0.プロローグ
――何故こんなことになってしまったのか。
白石絢斗は何度も繰り返してきた問いに思考を振り分ける。
食堂の分厚い天板の机を盾に身を隠してはいるが、決して安全な状況ではない。すぐそばを軟質ゴム弾がすり抜けていく。
隔壁にダメージを与えないためのゴム製とはいえ、決して玩具ではない。暴徒鎮圧用に作られたれっきとした武器である。当たり所が悪ければ、打撲どころではすまないだろう。
「諦める頃合いじゃないか? 意地を張り続けるのもエネルギーの浪費だ」
固い口調でグエン・ヴァン・クインが降伏勧告をする。こちらの返事を待つためか、クインが右手を上げると、少し遅れて銃撃が止んだ。
「クイン、この期に及んでも脳ミソがお花畑だな。返事はこれだ!」
絢斗は脳内で銃弾の雨をお見舞いし、クインたちの命乞いの言葉を想像したところで、我に返った。
多勢に無勢の状況だ。もちろん絢斗はそんな蛮勇を持ち合わせていない。精々、想像の中でストレスを解消する他ない。
「絢斗、俺が言うのもなんだが、この落とし前、どうつける気なんだ?」
エミリオ・レジェスが半分諦めたように声をかけた。
「確かにお前にだけは言われたくない」
エミリオの表情が苦虫を噛み潰したように曇る。
「わかってる。ああ、お前には感謝している。だが、一緒に先の見えないジェットコースターに乗り込んだんだ。一蓮托生ってやつだろ。何か助かる手立てがあるなら教えてくれ。俺の心の安寧のためにも」
――俺にベットするなら最初から乗ってくれよ。
喉まで出かかった悪態を飲み込んで、思考を巡らせる。こちらの戦力は絢斗とエミリオ、横で頭を抱えて蹲っているジャン・シーユウの三人しかいない。
翻ってクインたちは警備科の十人を連れてきていた。
銃のセーフティの解除に四苦八苦していた素人に対して、学生とはいえ正式な訓練を受けたセミプロが相手だ。質と量、共に劣っているとなれば、戦闘で片を付けようなんて狂気の沙汰としか言いようがない。
――ここで投降すれば、クインとて俺たちを殺すような蛮行はしないだろうか? ……いや、状況がこれ以上悪化すれば、奴らの細い理性の上で綱渡りをするのはリスクが高すぎる。
「シーユウ、食糧倉庫のロックを外側から開かないようにできないか?」
「……表のパネルを破壊して中からロックすれば、5分は稼げるわね。その間にネットワークから隔離すれば、数時間ぐらいは稼げるんじゃない?」
「お前、袋のネズミじゃねえか。何が悲しくて並んで崖から飛び降りなきゃならねえんだよ」
エミリオは額に手を当てて天井を見上げた。タイトルを付けるなら「万策尽きた男」だ。
「文句は後で聞いてやるから、今は時間を稼ごう」
「頼むから俺に希望を見せてくれよ!」
文句を言いながらもエミリオは銃を構え直した。少しはやる気が戻ってきたようだ。
「エミリオ、天井を狙え。あの継ぎ目の辺りだ。威嚇射撃で奴らの足を止めるぞ。シーユウはその間に食糧倉庫まで走れ」
二人が頷いたのを確認して、絢斗は右手を開いて見せた。無言のまま指を一本ずつ折ってカウントダウンを始める。
雄たけびと共に立ち上がった絢斗とエミリオは、碌に狙いもつけず銃を撃ち始めた。天井で跳ね返ったゴム弾は、物陰に隠れていたクインたちを怯ませるには十分な役割を果たしてくれた。跳弾となって威力を落としたとはいえ、当たれば打撲痕を残すぐらいのダメージはある。好き好んで銃弾の中に飛び込んでくる奴なんていないだろう。
二人は弾丸を打ち尽くした後、銃を放り投げてシーユウの後を追って走った。
食糧倉庫に走り込んだ絢斗の後にエミリオが続く。
二人が倉庫に入ったのを確認してシーユウはスライド式の扉を閉めてロックをかけた。
誰ともなく扉を背にして床に座り込み、長い溜息をついた。
鈍い打撃音が扉を震わせた。
三人は顔を見合わせて動きを止めたが、外側からそれ以上のアクションはなかった。
追手の誰かが腹立ちまぎれに扉を蹴ったのだろう。
「まったく、アクション映画ばりの銃撃戦だったな」
