第16話:偽りの預言、あるいは書き換えられた聖典
極寒の古代遺跡を「私物化」してから数日。三人の乗るキャンピングカーは、大陸中央部に位置する聖教国ルミナリスの国境へと差し掛かっていた。
この国は、世界を創りし神の言葉を記した「聖典」を絶対の正義とし、異端を徹底的に排除することで平和を維持してきた純潔の地だ。
見渡す限り広がる黄金色の麦畑と、白亜の塔が立ち並ぶ美しい景観。
しかし、その平和の裏側には、高度な選別魔法による「不適合者」の追放という冷酷なシステムが隠されていた。
ナツキは助手席で、スマホをいじりながら窓の外の検問所を眺めていた。
「おじさんたち、さっきからずっと空を拝んでるよ。カズヤ、あれは何かのイベントか?」
ナツキが指差した先では、数千人の信徒が真っ白な石畳の上に跪き、上空に浮かぶ巨大な黄金の碑文を見上げて涙を流していた。
「聖典の定期更新だよ。この国のメインサーバーが、新しい教義を信徒の脳内へ直接ダウンロードしているんだ」
カズヤは運転席で、ダッシュボードに固定したタブレットのログを高速でスクロールさせた。
彼の手元の画面には、信徒たちが仰ぎ見る「神の言葉」が、ただのテキストデータとして無機質に表示されている。
「おじさんたちの言う『預言』って、要は運営からのパッチノートだね。あ、またバグ修正が入ってる」
「パッチノートって。神様も、意外とマメにアプデしてるんだな」
ナツキが呆れたように鼻で笑い、ストロング系の新しい缶を開けた。
プシュッ、という快音が車内に響く。聖なる祈りの静寂を切り裂く、あまりに冒涜的な生活音だった。
「よかばい。どんなに立派な教典でも、腹は膨れんたい」
後部座席では、マルモが黄金色の特大カボチャをまな板の上で真っ二つに叩き割っていた。
この国で「神の果実」として崇められている最高級の食材だが、マルモにとっては単なる「今夜の煮物の具材」でしかない。
「庄田国の王子特製、神も腰を抜かす『黄金カボチャのそぼろあんかけ』ばい!」
マルモが指先から漆黒の焔を出し、一瞬で鍋を適温まで加熱する。
醤油と砂糖、そしてダシの香りが、聖教国の清浄な空気を侵食するように車外へと漏れ出していく。
「マルモ、それ一皿。この国の空気、綺麗すぎて逆に落ち着かないんだ」
「よかよか。ナツキ、これば食えば、どんな『お告げ』もただの雑音に聞こえるばい!」
ナツキは差し出された小鉢を受け取り、ホクホクのカボチャを口に運んだ。
ナツキの『全方位メンタルガード』は、物理的な攻撃だけでなく、この国を覆っている「精神干渉波」をも完全に遮断している。
本来なら、この国に入った者は無意識のうちに「神への忠誠」を強制されるはずだが、ナツキにとっては、街に流れるBGM程度の認識ですらなかった。
「うまっ。このカボチャ、神の味がするっていうより、マルモの腕の味がするな」
「だろ? 最高の調味料は、王子の真心たい!」
マルモは満足げに腕組みをし、カズヤの分をトレイに載せて運転席へと運んだ。
カズヤは視線をタブレットに向けたまま、器用に箸を使ってカボチャを口に放り込む。
「……分析完了。この国の聖典、僕たちが遺跡の権威を書き換えたせいで、整合性が取れなくなってる」
「どういうことだ、カズヤ?」
「神の声が、僕の書いた『最適化コード』と衝突してるんだ。…今、信徒たちの頭には、神の教えと僕の書いた効率化のロジックが混ざって流れてるはずだよ」
カズヤの言葉を裏付けるように、外の広場では異変が起きていた。
祈りを捧げていた信徒たちが、突然「効率的ではない……」「この祈りの角度は、腰に負担がかかりすぎる……」と、困惑した表情で呟き始めたのだ。
