第1話 ポンコ村の聖女
「おい、知ってるか? 国はずれのポンコ村に『ポンコ村の聖女』って言われてる凄腕の聖女がいるらしいぞ。なんでも浄化っていうのもできるらしい」
向かいの席に座っていた冒険者の男は、それを聞いた瞬間、飲んでいたエールを盛大に吹き出した。
「なんだそのダサい呼び名! ――てか、ポンコ村ってどこだよ!」
「だから、国はずれにある小っちゃな村だって。確か東のハルディアの近くだったかな。教会の聖女より実力があるって話も聞いたぞ」
「は? そんな聖女、いるわけ――」
「――その話、詳しく聞かせてくれないか?」
低い声が、二人の会話を遮った。
グレーのフードを被った長身の男が、いつの間にか隣に立っている。
「そんなこと聞いてどうすんだよ? 回復係なら、教会に紹介してもらえばいいだろ? 無所属の聖女なんて、ちゃんとした教育を受けてるか分からないぞ?」
フードの男はふっと口元を緩めた。
「むしろ最高だ。――俺は、その聖女に決めた。絶対に口説き落とす」
その笑みは、まるで宝物を見つけた子供のような高揚感に溢れていた。
冒険者二人は、意味が分からないという顔で、互いに視線を交わした。
* * *
「ミアねぇね、髪の毛やって。うまくできないの」
私が台所で洗い物をしていると、先日五歳になったばかりの妹のノアがブラシで髪を梳かしながら寝室から出てきた。その姿に、私の頬は自然と緩む。
「ちょっと待ってね」
手についた水滴を茶色のエプロンで拭き、小さな妹を抱っこした。
ノアは家族で一番寝坊したのに、まだ眠いみたい。抱き上げると大きなあくびをして、私の肩に頭を預けた。
ダイニングの椅子にノアを座らせて、ブラシでノアの髪を梳かす。
ノアの髪は母さんの髪と同じ、綺麗なホワイトシルバーの髪をしている。まだ子供の細い髪の毛だけど、日の光を浴びるとキラキラと光る綺麗な髪だ。父さん譲りのくせ毛なのも愛らしい。
ノアの髪を梳かしてから、紐でお団子にする。最後に頭巾を被せて完成だ。
「ミアねぇねのは、私がやるよ」
「え? ノアがやるの?」
私はなんだかおかしくて、笑ってしまった。
「いいから、早く!」
むくれる妹が可愛くて、ここは折れてあげることにした。ノアの隣の椅子を動かして、ノアに背を向けて座る。
ノアは普通に立つと背が足りないので、椅子の上に立って、私の髪紐を解いた。
「ミアねぇねの髪、キレイ。私も、ミアねぇねみたいな真っすぐな髪が良かった」
私の髪は、ノアと違って直毛。ここは母さん似。でも髪の色は父さん似の栗色だ。
「そう? 私には、ノアの髪の方が羨ましいけど」
ノアはぶんぶんと音が鳴るくらい首を振った。
「絶対にミアねぇねの髪の方がいい! だって、ミアねぇねはママに頭巾を被れって、言われないでしょ?」
母さんは自分の髪色も、ノアの髪色も、人に見られるのが嫌みたい。それで、母さんもノアも必ず頭巾をかぶらなきゃいけない。我が家の謎ルールの一つである。
ノアは小さな手で、私の髪を梳かし終えると、髪紐で私の髪を結んだ。なんだか、結びが緩いから落ち着かない。あとで、ノアのいない所でこっそり直さないと。
「ありがとう、ノア。今、スープとパンを出すからね」
私は、台所で鍋のスープを温め直し、妹に出した。朝早くから、リンゴ畑に仕事に行っている両親に代わって、妹の世話をするのが、私の朝の仕事だった。
* * *
妹を連れて、私もリンゴ畑へ。少し雪が残っているが、春が少しずつ近づいて来ていて、柔らかい土やフキノトウが顔を出し始めていた。
「ママー!! パパー!!」
ノアは、リンゴ畑でリンゴの木の剪定をしている父さんと母さんを見つけると走り出した。私は、ノアが雪で滑って転ばないか心配で、後を追いかけた。
「おはよう、ノア。このお寝坊さん」
母さんのスカートに勢いよく飛び込んだノアを、母さんは優しく撫でる。母さんの綺麗な萌黄色の目が細くなった。
「枝を拾えばいい?」
私が聞くと、梯子の上の父さんは振り返って頷いた。
「あぁ、そうしてくれ」
ちなみに、ポンコ村の特産品は果物だ。この辺一帯を治めている領主様が地主で、私たち村人は皆、雇われ農家。毎日畑仕事をして、領主様がお給料をくれる。高くはないけど、家族が暮らしていくには十分な額だ。
私は、ポンコ村が好きだし、この生活も気に入っている。
家族のことはもっと好きだ。
村の他の女の子たちは、この生活が嫌みたいで、「隣街のハルディアに嫁に行こうかな」ってぼやいてたりするけど、私には興味がない。
ハルディアも父さんに連れられて、数回だけ行ったことがあるけど、私には街の良さが分からなかった。人が多くて、行くだけで疲れちゃうから。
私は、きっと死ぬまで、この村で暮らすんだと思う。周りの友達はぼちぼち結婚する子たちも出てきた。私も誰か適当な相手を見つけて、無難に結婚できればそれでよかった。
「うわ!」
近くで作業をしていたお爺ちゃんが何かのはずみで梯子から落ちて、悲鳴をあげた。
私はすぐにお爺ちゃんに駆け寄った。
