第1章:濃霧の誘い ―― 岡山・国道53号線の『忌中』
今からおよそ45年前、私が体験した記憶を皆様にお話します。
東京の西葛西に住んでいたあの頃。若さと無鉄砲さだけが武器だった私は愛車のXL250sと共に四国へのロングツーリングを計画しました。
8月11日、午後アパートを出発。
当時は今のように、24時間営業のサービスエリアにガソリンスタンドやレストランがどこにでもある時代ではなかった。
特に夜間はSAの施設が閉まってしまうことも多く、私たち長距離ライダーは一度インターを降りて、国道沿いの「ドライブイン」や「深夜営業のガソリンスタンド」を頼るのが鉄則だった。
東名高速を走り続け、夜中に私が滑り込んだのは、当時から早くに栄えていた浜松インターチェンジだ。
インターを降りてすぐの周辺道路には、大型トラックや長距離ドライバーをターゲットにした深夜営業のガソリンスタンドが煌々と明かりを灯していた。
給油を済ませ、私が初日の宿(仮眠所)として選んだのは、街道沿いにポツンと佇む「オートレストラン(レトロ自販機が並ぶ無人の小屋)」だった。
トーストやうどんの自販機の低い重低音を耳にしながら、ベンチが並ぶ隅にシュラフ(寝袋)を広げて数時間だけ眠る。
旅慣れたライダーにとっては、これもある種の「お決まりの宿」だった。
翌朝、早くに再び東名高速へ戻り、ひたすら西へ走った私が中国自動車道を降りたのは、岡山の津山インターチェンジだった。
確かあの当時は、そこまでしか高速が伸びていなかったように記憶している。
インターを降りると、あたりはすでに深い夜に包まれていた。距離を稼ぐために選んだ深夜の走行。
目指すは四国へ渡るための、岡山のフェリー乗り場だ。ナビなどない時代、赤いタンクの上の「バッグ」に挟んだ地図の記憶だけを頼りに、私は暗い国道53号線へと愛車を滑り込ませた。
しばらく走ると、景色の人工物はまたたく間に減り、道脇には鬱蒼とした森や竹林、時の流れに取り残されたような古いお堂が、ヘッドライトの光に浮かび上がっては後ろへと過ぎ去っていく。
夜風を浴びて走っているはずなのに、肌にまとわりつく空気は妙に生温かい。
新しく舗装されたばかりのアスファルト路面は、まるで宙に浮いているような感覚に陥っている。
気がつけば周囲にうっすらと白い霧が漂い始めていた。
風はまったくなく、木々の一葉さえ揺れていない。
静寂の中、エンジンの排気音だけが、不気味なほど静まり返った夜の空間に吸い込まれていく。
さらに、異常なまでに濃密になっていく霧のせいで、世界の果てをたった一人で走っているような、奇妙な錯覚に囚われ始めていた。
どれくらい走っただろうか。
はるか前方の暗闇の中に、ぽつんと一軒だけ、明かりが灯っている家が見えた。
近づくにつれ、周囲にいくつかの家が点在しているのが分かったが、どの家も深い眠りに就いたように真っ暗で、生活の気配を放っているのはその一軒だけだった。
深夜の静寂の中で、その灯りはどこか異質で、私の視線を強く引きつけた。
その家まで、あと600メートル、いや500メートルほどに迫った、その時だった。
突如、その家の屋根の上空、およそ10メートルほどの高さの空間に、異様なものが現れた。
――ビーチボールほどの大きさの、どす黒く、妖しい赤い光を放つ塊だった。
それは意思を持っているかのように、ゆらりと、しかし確かな重みを持って、赤い光を放ちながら、まっすぐ、ゆっくりと屋根へ向かって降下し始めた。
赤い光は周囲の霧や壁をじっとりと濡らすように照らし出し、そして、屋根の寸前まで落ちた瞬間、まるで最初から存在しなかったかのように、パッと掻き消えた。
「今の、は……?」
