第12話
俺は普段の倍くらいの飯を胃へ叩き込んで、作業を再開した。次の工程は仮縫いと調整だ。数値上正しい設計に思えても、試作を着てみると改善点がたくさん出るものだ。
数時間経ち、叩き台が完成した。その間ヒヨリは人形のように静かに眠っていた。パルファム、ヒヨリを起こしてくれるか。
「ごめんね寝てたよ……」
「いいんだ、ありがとう。それよりこれを」
仮縫いした試作品をヒヨリへ手渡す。
「すごい、もうこんなに———」
「こっからが長いんだ。とりあえず着てみてほしい」
「うん!」
それから俺たちは、試作を七つ経るまで毎日製作と試着を繰り返した。
実際に飛ぶところを観察したり、剣を振ってもらったりさまざまな動作サンプルを収集した。現状のお互いが納得できる最大限の答えは出せたと感じる。
「わかるよイオリさん、すごくいい服になるって」
「必ずそうする。忙しいのに毎日ありがとうな」
俺たちは最終決定した仮縫いを前に、確かな手応えを感じていた。ここから先はついに本布を触っていく。
「また倒れないでね」
「気をつけるよ。ヒヨリも無事でな」
「ま、たまに様子を見に来てやるパル」
ヒヨリ達を見送って、俺は本格的な製作に入る。老婆の店で購入した魔導繊維を織り込んだ布や、コーティング糸にやっと触れる。未知の素材への期待で胸が高鳴る。
機能面でメインに据えるコンセプトは、ヒヨリの機動力を最大限活かす設計にした。随所にギミックを仕込む予定だ。実現へ向けて死力を尽くしたい。
まずはパターンを本布へ写しとっていく。魔導繊維にも負担なく線を引ける特殊なペンシルも老婆のツールボックスに入っていた。
パターンを切り終わり、裁断に入る。ここでしくじっては布も設計も台無しだ。集中力を限界まで研ぎ澄まし、ハサミを入れる。熱したナイフでバターを切るように容易く裂けていく。刃には一切のがたつきや歪みはなく、よく手入れされている逸品だ。試しに端布へ普通のハサミを当ててみたが、全く歯が立たなかった。
ピアノ線の上を綱渡りするかのような繊細な作業に、かなり消耗した。凝視していた目はかすみ、手がぶれないよう力んでいたせいか肩まで凝り固まっている。ヒヨリからの忠告通り、しっかり休むことにした。
一夜明け、手早く食事を済ませてまた机へ向かう。この繰り返しだ。
たまに、ヒヨリの活動がテレビで中継されていた。また街を守ったらしい。一番心強いBGMだ。はやる気持ちを抑えつつ、一針ごとに人生最後の一縫いのつもりで手を進めていく。
中継は遠くから撮影されているし、動きが早くて定かではないがヒヨリの服は少しヨレ始めている気がした。今のところ支障はなさそうだが、完成が急がれる。
キリのいい所で、老婆を訪ねて完成度を見てもらうこともした。実践から得られた見地に触れられて、とても刺激を受けた。かつての作品なども見せてもらい、やはり自分より優れた職人なのだと確信した。
まだ成長できる、もっと頑張ってもいい。ここまでさせてくれる服飾という文化の懐の深さに感謝の念すらわいてくる。
そして、自分の服を着て欲しいと心から思える相手に出会えたことは、冥利に尽きる。
一つ針を進める度、ここまで上手くできたのか、これからもそうなるだろうかと自問自答する。ただひたすらに繰り返す祈りのような時間。今まで見たこともない輝きが、服から溢れている。ただの感覚に過ぎないのだろう、けど俺には実際に目に見えるようだった。
布から布へと続く巡礼は、三週間続いた。
間違いなく、今までで最高傑作の服ができた。ヒヨリに見せたらどんな顔をしてくれるだろうか。
ヒヨリに来てもらうよう頼んだのは二日後だ。それまで、泥のように眠ろうと思う。
窓を叩く音が聞こえる。いや、ガラスがないから窓枠か。ヒヨリが来たようだ。
「ごめんね、寝てた?」
「寝過ぎたくらいだ、大丈夫」
俺はヒヨリを部屋へ通した。当たり前のように窓から入ってきているから、インターホンという文化を忘れてしまいそうだ。
「待たせたな、完成したよ」
ヒヨリの前にトルソーを運ぶ。布をかけてあるから、まだ中身は見えていない。
「これは……身構えるパル」
パルファムは何かを感じているようで、少し後ずさった。ヒヨリの肩の後ろから少し顔を出している。
「めくってやってくれ。ヒヨリに出会うのを待ってる」
「うん……うん!」
ヒヨリは生唾をのむような動作をして、トルソーと対峙した。
「まだ見てもいないのに不思議」
ヒヨリは恭しく、布の端をたくし上げる。
「——わかるよ。わたしのためにしてくれたこと」
布を取り払うと、純白のドレスとそれを包む外套が現れる。裏地や陰になる部分、差し色はヒヨリの好きな桜色だ。
「こんな、こんなことって……」
ヒヨリは喜ぶというより、困惑している。服に触れようとして手を伸ばすが、引っ込める。
「着てもいいかな?」
「もちろんだ。ヒヨリしか着れない」
