表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/64

7-1   嵐はいつでも凪の終わりに。

今回前半はヘルムート視点。

後半はパウラの視点となっております(´ω`)<よろしくです。


 さすがにこれまで生きてきた時間の中で、人生がそうそう甘くないことは知っている。偶然が重なって甘く見えることもあるが、大抵その後の揺り戻しで辛くなるというのが僕の持論だ。


 三月、四月と着実に+60評価を得ていた僕はこの数日間というもの、朝夕ずっと考えていた。この手許にある+59という五月分の評価を。


 あと、一歩だった。もうあとほんの一歩だった+1の評価を取りこぼしてしまった理由は何だったのだろうかと、自問自答を繰り返している。コンラートとロミーには『おぉー、やるじゃん!』と感心され、ヴェスパーマンとシェルマンさんは『その年齢の職人としては大健闘だった』と評してくれた。


 パウラも「あともうほんの僅かでしたがそれでも素晴らしい成績ですよ、マスター! 次は二回+50を取って年末の来年度評定にかけましょう」と意気込みも新たに目標をスライドさせていた。そのあまりの見切り発進のよさにはさすがにタフだなと感心したくらいだ。


 だけれど正直、不思議なくらい落ち込んでいない自分がいる。


 ただあるのは純粋に足りなかった“あと少しの何か”への思考だ。部屋に足の踏み場をなくすほど積み上げられた本の塔が視界に入る。


 適当に背表紙のタイトルに視線を走らせるが、どれも今ひとつ食指が動かない。本の塔はタイトルが見やすいようにベッド側に背表紙を積み上げられているのだが、その中のどの塔にも現状で役に立つものはなさそうだ。


「……うーーーん」


 僕は元来の性格が邪魔をしてパウラほど上手く見切りをつけることが出来ず、今日も今日とて店を開けるまでの時間をベッドの上で寝返りを打ちながら潰している。思うに過去の僕には、実地というものがことごとく足りていなかったような気がしないでもない。


 それを理解した今は、以前まで感じていた焦りはなくなった。これも小さいが進歩に数えても良いのではないだろうか? だとすればもう一歩突き進んでみてはどうだろう。


 ここで問題になっているのはこの一年で結果を残す――つまり本店の記憶に傷を残すことだが……だったらあと二回+50以上を取れば良い。そして悲しいかな万年裏通りの五号店ならそれで充分だ。そしてここが最も重要というか、+50の評価が必ずしも連続である必要もないということでもある。


 せっかく期間にゆとりが出来たのだし、ここは久し振りに原点回帰というか、たまには他店の店主のやり方を見習って馴染み客の求める商品の声を拾いに行こう。


 そうと決まればベッドでだらだらとしている場合ではないと、飛び起きて身支度を整える。机の上に散乱しているノート類の中から余白のあるメモ帳を探し出して腰のウエストバッグに突っ込んだ。


 一階の店舗を覗けば、すでにパウラが開店の準備を始めてくれている。


 靴底の泥を拭うドアマットを店の表で叩き終わったパウラが、起きてきたばかりの僕を見つけて「おはようございます、マスター」と嬉しそうに目を細めて挨拶をしてくれた。そんな彼女の姿に自然と頬が緩む。


「パウラ、僕は今から少し出かけてくるから店番を頼んでも大丈夫かな?」


「えぇ、それは勿論構いませんが……何か面白い案が浮かびましたか?」


 クスリと微笑んだパウラが僕に向かってそう言うが、実際はそんなに大したことを考えついた訳ではないのでこちらも苦笑する。


「あぁ、大して案らしい案はないんだけれど……このところずっと中間評定のことにかまけきっていたから、久し振りに市場調査にでも行こうかと思ってね」


 僕の様子を窺いながらパウラが小首を傾げて続きを促す。苦し紛れの逃げでも、ヤケを起こしたのでもないことを確認したいようだ。


「以前の僕ならこれでお終い。いつもの当たり障りのない仕事に逆戻りするところだけど……今はパウラが一緒にいてくれる。だからまだ諦めないよ。また頑張れるさ」


 口にしてから少し気恥ずかしい気持ちがして俯きながら頬をかく。ここでパウラの目を見て言えないあたり、まだまだあまり成長していない気もしないではないな。


 けれどすぐに何かしらの反応があると思っていた彼女からの言葉がなかなか返ってこないので、呆れられたのかと心配になって顔を上げると――。


「ど……どうした、パウラ?」


 ほぼゼロ距離にパウラの顔があった。そして何を思ったのか彼女は向かい合った僕との顔の間に人指し指を一本立てて、言った。


「マスター、今のお言葉……私の目を見て是非。ワンモア」


 いつになく無表情なその姿がちょっと怖かった僕は若干気圧される形で復唱させられた後、満足そうに深く頷いたパウラに見送られて店を出た。



***



 マスターの突然のご褒美発言――本当ならあと三回くらいは聞きたかったところだけれど、あまりしつこくしては嫌がられそうなので我慢した。だからせめて曲がり角に差しかかった背中が消えるまではと思って見送っていると、不意にこちらを振り返ったマスターが苦笑しながら手を振ってくれる。