ブレーキをかける余裕も、引き返す勇気もないまま、私のバイクは慣性のままにその家の玄関前へと差し掛かる。速度を落としながら、私はたまらずその家を覗き込んだ。
明かりの漏れる玄関先。そこに貼られていたのは、他を圧倒するほど大きく書かれた、二文字の札だった。
『 忌 中 』
その文字を見た瞬間、全身の毛穴が逆立ち、同時に後ろに積んだ荷物が少し重くなった気がした。生温かかったはずの夜風が、氷のように冷たく背筋を駆け抜けた。
あの赤い光は、亡くなったばかりの住人の魂だったのだろうか。私は逃げるようにアクセルをひねり、エンジンの咆哮とともに、霧の立ち込める岡山の闇をさらに先へと突き進んだ。
あの不思議な家を通り過ぎてからも、私はひたすら走り続けた。しかし、強烈な緊張感のあとに訪れたのは、関東から走り詰めの疲れからくる抗いようのない深い眠気だった。
視界がかすみ、このままでは危ない。私はバイクを停めて少し眠ろうと、目を皿のようにして道路脇の「バス停」を探し始めた。
実は、これこそが私のツーリングにおける秘密兵器だった。
「バス停の宿」――それは当時の私にとって、常習的な野営地であり、プライベートロッジのようなものだった。
人は居ない、バスは来ない、屋根があり、ベンチがある。深夜の田舎道であれば、これほど都合の良い仮眠場所はなかった。
幸いにも、すぐにちょうどいいバス停が見つかった。私はすかさず滑り込み、バイクを止めると、蚊取り線香を短く折って火を付け床に置いた。
ベンチに荷台から取り出したクッションを引く。横になった瞬間、眠りに落ちた。
どれほどの時間が経っただろうか。
うつらうつらとする意識の輪郭に、奇妙な雑音が混じり始めた。
……ブツブツ、ブツブツ……。
バス停のすぐ裏手から、誰かが話し込んでいるような声が聞こえる。
「うるさいな……こんな夜中に誰だよ……」
そう思って無理やり目を開けるが、あたりは相変わらず静まり返っていて、濃い霧が立ち込めているだけだ。
気のせいか、と凄まじい眠気に再び負けて、私はすぐに意識を失った。
しかし、またすぐに引き戻される。
今度はさっきよりもはっきりと、数人の人間がすぐ近くでブツブツと、低い声でひそひそ話をしている。
何を話しているのかは分からない。
さすがに気味が悪くなり、すっかり目が覚めてしまった。
結局は静まり返った霧の深い闇の中、これ以上ここにいるのはよそう。
私はすぐに走る支度を済ませ、バイクにまたがってキックペダルを蹴り下ろした。うっすらと白む、はるか向こうの空が見え、そこに爆音が響き渡り、エンジンが掛かる。
一刻も早くこの場を離れようと、クラッチを繋いで霧の中、発進したその瞬間。
ヘッドライトの光が、バス停のすぐ脇と、その裏手の空間をなぞるように照らし出した。
そこに広がっていたのは――見渡す限りのお墓だった。
私が頭を向けて寝ていたベンチの、わずか板一枚隔てたすぐ裏側に、無数の墓石がひっそりと並んでいたのだ。
あの生温かい霧の中、さっきまで私の耳元で囁き合っていた「数人」の正体を悟った瞬間、私は二度目の戦慄に襲われた。
あの赤い光の家と、深夜のバス停の囁き。
私は引き攣る顔のまま、今度こそ一心不乱にアクセルを開け、夜明け前のフェリー乗り場へと、ただひたすらに奇妙な霧の空間を駆け抜けて行った。
やがて宇野を出た宇高国道フェリーは高松港へ滑り込み、私は眠る間もなく四国へ上陸した。そこから目指すは、
「松山市の道後温泉、四万十川」南国・高知のシンボル「はりまや橋」の予定だ。
しかし、この旅で体験した奇妙な出来事は、まだこれで終わりではなかった。
四国へ渡った後も、私を待っていたのは説明のつかない不思議な出来事の連続だったのである。
つづく




