12 依頼完了
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「ひゃくのぉ〜〜〜!」
「……ごめんなさい。心配かけて」
「ほんとーだよ! まったく! こっちがどれだけ心配したと思ってるんだ!」
――まあ、こうなるとは思っていた。
予想通りといえば予想通りの光景だ。
天人は深く長い息を吐いた。こうして改めて目にすると、ハルの佰乃への溺愛ぶりは、もうほとんど動物的な反射だ。過保護という言葉では足りない。あまりの全力さに、こちらが目をそらしたくなるほどだ。
洞窟の出口に姿を見せた佰乃を見つけるなり、ハルは弾かれたように飛びつき、その勢いのまま佰乃を押し倒して地面に尻餅をつかせてしまったのだから、尚更だ。
天人はもう一度ため息を飲み込み、誰にも気づかれぬよう、そっと口元に微笑を浮かべた。
――何より、無事でよかった。
天人はポケットから携帯を取り出し、舞子へ何度かコールを送った。
「とりあえず、佰乃は無事だったよ。今から東家にみんなで戻るけど、舞子はどうする? 合流するか?」
今回も、舞子の超感覚がなければ、佰乃の居場所を正確に突き止めることなんてできなかった。通話の向こうからは舞子の声……だけではなかった。どうやら源郎も一緒にいるらしい。
『ごめん、あーくん。行きたいのは山々なんだけど、今ちょっと手が離せなくて……――』
と言いかけた直後、「熱い熱い熱い!」「やっば! これ分かんねぇ!」などと源郎の騒がしい声が割り込んでくる。どうやら何かに奮闘している最中らしい。
「わかった。じゃあ、また後で」
通話を終えて携帯をポケットにしまうと、ハルと佰乃はようやく落ち着いたようだった。天人はふたりのもとへ歩み寄り、穏やかに声をかける。
「これから、佰乃の家に戻ろう。万が一のことがあったら怖いし、早めに休んだほうがいい」
「そーだよ、佰乃。帰ろう」
その言葉に、佰乃は小さく息をつき、微笑んだ。ハルは佰乃の手を引いて歩き出そうとした。だが、佰乃はそっとその手を止め、わずかに眉を下げて洞窟の暗がりへと振り返った。
7羽の青年――いや、7人の兄を前に。
佰乃の視線は、深い迷いと痛みを湛えていた。
「…………どうした?」
ハルが不安げに問う。
「――彼らをこのまま置いていけば……いずれ陰陽師に祓われてしまう。存在そのものが……消えてしまうの……」
その言葉に、ハルは首をかしげた。天人は何も言わず、ただ静かに佰乃の横顔を見守っている。外はすでに夕闇が深く、冬の空気は冷たく尖っている。5時を過ぎたばかりなのに、夜はもう世界を飲み込もうとしていた。
佰乃はそっとハルの手を振りほどくと、洞窟の中へ向き直り、青年たちとアイリスへ声をかけた。
「お願い……早く、この町を出て。ここよりも、もっといい場所が日本にはたくさんあるから。だから――」
「……どうして?」
アイリスが、静かに問い返す。
「この町にいたら、陰陽師があなたたちを祓いに来る……。だから……祓われる前に逃げないと……あなたたちは……」
「心配してくれているのね。……ありがとう」
その声は柔らかく、どこか温かった。
「でも、大丈夫。私は、とっくに覚悟しているの。兄たちも、きっと同じよ」
アイリスが一言一句を紡ぐたび――。
彼女のまわりに細い光の糸がふわりと現れ、ゆらめき、絡み合い、淡くその姿を変えていく。
光は涙のように澄んでいて、雪のように儚くて――。
その変化は、まるで彼女自身の運命が形を変えていくかのようだった。
「妖怪や幽霊の存在が、この世界にとって普通じゃなくて……邪魔者であることは、ちゃんと分かっているわ。だからこそ、あなたたちのような陰陽師が存在しているのでしょう?」
「………」
その言葉が空気に溶けた瞬間、アイリスの身体を包む光がふわりと揺れた。
次の瞬間――彼女は、まるで別人のように姿を変えていた。
