ダンジョン編-8
@
ザンエ司教補は困惑していた。
ザンエ司教補は神聖教団のベレスティナ王国教区のナンバー3である。貴族の妾腹の出であるが、物心ついてすぐに神聖教団神学校に送られそこで、教義について学んだ。苦労人で三十代なのに、ひどく老けた顔をしている。一方、最近腹回りには贅肉が付いてきて、それを少し気にしていたりもする。
いま、ザンエ司教補は強制労働ダンジョンの視察に来ていた。
もちろん宗教人たるザンエ司教補にはこの場所に何も興味はない。
ただ、神聖教団の本拠である神聖教国の最高幹部エドゥアルト枢機卿から、ある高位僧侶の世話を頼まれ、その高位僧侶の希望で強制労働ダンジョンに来たのである。
正式な手続きで視察を申し出たところ、所長の秘書を名乗るひどく淫猥な感じの女性から、「シュタフという者が案内しますので、ここで少々お待ちください」と応接用の部屋に通され、そこでシュタフを待っている。だが、シュタフなる者は一向に現れない。状況を説明してくれる者さえ現れない。
ザンエ司教補は言わばエドゥアルト枢機卿の客人を接待中なわけであり、胃が痛い状況だ。
そんなわけでザンエ司教補は、強制労働ダンジョンでの「少々」とはどの程度を意味するのだろう、そろそろせっついていいのか、あるいはなにかすれ違いが発生してしまったのか、あの淫猥なマルガリータが言っていた言葉を再度一字一句思いだし、何かこの状況を解決する切っ掛けを頭の中で必死に探していた。探しながら、ザンエ司教補が案内してきた相手、枢機卿のお気に入りであり、恐るべき力を持つという『奇跡の巫女』をチラリと見た。
奇跡の巫女は応接室の革張りの椅子に座ってぼんやり前を向いたまま身じろぎもしなかった。先ほどからずっと同じ姿勢である。
この奇跡の巫女の考えていることもまったくわからなかった。しくしく胃が痛む。
奇跡の巫女の背後には大きな樽があった。
そもそも奇跡の巫女がここに来る目的は、
「酒が切れた。ヤジットにもう一度作ってもらう」
というものだった。
そして樽の中には上等な酒がいっぱい入っている。奇跡の巫女に言われてそれを用意したのはもちろんザンエ司教補だ。
だが、ザンエ司教補としては、酒が切れて酒を作ってもらうのに酒を持ってくる意味が分からなかった。酒を作ってもらうのに強制労働ダンジョンに来る理由もわからなかった。
何から何までわからなかった。
だが、この奇跡の巫女ーーユーインという名の高位僧侶はとにかく言葉が足りない。説明を頼んでも似たようなぶつ切りの言葉が返ってくるだけである。だから、意を汲むのも大変なのだった。
それもあと少しだ。
あと一週間で、奇跡の巫女は神聖教国に戻るはずである。
それまで何とか何事もなく乗り切る。それだけを祈ってザンエ司教補は耐えているのである。
奇跡の巫女が身じろぎした。
ザンエ司教補はすぐに奇跡の巫女に意識を戻す。
奇跡の巫女はなぜか床を見ていた。
「どうされましたか?」
訊ねながらいくつも可能性が頭をよぎる。奇跡の巫女といえど年頃の少女である。尿意でも催したのだろうか。だとしたら便所の確認のために人を呼ばねばならず、その際、状況の確認が出来る。すばらしい。このままこの部屋で来るかどうかわからない人を待ち続けるのは胃が保たないと思っていたところだ。
だが、
「ん」
と良く分からない相づちとともに奇跡の巫女は顔を戻した。またボーッと前を見ている。
「……え? あのどうされました?」
「変な震動」
答えはいつも通り一言。しかも良く分からない。
ザンエ司教補は諦めた。
そして、自分たちが強制労働ダンジョンの皆に忘れられてないことを祈った。




