6-4 うわ……早速出番ですよ。
――――ガツッ。
――――ゴツッ。
――――ゴリリ。
石壁に中身の詰まった麻袋を力一杯ぶつけるような、はたまた石臼で堅い木の実を粉にする時のような不気味な音が辺りに響き渡る。
「ふー……パウラ、そっちはどれくらい採取出来た?」
冬の森で地面に膝をついて雪の下にある土の表面を、ノミと金槌を使って削り出す地味な作業を朝の八時から始めて早一時間。しっとりと汗ばんだ身体からは霧のように水蒸気が立ち上る。
土は思いのほかかなりな硬度になっており、採取作業は当初の予定より大幅に遅れ思うように進んでいなかった。ノミで表面を薄くシャーベット状に削り取られた地面が僕達を嘲笑っているかのようだ。
「うぅん、そうですね――いまで掌に二掴み分くらいでしょうか」
昨日水晶箱を引き取って貰った店で手に入れた護符アミュレットは思った以上の効果があるようで、昨夜からパウラが外しているところを一度も見ない。
店主が“ああ”だったのでどれくらい効果があるか危ぶんでいたけれど杞憂だったようだ。
それとあの護符を身に付けたお陰で変わった恩恵を受けられた点がもう一つあった。あの護符の力場フィールドがどの程度まで有効で、どんな形で力を纏っているかは魔力のない僕には残念ながらよく分からない。
ただ、以前のように手を握ってもその肌を冷たく感じることがないのだ。まるで薄く体温のヴェールを纏ったかの様に温かかった。
かといってパウラに熱がこもって“根”が実態であるその身体に悪影響を及ぼす訳でもない。それが――僕達にはとても新鮮で嬉しい誤算だった。
次に肩にかけた耳当てだが若干邪魔だけれど、これもわざわざ邪魔になると分かっていて持ってきたのにはちゃんと意味がある。
『おー、あんたら職人か? もしもあの森に行くんだったら、あんまし奥には行かんことだぞ。極々たまにだがホーン・ベアーが出るんだ。んでもって、極々稀にあんたらみたいな余所からの職人が喰われるんだよ。ガッハッハ』
と、そう朝一番に宿屋の主人に脅かされたところだ。実際問題この森の中で冬場に食べられる物はほとんどないだろう。そこへお腹を空かせて冬眠が半端になったホーン・ベアーが出没する、と。
一般的に冬眠が浅かったり、中にはしない個体もいるらしいホーン・ベアーは名前の通り一角を持つ熊だが、冬眠をしない個体が凶暴かつ大型なのは普通の熊と変わらない。それどころか普通の熊だって充分人間には脅威だ。
それの強化型――大きさにして三倍から四倍のモンスター熊。攻撃力も素早さも普通の熊と比べるべくもない。もし見つかれば即死フラグが立つこと間違いなしだ。
運悪く出会ってしまえば死ぬ。あちらは歴戦のモンスターで、こちらは戦闘経験皆無の上に丸腰のポーション職人だからな。どう考えても危険を冒してまで奥に踏み入るのは得策ではない。
――しかし、それにしたってこのままではあまりに実入りが悪すぎる。この街への旅費と宿泊費だけで大赤字だ。確かにこの森の土はパウラに調査(食べて)してもらった結果、僕の睨んだ通りかなり高濃度の霊力を含んでいた。
いつだったか工房の兄弟子達が話しているのを聞いたところによれば、昔はフェアリー・リングの産地として知る人ぞ知る穴場だったのだそうだ。
でもそれも今は昔。すっかり乱獲され尽くした現在はほとんどその姿を見ない。しかも冬でフェアリー・リングどころか薬草の一本も生えていない森の中だ。
「うーん、手も痺れて感覚が鈍くなってきたし……このまま一所に留まって土の採集にだけ時間を割くのも惜しいかな。パウラはどう思う?」
さっきから散々外部から加えられた衝撃のせいで、ブルブルと意志に反して勝手に震える手に視線をやりながら、パウラに問いかける。
すると彼女も言い出せなかっただけで薄々そう感じていたのか、あまり乗り気ではないものの「少々危険ではありますが、それが良いかと思います」と賛成してくれた。
それならばと二人で早速荷物を纏めて森の奥に向かう準備を始める。
『―――ぇ!!』
だが耳に微かな声を拾った気がして、荷物を纏める手を止めた。
「パウラ、いま何か言った?」
「いいえマスター。どうかされましたか?」
パウラは小首を傾げて可愛らしく応じてくれた。どうやら僕の気のせいだったようだ。「いや、何でもない」と返して再び荷物を纏め出すと、今度はさっきよりもしっかりとした音――いや?
