第11話〜次の目標、次の一歩〜
検定から一月ほど経った、ある日の練習後のこと。佐伯コーチが、帰り支度をしていた弥々魅たち親子を呼び止めた。
「七瀬さん、実は話しておきたい事があるので、少しお時間頂けますか」
「はい、大丈夫ですよ」
恒一が足を止めると、コーチは休憩スペースのテーブルに一枚のプリントを広げた。
「7月に、スクール恒例のラウンド練習があるんです。一年生から六年生まで、参加を希望する子はみんなゴルフ場に出て、18ホールをフルで回ります」
「18ホール、ですか」
「はい。級の近い子同士で組を作って本物のコースを回るんです。普段の練習とは緊張感もまったく違いますよ」
「弥々魅ちゃんの技術なら、コースに出ても十分戦えると思うんです。ただ──」
コーチはそう言うと、弥々魅の顔を見た。
「ただ?」
「体力の面が持つか正直分からないんだ。弥々魅ちゃんは今までフルラウンドを回ったことはないよね?
18ホールを最後まで集中力を切らさずに回りきるのは、技術とはまた別の話になるんだよ」
佐伯の言葉に、恒一が腕を組みながら頷いた。
「確かに、大人でも18ホール回ると結構疲れると聞きますね」
「はい、一日がかりでプレイをしながら歩き通しになります。実際、毎年低学年では途中で疲れてしまって、9ホールで切り上げる子も出ます」
佐伯は再度、弥々魅に向き直った。
「だから7月までに、一度コースを歩く経験を積んでおきたいんだ。弥々魅ちゃんは最後まで回ってみたい?」
「うん!回ってみたい!」
迷いのない即答に、恒一が少し心配そうな顔をする。
「それはいいんですが……コースに出る経験というのは、どうすれば積めるんでしょうか?子供だけでは入れませんよね」
「ええ。ゴルフ場は、保護者の方か、経験のある大人の方の同伴が必要になります。ご家族で行く機会があれば一番なんですが」
恒一が申し訳なさそうに頬を掻いた。
「私自身は、クラブを握った事もなくて……。何とか、方法を探してみます」
「9ホールからでも構いません。距離と時間を少しずつ伸ばしていけば、7月には間に合うはずです。まだ時間はありますから、焦らずにいきましょう」
恒一と弥々魅は顔を見合わせ、頷き合った。
「分かりました。弥々魅もそれでいいか?」
「うん!やってみる!」
弥々魅の元気な返事に、佐伯コーチも安心したように笑った。
その夜、夕食の席で、弥々魅は今日の話を美沙と久遠にも報告した。
「7月にね、スクールのみんなでゴルフ場を回る練習があるの!18ホール全部回るんだって!」
「18ホールって、めちゃくちゃ長丁場だな。弥々魅、大丈夫か?」
「まだ分からないから、その前にコースを回る練習をしようと思ってるの!」
箸を止めた久遠が、少しだけ唇を尖らせる。
「いいなあ。俺まだ弥々魅がコースで打ってるとこ、一回も見たことないんだよな」
「お母さんだってそうよ。でもそのうち見られる機会もあるわよ。今は弥々魅が楽しく続けられるのが一番でしょう?」
「まあ、そうだけどさ。弥々魅、無理だけはするなよ」
「うん!」
◇ ◇ ◇
翌日の昼休み、弥々魅は教室でひなたにその事を話した。
「7月にね、ラウンドの練習をすることになったの」
「え、ラウンドって、コース回るやつ?」
「うん!最初は9ホールくらいから始めても良いみたい」
「へー、すごい!いつやるの?あたしも見に行きたい!」
「え、ひなたが?」
「だって検定会の時の弥々魅、めちゃくちゃかっこよかったんだもん!本物のコースで打つとこも、絶対見たい!」
昼休みの教室で、二人はそんな話をしながら盛り上がっていた。
その日の夕方、家に帰ったひなたは、リビングでくつろいでいた父にさっそく報告した。
「お父さん聞いて!弥々魅、7月にクラブの練習でゴルフ場を回るんだって!」
「ゴルフ場を?それはラウンドをするって事かい?」