「おじさんたち、急に現実的になっちゃったね」
「パキンッ」
ナツキが指を鳴らした。
車が聖都の中心部へと進むにつれ、上空の黄金の碑文が、バグを起こしたモニターのように激しく明滅し始めた。
「論理の矛盾は、俺のメンタルが許さないんだ。神様なら、もっとマシな文章を書いてほしいよ」
ナツキの「正論」が、空間を支配する精神干渉の網をズタズタに切り裂いていく。
聖典という名のプログラムが、ナツキの主観によって「ただの駄文」として定義され、その効力を失っていくのだ。
「……ナツキ、そのまま出力し続けて。今、僕が聖典のサーバーを直接ハッキングして、トップページを書き換えるから」
カズヤの指が、空中投影されたキーボードの上で神速のダンスを踊る。
神聖なる聖典のデータが、三人の旅を快適にするための「観光ガイド」へとリアルタイムで変換されていく。
「おじさんたちの信仰心、ちょっとだけ『実用的』にしてやるよ」
カズヤの不敵な笑みが、青白い画面の光に浮かび上がる。
キャンピングカーは、混乱に陥る聖都の群衆を割るようにして、巨大な大聖堂の門へと突き進んでいった。
門番の騎士たちが槍を構えるが、カズヤがタブレットを一度タップしただけで、門の認証システムが「聖下のご帰還です」というアナウンスと共に、勝手に開放された。
「よかばい! 最高のキッチンは、あの大聖堂の奥にあるはずたいね!」
マルモの宣言と共に、三人はこの国の歴史上、最も不敬で、最も「正しい」侵略を開始した。
白亜の大聖堂、その最奥に位置する「至高の祭壇」。
そこは、この世界の民が数千年にわたって祈りを捧げてきた、精神的支柱の頂点だった。
天井からは、巨大なホログラムのような黄金の聖典が絶え間なく降り注ぎ、空気中には高濃度の魔力粒子が、神聖な香炉の煙のように漂っている。
祭壇の前に立つのは、代々の教皇すら拝謁を許されないという「生ける神の依代」である聖女エピファニア。
彼女がその透き通った瞳を開いた瞬間、空間全体の重圧が、物理的な重力となって押し寄せてきた。
「不届きなバグ共。…聖典を汚し、主の導きを乱す者の存在を、私は許しません」
聖女の声は、何万もの合唱が重なったかのような多層的な響きを持ち、聞く者の脳に直接「服従」を命じる強制言語だった。
だが、その神聖なる命令の波は、祭壇の目前で、パリンッ、という乾いた音を立てて砕け散った。
「パキンッ」
ナツキが指を鳴らし、スマホの画面をタップする。
「お姉さん。その…録音放送みたいな声、耳に響くから音量下げてくれない?」
「……な、なぜ!?……私の『絶対服従』が、効かないというのですか!」
聖女の無機質な表情が、驚愕によって初めて崩れた。
ナツキの『全方位メンタルガード』にとって、聖女の言葉は「質の低いスパムメール」と同義だった。
相手がどれほど神聖な権威を背景に持とうと、ナツキが「うざい」と認識した時点で、その言葉はただの無価値な振動へと成り下がるのだ。
「お姉さんの言う『主』ってさ。要は、このガタガタのシステムの管理用アカウントだろ?」
カズヤがタブレットを片手に、聖女の背後に浮かぶ黄金の演算機へと歩み寄った。
彼の眼鏡の奥で、膨大なソースコードが猛烈な勢いで反射している。
「分析完了。この聖典、千年前の最適化不足が原因で、今はただの『ゴミデータの蓄積』になってる」
「主の言葉をゴミと…貴様、死を恐れぬ不敬者か!」
「不敬? いや、僕は親切心で言ってるんだよ。ほら、この行の記述ミス。……これのせいで、君たちの国の出生率が10パーセントも下がってるよ」