『――ぁぁ!! ――助け――ぇ!!』
違う――――声だ! 少し遠いが何とか聞こえた声を繋ぎ合わせると、どうにも救援要請のようだった。
「パウラ!」
「はいマスター!」
今度の声はパウラにも聞こえたようで、彼女は手早く残りの荷物を纏め終えていた。二人で顔を見合わせて頷き合うと、荷物を担いで声のした森の奥に向かって駆け出す。しかし確かに声のした方角に向かっていた気はするのだが、森の中ということもありすぐに音が散ってしまう。
闇雲に奥に踏み入れば来た方角も声がした方角も見失ってしまいそうだ。
――と、すっかり忘れていた。
怪しい店主から譲ってもらった最後のアイテム。
「パウラ、ちょっと待って。ここからは何があるか分からないからこれを撒いて行こう。どちらかの身に何かがおこったら、これを辿って街に助けを呼びに行くんだ。良いね?」
緊張と不安の入り混じった表情で頷いたパウラを確認し、小瓶の中から掌に少し取り出した星形の小石を足許に一粒落とした。
すると星形の小石は“シュウゥ”と小さな音を立て、周辺の雪を自らの倍ほどの範囲分溶かして輝き出す。それを目にした僕はウォークウッドに戻る前にもう一度あの店を覗いてみようと思う。
短く「行こう」と声をかけてさらに奥へと進む。森の奥は入口の辺りより針葉樹が多くなってきて、どこを見回してもの同じ場所を歩いているような気分になる。
不安を感じて振り向けば、小石を落とした穴が二人分の足跡と共に点々と残っている。しかし雪で足を取られるせいで体力の消耗がやや早い。
何とか声のした方角を早く割り出さなけれ――――、
「ストップ、ストップだったラ! そ、それ以上ジジとパパに近付いたらひどいんだゾ! ファイヤーの魔法で黒こげにしてやル! 嘘じゃないゾ、本当だゾ!」
…………いた。しかもかなり近距離だ。
声の主はまだ子供で女の子らしいが、語り口で考えるに父親の方はどこか怪我をしているのかもしれない。どんな状態なのかは分からないが気を失っているのであれば怪我の状態も楽観視できるものではなさそうだ。
隣のパウラと無言で頷き合い、そのままそこで音を立てないように周囲の気配を探る。もしも多勢に無勢の場合は非道い話だが巻き込まれたくない。無駄に全員死ぬのは論外だからだ。僕とパウラが冒険者なら話は別だが、いかに口説いと言われようが僕達はただのポーション職人。
最悪瀕死の重傷とかならまだ何とかしてやれるので、相手が物盗りならまだ救える余地はある。ジリジリと風向きを気にしながら検討を付けた方角に二人して進むと、さらに声が聞こえた。
「お、おおお前たちあっちへ行けったラ!! パパをこれ以上虐めたら……ジジが、ゆ、許さないんだからナ!!」
一際太い針葉樹を目隠しに使って声のする方角に風下から近付く。
怖々覗いた先ににいたのは――僕達どころかオットー達ですら手を焼きそうな大きさのホーン・ベアーが一頭と……オットー達なら何とか出来そうな大きさのホーン・ベアーがもう一頭……だけ。
必死になって叫んでいた声の主の女の子も、深手を負った父親の姿もそこにはなかった。
「「え?」」
思わずパウラと二人で間の抜けた声を上げてしまったのだが、それが良くなかった。
二頭のホーン・ベアーはグルリと向きを変えて、いま僕達が隠れている針葉樹の方を振り返る。せめてこの二匹が敵対しているところだったらまだ良かったのに振り返った二頭はとても良く似た顔立ちをしている気が……。
「マスター、もしかしてあの二頭……」
ひそっとパウラが声をかけてくるが、僕は小さく頷き返してその身体を背後に隠したしたまま後ずさる。パウラの言いたいことは分かっていた。
まず間違いなくあの二頭は親子だろう。特徴的な耳の形が一致している個体など、兄弟か、さもなければ親子でしかありえない。身体の大きさが圧倒的に違うところから見てあれは親子だ。
最悪としか言えない現状に眩暈がする。ただでさえ冬ごもりをしない凶暴なホーン・ベアーの個体。しかも子育て中と来た。
もしや声の主もすでに――? とも考えた。しかし一瞬しか見えなかったが、二頭の足許の雪上にはその痕跡の一つも見受けられなかった。
だとしたら他に考えられるのは、たまに冒険者達を惑わせる悪戯者の精霊の類だが、何もこのタイミングでなくてもいいだろう!?