「パルファム、お願い」
パルファムが粛々と、ドレスへ手を触れる。この服の構造パターンが解析され、魔石へと姿を変える。パルファムは魔石を俺へ手渡した。
「完成させるのは、イオリの仕事パル」
ヒヨリは目を閉じて、両手を自分の肩へ置いた。普段魔石がはまっている胸元のパーツが空いている。ここへ収めればいいんだな。
数多の祈りを超え、これから行われるのは儀式なのだろう。魔石は陽の光を拡散させ、俺の手の動きに合わせて尾を引いた。あるべき場所へと、収める。
「イオリさん、ありがとう」
魔石から柔らかな光が放たれ、魔導繊維が幾重にもヒヨリの身体へ重なり、形を成す。
ヒヨリが目を開けると、ドレスは初めからそこへあったかのように姿を現した。あまりに自然に、似合っている。
「同じ人間とは思えないよ、素敵だ」
「だとしたら、イオリさんのおかげだね」
ヒヨリは今まで見たことのない笑顔を向けた。俺へというよりは、世界へ向けたような——幸福を分け与えるかのような微笑だ。
服だけでも、完璧と思えるものを作ったつもりだった。しかし実際にヒヨリが着て初めて完成に至ったのだとわかる。輝きは乗算され、眩しいほどに俺の感覚へ飛び込んでくる。こんな日のために、生まれてきたのかもしれない。
「わたし、これで動きたくてうずうずしてきたよ」
「試運転だな、好きなだけ行ってきていいぞ」
俺は窓の外を指した。ヒヨリにその腕を掴まれベランダまで引っ張られる。
「お、おい」
「どうなってるか説明してもらわないとだし、一緒に行くよ!」
「ちょっと待って、心の準備が!」
有無を言わさず、ヒヨリは俺を掴んだまま空へ飛び上がった。腹の下が気持ちわるい。
「イオリさん、すごいよこれ!飛ぶ時ガクンってならない!」
「魔力の通りがスムーズだからパル!」
パルファムも目を輝かせている。人間よりも魔力や服に関して感度がいいのだろう。
「何をしたの、聞かせて!」
「話せば長くなるぞ」
「いいよ、全部聞きたい!」
「言ったな?」
まずは服の全体像からだ。形はノースリーブのワンピースで、丈は膝をちょうど覆うくらいにした。手足の可動域を確保するのと、スピードを落とさないためだ。
そうなると防御面での不安が残るが、魔導繊維の極細レースで肩から手甲までと、腰からブーツの裾までを保護している。鎖帷子のような役割だ。
外套も空気抵抗に差が出ないようにスカートの丈とぴったり合わせている。広げると桜の花びらに似たシルエットになるのがこだわりポイントだ。
「緩急自在な動きをサポートするように作ったつもりだ」
「うん、きっとそうなんだって伝わってくるよ」
手甲とブーツ、そして外套は速度や魔力操作で可変するように設計してある。速度を上げたい時は蕾のように窄まり、流線型になりロスを減らす。逆に抵抗を増やして速度や方向を変えたい時には各部が開く。この機構は裏問屋街の老婆から教えてもらったものだ。
「マントだけで動かして、攻撃をいなしたりできるぞ」
「早く全力で使いたいなぁ」
「試運転は何度かした方がいいだろうな」
ヒヨリは期待と喜びでうずうずしているようだ。気に入ってくれたのなら嬉しい。
「ヒヨリ!!」
パルファムが悲鳴に近い叫び声をあげる。俺には事態が把握できないが、ヒヨリはすぐ頷いた。
「ごめんイオリさん、わたしを信じて」
返事をする間も無く、ヒヨリの手が俺から離れた。頭が上下ひっくり返る。つまり、落下している。無意識に絶叫していた。
「落ち着くパル、絶対助けるパル」
パルファムの声が聴こえる。全く事態を理解できない。逆さのまま必死にヒヨリを視界に収める。
ヒヨリは弾丸のような速さで、白い光の線となって地上へ向かっている。行く先は川にかかった橋だ。人——子供が柵へぶら下がり、落ちかけている。助けに向かっているのか?
俺はなんとか身を捻り、大の字の格好になった。少しでも落下を遅らせないと死ぬ。一秒でもヒヨリが戻るまでの時間を稼ぐんだ。
向き直ると子供の手が離れ、宙へ投げ出された。その瞬間、ヒヨリが到達する。空中で子供を抱き止め、そのまま橋の下を潜り河原の平地へ。子供は少し転がっていたが、大事はないだろう。
ヒヨリは勢いを殺さず弧を描くように飛翔し、橋の鉄柱と鉄柱の間を寸分違わぬ位置どりで通り抜けた。
豆粒のようなヒヨリが瞬く間に眼前へ現れ、下から掬うように俺を受け止めた。
「ごめんね」
「俺はもう死んだ」
「うん……この服ならできると思ったんだ」
「試運転しろとは言ったけど、命を二つ賭けろとは言ってないぞ」
猛烈な安堵感から、笑いがこみあげてきた。
「こんなすごい服……本当にありがとう!」
「ああ——いい笑顔で生き返ったよ」
「このままおばあちゃんに見せに行こうよ!」
ヒヨリの提案をのんで、裏問屋街へ向かうことにした。服の性能が上がったせいか、以前にも増してあっという間の到着だった。




