1憧れの世界に転生はした、がしかし
卒業式の日、荻野葉子は交通事故に遭った。
それは高校からの帰り道でのことだった。雨の中、傘を忘れた葉子が、早足で横断歩道を歩いていたその時、信号を無視したトラックが彼女に突っ込んだ。
もうだめだと目を固く閉じた彼女だったが、痛みなどはなかった。
恐る恐る目を開けると、目の前には先ほどいた場所とは違う世界が広がっていた。自分が立っているのはアスファルトの道路ではなく、レンガで舗装された道で、天気は雨ではなく晴れていた。
わけがわからないまま戸惑っていると、自分が誰かと手をつないで歩いていたことに気がついた。葉子は、はっと横を見た。自分の隣を歩いていた少女は、薄桃色の長い髪に、大きな桃色の瞳を持つ、人形かと見紛うような可憐な容姿をしていた。なんと葉子は、彼女のことを知っていた。
「あっ、えっ、えめたま?!」
葉子は目を丸くして声を漏らした。少女は、ええ?と葉子と同じように目を丸くして驚いた。
「スージー、急にどうしたの?」
心配そうに少女は首を傾げる。葉子は立ち止まり、まじまじと少女を見つめた。
「(うそ、間違いない、えめたま…エスメラルダだ…!)」
葉子は驚きのあまり口元を手で覆った。目の前にいる美少女は、エスメラルダ・オータスという名前のキャラクターで、葉子が生前どハマりしていた乙女ゲーム゛シークレット・ラブ゛の登場人物なのである。主人公の友達でもあり、プレイヤーが攻略するキャラによってはライバルにもなるキャラクターだ。THE女の子、といった彼女の見た目と性格を、葉子はとても気に入っていたのだ。
「(あああ、あの超かわいい制服着てる…!えめたまめっちゃ制服似合ってる可愛い…!)」
推しキャラの尊さにぎゅっと胸を締め付けられ、幸せな苦しさから目を伏せたとき、ふと、自分も彼女と同じ制服を着ていることに気がつく。
「(…ん?ところで私は誰?)」
葉子は固まる。エスメラルダにはスージーと呼ばれていた。がしかし、そんなキャラクターはこのゲームに登場してこなかったはず。では誰だというのか。
エスメラルダは困惑したように眉をひそめて、考え込む葉子を見つめた。
「…ねえ、何かあったの?」
「えっ、あ…、き、急に記憶が飛んじゃったみたいで…」
「ええっ?大丈夫?」
エスメラルダは心配そうに葉子の頬を両手で覆った。柔らかく温かいその手に、これまで画面を隔てて接してきたエスメラルダが目の前に実在していることを実感して、葉子はさらに緊張する。エスメラルダは、ねえスージー、と不安そうな表情を浮かべた。
「私たち、さっき永遠の乙女の友情を誓ったのよ。それは覚えている?」
「え、永遠の、乙女の、友情…」
その言葉には聞き覚えがあった。このゲームには女子キャラクターとの友情エンディングというものが存在するのだが、エスメラルダとのエンディングでは、卒業式の日に2人で永遠の乙女の友情を誓うのだ。
「…つまり、今日は、卒業式…」
「え、ええ、そうよ……。……本当に大丈夫…?」
エスメラルダは、葉子の手を握って首を傾げる。葉子は、呆然と立ち尽くす。
「(…つまり、私はこのゲームの主人公になってる…ということ?)」
そんなことを考えついたとき、そういえばこのゲームをプレイするときに、主人公の名前を゛スージー・ノート゛にしていたことを思い出す。西洋風のこのゲームで、純日本人感が漂う自分の名前をつけるのは世界観に合わない気がして、自分が好きだった別の作品のキャラクターから名前を拝借してつけていたのだ。
「(…私、事故で死んだら、好きだったゲームに転生しちゃったってこと…?しかも、クリア後…)」
「と、とりあえず、お迎えも来ているし、早くおうちに帰って休んだほうがいいわ」
エスメラルダはそう言うと、葉子の手を引いて歩き出した。葉子は訳がわからないままその手に引かれて歩き出した。
こうして、事故により死亡してしまった、かと思いきや、好きだったゲームに転生してしまった葉子、改めスージーは、恋愛ゲーム゛シークレット・ラブ゛のエスメラルダとの友情エンディングを迎えた後の世界で生き直すことになったのである。
「(いやあ…、わけがわからん…)」
ノート子爵家の自室にて大きな姿見の前に立ったスージーは、鏡に映る少女と顔を見合わせた。
