49.悔しい思い
ソフィアが初めて家族の前で涙を見せたあの日から一週間が経ち、ソフィアの中では少しずつ何かが変化してきていた。
特に、ジョンやリアン、シリウスやレイラ、屋敷の使用人たちと毎日のように会話をすることが楽しく感じるようになったことが大きいだろう。
そんなこんなでソフィアが少しずつ周りとの関係を築けるようになった結果だろう。
今日はリアンの国吏試験の結果を見るために、侍女は付けずリアンと二人だけで王都まで来ることを許されたのだ。
偶然にも、そこでリアンの友人となったエリックと出会い、緊張しながらも挨拶を交わした。
飄々としていて何を考えているのか悟らせない男ではあったが、ソフィアは彼に対し決して嫌な印象は受けなかった。
近衛騎士によって貼り出された紙には二人の名前が記されていた。それを知ったソフィアが喜んでいたところに、その場には到底似つかわしくない不快な声が聞こえてきた。
「試験だけ良くたって使い物にならねぇんだよ!」
「しかもなんだぁ?ローエン公爵家の次男は首席じゃなく次席じゃねぇか」
「はっ!どうせ親のコネでも使ったんだろうぜ」
リアンを馬鹿にする男たちの言葉に、ソフィアは自分にも激しい感情があることを初めて感じた。
それは苛立ちだった。
気づけばソフィアは怖がりつつも近づいていき、男たちに正論で言い返した。体は感情のまま動いていたが、反対に頭の中は恐ろしいほどに冷え切っていた。
「申し訳ありません、あなた方が仰っていたローエン公爵家の次男とは、リアン・ローエン様のことでお間違い無いでしょうか?」
「あ?そうだが…….」
男は自分に向けられた言葉に振り向きながら、反射的に答えると同時に、目の前に立つこの世のものとは思えないほどの美少女に一瞬の間言葉を無くした。
「リアンお兄様とエリック様はご自分が学ばれたことをこの試験において遺憾なく発揮された結果です。他の合格者の方も同様、努力された方が正当な結果を得ただけですわ。それをあなた方が悪く言われるのは、正直申し上げまして嫉妬にしか聞こえませんし、ご自身の勉強不足を棚に上げて言い訳を探しているようにしか聞こえませんわ」
少女の真っ直ぐすぎる言葉を理解し我に返った途端、男たちは侮辱されたことに腹を立て、ソフィアに殴りかかろうとした。
しかし、背後からの急な衝撃を受け、気づいたときには既に地面へ転がり倒れていた。ソフィアが男たちの倒された方を向けば、そこにはもう一人の兄であるジョンがいつもより少し怖い顔つきで立っていた。
「この状況はなんだソフィー?」
「ぁ..の.......も、申し訳ありませんジョンお兄様」
先ほどまで男たちを叱っていた勢いはどこへいってしまったのか、すっかりソフィアはいつも通りの静かな女の子へと戻っていた。
微笑みながらも言葉に威圧感があるジョンは初めてで、そんなジョンをソフィアは初めて怖いと思った。
ジョンはソフィアが自分に怯えていることを感じ取ったのか、そんな様子を見てため息をつきつつ、ソフィアの頭や顔を確かめるように優しく撫でた。
「大丈夫か?怪我はない?」
「は、はい大丈夫です」
ため息をつかれたソフィアは一瞬ビクッと肩を揺らしたが、すぐにジョンが心配してくれていたのだと分かり、事情を説明した。
「全くリアンはお前は何をやっていたんだ?」
「ごめん兄さん、ソフィアの行動を止められなくて。でもソフィアのあんな姿初めて見たから正直驚いたよ」
「俺もだ。リアンの結果が気になって少し門まで覗きに来たらソフィーが男三人に囲まれて胸ぐら掴まれてたからつい吹っ飛ばしちゃったなぁ!はははっ!」
いつも通りのジョンの態度に戻った様子を見て、安心したソフィアは、近くにいたリアンとエリックと目が合ったので一緒に笑った。
最近では笑うことも前より多くなり、それでも顔には出づらいが、ソフィアの感情表現は少しずつ豊かになってきていた。
「で、何があったか聞かせてくれるか?報告書書かないといけないんだよ」