 そんなマスター以外の人間がとったところで何ということのない動作は、すっかり暖かくなってきた日射しよりもずっと私の身体を温めた。護符の効果と相まって二乗。ポカポカの気候よりやや暑いくらいに感じる。


 開店してからもずっと体内に日なたを飲み込んでしまったような、温かな気分を噛み締めながら、ポーション代金のツケを返済にやってくる顧客を捌いていく。


 最近ではコンラートに任せきりだったこの作業は嫌いだったけれど、朝のマスターの言葉を思い出せば、いつもなら“有り金を全部出せ”と言ってしまいたくなる人間にも笑顔で接することが出来た。


 返済の来客が切れたのはちょうどお昼。今日のお昼ご飯はちょっぴり豪華なので頬が緩む。前日にマスターが作ってくれているのを横から覗き込んでいたので楽しみだったのだ。


 “鹿沼土”と“腐葉土”を二対八の割合で調節し、中に私の好物である“サクラ”のスモークチップを練り固めた上から“バーミキュライト”をふりかけた、マスター特製品のカップケーキ型肥料を頬張る。


 ――うん、やっぱり美味しい。


 フカフカになりすぎないのは二割だけ混ぜ込まれた“鹿沼土”の粘り気のせいだろう。若干の塩味も良い。“サクラ”のスモークも香ばしくてサクサクした歯触りで噛めば噛むほど味が出る。


 上からまぶされたパリパリの“バーミキュライト”が食感にアクセントを添えてくれていた。舌鼓……は表現としては正しくないのだろうけれど、美味しいものを言い表したいのだから同じことだと自分を納得させる。


 水と交互に口に運んで咀嚼(そしゃく)していると【昼休憩中】の札を提げていたはずの店のドアが開いた。文字の読めない不躾なニンゲンはこの辺りには割と多いのでもう慣れてはいる。


 けれど慣れているのと我慢が出来るは全くの別の話。


 私は不機嫌さを露わに失礼な客を追い返そうとして――その人物が客などではないと気付き、すぐさまかじりかけの昼食を皿の上に戻したその手で、カウンターの中をソッと探る。


 視線は相手に悟られないように伏せた。カウンターの内側の丸椅子から浮かせかけた腰を一旦下ろして、指先に当たる物を何食わない顔をしながらより分けていく間にも、相手は無言のままこちらにゆっくりと近付いてきた。


 ――そして私の目の前で、来訪者が立ち止まる。


 全身をすっぽり覆うタイプのフード付きローブ姿は、最近マスターと他の街に行く機会が増えたので、これが旅人の格好としては一般的だという認識はあるが……これは違う。


 魔力のない普通のニンゲンには感じ取ることすら難しいだろうけれど、間違いない。突然現れた来訪者からは私と同じ濃い水と土の匂いがした。


「申し訳ありませんが――当店に私以外のマンドラゴラの入る余地はありませんのでお引き取り下さいませ」


 口ではそう牽制しつつも、情けないことに私の意志と反してうなじの産毛が総毛立つ。それを悟らせない為にも、私はせっかくの楽しいランチタイムを台無しにしてくれた相手に対して精一杯の強がりを吐く。


「店主はどこだ」


 感情の籠もらない声が座ったままの私の頭上から降る。ともすれば感情のないそれは低い音と捉える方が正しいような気さえした。


「……店主は生憎留守にしておりますが――もしいたとしても、初対面の相手に声をかけるというのに、フードを被ったままの不審者に私が会わせるとでもお思いですか?」


 指先に探していた物が触れたことに内心安堵して、少し微笑みを交えて相手に答えると相手は一瞬考え込むように動きを止めた。その間に私は素早くカウンターの下で着々と準備をこなす。


 視線はフードの不審者に向けたまま、薄い手袋をはめて探していた物の蓋を緩めて中身を手袋をはめた掌に取り出して――これで準備は整った。あとは背後の工房のドアを背で庇いつつ相手の出方を窺うことに専念する。