「(…うーん、明らかに自分の顔だな…)」
スージーはまじまじと自分の顔を見つめる。作画はこのゲーム風にはなっているものの、顔は自分のままである。どうやら、自分がいつか遊んだデータの中に転生したようなのである。
「(…このゲーム、主人公のビジュアルの設定がほとんどないっていうのが特徴だったけど、かといって、私のままでなくとも…)」
スージーはなんとなくがっかりする。どうせ生まれ変われたのなら、恋愛ゲームでヒロインをはれるような可愛い女の子に成り代わりたかったものである。
「(いや、というか、なぜクリア後?!こういうのって普通、シナリオの最初に転生できるものじゃないの?なぜ全部終わった後に転生しちゃうの…?!意味ないじゃん!)」
スージーは無念から頭を抱える。
このゲームは、西洋風の国の貴族の子息たちが学ぶ全寮制の学園が舞台で、シナリオはその入学式から始まる。3年間の学園生活の中で数々の攻略対象キャラたちとの恋愛を楽しみ、卒業式で一人のキャラクターと結ばれるのを目指す、というものだ。それなのに、楽しい恋愛タイムをすっ飛ばして、最後の卒業式の時点に転生してしまうなんて。
「(…えめたまエンドに不満はないけど、どうせなら入学式から転生したかったよ…)」
あああ、と項垂れながら、スージーはソファーに座り込む。
このゲームにおける彼女の一番の推しは、フェリックスという第二王子のキャラクターだった。メインヒーローであるアルベリックの弟で、生真面目で堅物だけれど、デレれば優しくなるある意味典型的な、とにかく顔の良いキャラクターだったのだ。彼は、母親は王妃ではなく国王の愛人という出自で(生まれ年は同じ)、かつ、兄のアルベリックには全てのことにおいてどんなに努力しても勝てないという葛藤の中にいるキャラクターで、そこがスージーにとってとても味がしていたのだ。
「(…生フェリックス様に会いたかったなあ…)」
スージーは悔しさに涙すらにじんだ。
生前、家族関係も良くなく、友達もほぼいないというつまらなさすぎる人生の中で、このゲームが、そしてフェリックスが葉子の生きる希望だったのである。
このゲーム自体は葉子が小学生の時に発売されたものだけれど、全く売れず、続編なども特になかったため、このゲームだけをずっとやりこんでいたのだ。
憂鬱な学校生活を乗り切るため、葉子は学生時代、このゲームを通学カバンにいれて常に持ち歩いていた。この4月からは就職が決まっていたので、これからは通勤カバンに入れて持ち歩き、社会人生活を乗り切ろうと思っていたのだ。それくらい、葉子の生活の一部にこのゲームはなっていた。
「(このゲームを何度もクリアしていたわけだし、攻略方法は熟知していた。ゲーム開始時期に転生できていたなら、生身でフェリックス様と恋愛できたかもしれないのに…!)」
もどかしさから、足をジタバタとさせた。どこにもぶつけようのない悲しみに、はあ、と大きなため息をつくことしかできない。すると、使用人が扉をノックした。入ってきた使用人が、旦那様と奥様がお呼びです、とスージーに伝えた。
使用人に案内されて、スージーは自室から広間に案内された。公式ではこの主人公、小さな子爵家の令嬢という設定だったが、さすがは貴族とでもいうのか、スージーがこれまで葉子として庶民的に生きてきた中では見たことがないほどの豪華な家だった。
広間のテーブルに座った両親の向かい側に、スージーは座った。本編では全く出てこないため、彼らの顔を見るのはこれが初めてだった。転生前の両親への愛着がないとはいえ、見知らぬ彼らがこの世界での自分の親だというのはなんだか不思議な気持ちである。
「卒業おめでとう。3年間よく頑張ったね」
父親がにこりと微笑む。優しそうな様子にスージーは安心しつつ微笑み返す。だがしかし、彼は急に眉をひそめた。
「けれども君はこの3年間で、異性の誰とも結ばれなかった…!」
悔しそうに拳を握りしめる父。はあ、と無念そうに肩を落とす母。
「(あの学園には恋愛しに行く前提だったの…?そんな下心しかない設定だっけ…?)」
「由緒正しき公爵家の嫡男や、さらには王子が2人も同じ学年にいたのに…!」
「この家はそんなに大きくないから、学園以上の出会いは今後ないわよ」