「こっちは二人とも、なかなか来ないから不安でしょうがなかったわよ!」
「クインの呆気にとられた顔を見せてやりたかったぜ」
分厚い扉の守りに安心したからか、二人の舌は滑らかだった。
「……まだ安心するのは早いぞ。シーユウ、扉の制御をネットワークから切り離してくれ」
「了解、隊長さん」
絢斗の言葉に対して、おどけて敬礼のまねをするシーユウにも笑顔が戻ってきたようだ。
シーユウは端末を立ち上げて虹彩認証をすると、ヴァーチャルコンソールに向かって猛烈な勢いで何かを打ち込み始める。
元々バックドアでも仕込んでいたのか、彼女の指先に迷いはない。数分もしない内に唐突にタイピングを止めた。
「はい、完了。これで時間は稼げるわね」
「……といってもよ。ここからどうやって逃げ出す?」
エミリオの視線の先には、整然と積み重ねられたコンテナと冷蔵倉庫があるだけの袋小路だった。
目まぐるしく変わるエミリオのテンションに絢斗は苦笑しつつ、近場にあった箱からレーションを取り出して二人に放り投げた。
「とりあえず食い物だけは困らなさそうだ」
「……完全に破壊されているな。中央管制室からは開けられないのか?」
クインの質問に対する答えを得ようと、警備科の三年の三田慎也がインカムで連絡を取り始めた。
――初動が遅かったか。無謀な行いをするような人柄には見えなかったが、追い詰められて余裕がなかったのかもしれんな。まだまだ相互監視が足りていないということだ。
クインは苦々しい思いを表に出さずに飲み込んだ。感情をコントロールする術は身に着けている。父親から殴られ続けた幼少期、爆発しそうな感情を深く奥底に隠すことでやり過ごしてきた。理不尽な父親の命令に背いた一つ上の兄は次の日の朝、裏庭で冷たくなっていた。その日、クインはルールを順守することの尊さを魂に刻んだのだ。
「ダメだ。ネットワークが遮断されている……。チッ、シーユウの奴、何か仕掛けていやがったな!」
慎也はコンバットブーツで腹立ちまぎれにポリカーボネート製の扉を思い切り蹴り上げた。
「止めておけ。怪我をしても馬鹿々々しい。整備科の生徒を連れてきて、パネルを修理させろ!」
「……ああ、そうだな。手配しよう。いや、待ってくれ。ダクトからなら中に入れるんじゃないか!?」
「ダクトには一定区画ごとに防塵用のレーザーフィルターが設置されている。何の装備もなしに抜けることは難しいだろう。もちろん我々も同じだが……」
お手上げだとばかりに両手を上げた慎也はインカムで矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。
切り替えの早さには目を見張るものがある。いつまでも自分の考えに固執しないのが慎也の長所だ。
クインとて無能な者を側に置いておくほどの寛容さはなかった。
「あのゲロマズなレーションを、こんなに美味しく感じたことはないな」
「……空腹は最高の調味料ね」
「これが最後の晩餐ってか……」
「死刑囚でも好きなものを食べられるわよ?」
エミリオとシーユウは口一杯に頬張りながら、とりとめのない会話をしていた。
絢斗は一人、倉庫内を調べていた。計画が破綻したからといって、諦めるわけにはいかない。彼には地球に帰らなければならない理由があるのだ。
軽口をたたき合う二人を横目に脱出経路を探していた。
――逃げたところで状況は好転しないんだがな。毎度毎度出たとこ勝負は止めたいもんだ。とはいえ計画通りにいかないことが人生ということで……。
やる気のない改善計画のような空虚な思考を廻らせていた絢斗は、大きく背伸びをして気持ちを切り替えた。
「よし、二人とも時間は十分ある。ひとつクイズをやろう!」
――二人がこちらを見る目が痛い……。
「もたもたしてんじゃねえ。さっさと修理しろよ!」
慎也の叱咤が整備科一年のガネッシュ・カプールへ飛ぶ。ガネッシュは慎也たち警備科のグループによく絡まれている後輩の一人だ。
