空と戦う前に、リオの魔術”異能”とは
第三区を抜ける風は、思ったより冷たかった。
大聖堂を出たあと、リオとザルクスはそのまま高台の方へ歩いていた。
空野郎どもの領域へ向かうための道は、まだ正式な街道にもなっていない。
石の多い坂道と、ところどころ削られた崖の縁を繋いだような、仮の通り道だ。
夕方と夜の境目みたいな時間だった。
空はまだ明るいのに、風だけが先に夜を連れてきている。
リオはしばらく黙って歩いていた。
ザルクスも、珍しくそれを急かさない。
横であくびをしたり、石を蹴ったりはしているが、変に茶化しはしなかった。
やがて、リオがぽつりと言う。
「……頭が追いつかない」
「だろうな」
と、ザルクス。
「いや、もっと“そんなわけないだろ”って思うと思ってたんだよ」
「親父が古魔種で」
「母さんが化け物聖人族で」
「ノアが母さんのとこにいた穣天使で」
「俺がその息子で」
一度、息を吐く。
「でも、不思議と全部嘘には聞こえない」
ザルクスが横目で見る。
「いい傾向だな」
「よくないだろ」
リオは苦笑する。
「普通、もっと混乱するもんじゃないの?」
「してるだろ」
「してるけどさ」
「それでも、どこかで“ああ、だからか”って思ってる」
風が、二人の間を抜ける。
リオは、自分の右手を見た。
さっき大聖堂でグロウ=ザルハドに使った力。
ダンジョンで魔虫や魔獣へ向けて使った、剣じゃない戦い方。
あれは明らかに、自分の中にもともとあるものだった。
「……あれも、そうなのか?」
と、リオ。
「ん?」
「さっき使ったやつ」
「グロウ相手にやった、あれ」
「空間が沈んだり、圧が落ちたりしたやつ」
ザルクスは、少しだけ笑った。
「やっとそこ聞くか」
「ずっと気になってたよ」
「でも、お前が情報爆撃するから順番おかしくなったんだろ」
「悪い悪い」
「全然悪いと思ってないだろ」
「思ってない」
即答だった。
リオは呆れたように息を吐いたが、今はその軽さに少し救われてもいた。
ザルクスは、前を向いたまま言う。
「お前のあれは、ある種の魔術だ」
リオの目が少し細くなる。
「魔術……」
「異能と言ってもいい」
「でも、もっと正確に言うなら」
「お前の親父側――古魔種が扱う系統に近い」
リオは立ち止まりかけて、また歩き出す。
「父ちゃんの、か」
「そうだ」
ザルクスは頷く。
「つまり、圧と空気を扱う魔術だ」
「圧と空気……」
「説明むずいんだよな、これ」
ザルクスは頭をかいた。
「火とか水みたいに見た目で分かりやすくねえし」
「雷みたいに派手でもない」
「でも、実際にはめちゃくちゃ危ない」
リオは、自分の指を軽く開いたり閉じたりする。
圧。
空気。
見えないもの。
でも確かに、さっき触った感覚はあった。
「どう危ないの」
「簡単に言えば」
ザルクスは肩をすくめる。
「剣を使わなくても、剣以上の切れ味が出る」
リオが顔を上げる。
「……は?」
「だから」
ザルクスは、そこで人差し指を一本立てた。
「指一本で、だいたいの物質は切れる」
「いや待て」
「それは待て」
リオが即座に止める。
「危なすぎるだろ」
「だから危ないって言ってんだよ」
ザルクスは笑う。
「剣士の真似事してた頃のお前ですら、その片鱗を無意識に混ぜてた」
「斬撃の伸び方が普通じゃなかったろ」
「……あ」
その瞬間、リオの中で何かが繋がる。
たしかに、昔からそうだった気がする。
この世界でも、現実世界でも。
剣が好きだった。
でも好きなだけじゃなくて、刃を振るたびに“届き方”がおかしかった。
「じゃあ」
リオはゆっくり言う。
「俺、ずっとそれを混ぜてたのか」
「うん」
「しかもだいぶ雑にな」
「雑だったのかよ」
「雑だ」
ザルクスは断言する。
「でも雑なのに強かった」
「そこが腹立つ」
リオは少し笑う。
ザルクスはそのまま続けた。
「お前の親父側は、圧をただ押しつけるんじゃない」
「空気の層を切る」
「圧を流す」