真顔の母に、スージーはそう告げられる。スージーは、はあ…、と状況をよくわからないまま返す。
「卒業してすぐだが、君も次の誕生日が来れば19歳だ。早く結婚相手を見つけなくてはいけない」
父はそう真剣な顔をして言った。スージーはこくりと頷いた。
「(…まあ、貴族なら家のために政略結婚しなきゃだしね…)」
「早速明日からお見合い相手を探すぞ」
「はあ…、え、お見合い?」
スージーは父の言葉に首を傾げる。父は、そうだ、と頷く。スージーは、動揺しながら父を見る。
「お見合い…、お見合い?こういうのって、お父さんとお母さん…ああええと、お父様とお母様が決めた相手と自動的に結婚するものでは…」
「何を言っているんだ?この国は古くから、ちゃんとお見合いをして、家の意向はありつつも、本人たちの意思を尊重して相手を決めているじゃないか」
私たちもそうだったぞ、と父は怪訝そうな顔をする。そんな彼に、スージーはぽかんとなる。
「(…え、何その、西洋風の国が舞台なのに昔の日本の伝統をミックスしたような設定は…)」
「さて、気合を入れて相手を探すぞ」
「ファイトよあなた!」
両親はお互い手を取り合って気合を入れる。スージーは二人を交互に見ながら、今後の婚活戦争を想像してげんなりした。
そんなやり取りがあった1週間後、早速スージーはお見合い相手とレストランの個室で会食をすることとなった。
お相手は男爵家の嫡男で、年はスージーよりも3つほど上。真面目そうな風貌と清潔感のある好青年だった。
「ご趣味は?」
笑顔の彼が尋ねる。スージーは、えっ、と声を漏らす。
「(て、典型的な質問がまさか来るとは…)しゅ、趣味…」
趣味はゲームと漫画である。けれど当然この世界にそんなものはない。スージーは、ええと…、とどもったあと、あっ、読書です、と当たり障りのない返しをした。
すると、好感触だったようで、男性は嬉しそうに目を細めた。
「そうですか、僕もです。最近どんな本を読まれましたか?」
「えっ…」
頭が凍る。この世界の本などもちろん知らない。スージーは背中に大量の冷や汗をかきながら、苦し紛れの笑顔で沈黙を乗り切ろうとする。
「あ、あは…(少年漫画の題名言えば、それっぽく受け取ってもらえるかな…)」
スージーの困った笑顔に何かを察したらしい相手は、似たような困った笑顔を向けて、そして気まずそうにナイフを動かした。重い沈黙のあと取ってつけたように、美味しいですね、と彼は言った。スージーは慌てて、彼の食べているものを食べようとナイフを動かした。その時、緊張と慣れないテーブルマナーに苦戦して、彼女は手にあったフォークを床に落としてしまった。雑な金属音だけが、この苦しい沈黙の中容赦なく響き渡る。
「…」
「…」
二人して固まって黙り込んだ。給仕がスージーの落としたフォークを拾い、新しいものを持ってくる間、スージーは、この高さなら窓から逃げても平気だろうか、ということを考えた。
そんな情けないお見合いは続き、彼女の家には連日お断りの手紙が届いた。
あーあ、と項垂れるすっかり婚活疲れしたスージーに、大丈夫?と向かいに座ったエスメラルダが心配そうに尋ねる。卒業してから初めて、エスメラルダがスージーの家に遊びに来てくれたのだ。
「もう疲れたよ…。最初からずーっと断られてばっかり。もうお見合いなんてまどろっこしいこと言わずに、この人!って決めて欲しいよ…」
お茶請けのクッキーを1枚つまみながら、スージーはだるそうに溜息をつく。
生前恋愛どころか友人すらまともにいなかったため、こういった人との関係の構築が億劫で仕方がないのだ。彼女のない経験値から想像するに、恋愛なんてものはさらに関係の構築と維持が難しい。だから彼女にはこういうお見合いというものが面倒で仕方がなかった。
エスメラルダは、スージーに同調しながら苦笑を漏らした。
「スージーだけじゃなくて、みんな苦戦してるわよ。私もお見合いしてるけど、なかなか決まらないし…」
「ええ?えめたまが?」
スージーは目の前に座るエスメラルダをまじまじと見つめる。優しそうでほんわかした雰囲気、落ち着いた所作、そしてなにより高偏差値の顔面。ゲームをしていたときも、彼女が男子生徒の視線を集めまくっているシーンは何度か差し込まれていた。
「いやいや、えめたまは私みたいに断られないでしょ…。断る人いる?そんな人いる?誰?どこのどんな奴?」
