を撫でた。
そっとベッドに乗り出したベルさんは、顔を寄せて。白銀と黒曜の髪が、ゆらりするりと絡み合う。
これから先、どんなことがあっても。私の伝えられる、精一杯の愛情を。
やっと掴んだ世界を、大切に抱きしめながら。
やがて、一つ。唇が――――
「――――わっ、ちょちょ、ミランダ! 押さないッ……あ」
「……わ、私は押してません、姫っ! 押したのは王女殿下です! どうかお許しを!」
「はぁっ!? なんで私なのよ、ちょっと!」
「ルーンハイム様……嫉妬ですか」
「やかましい!」
「はっはっは。……ハッティリア。これでは婿探しの必要はないかもしれんの」
「は、はぁ……しかし。いや……どう思う、ラブリッド」
「……私に聞くな」
……ああ、デジャビュ。
いつの間にか扉の向こうで聞き耳を立てていたのは、もちろん私の大切な人たち。
真っ赤になって固まった私とベルさんを見て、みんなが笑った。
「あ、あはは……ところでマム。私の昼休憩は」
「聞く必要ある?」
「またですかあああぁあ!?」
またか、と言いたいのは私たちの方である。……せっかく、きす……くちづ、……いや、考えるのはよそう。余計に顔が熱くなるだけである。反射的に抱き上げた相棒は、いつもどおり私の顔を隠してくれた。
そんな、いつもどおりの景色。
私とベルさんは顔を見合わせて、そして。
長い夢の終わり。
新たな日々の始まりを告げる鐘を、今。
……ねえ、かあさま。
私ね、いま、とっても、とっても――――
「おはようございます、アリス様!」
「おはよ、べる!」
笑顔、だよ。
本作「ノブリス・オブリージュ」はひとまずこれにて完結とさせていただきます。
この後も後編である第二部が続くのですが、諸々のコンテストに向けて一旦新作の方に集中したく、第二部の方はそちらが一段落つき次第連載開始とさせていただこうと存じます。
改めて、これまでのご応援、本当にありがとうございました。
各進捗などの方はTwitter(@noblesse_Alice)等で呟きますので、気になる方はご参照いただければと思います。
ではまた新作か、第二部の方でお会いしましょう!