器用に後ろ足だけで立ち上がった二匹はフンフンと鼻を鳴らして空気を嗅いでいたが、ピタリとその動きを止めて四つ足の体勢に……。
「パウラ、さっきの約束を憶えているかい?」
「はい、憶えていますよ」
「良かった。じゃあ今から僕があの二頭を――」
――ポフッ――。
情けなくもかすれた声で“引き付けるから”と続けようとした僕の両耳に突然触れた柔らかい感触。いったい何かと目を丸くしていたら、そんな僕の横をすり抜けるパウラと目が合った。
『あの時、“はい”とは返事していませんから。それ、しっかり押さえていて下さいね』
水の壁に隔てられたようにくぐもった声をかけて僕にペロリと舌を出した彼女に咄嗟に伸ばした腕は、スルリと交わされる。こちらの返事も聞かずにパウラは僕と針葉樹の陰から二頭のホーン・ベアーの前に躍り出た。
と、目の前のパウラが大きく弓形に背を逸らす。その姿を見た途端、思わず反射的に両耳に手を伸ばしてしまったのだが――。
『――――・――・―・―― !!』
その直後に音として捉えられない“何か”が身体を貫くような錯覚。身体は一歩もその場所から動いていないはずなのに、肉体に感じる圧力だけでパウラの背中が遠退いたような気さえする。
針葉樹とパウラの陰になって見えないが――何かホーン・ベアー達のいた辺りから赤い霧状の物が巻き上がって……。
一息ついて振り向いたパウラが『もう大丈夫ですよ、マスター』と得意気に胸を張る。
そんなパウラの上着は、前面にだけ霧吹きで吹きかけたような細かな赤色の点で彩られていた。その手が僕の両耳に伸びてきて覆いを取り払う。
「このアイテム、意外と優れ物ですねマスター」
嬉しそうにそう言うパウラの顔を無言のまま袖で拭ってやると、暗色の上着だというのにべったりと黒いシミが付いた。鼻を近付けると鉄臭い。これは何で染色されたかは聞かなくてもよさそうだな……。
臭いに顔をしかめた僕にパウラが「鉄分って重要なんですよね?」とおどけて見せるその額にデコピンを一発放つ。この……肝を冷やした方の身にもなれ。
腹の虫が治まらないのでそのままパウラに声をかけないで検分をする為に針葉樹の陰から出てみると、そこには外傷は全くない綺麗な姿のホーン・ベアー二頭が倒れていた。
周辺の雪は真っ赤に染まり、血飛沫の跡は結構な広範囲に及んでいる。二頭はまるで赤い池に寝そべっているようにも見えた。
目、耳、鼻……その他の穴という穴から血を吹き出して絶命している姿が彼女の手によることだと思えば空恐ろしさすら感じる――が。
「さて、パウラ」
「は、はい! マスター!」
デコピン一発でしょげ返っていたパウラが、呼ばれた途端に元気良く返事をするのがおかしくて、もう怒る気も失せた。それに何より目の前には最高の素材が転がっているのだ。
「パウラのお陰で良い素材が手に入ったし、新鮮な間に素材を剥いでしまおうか?」
血に、肝に、手――何よりもその角。今回の個体はどちらもメスだったのでそこまで大きな角は持っていなかったがそれでも上出来だ。
オスならこの他に睾丸も入るが……どちらにせよ、凡そポーションに関係のない部位であろうと高値で取り引きされるホーン・ベアー。そんな余すことのない高級素材を目の前に俄然解体にやる気が出た僕は、ここへ導いてきた声のことなどすっかり忘れて、荷物の中から探し出した大振りの採取ナイフを握りしめた。