「…ね、ねえ、前から思ってたんだけど、その、えめたま、っていうのは…?」
エスメラルダが首を傾げる。スージーは、勝手に彼女の愛称をつけていたことを思い出し、ご、ごめんなさい、と謝った。
「勝手にあだ名をつけちゃって…。嫌、だったよね…」
「ううん、嫌ではないんだけど、その、えめたま…っていうのはどこから…」
「…あれ、そういえばえめたまって、セドリックと付き合ってるんじゃなかったっけ?」
スージーはそんなことを思い出す。
セドリックとは攻略キャラの一人で、勉強のよくできる、落ち着いた優しい性格の男子生徒だ。緑がかった髪に、穏やかそうな、整った顔立ちの少年で、植物観察と絵を描くことが趣味、そして甘い食べ物が大好き、というプロフィールなのである。
エスメラルダはシナリオの最初からセドリックのことを好きな設定で、セドリックを攻略する場合は彼女がライバルとなるのである。そして、プレイヤーがセドリックを攻略していなければ、彼女と仲良くなっていたことを仄めかす描写が終盤に入るのである(ちなみに、フェリックスとアルベリックにはそういったライバルキャラは設定されていない) 。
エスメラルダとセドリックの2人並んだ雰囲気やビジュアルがとても良く、スージーは2人のカップリングをとても気に入っていた。
エスメラルダは、ええっ!と顔を赤くしたあと、付き合ってないわよ、と頭を何度も横に振った。スージーは、ええ?と目を丸くした後、はっとした。
「(そっか、えめたまは私とのエンディングを迎えてるから、セドリックとはどうともなってないんだ…)…あっ、じ、じゃあ、セドリックにお見合いを申し込んだらどうかな?えめたまならきっと向こうも…」
「…それは無理よ」
エスメラルダは悲しそうに微笑む。スージーは、そんな彼女の笑顔に固まる。
「学園時代にお互い何かあったならまだしも、卒業後にこの人とお見合いがしたいなんて、きっとお父様が許さないわ」
エスメラルダの家は由緒正しき侯爵家なので、家格の面で言えば小さな家であるセドリックとは釣り合いが取れない。スージーは、言葉に詰まる。
「(…どうしよう、私との友情エンディングを迎えたから、えめたまがセドリックと結ばれないなんてことになったら…。あの尊いカップルが成立しないなんてことになったら…、そんなの残念すぎる…!見たい、見たいよ私の推しカップル…!)」
「彼のことはいいの。私の一方的な恋心だから。…ねえ、それより、お互い頑張りましょうね」
ね、とエスメラルダは可愛く意気込む。スージーは浮かない表情で、うん…、と頷いた。
次のお見合い相手の釣書を手に持ったまま、ぼんやりとスージーは考え込んでいた。無理に笑っていたエスメラルダの顔を思い出して、スージーは無念な気持ちで一杯になる。
「(…ああもうバカ私!現実世界でゲームをしてたときはこんなことになるとは思っていなかったとは言え…、あの好きカップリングを成立させられなかったら悔しくて寝られないよ…!)」
「おーい、聞いてんのか?」
手から突然釣書を取られた。顔を上げると、攻略対象であり幼なじみのロドニーがいた。
「あっ、ろ、ロドニー?」
「何度ノックしても返事がないと思ったら、お見合い相手の吟味か」
ロドニーは茶化すように笑いながら釣書を眺めた。スージーは、ぼんやりとロドニーを見た。
彼は、黄色がかった髪をした、登場人物の中ではかなり体格のしっかりした少年で、勉強はそこまでだけれど、とにかく運動神経抜群のキャラクターなのだ。快活でさっぱりした性格をしていて、親しみやすい。
「(…やっぱり、なんだかんだ顔がいいな…)」
まじまじとロドニーを見つめて、そんなことをしみじみスージーは考える。真顔で見つめてくるスージーに、な、なんだよ…、とロドニーは顔を引きつらせる。
「そんなにお見合いが上手く行ってないのか?相談に乗ろうか?」
「ううん…」
スージーは、好きランキングで言えば3番手4番手のロドニーでこんなに顔がいいと思うのなら、一番推しているフェリックスを生で見たら失神してしまうのではないか、と震えた。
ロドニーは髪をかき上げると、わかったわかった、と言った。
「お前を、フェリックス殿下の誕生日パーティーに招待してやるよ」
