6-5 脛に傷持つ僕(私)達は……。
「――駄目だな。どう頑張ってもこれが限界だ」
血塗れの手袋を脱ぎ捨てて苛立ちと共にそう言葉を吐き出す。僕達の目の前には、血の池に沈むホーン・ベアーの開き(子)と目と牙の一部、血液、爪を剥ぎ取っただけのホーン・ベアー(親)の残骸が横たわっている。
「ですがマスター、これでもかなりな量になりますし、持ってきたケースや瓶もほぼ使い切りました。それに悔しいですが、親の身体にはこの採取ナイフでは歯が立ちません。幸いまだ冬ですから傷みも遅いですし、まだ剥ぎ取るなら一度街に戻って装備を整え直した方が良いかと思います」
ホーン・ベアー(子)の眼球を瓶に詰めていたパウラがそう正論を語るのを聞けば、頭に血が上っていた僕も少しだけ冷静になってきた。
「うん、いや、それなら一度街に戻ってギルドの子飼いにしている冒険者を数人借りた方が効率的かもしれないな。仮に装備を整え直しても、僕の力でこの親の腹に刃を通せるとも思えないし……」
だったら手っ取り早く人を雇うお金を払って、獲物の解体が得意な冒険者に作業してもらった方が良い。これだけの大物なら、それを売った代金で人を雇った分を帳消しにすることは可能だろう。
「仕方ない、か。パウラの言うように一旦街に戻って冒険者を雇おう。今日はもう一度ここに戻ると時間的に余裕がないし、作業は明日だな」
そうパウラに言いながら、採取ナイフをまだ綺麗な雪で拭っていく。血油で付いた曇りはこの程度では落ちないが、血の汚れくらいなら少し取れる。
パウラもそれにならって小ぶりの採取ナイフを雪で拭う。上着の裏にある隠しポケットからあまり上等ではない懐中時計を取り出した。この時計は大抵三十分前後のズレがあるので、それを考慮に入れるといまは大体三時十分くらいか?
二人してだいぶ鉄錆臭い姿になってしまったので、街に戻るにしてももう少し人の少なくなる時間帯の方が良さそうだ。
「……この姿で街に戻るとちょっと揉めそうだな。戻るのに一時間と考えれば、あと三十分くらいここで時間を潰した方が良いかもしれない。ただ、こんな大物を解体する予定がなかったから、あまり暖を取れるような物は持ってこなかったんだよ」
そんなヴェスパーマンが聞けばだいぶ説教されそうな発言をしつつ、ザックの中を漁っていたら――。
「はいはい、はーい! 話はずっと聞かせてもらったゾ。ほ、本当にずっとだからナ! あいつらが怖くて途中で気絶なんてしてないゾ。ね、ね、それでお前たち温めてやるからサ、パパと一緒にジジをここから出してヨ!」
突如としてどこからともなく……じゃない。
僕達の足許、もっと言うならホーン・ベアー(親)の下から幼い女の子の声がする。空洞になった眼窩を晒して仰向けに倒れているホーン・ベアーの下から場違いに可愛らしい声が聞こえるのは、はっきり言ってかなりおぞましい。質の悪いサイコ・ホラーだ。
しかもこの声――聞き間違いでなければここまで僕達を導いたあの声じゃないのか?
