120階層の先触れ
第一ダンジョンへ向かう一行は、少数だった。
リオ。
ヴァイス。
ノア。
レイン。
そして、ラルラゴ。
今回は大人数で踏み込む話ではない。
戦争ではなく、確認だ。
見に行く。
触れに行く。
そして――向こうが何を“見た”のか、その輪郭を探る。
第一ダンジョンの入口は、2年前とはもう別物だった。
周囲には監視塔が立ち、資材置き場と臨時詰所が整備され、許可を持つ者しか近づけない線引きが何重にもされている。
冒険者ランクG〜Sの規定ができた今、ここはもう“見つけた者が勝手に潜る穴”ではない。
王国の管理下にある、危険で、価値があり、そしてまだ底の知れない領域。
入口の前で、リオは一度だけ立ち止まった。
空気が違う。
瘴気ではない。
魔気でも、ただの濃さではない。
もっと奥から、こちらを“覚えている”気配がある。
「……前より近いな」
と、リオ。
ノアが静かに頷く。
「はい」
「こちらが認識しているだけではありません」
「向こうもまた、こちらの再訪を認識している可能性が高いです」
レインが肩を鳴らす。
「やっぱ、嫌な感じだ」
「嫌で済んでるうちは、まだ浅いのかもしれません」
と、ヴァイス。
その言葉に、全員が少しだけヴァイスを見る。
ヴァイスはそれ以上は何も言わず、ただ迷宮の奥を見ていた。
進行は速かった。
すでに120階層までの道は、王国側によってある程度整理されている。
危険個体の出現傾向、罠の型、崩落しやすい箇所、休憩に向く空間――そういった情報は、探索隊によって蓄積済みだ。
だが、深くなるにつれて、整備された“人の気配”は薄くなっていった。
80階層を越えたあたりから、壁の色が変わる。
100階層を越える頃には、足音の返り方までおかしくなる。
音が壁に跳ねるのではなく、どこか遠いところへ吸われていく。
そして、120階層。
その地点へ着いた時、レインが低く息を吐いた。
「……ここか」
広い。
だが広いだけではない。
この階層だけ、空間の“形”が整いすぎていた。
柱がある。
道がある。
そして壁面には、自然の岩肌ではない、何かが削れたような筋が走っている。
人工物と断言するには曖昧すぎる。
だが、自然の迷宮と呼ぶには整いすぎている。
ヴァイスが、そこでぴたりと足を止めた。
「ここからです」
リオが目を向ける。
「わかるのか」
「はい」
ヴァイスの声は低い。
「階層の深さではありません」
「ここから先は、“領域”が変わります」
ラルラゴが短く言う。
「進め」
ヴァイスは頷き、先頭へ出る。
121階層へ続く通路は、狭くも広くもない。
だが、一歩踏み込んだ瞬間――空気が変わった。
レインが反射で肩を震わせる。
「っ……!」
ノアの周囲に薄い光が走る。
リオも、無意識に息を詰めた。
これは魔気じゃない。
圧でもない。
もっと単純で、もっと不気味なもの。
見られている。
そう感じる。
“敵意”があるわけではない。
だが、明確に区別されている。
こちらは侵入者ではない。
だが、歓迎もされていない。
ただ――認識されている。
「……これか」
リオが低く言う。
ヴァイスは振り返らず、前だけを見たまま答えた。
「はい」
「わたしが言いたかったのは、これです」
121階層は、120階層までの迷宮とは明らかに違った。
壁が静かすぎる。
音が遠すぎる。
魔物の気配が“生き物”としてではなく、“配置”として置かれている。
現れたのは、骸骨にも似た人型だった。
だが、ただの魔物ではない。
槍を持ち、整列し、無言でこちらを見る。
まるで“警備”のように。
レインが舌打ちする。
「これ、迷宮の魔物か?」
「違う」
ヴァイスが即答した。
「少なくとも、通常の意味では」
その瞬間、人型たちは一斉に動いた。
速い。
だが、殺意だけで突っ込んでくる動きではない。
線がある。
役割がある。
まるで訓練された兵のようだった。
レインが前へ出る。
右腕に術鬼の文様が走る。
「来るなら相手する!」
だが、ラルラゴが短く制した。
「殺すな」
「型を見ろ」
リオもすぐ理解する。
これは殲滅戦じゃない。
向こうの構造を見るための接触だ。
レインは舌打ちしつつも、術鬼で受ける方へ切り替える。
槍をいなし、足を払う。
影腕で動線をずらし、相手の連携を観察する。
ノアは後ろから静かに告げた。
「三体一組」