な?とロドニーはスージーの背中を叩く。スージーは、えっ!と目を丸くした。
「フェリックス殿下…って、同じ学園で、第二王子の?!…なんであなたにそんな権限あるの?」
「俺今、王国の騎士団に入って、殿下の側で護衛してるからさ。1人くらいなら忍び込ませられるよ」
にかっ、と笑うロドニーに、自分の好きキャラランキングでの彼の順位がぐぐっと上がるのをスージーは感じる。
「うそー!ほんと?めっちゃいい人じゃんロドニー!」
「お、おう…。あれ、お前ってそんな性格だっけ…」
ロドニーが怪訝そうな顔をする。彼の言葉に、スージーは言葉が詰まる。
「(…確かに、ゲーム上のスージーはこんなんじゃない…)あ、えっと、婚活戦争を勝ち抜くためにたくましくなったのよ!」
「こん…コンカツ?なんだそれ?」
「結婚活動、略して婚活よ!」
「…よくわからんけど、前の性格のがモテると思うぜ」
ロドニーに正論を言われて、スージーは固まる。ロドニーは、とにかく、と笑った。
「フェリックス殿下の誕生日パーティーなら錚々たるメンツが集まるぜ。お前のお見合いには到底現れないようなすごい家の子息が参加する。なんたって次期国王の誕生日パーティーなんだから!そこでばっちり知り合ってこいよ!」
ロドニーの言葉に、え?とスージーは首を傾げる。
「フェリックス様が次期国王?アルベリックは?」
フェリックスの攻略ルートであれば、フェリックスが国王になるラストで、アルベリックの攻略ルートであれぱアルベリックが国王になるラストであった。今いる世界線では、主人公は2人のうちどちらのルートも辿っていない。ならば、国王と王妃の子供であり長子で、かつ周りからの支持も厚かったアルベリックが次期国王になっていそうなものである。
不思議そうな顔をするスージーに、ロドニーは、お前なあ、と苦々しい顔をする。
「呼び捨てはやめろよ、いくらアルベリック様が勝手に放浪の旅に出ちゃったとは言えさ」
「…は?」
「まさかお前覚えてねえのかよ。アルベリック様は卒業式前に姿を消したじゃねえか。だからフェリックス殿下が次期国王として今、本格的に公務を務めていらっしゃるんだよ」
ロドニーの言葉に、フェリックスの攻略ルートでは、元々王位を継ぐ気のなかったアルベリックが突然いなくなってしまう、という流れだったことを思い出す。
「(…そっか、アルベリックルートって、もともと国王になる気がない彼を主人公が奮い立たせるっていうシナリオだったしな…)」
アルベリックは天性の才能を数多持ちながらも、本人に国王となる気はなく、フェリックスが次期国王としての役割をずっと任され続けていた。フェリックス本人は、次期国王としてふさわしくあるため、そして両親や周りの期待に応えるために血のにじむ努力をしているけれど、アルベリックには決して敵わないことは自覚していた。そして彼は、アルベリックと比べて劣る自分がいつか周りから見放されてしまうのではないかと常に不安に陥っていた。彼のそういうところが、葉子の琴線に触れまくっていたのだ。
「(…アルベリックを奮い立たせる主人公がいなければ、そのままフェリックス様が次期国王としての役割を担うことになるのは自然か…)そ、そうだったね、そういえば…」
「…まあとにかく、お前は結婚相手を見つけるんだろ?頑張れよ、チャンスはくれてやったからさ」
ロドニーは笑顔でそうスージーに告げる。スージーは、え?あ、ああうん、ありがとう!と彼に返した。
そうして、フェリックスの誕生日パーティーの日がやってきた。
貴族の令嬢らしく、スージーはドレスアップして、そして眩しいほど煌めくお城のパーティー会場に足を踏み入れた。
「(こ、これよこれこれ!これこそ転生の醍醐味よ…!)」
優雅にパーティーを楽しむご婦人たちに紛れて、スージーは綺羅びやかな雰囲気を思い切り吸い込む。これまで成果のない婚活ばかりさせられてきたから忘れていたけれど、ここは憧れていたあのゲームの世界なのである。スージーは目を輝かせて周りを見渡す。
「(あーなんか、異世界に来た!って感じかする…!)」
喜びを噛みしめながら会場を歩いていると、周りの視線を集める人物がいることに気がつく。スージーは周りにつられるようにその人物に視線を移す。そこにいた男性に、スージーははっと息を飲む。