ギルドではよく冒険者を死地へと招く悪質な精霊や妖精の類もいると耳にした。これはもしかしてかなり拙い状況なのでは……。
「……マスター、もしこの下にいるとすれば相手はどう考えても人外です。ここは無視して、一刻も早く引き返しましょう」
すぐ後ろで荷物を纏めていたパウラがいつの間にか隣にやってきて、緊張した面持ちでそう言う。たとえ彼女にそう言われなくとも勿論そうするつもりだった。
「そうだな――服の方は街の入口で説明すれば何とかなるが、ここで良く分からないモノに襲われるのはごめんだ。残念だけど明日のここでの採取も中止にしよう」
「うぅん、本当に残念ですが私の“絶命歌”も精霊系が相手では無駄でしょうし……諦めるしかありませんね」
二人で頷きあって荷物を背負う。これだけの大物をみすみす放置するのは惜しいけれど命あっての物種だ。
「え、え、ちょっと待ってヨ! ジジ悪いことなんて何もしないったラ! だから、ねぇ、パパを、パパだけでもここから出してよゥ。そしたらジジのことはここに置いて行っても構わないかラ!」
それまで僕達のやり取りを静かに聞いていた声の主は、急に切羽詰まった様子になって引き留めてきた。
そのあまりに必死な訴えは姿は見えないものの、声音が幼い女の子だから無性に罪悪感を抱かせるな。なぜこんな森の中で、人外に間違いないであろう相手に憐憫の情を感じなければならないんだ。
隣を見ればパウラもどうしたら良いのか悩んでいるようだし……。
僕はもう一度背負った荷物を雪の上に下ろして、ザックの外側にくくりつけた組み立て式のスコップを手に長い長い溜息を付いた。
***
「なる~。親切心片手に掘り起こしたは良いけど、どうにも扱い方が分からないから再びこのアタシの店に持ち込みッスか。お客さん、あれッス。なかなか無謀に良い奴で、おまけにそれなりに良い目の付け所ッスね」
「……それはどうも」
鑑定しながら褒められてるんだか、舐められてるんだか分からない言葉を発する店主。僕はその声にやや投げやりな返事をした。
あの日はあの後、二時間ほどかかって掘り起こした“パパ”と“それ”は、僕とパウラの受け止められる範疇を越えていた。そこで簡単な埋葬だけ取り急ぎ行って、翌日こうして規格外の世界に生きていそうな店主のいる工房に持ち込んだのだ。
お陰で今日は寝不足な上に、普段あまり使わない筋肉を酷使したせいで筋肉痛になっている。まぁ、まだ翌日に筋肉痛がくるあたり大丈夫、か……?
店主にはホーン・ベアーのくだりやパウラの活躍を全部すっ飛ばし、“森で採取中に古い装備をした職人らしき遺体を見つけた”と言う、大まかな部分を伏せたままでの説明をする。
正直穴だらけの苦しい説明なのでどこかで突っ込みが入るかとヒヤヒヤしていたのだが、店主はそんなこともなく大人しく話を聞いてくれた。この店主なら大丈夫な気もするが、もしかしたらまだどこかにまともな部分もあるかもしれないしな。
僕の隣ではパウラが心配そうに……そして店主の余計な発言に少しムッとした様子で鑑定結果を待っている。
「まぁまぁ、お二人さん、気を悪くしないで下さいッス。お客さん達の見立て通り、この護符アミュレットは正規の商品じゃない上に真っ当な品物でもないッスね」
意味深にそう言った店主がカチャリとトレーの上に“護符”を置いた。深紅の涙型をしたガーネットのペンダントトップが店内の灯りに妖しく輝く。
「ふ、ふふふふっ、良いッスよ……良いッスよ、まじで。興奮するッス、たぎるッス! こっっっっんな曰く付きの品物引き当てるなんて、お客さんお目がやべぇッスわ~! じゃない、高いッスわ~!」
今回は前回よりも落ち着いてるなと思って安心してたんだが――違った。極度の興奮状態で気持ちが追いついてなかっただけか……。
「良いッスよ、この護符はうちで買取させて頂くッス。こんな珍しい掘り出し物はそうそうないッスからね」
興奮で息切れを起こしながらそう言われるとこちらとしてもありがたいのだが、やはりこれを黙っておく訳にはいかないだろうな……。
「そうしてもらえるとこちらとしては嬉しいのだがな、実はその護符について最後にちょっとした問題がある」
これを口にしてしまえば、グッと買取してくれる可能性が下がるけれど仕方がない。チラリと隣を窺えばパウラも渋々とではあるものの頷いた。
「実は――、」
「アタシもずーっと一人の店番に飽き飽きしてたところッスから。お喋りな子は人外だろうが大歓迎ッス。キミもそろそろお喋りしても平気ッスよ~」
「「え……?」」
本日二度目の間の抜けたシンクロに店主が吹き出す。それから何を思ったのか「お客さん達なら平気ッスかね……」と小さく呟く。
