公衆電話群で、僕とワルツを
たったったったっ
霧人は走る。
前のめり気味にコリドールを大股で駆け抜ける。
入学して、ここを全力でダッシュしたことなど彼にはない。
すぐ後ろに空子が追いついてきていた。
ハイヒールは8センチはある高いものだったが、空子の走りっぷりは、その不自由さを微塵も感じさせない。
「はぁ、はあっ……っクソ」
霧人の顎にしたたる汗が、コリドールのコンクリートにポタリと落ちていく。
(おかしい。今頃なら、ゼミ室でマルボロふかしてたはずなのに)
尻ポケットに入っている嗜好品を手で確かめ、霧人は口から一度息を吐く。
彼の視界に、二人の男がぐんぐん入ってきた。
国際学部棟東 公衆電話群
先ほど霧人が神風博士と会話した公衆電話の前で、二人の男が睨み合っている。
霧人から見て奥、国際学部棟側にいる一人は、白いパーカーにジーンズ姿の自身と同じ格好をしたウルトラマンのお面の男。
円谷教授を殺した現場にいた男だ。
そして、もう一人は、
「は? なんだよ、あいつ」
霧人の口から、思わず声が漏れた。
それは、明らかに愕然とした表情をもっている。
彼から見て手前側のド派手な男に、眉をひそめる。
赤い長髪を黒いリボンでひとつに束ねている。黒いギラギラとした服を身にまとったガチムチな男がそこにいた。
なんとこの田舎の大学にそぐわないことだろうと霧人は思う。
まるで、90年代のヴィジュアル系のような出で立ちである。
(あれが、空子が言ってたアカザルか……?)
「そぉいっ!」
声は霧人の後ろから聞こえた。
後ろから一陣の風が吹きぬけるのに、思わず背を押される。
「へぇ?!」
続く間抜けな声は霧人からだ。
何が起こっているのか、彼にはまったくわからなかった。
彼の長く伸びた銀の前髪が、ふぁさ、とおでこにかかった時、
ごめすっ
「へぶぅっ?!」
赤髪の男の後頭部に、空子の飛び蹴りがめりこんだ。
「……え」
これには霧人も驚愕するしかない。
どしゃあ、ががが、どんっ
前にふっとんだ赤髪の男は、咄嗟に右で受け身を取ったが、そのまま公衆電話群に突っ込む。
「は? おま、くう……? なんで蹴ったァ……?!」
慌てて霧人は公衆電話に駆け寄る。
公衆電話の一番手前の一台目、ボックスを支える支柱に、赤髪の男はくの字になったまま動かない。
「何考えてんだよ!!?」
霧人は優雅に態勢を立て直す空子に怒鳴った。
「あたし、そいつ、キライなのよ」
しれっと空子は言う。
「え? 味方じゃないのか?」
話の流れだと身内の人間のはずなのだが、と霧人は思う。
たずねる霧人の背後で、赤髪がのそりと身を起こした。
「イッテテテ〜、マジぱねぇわ。
さすがは特務のフォルトゥナ↑↑↑
クセになりそうだぜ、その愛のムチ♡」
と言って八重歯を見せて笑う。
外傷はなさそうだ。
「無駄に頑丈なのだから、始末が悪いわ。
猿なら猿らしく、山にお帰り!」
ふん、と空子は鼻で笑うと、「さてと」と機嫌良く仕切りなおし、セーギノミカタと対峙した。
白いパーカーの上の、表情のないお面の中で、ぎり、と歯を食いしばる気配がする。
それを感じて、空子は一層嗜虐の笑みを深くした。
「はじめましてぇ、セーギノミカタさん。
あたしのボスがあんたに会いたいんだって。
ちょっち、お時間いただけるかしら?」
じりっ
空子がさらに距離を詰めーー、
ぞくぅ!
霧人の背筋に悪寒が走る。
ーー目があったのだ。
彼の灰色の目と、
自分と同じ服装をしたウルトラマンのお面の男の目が。
霧人は、微動だにできずそのまま立ち尽くす。
(なんだ、なんなんだ? この感情?)