「…フェリックス様…」
スージーは、力の抜けた声が漏れた。そこにいたのは、これまでゲームでは見たことのないパーティー用の衣装を着た、フェリックスの姿だった。夜空のような黒がかった青髪に、涼し気なアクアブルーの瞳、凛々しい顔立ち、高い背に長い脚。スージーは口元に手を当てて、喜びに震える心をなんとか落ち着かせようとする。が、しかし、堪えきれない。うれし涙があふれそうなほど胸が震える。
「(し、新規絵のビジュ良っっ…!)」
ぐうう…、と感動を噛みしめながら、ここに転生できてよかった、と心の中で叫ぶ。
周りからの羨望の眼差しを一身に受けながら、彼はこちらへ歩いてきた。スージーは、やった、もっと近くで見られる!と喜びながら、大勢の参加者の中に紛れて彼が自分の前を通り過ぎるのを待った。
フェリックスは、静かにこちらの方へ歩いてくる。周りのご令嬢たちが、彼の姿に息を呑む音が聞こえる。スージーの胸も、それに負けず劣らずうるさい音を立てて鼓動を鳴らしている。
フェリックスは、スージーの前を通り過ぎる。その時、凍てつくような冷たい視線を彼女に突き刺した。スージーは、そんな視線に目を丸くする。そして、にやける口元をまた両手で押さえて隠す。
「(…初期の頃だ…!好感度ゼロの初期ツンフェリックス様だ…!)」
あひゃあと、胸の中ではしゃぐ。仲良くなるにつれてそんな冷たい面は見せなくなってくるので、ゲームにおいては貴重なツンであったりもする。
はしゃぐスージーとは別に、彼女のそばにいたご令嬢たちは、な、なんかフェリックス様不機嫌じゃなかった…?とざわついている。スージーは、そんな周りに、あれ、と首を傾げる。
「(そ、そうかな…?あれが普通じゃないの?…まあ確かに、記憶よりも冷たすぎ…なのかな?生で見ると迫力が増してるだけの気もするけど…)」
スージーは小首をかしげつつも、せっかく転生できたのに姿を見られないのかと諦めていたフェリックスを拝めて、もう十分満足の気持ちになる。
その時、スージーは会場を歩くセドリックの姿を見かけた。はっとして周りを見渡すと、エスメラルダの姿もあった。がしかし、彼女は持ち前の美貌によりひっきりなしに男性から話しかけられている。彼女を呼ぶことを一旦諦めたスージーは、単身でセドリックに近づいた。
「久しぶり、セドリック」
スージーは笑顔で彼に話しかけた。セドリックはスージーを見ると少し驚いたような顔をしたあと、久しぶり、と柔らかい笑顔を向けた。
「(…えっ、ビジュ良き…、フェリックス様といいロドニーといい、美形は生で見ると美しさに輪をかけるんだな…)元気にしてた?」
「え?あ、ああうん…」
セドリックはどこか困惑している。スージーは、どうしたの?と首を傾げた。すると彼は、いや…、と苦笑いをした。
「その、あんまり学園では話さなかったからさ、僕たち。…あっ、もちろん君のことは知っているよ?」
セドリックの言葉に、この世界線ではえめたまルートを辿ったのだから、彼との接触はほぼなかったか、とスージーは思い直す。スージーは苦笑して、ご、ごめんね馴れ馴れしくて…、と謝罪する。セドリックは、ううん、話しかけてくれて嬉しいよ、とフォローする。
「ありがとう。…ところでセドリック、今あなたどこで何をしているの?」
「僕?お城で働いているよ。学生時代からフェリックス殿下にお世話になってたからそのご縁で」
「へえ…」
「あっ、呼ばれてる。ごめんねスージー、また今度」
セドリックはそう言うともう一度笑顔を見せて、そして別の輪の中に呼ばれていった。スージーはぼんやりと彼の背中を見つめる。
「(…お城…、お城でえめたまが働けば、そうしたら2人の接点ができるのかな…)」
「あっ、スージー、あなたも来ていたの?」
ようやく話しかけられ攻撃から逃げてきたらしいエスメラルダが、スージーのそばに来た。スージーは、ねええめたま!とエスメラルダの目をまじまじと見た。エスメラルダは大きな瞳を揺らすと、首を傾げる。その瞬間、スージーは彼女に伝えようとしたことなど頭からぶっ飛んだ。
「…んぎゃわいい…っ!」
「え、えっ?」
「えめたまのドレス姿はまた格別に可愛いっ…!新規絵大量供給ありがとう…!ありがとうっ…!」
「え?あ、ありがとう…。す、スージー、大丈夫…?」