「それは確かにそうだな。これで良いか」


 相手は素直にも……というか、迂闊にも私の言葉を真に受けて顔を隠していたフードを取り払った。その下から現れたのは、私が毎朝鏡の中で見ているのと何らかわらない配色をした雄株――ではなくて、マンドラゴラの男性体だ。


 確か本では貧栄養地で育ったものは男性体になるという話だったはずだけれど、目の前にいる“マンドラゴラの男性体”は意外とスラリとしてはいるが筋肉もしっかりと付いている。


 革の鎧と短剣を身につけているせいで、同族でなければ冒険者ギルドに一人くらいいても紛れてしまいそうな感じだ。


 後ろに撫でつけた深緑の髪を細く一本に纏めて流し、金色の瞳は柔らかいマスターの優しげな目とは違う、横暴さの滲む切れ長の目。しなやかで均整のとれた体つきからもこの同族が“野良”ではないということが分かる。


 偶然自我に目覚めて自分で地面から這いだしたとしても、こうはならないだろう。


 ――初めて見る同族としては全く好みではないけれど。


 要は私とマスターの関係性のようなものを持っている“何者か”に手を借りてこの姿をとっているということだ。


 だからこの状態(人間大)の同族に会うのも、男性体に会うのも初めての体験ではあるけれど……男の存在は私にとって第一級の“不審者”としてしか映らなかった。


「えぇ、では店主には同族が訪ねてきたと伝えておきますので、お名前とご住所と、生年月日と連絡先を教えて頂けます?」


 内心では勿論取り次いだりすることは絶対に有り得ないと思っていても、表面上は当初の予定通り徹頭徹尾店の留守番を全うしようとする私に、相手は一瞬驚いたように目を丸くしてから苦笑する。


 まるで“こんな風にあしらわれることを予想していなかった”とでも言うような様子に苛立ちを感じるものの、店番用の笑顔を貼り付けたまま小首を傾げて相手を見上げた。そしてあろうことか彼は、カウンターに手を付いてグッと私に顔を近付けて、ヒヤリとする笑みを浮かべる。


「元よりお前の主人に用はないからそんな面倒な手続きは必要ないさ。こちらが用があるのはお前だけだ」


 傲慢に笑んでそう言った相手から僅かに身を引いて顔を遠ざけた私は、掌の中身を確認するように握り直す。


「初対面の異性に対して不躾な上に不愉快ですね? 下がりなさい」


「へぇ……大人しい顔の割に気が強いな。もしも嫌だと言ったら?」


「全力で後悔させます。お試しになられますか?」


 ここで怯えた顔をしてはいけないと戦慄く自身を叱咤して真正面から睨みつければ、相手は何が楽しいのか面白そうに喉の奥で笑った。


「くくっ、冗談だ。せっかく同族の異性を見つけたのに出会ってすぐに嫌われたくはない」


「あら、それは残念でしたね。嫌う以前の問題として、私の中での貴方は同族という以外の何でもありません」


 すると相手は、私の偽りなき本心をぶつけたにも関わらず「それは手厳しいな!」と声を上げて笑い始めた。腹が立ったのでソッと右手をカウンターの中から出す。


 そのままその憎らしい顔面に掌の中の物を投げつけようとして、急に手首を掴まれた。ギリギリと締め上げられる掌から握り込んでいた塩が零れる。


「おっと、これは確かに後悔させられそうだ。……当たれば、な?」


 そう言ってさらにグッと顔を近付けられて、その力の差に今度こそ恐怖に身がすくみそうになった。


「お前の才能のない主人など見捨てて、俺の(つがい)にならないか?」


「とんでもない言いより方もあったものですねっ……」


 あまりに一方的で許し難い発言に怒りで萎えていた気力が勢いを取り戻した――と、突然手首の拘束が緩んで男が手を離した。


「今日のところはそれを伝えに来ただけだ。こちらも同族殺しの趣味はないし、お前は貴重な女性体だから傷を付けたくもない。今回は色好い返事をもらえなかったが、お前は気に入った。また寄らせてもらうぞ」


 そう言うと、男はカウンターに置いてあった私の食べかけの昼食を持って来店したときと同様に唐突に店から出て行った。


 私はカウンターの上に広がった塩の小山を見つめて震える肩を抱きしめているのが精一杯で。結局その日はマスターが戻るまで店を再開することが出来ず、初めて店番を失敗するという不名誉な一日となってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