「お爺ちゃん、大丈夫?」
「いてててて、腰を打っちまったよ」
「待ってね、今治してあげるから」
私はお爺ちゃんの前で両手を組んで祈った。このやり方は母さんから習ったことだった。
私がお爺ちゃんの痛みが治るように強く念じると、お爺ちゃんの体を優しい光が包んだ。
「おぉ、いつもありがとなぁ、ミア。ミアはポンコ村の聖女様だな」
痛みの治まったお爺ちゃんは、にっこりと微笑んで褒めてくれる。
「もう、大げさだよ」
ふと、お爺ちゃんが使っていた梯子に目をやると、梯子の足の部分に黒い靄がくっついていた。
「あ、これ、梯子に瘴気が付いてるよ。だから、急に倒れちゃったんだね」
「おや、ほんとだな。気が付かなかったよ」
「ここも綺麗にしておくね」
私がさっきお爺ちゃんの打ち身を治した時と同じ要領で、瘴気に手を合わせると、梯子の足が光に包まれて、瘴気の黒い靄が跡形もなく消えた。
「今の力! 浄化ではないか!」
聞き覚えのない声がした。
私が振り返ると、そこには見知らぬ男が一人立っていた。
チャコールグレーの分厚いフードを被っていて、男の顔は見えなかったが、腰に剣を下げているところを見るに、どうも冒険者らしい。
その男は、静かだがしっかりとした足取りで近づいてきた。
「やっと見つけた」
「え!」
私の前に男が跪いたので、私は狼狽した。
「君のことを探していた。少しでいいから、話す時間をもらえないか」
「え……」
「断ってもらっても構わない」
「……え?」
フードの下に見える冬の空のような色の瞳には、何の迷いも見られない。寄せた眉からは、むしろ切実さすら伝わってくるようだった。
「ふぉっふぉっふぉ、若い者は良いのう。ほら、ミアちゃん、話だけでも聞いてあげたら良いじゃないか。なぁ、エド? 良いじゃろ?」
お爺ちゃんに名前を呼ばれた父さんは、私の前に跪く男に一瞬目を細めたが、「ミアの好きにしなさい」と言って、仕事に戻ってしまった。
「ねぇね!」
私が立ち上がった男とその場を立ち去ろうとすると、ノアが不安気に私を呼んだ。
振り返ると母さんが妹のノアをスカートで隠すように抱きしめていた。
* * *
私は男の後をついて歩きながら、男の後ろ姿をしげしげと観察した。
背が高い。うちの父さんも村では背が高い方だけど、この男はそれより頭一つ分高いかもしれない。体もがっしりとしていて、肩幅が広い。
目立つフードは厚手の布で、よく見ると縫い目が綺麗にそろっていた。手には柔らかそうな革の手袋。足のブーツは冒険者の割にはくたびれていないようにも見える。
「きゃ!」
前を歩く男が急に立ち止まるから、私は男の背中にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさ、うわぁ!」
慌てて、男から離れようとしたら、雪解け水でぬかるんだ地面に足を取られて、つるっと滑る。
転ぶ!――と思って、体に力を入れたけど、私は転びはしなかった。
男が私の腰に手を回し、私の体を支えていたからだ。
「大丈夫か」
私の心臓が一気の音を立てて脈打った。
男が私を支える手は、壊れ物を扱うかのように丁寧だった。
「だ、大丈夫、平気です……」
心臓のせいで、言葉がうまく出ない。
男の手がすっと私から離れる。まだ、心臓の音がうるさかったけど、私は意を決して気になることを聞くことにした。
「あ、あの…… お名前を聞いてもいいですか?」
「あぁ、申し訳ない。まだ名乗っていなかったな。……冒険者をしているアルトだ。聖女様の名前も教えてほしい」
せ、聖女様だなんて…… 大げさな……
村の人達にはよく「ポンコ村の聖女」なんて言われることもあるけど、初めて会う人に言われると、とたん恥ずかしい。
「ミア……です」
「ミア…… いい名前だな」
アルトの息の混じった低い声で名前を呼ばれると、耳がむず痒い。
「あの…… どうして、私を探してたんですか?」
アルトはふと辺りを警戒するように視線を動かす。
そして、急に私の肩を抱いてきた。
「わわ! なんですか?!」
「落ち着いて。奴らにバレる。いつも通りにしていてくれ」
アルトは私の肩を抱きながら歩いた。これではまるで恋人みたいだ。
私は顔が熱くなって、手で顔をパタパタと扇いだ。
「さっきの質問に答えよう。ここの近くの森の魔物討伐依頼をハルディアの冒険者ギルドから受けてきた」
「え、はい……」
私の予想通り、アルトは冒険者のようだ。
「できれば君にともに歩いて欲しい」
「……はい?」
私の気の抜けた返事に、アルトは私の顔を見て、ふっと優しく笑った。
「俺は、君のことが欲しいんだ」
「はい?!」
アルトはそう言うと、私の後方を鋭い眼光で睨んだ。
この人について行ったら、戻れなくなる気がする――アルトの強い眼差しから、私はなぜか、そんな気がした。
「誰だ、あの冒険者は…… せっかく猊下のお眼鏡に適う聖女を見つけたというのに……」
村の木の陰から、黒いマントの男が首にかかったロザリオを握りしめ、小さく舌打ちをした。