「兄さん、それで少し機嫌が悪かったんですね」
「ご、ごめんなさい.......」
珍しくジョンが不機嫌だった様子の理由が報告書の提出があるからだと分かったソフィアは自分のせいで申し訳なく思い事情を説明しようとしたが、それは全てリアンがやると言い、簡潔明瞭に話してくれた。
「へー、つまりこいつらは自分が勉強してないことを棚上げして人のせいにしたってことか。そりゃ見苦しいな」
「うるせぇ!テメェらみたいなボンボンの坊ちゃんに俺たちの気持ちがわかってたまるか!」
「そうだ!!俺たちは汗水垂らして働いてる間に少しずつ勉強してるんだ!お前らは使用人に任せきりで時間だってたっぷりあるんだ!勉強する時間さえあれば俺らだって!」
ジョンに首の後ろを叩かれて気絶していた男たち二人が目覚め、自分たちには勉強をする時間がなかったのだと、なおも言い訳を始めた。
「しかも試験にはこいつが住んでるローエン侯爵領の問題が出たんだぞ!それで点数を取ったに決まってるだろ!これが不正じゃなくてなんだって言うんだ!」
「お前らなぁ......」
「書いてませんよ」
男たちはリアンが不正をしたと言い募り、エリックは呆れたように声を発したが、それと同時にリアンは男たちに向かって堂々と話し始めた。
「ローエン侯爵家の領地に関する問題とは恐らく最終問題のことですよね?」
「そ、そうだ!それが不正だって言ってんだ!」
「ですから、僕は最終問題の解答を書いていません。勿論満点ではない筈ですよ」
「う、うそだ!そんなこと言ったって誤魔化されねーぞ!」
その時、ちょうど門から出てきたある文官がこちらに向かった歩いてくるのを見たジョンは薄らと笑いを浮かべ、グタグタと煩い男に向かって言った。
「じゃ、これから証明してもらえよ!ちょうどいいとこに来たからさ!」
「なに........」
男がジョンの見ている場所と同じ方向に目をやるとと、そこには試験のときの試験官であったケネスが立っていた。
「何を騒いでいるのかと思えば......君はこの近くの酒場の息子のオリバンくんだったかな?」
「な、何で俺の名前......」
「あぁ、勿論全員覚えているよ。こうして試験の後どういった行動を取るのかっていうのも観察対象に入っているからね。それで?君は一体何に対して怒っていたんだい?」
試験後のことまで考えていなかったオリバンと呼ばれる青年は、ケネスの言葉を聞いて顔が真っ青に変わっていった。
しかし、言ってしまったことは覆せる筈もなく、どんどんとオリバンは窮地へと立たされていく。
「なんでも聞きますよ、不正をしていないという証拠は山ほどありますからね。第一そんなことをすれば御史台の連中が喜んで捕まえに来ますよまったく」
ぶつぶつと小言を口にしつつも聞く体制に入ったケネスは言うまで逃がさないと言った様子でオリバンやエリック、リアンやソフィア達を見ていた。
「あの、僕からお話させていただいてもよろしいでしょうかケネス試験官」
「........君はリアン・フォン・ローエン君でしたね。どうぞ、では君から説明してください」
全く話せそうにないオリバンを見て、リアンは自分が説明することにし、今までの経緯を全てケネス試験官に話した。その間、ソフィアは帽子を深く被って下を向いていたため、ケネスの視線が一瞬自分へと向けられたことに気づくことはなかった。
「なるほど、事情は分かりました。では私から説明しましょう」
リアンからの話を聞いたケネスは今の状況を把握した上で話し始めた。
「結論から言えば、リアン君は不正をしていません。というか、今回の受験生の中に不正をした人は一人もいませんでした、勿論試験中も。嘘だと思うのならば官吏を監視する部門、御史台へ言ってみることをお勧めします。まぁ何も出てこないとは思いますが」
「で、でもその問題にはローエン侯爵領が答えの問題が!」
