L 鬼の目にも嬉し涙【フィア】
L 鬼の目にも嬉し涙【フィア】
「メイ、パパの言う通りにして、お部屋で大人しくしてたよ」
「そうか、そうか。偉いぞ、メイ」
触れると折れそうなくらい線の細い少女が、頬に十字の傷のある男の腕に抱かれながら、その膝の上に座っている。そして、互いに屈託ない満面の笑みで言葉を交わしている。
――極悪人面のドンも、娘の顔を見ると相好を崩さざるを得ないらしい。立派な親馬鹿である。それにしても、海千山千の男から、よくもまぁ、こんな可憐な女の子が生まれたものだ。
「それでね、パパ。メイ、すっごく悩んで、ここに来るまで迷ってたんだけどね」
そこまで言うと、メイはフィアのほうをチラリと見てから、男のほうを向いて続ける。
「あのお姉さんなら良いって、お顔を見てすぐに思ったの」
――何の話かな。私なら良いって、どういうこと。
フィアが内心で疑問符を量産しているのを尻目に、男はメイに優しく言う。
「そうかい、そうかい。それじゃあ、もう少しお部屋で待っていてくれるね。パパは、あとちょっとだけ、このお姉さんとお話しなきゃいけないからね」
「はーい。早く終わらせてね、パパ。メイ、待ちくたびれちゃうから」
メイは、男の膝から降りながら言った。
「はい、はい。すぐに呼ぶからね」
そう男が言うと、メイはドアへ向かって駆け出す。そして、側に控えていた屈強な男が開けたドアを抜けていく。再びドアが重々しい音を立てて閉じられると、男は、サッと真顔に戻ってフィアに話しかける。
「今のが、八歳になった愛娘のメイだ。片親での子育てだが、愛情に飢えて捻じ曲がってしまわないよう、細心の注意を払ってきた、自慢の娘だ」
「その娘さんが、私を何かに認めてくれたようでしたけど」
フィアが口を挟むと、男は少し眉根を寄せながら続ける。
「慌てて論点を先取りしようとするんじゃない。君をここへ呼んだのは、他でもない、娘のことで折り入って頼みがあるからなんだ」
そう言うと、男は両膝に手をつき、頭を下げながら言う。
「これ以上、娘をここに置いておくと、教育上好からぬ影響を受けてしまう。娘を、我々の息の届かない国外に連れて行ってやってくれ。そのための手筈は、すべてこちらで整える。この通りだ」
急に低姿勢になった男の態度に、フィアは呆気に取られる。
――拉致の理由は、目に入れても痛くないほど溺愛する娘を、魔の手が及ばない場所まで逃がすよう頼むためだったのか。残虐非道のドンでも、娘にだけは、悪しき街道を歩ませたくないのか。冷酷な中にも、意外と人情味があるものね。
「わかりました。お引き受けしましょう」
フィアが素っ気なくサラリと言うと、男は顔を上げて言う。
「本当か。言質は取ったぞ」
――こんな脅迫監禁紛いのことをしておいて、発言に自由意志に基づく責任があるとは思えないけど。
「えぇ、お好きにどうぞ。どうせ、何度お断りしても、承諾するまで交渉するつもりだったのでしょう。ただし、こちらからも、お申し出を受ける上で、一つだけお願いがあるのですが」
「何だ。何でも言ってみろ」
「旅券は、娘さんの分と私の分と、合わせて二人分用意していただきたいのです。ここまで、通行査証だけで来たものですから」
「あぁ、良いだろう。それくらいなら、お安い御用だ」
そう言うと、男は立ち上がり、フィアに向かって片手を差し出した。フィアは、遅れて立ち上がると、片手を差し出して男の手を握り返した。そして二人は、無言でアイコンタクトを交わす。男の双眸は、微かに潤んでいるように見える。
メイ:八歳。父子家庭の娘。青色の瞳。銀髪。




