17.トラウマ
「物資の回収に人が集まらないだと?」
フィンは内心のいらだちを隠さずクインに問いかけた。
「はい、慎也の謹慎により別の者を監督者にしましたが、まとめきれていないようです」
「バカな。この施設の生命線だぞ?! 勝手を言ってどうする」
「そうは言っても、外での作業は危険もはらんでいる。避けたくなる気持ちもわからねえってことはねえな……」
アミールレザーは何かを考え込むように腕を組んだ。
「こういうときの処理はキミの担当じゃなかったか? アミールレザー」
「ああ、その通りだ。俺が作業に戻るよう説得する」
切れるカードが少ないことにアミールレザーは暗鬱な気持ちになった。
――フィンのヤツ、余裕がなくなってきているのかもしれんな。
「ペナルティを受けた者を物資回収にあててはどうでしょう? 労役にもなって一石二鳥です」
クインの様子は変わらない。淡々と自分の仕事をこなしているようだ。
「おいおい、元々は修理班が物資回収を担当しているんだぞ。同じ扱いでは不満が出るに決まってる」
「……監視を兼任させればいい。それならば立場は上だ」
フィンはクインの提案に乗るようだ。短期的には足りない労働力の確保に寄与するだろう。それがどのような影響を与えるかまでは読めない。
「あまりいいアイデアだとは思えねえが」
「そう言っていられない事情もある」
消極的な否定ではフィンの決意を変えられなかったようだ。アミールレザーも根拠の薄い不安を理由に強くは主張しなかった。
ガネッシュは洗濯物を集めに各ブロックごとの回収所を回っていた。一つ一つは軽くても集まればかなりの重さになる。洗濯係はイメージ以上に肉体労働だった。
「よお、ガネッシュじゃねえか」
声をかけてきたのは慎也の取り巻きの一人だ。いつもつるんでいる上に一人一人自己紹介をしてくれるわけではないのでガネッシュは心の中で取り巻きAと呼んでいた。
「何か用ですか? 仕事中なんですが」
「仕事中ってお前、洗濯係なの?」
面白いおもちゃを見つけたように仲間に声をかけ始めた。
「洗濯係って男の仕事か?」
「ほら、ガネッシュちゃんはかわいいから」
「それならそれで別の仕事があるんじゃね?」
「それな! いや、ガネッシュちゃん人気者になるぜ」
野良犬のように群れてくる輩にガネッシュは辟易した。これまでも機会があるごとに絡まれてきた。既にターゲットの一人として認識されているのだろう。逃げ場の少ないこの状況では厄介なことだと嘆息した。
――毅然と振る舞うんだ。弱みを見せると食いついてくるに決まっている。
ガネッシュの育ったスラムにも優位に立ち回ろうとする者ははいて捨てるほどいた。他人を食い物にすることに忌避感を抱かないタイプだ。
「忙しいんですよ。通してもらえませんか?」
「なんだよ、つれねえなあ」
「ちょっと付き合ってくれてもいいんじゃね?」
彼らは通路に広がってゆく手を遮ってくる。鬱陶しいこと甚だしいが、無下に扱っても火に油を注ぐだけだろう。
「先輩たちも暇じゃないんでしょう? 俺も早くこれを持って行かないといけないんですよ」
少し隙間の空いた壁際を無理矢理通ろうとしてガネッシュは身体を滑り込ませた。
「待てよ! オイ!」
壁際にいた一人が激高して勢いよく手を壁についた。辺りに鈍い音が響き渡る。
ガネッシュは一瞬身体をこわばらせた。ガネッシュは他人から高ぶった感情をぶつけられると身をすくませる癖があった。
――くそっ、動けよ。なんで動けないんだよ、このポンコツ!
思い通りにならない自分の身体にガネッシュは歯噛みする思いだった。幼い頃のトラウマが彼の意思を身体の制御から切り離してしまう。
「何とか言ったらどうなんだ?」
「コイツ、震えてんじゃね?」
「マジかよ。ガネッシュちゃん、怖がりですねえ」
何がおかしいのかガネッシュを指差して笑っている。
ガネッシュは身体の震えを表に出さないように精一杯抑えて彼らを睨み付けた。視線に意思が乗るのなら射殺していただろう。
――下を向くな、ガネッシュ。人生を諦めて目を合わせられない人たちを大勢見てきたじゃないか。彼らと同じになるのか?!
「ガネッシュをいじめるなああ!!」
目の前の男が前のめりに吹っ飛んだ。
ガネッシュが運んできた洗濯物に顔を突っ込んでまき散らせる。
その時、初めてシーユウの姿が見えた。走ってきた勢いのまま男の背中を蹴ったようだ。
あまりに予想外の出来事に出くわしてガネッシュの目は点になった。
「何だ? コイツ!」
シーユウは躊躇せずに取り巻きたちを叩き始めた。叩いていると言っても両手で交互に胸を叩いているだけだ。ダメージは無いに等しい。
取り巻き立ちも攻撃を受けて苛立っているというよりも戸惑っている感が強かった。
ようやく取り巻きの一人が我に返ってシーユウの腕を取った。
「痛っ、放してよ! この痴漢、変質者!」
「はあ?! いきなり人を蹴っておいて何言ってんだ?」
「あんたたちの方が先じゃない!」
シーユウは取り巻きたちの前に立ちはだかって一歩も引かない。
――はあ、無茶苦茶だ。シーユウは頭は良いはずなのに、なんで考えなしにトラブルに飛び込むかな……。
そう思いながらもガネッシュは暖かいものに触れたように安らいだ気分になった。
「覚悟はできているんだろうなあ?」
取り巻きの一人が振り上げた拳を、後ろから駆け付けた男が止めた。
「ハイハイ、何があったのかは知らないけど、女を殴るのは止めておいた方がいいんじゃないっすか?」
エミリオは手首を握ったまま取り巻きたちに笑いかけた。
特段、威圧したような様子はなかったが、水を差された形になった取り巻きたちは捨て台詞を吐いて去っていった。
ガネッシュはエミリオに礼を言うと、散らばった洗濯物を集め始めた。
「私も手伝うよ」
「ありがとう、さっきは助かったよ」
ガネッシュの言葉にシーユウは優しく微笑んだ。
「でも、何にも考えずに突っ込んで来るとか、バカじゃない?」
「何でよ!! とにかく急がないとって思うじゃない!」
「次からは人を呼んでくれればいいよ、危ないから」
「もう、ガネッシュなんて知らない!」
シーユウは全身で怒りを表現しながら走り去った。
――ああ、シーユウが友達で良かったな……。