「あっ、ご、ごめんなさい…。あのねえめたま、お城で働くのはどう?」
「えっ?」
エスメラルダは目を丸くする。スージーは彼女に、セドリック、お城にいるみたいだから、と耳打ちをする。エスメラルダはまたさらに目を丸くした後、…ありがとう、と悲しそうに微笑んだ。
「でももう、いいの私。セドリックのことは諦めるから」
「で、でも…」
「おいおい、せっかく呼んでやったのに女同士で固まるなよ!」
背中を軽く叩かれて、振り向くとロドニーがいた。ロドニー!とスージーは彼を見上げた。
「ねえ、お城で働きたいんだけどどうしたらいいの?」
「す、スージー、もういいから…」
「お城?侍女ってこと?」
ロドニーの言葉に、侍女とやらとしてなら働けるのか、とわかったスージーは、そうそう、と頷いた。
「履歴書書いたらいいの?お城の人事課はどこ?」
「りれ…、お前が何言ってんのかはわかんねえけど、侍女は無理だぞ」
「え?」
「もう枠は埋まってるし、それでもなりたいご令嬢はごまんといる」
ロドニーの言葉に、なんでそんなに人気なの?とスージーは首を傾げる。そんな彼女に、ロドニーは不思議そうな顔をする。
「なんでって、城で侍女してたなんて、お見合い相手からはかなり印象いいから、良縁に恵まれやすくなるんだよ…って、お前、それ狙いなんじゃないのか?」
「えっ?あ、ああそう、そう!そうだから、なんとかならない?あなたフェリックス様のお側で仕えてるくらいなんだから、そういう権限ないの?」
「あるわけないだろ!あったとして、お前の家よりずーっと家格の高いご令嬢が、侍女の枠が空くのを今か今かと待ってるんだから、お前に番が回ってくる頃にはお前の嫁の貰い手なんかなくなってるよ」
「ええ…」
「まあ、エスメラルダの家ならまだチャンスはあるかもな」
ロドニーはエスメラルダの方を見て言う。エスメラルダは少し目を丸くする。スージーは、それでいい!とロドニーを見つめる。
「えめたまを侍女にしてよ!お願い!」
「だから、俺にそんな権限…」
「い、いいの!きっとお父様が、すぐにでも結婚しろって言って侍女をするのを許してくださらないから…」
エスメラルダはそう言って微笑む。スージーはそんな彼女の無理矢理の笑顔に、す、好きなくせに…っ!と心の中で地団駄を踏んだ。
帰りの馬車で、スージーはずっとエスメラルダのことを考えていた。
「永遠の乙女の友情を誓うために、えめたまの本当に好きな人と離れさせてしまうなんて…。あの尊いカップルがこの世から消滅してしまうなんてっ…!」
スージーは馬車の窓から夜空を眺めながら、遠ざかる城を恨めしい目で見つめた。
自室にて、フェリックスはセドリックと共に事務作業をしていた。書類は山のように彼の机に積み重なり、崩れ落ちそうなほどである。それを、フェリックスはセドリックと共に必死にさばいていく。
するとそこへ、ロドニーがやってきた。ロドニーは彼らの形相を見ながら、わあ…、と呟いた。
「誕生日パーティーの翌日の朝だというのに、すごい仕事量ですね…」
ロドニーはフェリックスの作業机にある書類の山を眺めて呟く。返事をしないフェリックスの代わりに、仕方ないよ期限は待ってくれないから、とセドリックが苦笑して返す。
「殿下、昨晩はたくさんのご令嬢にアプローチされていましたね。どなたかお気に入りの方はいました?」
ロドニーは、床に落ちた書類を拾いながら尋ねる。フェリックスは、知らん、と冷たく返す。そんな彼に、ロドニーは小さく笑う。
「…選ぶ立場、って良いですよね」
「はあ?」
フェリックスは、書類の方を見ながら怪訝そうに返す。セドリックが、また苦笑する。
「選ぶ方にも選ばれる方にも、当然選ばれない方にも、それぞれ違う悩みがあるさ。…にしても、どうしたの急に?」
「ああいや、選ばれなさすぎる哀れな人を最近見たもので」
ロドニーはとある幼馴染を思い出して吹き出す。そして、あ、と呟くと、殿下、と声をかけた。
「今、侍女の枠って空いてません…よねえ?」
ロドニーに遠慮がちに尋ねられて、知らん、とフェリックスは手を止めずに返す。
「空いてなかったと思うよ。どうして?」
セドリックの言葉に、だよなあ、とロドニーは苦笑する。
「その選ばれなさすぎる人…俺の幼馴染なんですけど、…ああ名前は、スージー・ノートです。同学年の。まあ殿下はご存じないですよね」