それがきっと、彼女の本来の姿なのだろう。
波打つ金色の髪は夜風に溶ける光のようで、身を包む衣服は、失われていたはずの気品を取り戻したかのように淡い光を放ち、額に落ちる前髪の隙間からのぞく瞳は、水晶玉のように透き通る紅色だった。
先ほどまで確かに存在していた鳥籠も、手錠も――跡形もなく消えている。
長い年月、亡霊として彷徨ううちに削がれ、曇り、失われていったもの。
それらすべてが今、静かに彼女のもとへ帰ってきたのだ。
そうであるならば、陰陽師たちが警戒するのも当然だ。これほど強い霊的存在が町に現れれば、祓いの標的になることは避けられない。
だからこそ、佰乃は必死に彼らへ警告した。しかし、アイリスはそっと首を振った。
「ねえ、知っている……?」
光に包まれたまま、アイリスはやわらかな笑みを浮かべて語り出す。
「この世にはね、あなたたちが暮らしている世界とは別に、同じ時間を流れているもうひとつの世界が存在しているの」
その世界では――。
妖怪も幽霊も、人間と同じように暮らし、同じように働き、地位があり、家族がいて、愛を持ち、あたりまえのように生きているのだという。
「たとえ私たちが、この世界で消えたとしても……あちらの世界の私たちは、ずっと変わらずに生きていくの。それで、私は十分なの」
微笑みながら、アイリスは続けた。
「私たちの存在の痕跡がどこかに残ってくれるなら。誰かが私たちを――覚えていてくれるなら。それだけで、もう何も望まないわ」
そして――。
「……それに、あなたたちが覚えていてくれるでしょう?」
その声音は、ひまわりのようにやわらかくて、やさしく、あたたかかった。
その言葉が佰乃の胸に触れた瞬間、押し寄せるような感情が波のように広がる。アイリスの瞳に宿る光は、すべてを悟り、すべてを受け入れた者のまなざしで――。
その深さは、普段冷静な天人ですら息を呑むほどだった。
「ありがとう、小さな学生さんたち」
その一言にこめられた感謝は、驚くほどまっすぐで、澄んでいて、佰乃の心にやさしく触れて、そっと爪痕を残した。
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「なあ、ハル」
「なーに?」
くるりと振り返ったハルに、天人はわずかに眉を寄せ、つまらなそうな声で言った。
「初めて7羽のカラスに会った時さ。お前、言ってただろ? “自分のことは覚えなくていい、どうせすぐに消えるから”って」
「言ったっけ?」
ハルはあっさりと、とぼけてみせた。歩き始めた彼に、天人は歩幅を合わせて並んで歩く。冬の風がふたりの頬をかすめ、白い息がゆらりと混ざった。
「誤魔化すなよ。……あれ、どういう意味だ? まさか本当に、お前が……消えるとか? 妖力の副作用で……」
天人の言葉が終わる前に、ハルはふっと鼻で笑った。
「そんなはずないじゃん。……あれは、例えみたいなもんだよ」
「例え?」
「うん。だってさ――ハルたちは、彼女のお兄さんを見つけたら、きっと別れなきゃいけないでしょう? それに、Don’t saythatのみんなも、いずれ祓われちゃう運命にある。だから……覚えてても、仕方ないかなって思っただけ」
「……ほんとかよ」
天人は深く息を吐き、小さくため息をついた。
ふと横目で見る。自分より少し背が高くて、癖のある長い髪が風に揺れるハルの姿がある。
――少し長すぎる気がする。
「切った方がいい」なんて言ってみても、どうせ聞きやしないだろう。
視線を前へ戻しながら、天人は一瞬だけ胸がざわつくのを感じた。まるで、いつかふっと煙のように消えてしまいそうだ。そんな儚げな雰囲気が、ハルのまわりにはいつも漂っていた。
澄んだ冬空は、不思議なほど暗く、何もかもを静かに呑み込んでいくようだった。
――そして、それから5日後。
「Don’t saythat」たちが祓われた、と知らせが届いた。




