水面をぷかぷかお昼すぎ
「むむむう……」
夏芽はビニールボートに掴まってぷかぷか浮きながら、唸り声をあげていた。
ボートの上には、可愛い後輩であり、ちょっと特別になりつつある紺野くんと、彼のクラスメイトであるメガネの女の子が乗っている。
ボートを押すのは、体格のいい一年生男子。
紺野くんと見つめ合っていたら、彼らがやってきて、気が付くとボートを押して泳いで遊ぼう、的なことになっていた。
それはそれで構わない。
力仕事は得意なのだ。だが……。
「先輩、どうしたんですか? もしかして、ちょっと冷えちゃいました? その、僕が重かったりとか」
心配げに紺野くんが覗き込んできた。
当初は、男の子である彼がボートを押して泳ぐと言い張っていた。
夏芽は、今やクラスの男子にすら女子扱いされなくなった己を、きちんと女の子として扱う紺野くんの紳士ぶりに涙が出そうであった。
だが、それとこれとは違う。
マネージャーながら、女子バレー部の面々と準備運動などを一緒にやるから、紺野くんは見た目よりは筋肉がついた体をしている。
ただ、ムキムキになりづらい体質らしい。
背丈だって高くはない。
ここは、長年のバレー生活で鍛え上げた自分の方が、ボートを押すには良いのではないか。
そういう話をしたら、紺野くんはちょっと悲しそうな顔をしたのである。
夏芽はちょっと胸が痛かった。
「大丈夫よ、これくらいへっちゃら! ほら、どんどん押すわよ!」
メガネの子は、波間を進んでいくボートの上でゆらゆら揺られ、時折落ちそうになって悲鳴を上げている。
何やら、紺野くんは始終こっちをきにしている。
ボート上の二人は、はためには可愛らしいカップルみたいに見えて……。
それ故の、「むむむ」なのだ。
「遥」
そうしていたら、隣でボートを押していた体格のいい少年が、自分の相方を呼んだ。
メガネのちびっこ女子が振り返って、二人でぽしょぽしょ囁き合い始める。
ちらっと自分の方を見たが、夏芽はなんだろうと首を傾げる。
すると、遥という名前の少女が自らボートから降りて、
「順番で押しましょう! お先に先輩どうぞ! 紺野くんと二人でボートの上にいてください!」
「え、ええっ!? い、い、いいの?」
「もちろん」
二人に促され、夏芽はちょっとドキドキ。
紺野くんを見つめると、彼もなぜだか女の子座りしつつ、こっちを見ている。何かを期待する目。
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
「岩田先輩っ!」
紺野くんがバンザイみたいなポーズをした。
夏芽の手を取って、ボートの上に引き上げてくれる。
登り切ったところで、ちょっと大きい波が来た。
「きゃっ!」
「わわっ」
前者は紺野くん。波の揺れで体制を崩して落っこちそうになった。
後者は夏芽。紺野くんを、逆に手を握って引き戻した。
すると、彼の軽い体はぽーんと戻ってきて、夏芽の柔らかな胸にぎゅっと埋まる形になってしまった。
万が一にも彼が落ちないよう、夏芽はしっかりと紺野くんの体をホールドする。
「!? ふ、ふ、ふわあああ」
胸に顔を埋めるかっこうになってしまった紺野くん。
我に返ると、体をもじもじさせながら、声を漏らした。
「いいい、岩田先輩……!! あた、あた、当たってます! そそ、その、胸!」
実際は当たってるどころじゃなくて、埋まってるのだが。
夏芽だって分かっている。
それでも紺野くんが海に投げ出されるのが嫌なので、こうしてしっかり保護せねばと思うのだ。
「き、気にしないでよ。紺野くんが落ちたら大変でしょ?」
「あの、ぼぼ、僕泳げますし、だ、大丈夫ですからっ……!」
むむっ、と夏芽は呻く。
おへそのした辺りに、何か当たっている。
紺野くんの顔は間近で、真っ赤になってじいっと夏芽を見つめている。
時折きょろきょろと、自分を受け止めて変形する、柔らかな肉の塊をちらちら。
可愛くても立派に男子な紺野くんであった。
「うわー、紺野くん羨ましい……」
「うむ……。男の本懐だな」
なぜか、ボートを押している一年生カップルが、二人共紺野くんに感情移入する感想を漏らした。
よくよく考えると、遥が男子サイドに立ってものを話しているので、多少違和感があるのだが……。
今の夏芽的にはそんな些細なこと、気にしている暇なんてない。
元気になった男の子を、布越しとはいえ当てられてしまうなんて、そりゃもう、経験なんてあるわけないのだ。
ひょっとして、部活のリベロ先輩なら、あの巨体の彼氏ともっと先のオトナの関係まで行っているかもしれない。
だが、そもそも恋愛事初心者である夏芽に、少年から向けられるダイレクトな反応を受け止める余裕など無かった。
頭が一気にオーバーヒートする。
自分を女としてみてくれた嬉しさと、この場でそんな大胆な反応をされてしまったという戸惑いと。
「ああああ、あの、岩田先輩、ぼぼぼ、僕はなれっ、離れますからっ」
紺野くんもきちんとその辺分かっていて、いや、分かっているからこそ焦っている。
抑えきれない生理現象に、ちょっと泣きそうになりながら、でも顔は、憧れの人の胸の中にいる現状が嬉しくてたまらない。
複雑。
紺野くんの乙女心というか、男ゴコロは複雑怪奇に揺れ動いているようである。
「ううっ、い、岩田先輩、すっごく柔らかい……」
だから、こうやって無意識に心の中が言葉になってしまうわけで。
それを間近で耳にした夏芽は、もうどうしたら良いか分からずに、ぽーっとなって船上でふらついた。
「あっ」
また大きな波が来る。
すっかり浮ついていた二人は、ボートを揺らした波に耐え切れず、ぼちゃんと波間に落っこちたのである。
ボートを押しながら、夏芽は隣り合う紺野くんをちらっと見つめる。
じいっとこちらを見ていた彼と目が合い、ちょっと息が止まった。
紺野くんも目を逸らす訳でもなく、ぱちぱち瞬きしながら夏芽を見ている。
「さ、さっきはごめんねっ」
「いっ、いえっ! ぼ、僕こそ! そのっ、ありがとうございます!」
何がありがとうなのか。
状況は、確かに動いている気がする。
進展しているんだろうか?
このデートを企画した、水森楓の手のひらの上で転がされている気分。
悪い気持ちではないが。
夏芽はふとボートの上を見ると、こちらも身長差凸凹の一年生カップル。
ごく自然に、大柄な男子があぐらをかいた上に、小柄なメガネの少女が収まっている。
むむっ、男子はセクハラをしている。その抱き方、完全に胸に触っているだろう。いや、カップルだからいいのか。
少女の方も、男子の太ももとかを、ずっとさわさわしている。
なんだろう、このセクハラしあってるみたいな。
「村越くん大胆な……! 僕にはまだ出来ない……!」
紺野くんの呟きが聞こえた。
私ならいつでもいいのよ、なんて思っては見たが、そんなこと口に出来るようなら、こうして悶々としてはいない。
夏芽の顔が熱いのは、日差しのせいばかりではなかった。