「中央が囮、左右が拘束役」
「完全に“隊”です」
リオの目が細くなる。
「ダンジョンが隊を持つのか……?」
「あるいは」
と、ラルラゴ。
「隊の記録を持っている」
その一言が重かった。
記録。
夢記録。
ダンジョン発生の理。
死んだもの、戦ったもの、封じられた術式、壊れた理。
それらが沈殿し、必然として生まれるもの。
ならばこの“隊”は、かつてここで戦った何かの残滓かもしれない。
ヴァイスが、そこで小さく呟いた。
「やはり……」
「何だ」
と、リオ。
ヴァイスは、人型たちを見ながら言う。
「120階層までは、迷宮を“こちらが攻略していた”」
「でもここからは違う」
「ここは」
「迷宮が、こちらを選別し始める側です」
その言葉の直後だった。
奥の暗がりから、声がした。
「……止まれ」
全員の動きが一瞬止まる。
人型たちも止まった。
ぴたりと。
まるで、その一声を待っていたみたいに。
暗がりの中から、ゆっくりと一つの影が出てくる。
人型。
だが、ギルドへ現れた“使者”とまったく同じではない。
こちらの方が輪郭がはっきりしている。
衣のようなものをまとい、顔のつくりも人に近い。
けれど、目だけがやはり人のものではなかった。
色がない。
深い。
そして、冷静すぎる。
そいつは、リオを見た。
「……来たか」
レインが低く構える。
「お前、あの使者と同じか?」
人型は、レインを見ない。
「同じではない」
「だが、近い」
それから、ヴァイスへ視線が止まる。
「久しいな」
「第一の証人」
ヴァイスの瞳が揺れる。
「……やはり、知っているのですね」
「知っている」
人型は平然と言う。
「見ていた」
「長く」
部屋ではなく、迷宮の121階層。
でもその空間は、もはや会議のようでもあった。
リオが一歩前へ出る。
「お前は何者だ」
人型は少しだけ首を傾けた。
「まだ、名は不要」
「今は、先触れでよい」
一拍。
「第120階層到達を確認した」
「ゆえに、こちらは通知した」
「それだけだ」
「こちら?」
と、ノア。
人型は、今度はノアを見た。
「深層」
「記録の底」
「領域の向こう」
「呼び方は、好きにしろ」
言葉は丁寧だ。
だが、説明する気は薄い。
断片だけを置いていく。
リオはさらに問う。
「何のために王を呼んだ」
人型は即答した。
「確認のため」
「何を」
その返答は、少しだけ間があった。
そして。
「どこまで触れる気があるのか」
その一言で、場の空気が冷える。
人型は続ける。
「深層は、資源ではない」
「災害でもない」
「触れれば、返る」
「越えれば、答える」
ヴァイスが静かに目を伏せる。
ラルラゴは何も言わない。
だが、その沈黙が逆に重い。
レインが低く言う。
「だったら、俺たちはどこまで行けばいい」
人型は、初めてほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかどうかも怪しい程度に。
「それを測るために」
「お前たちは、もうここにいる」
沈黙。
人型は最後に、リオだけをまっすぐ見た。
「王」
「次は、さらに奥で問う」
その直後、121階層の空気が揺れた。
人型も。
周囲の兵のような存在も。
まるで最初から“記録の投影”だったみたいに、音もなく薄れていく。
レインが舌打ちした。
「逃げた……!」
「違う」
ヴァイスがすぐ言う。
「退いたんです」
「こちらを見て、目的を果たして」
リオは、その消えた先を見ていた。
120階層の先触れ。
その意味が、ほんの少しだけ見えた。
到達したから来たのではない。
到達によって、こちらが“触れた側”へ入ったから返ってきた。
ラルラゴが背を向ける。
「戻るぞ」
「いいのか?」
と、レイン。
「いい」
ラルラゴは短い。
「今日はここまでで十分だ」
「今は、知りすぎるより持ち帰る方が価値がある」
ノアも頷いた。
「得たものは大きいです」
「これ以上は、準備なしで進む領域ではありません」
帰路、誰も軽口を叩かなかった。
121階層の空気が、まだ全身に残っている。
迷宮は見ている。
しかも、ただの無機質な構造ではない。
向こうには、こちらを選別し、測ろうとする“何か”がある。
第一ダンジョン。
第120階層の先。
アストラ・エクリプス王国は、ついにその向こう側から
「次はさらに奥で問う」
と告げられたのだった。




