10.命の洗濯
「何が悲しくて私がこんなことしなきゃならないのよ……」
山積みの洗濯物に囲まれてシーユウは途方に暮れていた。あまりの量に圧倒されて一体どこから手を付けていいかもわからない。口元がひきつった笑いで歪んだ。
呆然としたまま立ち尽くしているシーユウの背中に、洗濯物を抱えて走ってきたガネッシュがぶつかった。
「シーユウ、邪魔だよ!」
洗濯物を頭から被ったシーユウは情けない表情をしている。
頭の上に乗った男物の下着を指でつまんで慌てて放り投げた。
「ああ、私、頭を使う仕事がしたい! 切実に!」
「シーユウは頭以外、使い物にならないからね」
「そういう意味じゃない!」
シーユウは癇癪を起して両手で交互にガネッシュを叩いた。
――こんなかわいい怒り方をするヤツ、初めて見たな……。
「今はみんなが協力するときだろ? 与えられた仕事はやらないと」
「だって、なんか変な匂いがするし、臭いし」
シーユウは頬を膨らませて、理由らしい理由のない反論をした。
ガネッシュは自分が育ったスラムの臭いを思い出していた。ゴミと排泄物の処理されない据えた臭いだ。
宇宙に出てからはあまり匂いを感じることがなかった。閉鎖空間では他人の臭いに敏感になる。人間は生きていても死んでいても様々な臭いをまき散らしているのだ。空気循環システムが働いていなければ、宇宙で暮らす人たちストレスで精神を病んでいくだろう。
しかし、地球では人間が環境に適応していた。常に漂う鼻を突くような臭いの側でも、人間は飯を食べなければ生きていけない。ガネッシュはそんな環境に疑問も持たずに暮らしていた。
ガネッシュの最も古い記憶は、スラムの隣に広がる廃棄場でゴミ漁りをしていたときのことだ。物心がついたときには誰に教えられたか覚えていないが、資源として売れるゴミは知っていた。
ゴミの中から世界的に有名なキャラクターの人形を見つけて、母親に見せるため家に走って帰ったことを覚えている。母親は仕事中だったらしく、困ったような顔をしてガネッシュに、もっと探したら他にも見つかるかもしれないとアドバイスをして廃棄場に追い返した。
家には見知らぬ男がいた。
ガネッシュは薄汚れたプラスティックの人形をどこに行くにも持ち歩いた。塗装が剥げて原形をとどめなくなっても、ガネッシュにとってはずっと宝物だった。
その頃、ゴミ漁り仲間に近所の女の子がいた。ガネッシュは淡い恋心を抱いて彼女に人形をプレゼントした。
女の子はすきっ歯を見せて満面の笑みで感謝を伝えてくれた。ガネッシュの心は温もりに包まれたように感じた。
数年後、その女の子は売春客に首を絞められて殺された。
幸運なことにガネッシュの父親はヤク中でもなく、仕事を持っていた。
しかし、父親は酔っぱらって家に帰ってくると、よく些細な理由でガネッシュと母親を殴った。ガネッシュは父親の顔色を窺って、家にいるときも始終心が休まることはなかった。
そんな父親でも素面の時はガネッシュを可愛がってくれた。文字を教えてくれたのも父親だった。
そしてガネッシュの境遇を救ったのは文字だった。
観光客から盗んだ個人端末でアップしていたブログが新聞社の目に留まり、ガネッシュはスラムから救い出された。最初は警察に捕まるのかと抵抗したガネッシュも、周囲の変化に徐々に適応していった。
貧困学生の支援プログラムを受けて宇宙飛行士を目指せたのはガネッシュの努力の結果でもあるが、運が良かったことも否めないだろう。
――シーユウを見ていると、あの子のことを思い出す。外見は全然似ていないのに。
「さあ、いつまでも怒っていないで。洗濯を始めよう。今日中に終わらないよ」
「……わかってるわよ」
「その類まれなる知能でこの状況を変えて欲しいな」
シーユウはため息をついてガネッシュを睨み付けた。
「ガネッシュって時々意地悪だよね!」
「私物はほとんど持ち込めなかったんだから、これを終わらせないと、明日から着るものが無くなっちゃうよ」
「えっ、それは嫌ね……」
「シーユウはどこまで耐えられるかな。同じ下着で過ごす日々を」
シーユウは歯噛みしてガネッシュを睨み付けた。
「やってやろうじゃない!」
「やっとやる気になったか……」
シーユウは作業の効率化を考え始めた。
各部屋から洗濯物を集めて運ぶのに20分、洗濯乾燥に30分、洗濯ものを畳むのに10分。
6台の洗濯機が30分ごとに絶え間なく動く状態がクリティカルチェーンだ。この時間は短縮できない。
10分ごとに1台ずつ洗濯機を動かし、新たな洗濯物が運ばれる間は、この部屋に山積みにされた洗濯物を入れる。洗濯物を畳むのは後で人手をかけてもいい。
シーユウは成功の手応えを感じて小躍りした。
――いける! これなら最大効率で処理できるわ。
「ガネッシュ、各部屋から洗濯物を集めて! 私は洗濯機を管理するわ」
「えっ、それって前と何も変わってないんだけど……」
「つべこべ言わない! さっさと始めるわよ」
ガネッシュは言われた通り洗濯物を集めに走り出した。
――シーユウが折角やる気になったんだ。水を差すことはないか……。
3時間後、洗濯物の出し入れに手間取って管理しきれなくなったシーユウが、ガネッシュに助けを求めるまでそれは続いた。