霧人は必死で自分に向けられた感情を分析する。
お面の男から発せられる空気、目線の熱、挙動、息遣い、それらが孕む感情を。
(あきらかに、殺意ではない。
しかも、これは……、ばかな。ありえないだろ)
霧人の首筋に汗がつたう。
パーカーにジワジワとしみていくそれ。
ふつうに考えて、お面の下からの視線なぞ、人間には察しようがない。
実際、今も空子はセーギノミカタと呼ばれるこの男の目線を把握できてはない。
(なぜ、俺にその感情を? 理解ができない……が、)
霧人という男は鋭い観察眼をもっており、対するモノの感情が手に取るようにわかる。
例えば、昆虫がどう飛ぶかさえ、カンタンに読めてしまう。
かたかた、かた、
お面が微かに震えるのを、霧人は見逃さなかった。霧人の灰の瞳が大きく見開く。お面の奥で、涙が光っている。
「ッッちょっと待て、空子!!」
霧人が大きく叫んだ。
「聞けないわねッ!!」
ほぼ同時に、空子はお面の男に向かって高く飛んだ!
同時に霧人もかけだす。
ガッ!
突然、霧人の右足首が強く掴まれた。
「ッヒャ!?」
ずべん!
予定調和に霧人は前のめりに転げる。
「いってぇ、何すんだよ!」
足首を掴む男を睨みつけた。
そんな霧人の殺気におかまいなく、赤髪の男はのしのしと霧人に覆いかぶさってくる。
「久しぶりだなぁ! キリトぉ!!
ゼーレンだぜ! お前のゼーレン=ヴァンデルグだぜぇぇぇ!!」
のしりと体重をかけられ、そのままマウントを取られる霧人。
「ひ、何、こいつ、怖いっっ!」
と、ドン引きする霧人に、
「二十年ぶりだなぁ!!
スグ分かったぜぇ、キリトのこと! 迎えに来たんだ!
また、一緒に仕事しようぜ! 死神長!」
と、まくしたてるゼーレン。
「何言ってるのか全然わかんねぇよ?
とりあえず、重いし!
あんたに俺は会ったことない!
はじめましてだよ! いいから退け!」
「え?」
霧人の言葉に、ゼーレンの動きが止まった。
どん
ゼーレンの力が抜けた一瞬をついて、霧人はゼーレンを押しのけ、空子たちのいる方に顔を向ける。
霧人の腹の奥がざわざわとうるさい。
お面の下から見えた涙を思い出すと、霧人の胸がしめつけられた。
空子とお面の男は、すでに殴り合いをおっぱじめていた。
お面の男が、13台目の公衆電話に追い込まれている。
「楽しませてくれるじゃない。
これでおしまいよ? セーギノミカタさん」
空子のセリフが、完全に悪党である。
悲しむなかれ、彼女は今作のヒロインである。語り部としては、嗚咽が漏れるばかりである。
言わずもがな、その表情も寸分のたがいもなく悪党枠の顔だ。
「さようなら!」
空子がラウンドハイキックをくりだす!
ぶん!
お面の男が公衆電話をもちあげて、盾にする。
がつん!
人骨と硬質なプラスチックが衝突する。
空子は難なく公衆電話を蹴り飛ばし、
がちゃりこ
すかさず、その受話器を取って、くるりと男の背後に回り込むと、コードをお面の男の首に縛り付けた。
「だめよぉ? 国のモノは大事にしなくちゃぁ」
ねっとりとした色香のある声は、お面の男のすぐ耳元で聞こえた。
背後で公衆電話がコンクリートに落ちる音がする。
「ぐっ、ぅぅう」
ぎりぎりぎりぎり
螺旋の緑のコードは伸びきってお面の男の首に食い込んでいく。
「っぐぅ!」
呻きながらも、お面の男は空子の腹に肘鉄を入れた!
「かはっ」
みぞおちに決まり、苦悶の表情を浮かべる空子。
すかさず、お面の男は、コードからすり抜ける。
お面の男には、かなりの疲弊が見て取れる。肩で息をしていて、呼吸も荒い。
「やめろっ!」
霧人が声を荒げた。
霧人は、今まで生きてきて、こんなに大きな声なんて出したことがない。
びくり、とセーギノミカタが震えた。
その反応を見て、霧人は、えたいのしれない不安を感じた。
「キリ、ト、様」
やっとで聞こえる小さな声だった。
「え?」
霧人は、自分の名前を呼ばれてたじろぐ。
「たすけて」
霧人には確かに、そう聞こえた。
どん!!
爆発音がキャンパスにこだました。
セーギノミカタが爆発した音だった。