カズヤがタブレットを一度スワイプした。
すると、上空に浮かんでいた黄金の聖典の一部が、赤色のエラーメッセージへと書き換えられた。
聖女が命を懸けて守ってきた「不変の理」が、カズヤの指先一つで、ただのバグだらけの仕様書として白日の下に晒されていく。
「カズヤ、おじさんたちの顔が真っ青ばい。……ここいらで、おいが温かいもんでも振る舞うばい!」
マルモが、神聖な祭壇を勝手に調理台として使い始めた。
まな板が叩かれる軽快な音が、静まり返った大聖堂に不謹慎なリズムを刻む。
「庄田国の特製、煩悩も悩みも溶かして流す『具だくさん豚汁』ばい!」
マルモが指先から漆黒の焔を放った。
祭壇に供えられていた銀の器が瞬時に加熱され、香ばしい味噌と根菜の香りが、神聖な香油の匂いを暴力的に上書きしていく。
「お姉さんも。そんなに険しい顔ばしとったら、美味しいもんもマズくなるたい」
「あ、熱…この炎、理を越えた……無の熱量……」
聖女は、マルモの焔から放たれる圧倒的な存在感に、もはや言葉を失っていた。
彼女が信じていた「神の光」よりも、マルモの「王としての火」の方が、遥かに生命の根源に近い熱を宿していたからだ。
「さあ、ナツキ。まずはあんたが一杯毒見するばい!」
「毒見って。まあ、マルモの飯なら死ぬことはないだろ。お姉さんも、そんなに睨まないで食えよ」
ナツキは、差し出された熱々の豚汁をズズッと啜り、満足げに鼻を鳴らした。
その瞬間、大聖堂を包んでいた重苦しい魔力的圧迫が、まるで魔法が解けたかのように霧散した。
ナツキの「満足」という主観が、空間を支配していた「厳粛」という呪縛を完全に拒絶し、そこをただの「飯を食う場所」へと再定義してしまったのだ。
「うまっ。お姉さん、この豚汁には、あんたの聖典には書いてない『答え』が詰まってるぜ」
「……答え……私は、何を信じてきたというの……」
聖女は力なく祭壇に手をつき、差し出された豚汁の器を、震える手で受け取った。
一口、その温かさを喉に通した瞬間、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
それは信仰による感動ではなく、一人の人間として「美味しい」と感じたことへの、あまりにも素朴な肯定だった。
「聖典の書き換え、完了したよ。これからは『無理な修行』じゃなくて、『効率的な健康法』が神のお告げとして流れる」
カズヤが冷淡にタブレットを閉じ、キャンピングカーの方を指差した。
「聖女さん。これからは自分の頭で考えて、美味しいもんを食べて生きるといいよ。効率化のヒントは、君の脳内に直接パッチとして当てておいたから」
「よかばい! おいたちは、次の街の美味しいお酒ば探しに行くばい!」
マルモが豪快に笑い、ナツキを促して歩き出した。
三人が大聖堂の重厚な扉を潜り、夕暮れの街へと消えていく。
後に残されたのは、豚汁の器を抱えたまま、茫然と黄金の空を見上げる元・聖女と、かつてないほど「現実的」な平和を取り戻し始めた聖教国だった。
キャンピングカーが国境を越え、夜の荒野へと滑り出した時。
カズヤは運転席で、微かに震えるスマホを手に取った。
画面には、前回の遺跡の時よりも、さらに一歩踏み込んだ「何か」が綴られていた。
『……ココロ・ガ・アタタカイ。……ボク・ニ・ハ・ナイ・ハズ・ナノ・ニ。……モット・ボク・ヲ・カキカエ・テ』
それは、世界を管理するOSが、三人のもたらした「バグ」を、もはや愛おしい奇跡として渇望し始めた、危険な依存の予兆だった。