彼らが獲物を見つける嗅覚は肉食獣並に鋭い。日常のちょっとした反応を見て人を分類するのだ。反抗心を表に出すのか、内に秘めるのかを。
突っかかってくるような自尊心の高い奴を暴力で従わせる手間はかけない。ただ、従順な奴に暗鬱な未来を想像させるだけでいい。彼らの心の中で恐怖が膨れ上がった頃に刈り取ればいいのだ。
慎也たちはそうして従わせた生徒たちを状況に応じて使い分けていた。
――想像力の欠如だ。人は自分の立場からしか物を見られない。相手の立場に立って互いの妥協点を探るような動きを取れる者は限られている。それは取り巻く環境による視野狭窄か、あるいはその方が都合の良い結果を得られるからか……。
「……クイン。おい、クイン!」
「ああ、すまない。考え事をしていた」
「そろそろ、開きそうだぜ。ところで奴らを捕らえたら、どうするんだ?」
「独房に入れておくような余裕はない。屋外での強制労働だな」
「ちょっと、甘いんじゃねえか? こいつは反乱だぜ!」
慎也が不満を漏らした。普段なら休んでいる時間に面倒ごとを押し付けられたのだ。文句の一つも言いたくなる。
「殺したいのか?」
「い、いや、そこまで言うつもりはねえよ……」
「痛めつけたところで生かすのであれば治療が必要だ。無駄飯を食わせるような余裕もない。となれば最低限の食事を与える代わりに労働させるのが最も効率が良い」
クインに浴びせられた怜悧な言葉に、慎也の沸騰していた頭は冷静さを取り戻した。クインの判断と自分の利益の歯車が噛み合う部分を探る。
「……怪我をさせなきゃいいんだな? 精神的苦痛なら、今後反抗する気も失せるだろ?」
慎也はシーユウのスレンダーな肢体を思い浮かべて舌舐めずりをした。
己の獣欲を隠そうともしない慎也の態度に呆れたようにクインは吐き捨てた。
「好きにしろ……」
「さて問題だ! 密室に潜む犯人。部屋の周りは警察が囲んでいる。どうすれば犯人は無事に脱出できるだろうか?」
さっきまで不審な目で見ていたエミリオとシーユウだったが、絢斗の意図を察したのか顔を見合わせると、互いに肩をすくめて会話に加わった。
「陽動だな! 別の場所で騒ぎを起こしてその隙に逃げ出す」
「……密室には誰も知らない隠し通路があった!」
「そんなご都合主義で納得できるかよ!」
「エミリオだって、みんなが陽動に引っかかるなんてあり得る?」
「それは……、犯人が外に出たと思わせればいいんだよ」
「どうやって外に出るのよ!?」
「そりゃ、隠し通路か……?」
「なんで、疑問形!」
三人で思い思いの意見を出し合ったが、議論がループし出したところで、絢斗が助け舟を入れる。
「そうだな、三人で考えて駄目なら、切り札に頼るか……」
絢斗は携帯端末を立ち上げて心当たりの人物にメールを送り始めた。
「ようやくご対面か! 待ち遠しかったぜ」
銃を構える慎也たち警備科の面々の横で、ガネッシュが怯えたように身をすくめながら修理したパネルに最後のコマンドを打ち込んだ。
倉庫の扉がスライドすると共に慎也たちが勢い良く飛び込む。
警戒しながら倉庫の中を調べるが、そこには食糧のコンテナが並ぶだけで誰の姿も見当たらない。
奥に設置された冷凍倉庫の中も同様に空振りだった。
「チッ、どこに隠れやがった? まさかこのコンテナの中か?」
「……まあ、一つずつ探してみてもいいが、外から封をすることはできないだろう。中に入るスペースを作るためには荷物を出す必要もあるが、外に出ている荷物はない」
「じゃあどこに行ったっていうんだ? 三人もの人間が煙のように消えたんだぜ」
クインは視線を上に向ける。
視線の先にはネジが緩んだダクトの蓋がかろうじて枠にかかっていた。
「クソがっ、ダクトはねえって言ったのは、アンタだぜ!」
「……そうだな。だが、レーザーフィルターに異常があれば中央管制室で検知されるはずだ」
「しゃあねえ、ダクトの出口を押さえるぞ! 内部構造のデータを出せ」
慎也は慌ててインカムで各所に指示を出し始めた。
訝しげに倉庫を眺めていたクインはやがて踵を返して中央管制室と向かった。