「あぁ、それならば先ほど言っていたように、リアン君は回答していませんでしたよ。提出された時、真っ白で驚いたのはこちらですから」
「........嘘だろ」
ようやく自分の間違いに気づいたオリバンは、先ほどまで一緒だった二人の友人が逃げていたことにもようやく気がつき肩を落とした。
「君が落ちたのは残念なことではありますが、それは他人のせいでも運のせいでも無く、自分の勉強不足だと言うことをしっかり自覚しなさい。現に合格者はリアン君以外は全員が平民です。もちろんそこにいるエリック君も」
急に名前を挙げられたエリックはポリポリとこめかみを指で掻き空を見て関係ないというような顔をしていた。
「平民だから時間がないと言うのは言い訳でしかありません。庇うわけではありませんが、そう言った理由ならきっと領地の仕事を手伝っているリアン君の方が少ないでしょう。時間が無いなど言い訳でしかない。オリバン君、時間は作るものですよ」
「はい......」
ケネスの厳しい言葉にようやく間違いを認めたオリバンは失礼しますと言ってその場を立ち去ろうとした。しかし、それを意外にも駆け寄って止めたものがいた。
「オリバンさん」
「な、なんだよ、まだ文句でもあんのか」
すっかり先ほどまでの覇気を無くし立ち去ろうとしたオリバンに声をかけたのは他でも無いソフィアであった。
「あの、先ほどは事情も知らずにきつい言葉で叱ってしまい申し訳ありませんでした」
「......なんでお前が謝るんだよ......」
「え!その、喧嘩は両方に非があると言いますし.....それとこれを.......」
オリバンへと差し出されたのは金の糸で綺麗に刺繍されたハンカチーフで、ソフィアはそれをなぜかオリバンへと渡した。
「先ほど、倒れた時に手を擦りむかれていましたので、どうぞお大事にしてください。それと、リアンお兄様は毎日十二時間お勉強されていました。来年もし試験を受けるので有れば頑張ってください」
そう言った少女の顔を初めてしっかりと見たオリバンはそのあまりの美しさに呆然とし、「あぁ......」と呟くのを確認したソフィアは兄たちの元へと帰っていった。
ソフィアの後ろ姿を見て、顔が赤くなっていることにオリバンは気がつき、「なんなんだよ......」と文句を言いつつも渡されたハンカチーフを顔に当て、流れる雫を拭い取り家へと帰っていった。
「ソフィア!まったく急にあの男に近づいて行くなんてびっくりしたよ」
「も、申し訳ありませんでした」
ソフィアを心配したリアンとジョンの二人は、安心したように息を吐き、その場に蹲った。
「ははっ!二人の兄ちゃんは心配性だなぁお嬢様」
「は、はい。私はいつもご迷惑をおかけしてしまうので」
「いいえ、きっとこの二人は貴女のことを家族として心配しているのだと思いますよ」
エリックとケネスはソフィアの思い違いを指摘し、それに気づいたソフィアはその白い頬を薄らピンク色に染めて「そうだと嬉しいです」と聞こえないくらい小さな声で独り言のように言った。
「それにしてもケネス、あのタイミングでよく来てくれたな」
「まぁ、私もリアン君に少し用事があったのでね」
「用事ですか?」
ケネスが自分に何の用事があるのだろうと首を傾げながら振り向いたリアンは、その内容に目を丸くした。
「君には今後文官として働いてもらうことになるが、その際、きっと多くのものが貴族なのにと言ってくるだろう。しかしそんな声に負けず、君には頑張って欲しいと期待している私のような存在がいることを忘れないでほしい」
「あ、はい......」
そう言って急に熱く語ったケネスは踵を返してまた王宮の中へと戻っていった。
「何が言いたかったんだあの人?」
「分からない、ただ励ましてくれたんだろうな」
「ま、助けてくれたしいいや。じゃ、帰ろーぜ奢るからさ」
「あぁ、すっかり忘れてた。頼む」
エリックは「なんだよ、言わなきゃよかったな」と言いながら屋台のある方へと向かって歩いた。