「悪い情報なんて黙っときゃ良いのに素直に言おうとしてくれたお客さん達を信用して、アタシも一つとっときの秘密を教えるッスよ。吃驚しないで、は無理目でもあんまドン引きしないでくれると嬉しいッス」
そう言うや、店主は顔を隠していたフードをそっと脱いだ。
現れたのは声のトーンと同じ“元気さ”を押し出した金茶の大きな瞳に、同系色の耳を隠す程度の長さの髪。肌はやや浅黒いが、パウラよりはずっと薄い。年齢は十代の後半くらいだろうか。
一見すれば普通の町娘だけれど……一見して奇妙な顔の左半分。
食い入るようにパウラと見つめていると、どこか自虐的な響きを含ませた店主に「悲鳴を上げても良いんッスよ?」と声をかけられた。
彼女の顔の左半分は、異国の“ライチ”という果物のように斑な赤褐色を帯び、その表面はリザードマンの肌と良く似ている。いや、よくよく見れば肌だけではなく、左の瞳は瞳孔が縦だ。興味をそそられて前のめりに覗き込む。すると、苦笑いを浮かべた店主はパサリとフードを下ろしてしまった。
――もっとよく見たかったんだが。
「いやー、しっかし本当にお客さん達は引きが強いッスね!! スピットファイアなんて、最近では滅多にお目にかかれない上位精霊ッスよ!!」
店主は僕達の反応を好ましく捉えてくれたようで、声はいつにも増してテンションが高かった。
「これ造った職人、こんだけの腕があったならどっかの工房の創設者だったかもしれないのに……残念ッス」
打って変わってしんみりとした言葉に、それまでただの宝石のような顔をして黙していたガーネットが、小刻みに震えだした。
「――ひっく、う、うぇぇ」
「……よしよしッス。ずーっと一人は寂しかったスね。そこで提案があるんスけど、もしもキミさえ良かったらアタシの相棒になる気はないッスか?」
「あい、ぼう?」
「そう、相棒ッス。ずっと一緒にいる奴のことをそう呼ぶんス。それが嫌ならこのペンダントトップを砕いて、自由にしてあげることも出来るッスよ。あ、でもその場合買取は無効になっちゃうんでアタシの一存では決めらんないッスけどね」
そう言いながらチラリと僕達の方を向く店主に無言で頷き返す。もしもそんなことが可能ならそうしてやった方が良い。悠久を生きる精霊達には長い孤独を好むとはとても思えないからだ。
僕達の反応に満足げに頷いた店主は「どうするッスか?」とペンダントの中にいる彼女に訊ねた。
「ジジが……決めても、良いの?」
「勿論ッス……っていうか、ジジって言う名前なんスか? 駄目ッスよ、見知らぬ大人に簡単に名前教えちゃ。さすがに無理やりスピットファイアを使役は出来ないッスからね~」
そうしてガーネットは悩むように数度明滅を繰り返し、僕達が見守る中で一際鮮やかに輝いた。
「じゃあ、じゃあね、ジジ――、」
***
「今回は途中に色々と問題がありましたけど……何とか全てのアイテムを無事に買取してもらえて良かったですね」
「あぁ、そうだな。それに何より一番気がかりだったジジの身のふり方も決まったのは本当に良かったよ」
工房を出た時にはすっかり日も傾いていて、最終の乗合馬車の出発時刻はもうすぐそこまで迫っていた。別れ際、大急ぎで互いの工房名と住所を交換して後はもう、ただひたすら必死に乗合馬車乗り場に急いだ。
その後の詳しい話はまた後日、あの店主から手紙として届くだろう。
何とか無事に滑り込んだ帰りの馬車に揺られながら、パウラと二人でここ三日の出来事を振り返る。
「ふふ、それにしてもマスター。最近、他の街に出かける度におかしな知り合いが出来ますね?」
「む――それもそうだな? だけど、どの出会いも全部違って楽しいよ」
「そういうところ、マスターらしいですね?」
他の乗客を起こさないように二人で身を寄せ合うように話していたら、急にパウラがそう声を潜めて笑う。
「らしい、って……何だかあまり褒められてる感じじゃないな?」
「いいえ、そんなことはありません。スピットファイアのような上位精霊を出会って間もない他人に譲るだなんて、普通しません。あの子がいたら冒険者なんていらないくらい心強い戦力になったでしょうに」
……それは確かに一瞬考えなくもなかったけれど。
「僕にはパウラ一人で十二分過ぎる戦力だから。さすがに君とジジの二人は御しきれない」
軽くおどけたように嘯けば、パウラが暗がりで「もう、マスターなんか知りません」と唇を尖らせる気配がした。
僕はすぐそこに感じるパウラの温かさにつられて微笑んだ。
たとえそれが、護符によって与えられた仮初めの温かさでも。
僕達二人を包み込む、この幸福感だけは、本物だ。




