蘇る《圧戰》
重転獣の群れが、第三区の仮設空地を埋め尽くしていた。
黒銀の狼型。
甲殻の獅子。
首の周囲だけ空間が歪んで見えるもの。
脚が四本に見えたかと思えば、次の瞬間には六本に増えている異形。
どれもただの獣ではない。
重力と支配を、獣の形へ無理やり押し込んだもの。
リュメリアの《重支界》が生んだ、理そのものの牙だった。
リオはその中心に立ち、深く息を吸った。
最初の一体が来る。
狼型。
音がない。
跳ぶ瞬間だけ、地面が沈む。
リオは右手を開いた。
前にダンジョンで思い出しかけた感覚。
グロウ=ザルハドとのやり合いで、さらに掴んだ断片。
父側の血に連なる、“圧を扱う”感覚。
一歩、踏み込む。
「――っ」
右手を振る。
見えない圧が斜めに走る。
空気の密度だけが一瞬で変わり、狼型の首から肩へ、深い裂線が生まれた。
圧真。
狼型の首がずれ、巨体が傾ぐ。
だが。
「……戻る?」
切れたはずの首が、途中で止まった。
落ちる方向そのものが、周囲に絡んだ重力へ引っかかっている。
そのまま裂け目がじわりと閉じていく。
リュメリアが少し離れた場所で腕を組み、静かに言った。
「気づくのが早いじゃない」
二体目、三体目が同時に来る。
リオは横へ流れる。
一体の爪を半身で外し、返しざま左手を振る。
圧の壁で獅子型の顔面を沈め、その隙に右手で首筋を断つ。
また切れる。
また止まる。
また戻る。
「このままじゃ、通り切らないか……!」
その呟きが、戦場の真ん中で落ちた。
リュメリアの目が、わずかに細くなる。
「ええ」
「ただ押して、断って、沈めるだけじゃ」
「これは“支配”しきれない」
その瞬間だった。
リオの視界の端に、リュメリアの髪が揺れた。
ほんの一瞬。
風か。
いや違う。
重転獣たちの動きに合わせて、彼女の周囲の空間そのものが錯綜している。
重力の筋が何本も走り、目には見えない“落ちる方向”が、幾重にも交差している。
その奥に、細い一本の線が見えた気がした。
リオの頭の奥が、そこで熱を持つ。
押すのではない。
沈めるのでもない。
もっと細く。
もっと鋭く。
一点へ収束して、空気ごと、空間ごと、一本の線で切り抜く。
言葉が、頭の奥から滲んだ。
圧戰。
「……これだ」
リオは、右手を横へ払った。
今度は違う。
圧真より細い。
圧真より鋭い。
空気が裂ける音すら、聞こえない。
ただ、線だけが走った。
すっ
リュメリアの銀髪が、一房だけ切れた。
だが落ちない。
切れた髪は空中に留まったまま、重力の錯綜の中で、わずかに揺れている。
それは髪だけではない。
その周囲の空間ごと、今、リオは切ってみせたのだ。
リュメリアの表情が、初めてはっきりと変わる。
「……っ」
指先がわずかに強張る。
「くっ……それを出すか」
「きついなぁ」
ザルクスが、後ろで吹き出した。
「ははっ!」
「おー初めて見たな」
「リュメリアが嫌そうな顔してるの」
「黙りなさい」
リュメリアは低く言う。
「元はあなたのせいでしょう」
「それはそう」
だが、リオにはもうそのやり取りが遠かった。
今、自分の右手の中に残っている感覚の方が大事だった。
圧真は“面”に近い。
押し、沈め、広く断つ。
でも圧戰は違う。
もっと狭い。
もっと深い。
一点へ圧を詰め、空気の層を刃に変える。
剣を握っていなくても、剣以上の切れ味が出る。
「……そういうことか」
リオが、少し笑う。
その笑みに、リュメリアの目が一段鋭くなった。
「理解した顔してるわね」
「ちょっとだけ」
「最悪」
「褒め言葉として受け取っとく」
次の瞬間、獅子型が三体、同時に跳んだ。
正面。
右上。
左下。
普通なら避けきれない。
だが今のリオには、さっきまで見えなかった線が見えていた。
重力がどこで強まり、どこで歪み、どこが“断ち切れる場所”なのかが、かすかに分かる。
一歩。
右手を斜めに払う。
空気の層が切れる。
正面の獅子型の肩口から腰へ、細い裂線が通る。
重力が戻す前に、その“つながり”そのものが遅れて切れる。
二歩。
今度は指先だけを弾く。
見えない針のような圧が飛び、右上から来た獣の眼窩を貫く。
巨体が空中で一瞬止まり、そのまま地面へ叩き落ちる。
三歩。
左下の獣へは、蹴りと同時に圧真を重ねる。
斜め下へ沈め、顔面ごと床へめり込ませる。
「っ……!」
息が熱い。
身体の奥で、知らないはずの戦い方が噛み合っていく。
リオは初めて、笑ったまま戦っていた。
「いい」
「これ、いいな」
ザルクスが柱にもたれたまま笑う。
「だろ?」
「お前、そっちの方が性に合ってるんだよ」
「うるさい!」
リュメリアは、その光景を見ながら静かに息を吐いた。
前より速い。
前より鋭い。
しかも、戦いながら理解している。
本来いちばん嫌な相手だ。
だからこそ、ここで止めておく必要がある。
「……これくらいじゃ足りないわね」
その声は静かだった。
だが次の瞬間、第三区の空気が変わった。
重転獣たちが、一斉に動きを止める。
リュメリアが、片手を空へ向けていた。
リオが思わず顔を上げる。
「……なにする気だ」
「ちょっと、本気を見せるだけ」
リュメリアは淡々と言う。
「あなたも、まだ先を見たいんでしょう?」
「見たいけど」
「その言い方、絶対やばいやつだろ」
「ええ」
「やばいわよ」
ザルクスが、もう察した顔で半歩だけ下がった。
「お、来るか」
「お前それ、ここでやるのか」
「あなたが振った話でしょう」
リュメリアは冷えた目で返す。
「責任は後で取ってもらうわ」
「やだ」
「却下よ」
リオは、じわりと背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
今の時点で、重転獣ですら十分おかしい。
それなのに、リュメリアは「足りない」と言った。
次に来るものが、ただの追加召喚で済むはずがなかった。
空が、ゆっくりと赤黒く滲み始める。
リオは、まだ知らなかった。
このあと自分が初めて、
父側ではないもうひとつの血へ、強制的に手を伸ばすことになると。




