15 記憶
15
久しぶりに、あの日のことを思い出した。
――中学生だった頃の記憶だ。
俺はその頃、生徒会長をしていた。……といっても、一学年に二クラスしかない、全校生徒が二〇〇人にも届かないような小さな中学校だった。小屋のように狭い世界で、全員の顔と名前が自然と頭に入ってしまうような、そんな場所。
それでも卒業後は「南高校」という、周辺の中学校から生徒が集まる大きな高校へ進む。だからこそ、中学時代のその閉じた世界は、今思えば奇妙なほどに濃密だった。
生徒会長になったのは、ほんとうになんとなくだ。
……いや、半分は海都に背中を押されたのが理由だった。
「お前は普通に過ごしすぎだ。少しくらい刺激のある経験をしてみろ」
まるでおかんみたいなことを言われて、ついその気になった。
最初は正直、しんどかった。自分には向いていないとも思ったし、責任感の重さに押しつぶされそうにもなった。
けれど、次第に――。
生徒会長という位置からでしか見えない景色に、俺は惹かれていった。それまで見えなかった学校の裏側が、鮮明に見えてくるのが面白かった。あの頃、俺の瞳に映るものは、すべてが眩しく見えた。
生徒たちの間で蠢くいじめも、
先生たちの腹黒い探り合いや、謙虚さを装った仮面も、
相手を小馬鹿にする言葉も、
そのすべてが――人生経験という言葉の意味を、初めて自分の辞書に書き加えたかのように、新鮮で、刺激的だった。
だが、永遠なんて続かない。
気づけば俺は、自分が何をしたいのか、何が向いているのか、わからなくなっていた。
「会長! お願い! 一生のお願いだから、ノート写させて!」
――いつもなら「いいよ」って言ってた。
「会長! ごめん、今日急いで帰らなくちゃいけなくて……。これ、出しておいてくれる?」
――差し出される一枚の紙。代わりの用事。
「おーい、会長~! 厄介なことあってさー。どうにかしてくんね?」
頼まれごと。
処理。
隠蔽。
教師に見つからないようにするための、偽善的な行為。
そしてそれが積み重なるほどに――。
俺自身が、紛れもなく偽善者として形づくられていった。
生徒会長は、いつだって生徒の味方でいなければならない。
生徒の立場で教師と向き合い、学校をよりよくするために最善を尽くすべき存在だ。
……でも、俺は本当にそれで合っているのか?
「海都……俺、もう辞めたい。生徒会長、やりたくない」
「どうしたんだよ、急に。途中で放り投げるなんて、お前らしくないぞ」
生徒会室には、俺と海都のふたりきりだった。
本来は広すぎるはずの部屋なのに、そのときだけはやけに狭く感じた。まるで硬い箱の中で肩を寄せ合っているみたいに、空気が息苦しかった。実際、俺の心には、すでに蓋が閉まり始めていた。
海都はしばらく黙ったまま、資料を印刷機に通し続けていた。
「……もう、わからないんだ。俺は何をやっているのか。学校を、本当によくできてるのか……」
「なんだよ。そんなことで悩んでたのかよ。……気負いするなって」
海都は印刷機のボタンを止め、振り返る。
そして、あの頃の俺――天人に向け、安心させるように笑った。
「お前は正しいよ。何一つ、間違ったことはしてきてない」
その言葉だけで、胸がじんわりと温かくなった。
――そんなふうに断言してくれる友がいることを、俺は本気で幸せだと思った。
あの時は。
まだこれから起きることも、自分の心の弱さも知らなかったあの頃は――。
俺は、普通だ。
普通に生まれて、普通に育ってきた。
普通の人間だからこそ、弱いところがある。
気分によって態度が変わったり、向ける言葉が違ったりするのも、人間として自然なことだと思っていた。
だからこそ――。
こんな俺でも受け止めてくれる友達の存在は、かけがえのない拠り所だった。
なあ、音音。
もしも、あの時――。
俺の選択が間違っていたとしたら。
俺は、何をすればよかった?
お前のために、俺は何をするべきだったんだ?
……何が、正しかったんだ?
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「………う、う……」
天人は、かすかに呻きながら瞼を震わせた。指先に力が入らない。頭の奥がまだ重い。それでも徐々に意識が浮かび上がり、自分が眠っていたことをようやく理解する。
次に気づく。
自分が――砂利の冷たい地面に横たわっているという事実に。
さっきまで頭蓋の内側を殴りつけていた激しい痛みは嘘のように消えていた。ぼんやりとした横向きの視界。歪んだ景色を、脳がゆっくり時間をかけて組み上げていく。
男の人の後ろ姿。
その前で膝をつく、学ラン姿の青年。
そして、そのさらに奥――ふたりの学生の姿がある。
一人は――血まみれ。
もう一人は、その身体を抱きかかえていた。
「…………ッ!」
……見えたじゃねーよ、俺!!
天人は胸の中で自分を叱り飛ばす。ぼやけていた世界に一気に焦点が合い、色と輪郭が鮮明になった。
砂利の上に座り込み、血塗れの少年を抱えて震えているのは――佰乃だった。
言うまでもなく、その腕の中にいる血まみれの少年は――ハル。
視界の端がぐらりと揺れる。理解が遅れ、心臓が早鐘のように跳ねる。
――何が、起きている……?
「ハルッ! 佰乃ッ!」
天人はふらつく体に鞭を打つようにして、二人のもとへ駆け寄った。足元が覚束ないのに、ただ近くに行かなくちゃという焦りだけで身体を動かしていた。
「……これ、一体……。何が、どうなってるんだよ……」
佰乃の腕の中――。ハルの右肩から左脇へと深く走る斬撃。皮膚も肉も、大きく割かれ、溢れ出した鮮血が砂利の地面に黒く染みを広げていく。
「ゴホッ……」
ハルが、弱く血を吐いた。口元から滴る赤が顎を伝い落ちる。呼吸は細く、掠れた音はまるで壊れかけの笛。ヒュウ、ヒュウ、と弱々しい空気の漏れる音が胸をしめつける。
「どうして……なんで……ハル……。私が、願ったから……あんなこと、思ったから……」
佰乃の震える声が、地面に吸い込まれるように消えていく。
天人は震える手で、ハルの手首を掴んだ。
――大丈夫。
ハルの力なら、こんな傷……いつもみたいに、簡単に――。
「なあ、ハル。妖力、使えよ。使って……いつもみたいに治せよ」
しかし。
握った手首には、まるで力が入っていない。生きている温度はあるのに、返ってくるはずの反応がない。
ハルの呼吸はさらに荒く、浅くなる。妖力は発動しない。淡い光も、癒しの気配も……何ひとつ現れない。
なんでだよ。
いつもみたいに、へらへら笑って……。
“しょうがないなぁ”って……。
そうやって治して見せろよ。
ズキッ――!
鋭い痛みが後頭部を貫いた。
今そんなものに反応している余裕なんてないのに、視界が少しだけ揺れた。
天人の指先から力が抜けていく。ハルの手が、支えを失ったように――ぽとり、と地面に落ちた。
「……嗚呼、遅かったか」
誰かの低く落ち着いた声が、背後から落ちるように響いた次の瞬間――。
天人の意識は、ふたたび闇へ沈んでいった。
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