「重さの在り方をずらす」
「その結果、目に見えない刃にもなるし、壁にもなるし、重圧にもなる」
「……万能すぎない?」
「万能じゃない」
ザルクスは首を振る。
「使う側の感覚が終わってるだけだ」
「下手なやつが使うと、ただの重い風で終わる」
「上手いやつが使うと、山が裂ける」
「山が裂けるのはもう魔術っていうか災害なんだよ」
「古魔種なんてそんなもんだろ」
その言い方に、リオはもう反論しきれなかった。
少し黙ったあと、また訊く。
「母さん側は?」
ザルクスの目が少しだけ細くなる。
「そっちはな」
「今のお前には、まだ出方が薄い」
「薄い?」
「うん」
「でも、確実にある」
「さっきヴァイスを外へ引っ張り出した時みたいな、“存在を繋ぎ止める側”の力」
「あと、夢記録に関わるものもそっちの匂いが強い」
リオは、そこで足を止めた。
道の先、切り立った崖の向こうに、夜へ沈み始めた空が広がっている。
「……父さんが古魔種」
「母さんが聖人族」
「その二つを、俺は中途半端に持ってる?」
「中途半端ではないな」
と、ザルクス。
「じゃあ何だよ」
「混ざってる」
「しかも、普通の混ざり方じゃない」
リオが黙る。
ザルクスは、そこで少しだけ声を落とした。
「お前は、両方の“尖ったところ”を持ちやすい」
「だから不安定だ」
「でも、噛み合った時は、片方だけのやつじゃ届かない場所まで行く」
その言葉は、やけに真っすぐだった。
リオは空を見る。
夜へ移る直前の空は、ひどく高い。
これから喧嘩を売りに行く“空野郎ども”の領域も、この先にあるのだろう。
「……さっき」
と、リオが小さく言う。
「ん?」
「ザルクスより、ヴァルより、リュメリアより、ノアより、ラルラゴより強くなりたいって思った」
ザルクスは笑わなかった。
「うん」
「リーダーだから、とか」
「守りたいから、とか」
「もちろんそれもある」
「でもそれだけじゃなくて」
「なんか……」
「胸を張りたいんだよな」
ザルクスは、そこでようやく少し笑った。
「いいねえ」
「何が」
「それだよ」
「前のリオも、結局そこに戻ってた」
「だからその“前のリオ”を知ってる感じで話すなって」
「知ってるから話してんだよ」
リオは困ったように眉を寄せたが、もう完全には否定しなかった。
ザルクスは、崖の先を見ながら言う。
「空野郎どもはな、土野郎よりめんどいぞ」
「速いし、視界を弄るし、高いところから人を見下ろすクセがある」
「しかも性格が悪い」
「最後はお前もだろ」
「俺は愛嬌あるから別」
「ないよ」
ザルクスが笑う。
「でもまあ、ちょうどいい」
「今のお前には、空の方が合う」
「見えないものを切る練習にはな」
その言葉に、リオの中でまた少しだけ熱が灯る。
圧と空気。
剣を使わずに剣以上の切れ味。
指一本で切れる。
そんな馬鹿みたいな話が、自分の中ではもう“馬鹿みたいな話”として聞こえなくなっていた。
「……やるか」
「おう」
ザルクスは立ち止まり、崖の先へ顎をしゃくった。
「そろそろだ」
リオも視線を上げる。
夜空の一角。
雲の流れが、一箇所だけおかしい。
風の向きも違う。
空そのものに、見えない層が何枚も重なっているような歪みがある。
そこに、何かいる。
いや、何かがこちらを見ている。
ザルクスが、口元を歪めた。
「喧嘩売りに行くか」
「空の野郎どもに」
リオは、今度は迷わず頷いた。
胸の奥には、まだ整理しきれないものが山ほどある。
父と母のこと。
ノアのこと。
自分の血のこと。
戻ってきていない記憶のこと。
でも、だからこそ進むしかない。
止まって整理するんじゃなくて、
進みながら取り戻す。
そういう人生なのだと、もう身体の方が知っている。
「行こう」
と、リオは言った。
風が、二人の間を抜ける。
その風は、地の匂いより少し高く、少し鋭かった。
次の敵は空にいる。
そしてリオは、ようやく自分の中の“空を切る力”に手をかけ始めていた。