ロドニーがそう言うと、ほんの一瞬フェリックスは手を止めた。それに気がついたセドリックが、どうにも気まずそうに眉をひそめる。
そんな彼らの微妙な空気の変化に気が付かず、ロドニーは話を続ける。
「彼女、例に漏れず結婚したいらしいんですけど、お見合いは連戦連敗らしく、その打開策にここで侍女をしたいらしくって。…まあ、空いてたとして彼女じゃ無理ですよね」
ごめんなさい、変なこと言いました、とロドニーは小さく頭を下げる。フェリックスは、少し黙ったあと、無理だ、と返した。
「侍女の枠は前からその空きを待っている者がいる。理由もなく割り込ませることはできない。規律に反する」
フェリックスはそう冷たく言い放つと、この話は終わったとでも言いたげに、作業の手を動かした。
そんなフェリックスをちらりと見たセドリックは、でも…、と彼の様子を伺いながら口を開いた。
「その順番待ちも、決して順番通りにはなりませんよね。権力のある家の方や、権力者とのコネクションがある家の者が優先的に選ばれます。そこに規律も何もありますでしょうか?」
セドリックの言葉に、フェリックスは軽く咳払いをする。
「…権力や権力者とのコネクションのある者を優先することが、これまでの決まりなんだ。それに対してどんな感想を抱こうが、無意味に反故にはできない」
「…そうおっしゃるのなら、彼女は殿下とのコネクションがありますけれど…」
セドリックがぽつりと呟くと、フェリックスは不機嫌そうにギロリと彼を睨んだ。セドリックは彼の様子にとうとう駄目かと察すると、そうですよね、と慌てて手を横に振った。
「規律に反することは殿下が一番嫌うこと、ですよね。…それに、侍女になったら彼女、お城に住むことになりますしね」
それはちょっと…ですよね、とセドリックが恐る恐る尋ねる。よくわからない様子のロドニーは、え?と首を傾げる。フェリックスは、セドリックの言葉に、また一時停止した。
パーティーから1週間後、スージーは部屋でエスメラルダとお茶をしていた。
スージーは、もう見慣れたお断りの手紙をゴミ箱に投げ入れる。
「あー…もうやだ。何もうまくいかない…」
精魂朽ち果てた顔で、スージーは呻く。エスメラルダは、辛いよね…、とスージーの頭を優しく撫でる。
エスメラルダの優しさに浸りながら、自分のことはまだよしとして、エスメラルダとセドリックのことは何とかしたい、という思いに、スージーはさらに苦しむ。
「…あれ?」
お断り手紙を捨てたゴミ箱のなかに、まだ未開封の手紙があったことに気がつく。なんだろう、と思いながら拾い上げると、それはお城からの手紙だった。封を開けてみると、なんと、来週から侍女として働くことを許可する、という内容のものだった。
「…あっ、えめたま!!」
スージーは手紙をエスメラルダに見せた。するとエスメラルダは、ええっ!すごい!!と口元に手を当てて驚いた。
「こ、これで私、えめたまとセドリックの恋のお手伝いができるよ…!」
「…あれ、私のためなの?」
「もちろん!」
「えっ、あっ、そ、そんな、わ、悪いよ…」
申し訳なさそうにしつつも、諦めていた恋に一筋の光が見えた喜びを隠しきれないエスメラルダに、スージーは口元が緩む。
「まあ私も、フェリックス様のお顔を拝めるからさ、それが楽しみでもあるし!」
「フェリックス様…ああ!」
エスメラルダは思い出したように声を出して、そして微笑む。
「やっぱり、スージーってフェリックス様のことを一時期好きだったわよね?」
「…え?」
エスメラルダの言葉に、スージーは固まる。エスメラルダは両手を合わせて、だって、と楽しそうに笑う。
「スージーがフェリックス様とお二人で、テスト勉強しているの、私お見かけしたことあるもの」
2年の頃だったかしら…、と首を傾げるエスメラルダの声が、どんどん遠くなる。テスト前にフェリックスに勉強を教えてもらうイベントは確かに存在しており、シナリオの中盤に差し掛かろうかというくらいのものだったはずである。
「(…まさかこのデータをプレイした私、フェリックス様が好きすぎてつい、えめたまルートをやりつつ、フェリックス様にちょっかいかけてたり…するの…?)」
衝撃の事実に、スージーは頭が真っ白になった。