「うん!18ホール回れるようになる為の練習なんだって。ねえ、あたしも見に行きたい!」
月森氏はソファから身を起こすと、少し考えるような表情を浮かべた。
「18ホールか……いよいよ本格的な練習になって来たんだね。
──一度、プライベートで練習しておいた方が弥々魅ちゃんも安心だと思うけど。…でもゴルフ場は大人が一緒じゃないと…。
弥々魅ちゃんのご家族に、連れて行ける人は…いや」
「もう!お父さん何ぶつぶつ言ってるの」
「ああいや、そうだな。ひなたちょっと待っててね」
ひなたに声をかけられ、月森氏はふと思い出したようにスマホを手に取った。
実はあの検定の日、ひなたに引っ張られるようにして応援に行った際、恒一と連絡先を交換していたのだ。
「七瀬さんの番号は……。折角だし一度連絡してみるか」
「え、何を?」
「お父さんも今度の休みにコースへ行く予定があってね。弥々魅ちゃんが良ければ、一緒に回れないか聞いてみようと思って」
「ほんと!?やった!」
月森氏がその晩のうちに電話をかけて事情を話すと、恒一は驚きながらも、すぐに感謝の言葉を口にした。
「実はコースに連れて行ってやれる大人が身近にいなくて、困っていたところだったんです。是非、お願いします」
「弥々魅ちゃんの様子を見ながら、場合によっては9ホールだけで切り上げますので。ゆっくり回るつもりでしたし、私も一人で行く予定だったので、こちらとしても丁度良かったんです」
翌日、スクールで恒一から報告を受けた佐伯コーチは、安心したように頷いた。
「月森さんが様子を見てくれるなら安心ですね。疲れたら9ホールで切り上げる、という判断で十分ですよ」
こうして日程が決まり、初夏の日差しがまぶしくなってきた頃の土曜日、弥々魅は月森氏とコースを回ることになった。ただし──
「すみません、月森さん。当日、私はどうしても仕事を休めそうになくて。代わりに、息子の久遠を付き添いで行かせたいのですが」
月森氏は電話口で、気にした様子もなく笑った。
「いえいえ、七瀬さんのお仕事は仕方ないです。久遠くんなら、ひなたも喜びます。カートに乗って、同行してもらいましょう。当日は私の車で、ご自宅までお迎えに上がりますよ」
「助かります。当日はどうぞ宜しくお願いします」
当日の朝、玄関で美沙が、弥々魅に水筒の入った小さなリュックを持たせた。
「無理はしないこと。疲れたら、ちゃんと月森さんに言うのよ。9ホールで終わりにしたって、全然いいんだから」
久遠はといえば、出勤前の恒一から「弥々魅の勇姿は一秒も逃さず撮ってこい。ただし、周りの迷惑にならない範囲でな」という熱い指令を受けていた。
やがて、月森氏の車が七瀬家の前に停まった。後部座席の窓から、ひなたが大きく手を振っている。運転席から降りた月森氏に、美沙が深々と頭を下げた。
「月森さん、今日は娘をよろしくお願いします。久遠も、迷惑をかけないようにね」
「分かってるって、母さん」
「お任せください。無理はさせませんので」
弥々魅は月森氏の前に進み出て、背筋を伸ばした。
「改めまして、七瀬弥々魅です!今日はよろしくお願いします!」
元気いっぱいの挨拶に、月森氏は目を細める。
「はは、検定会以来だね。こちらこそ改めましてひなたの父です。よろしくね」
弥々魅が照れくさそうに笑うと、月森氏の視線が、トランクに積まれたパステルカラーのキャディバッグへ向いた。
「可愛いクラブだね。自分で選んだのかい?」
「はい!お父さんたちと一緒に選んだんです!」
「そうか。今日は練習だと思って、ゆっくり回ろうね」
玄関先で手を振る美沙に見送られ、車はゴルフ場へ走り出した。
到着して月森氏が受付を済ませている間に、久遠は弥々魅のバッグを手引きカートに積み終えると、ひなたと一緒に乗用カートの乗り場へ向かった。
「久遠くん、今日はよろしくね!」
「おう。って言っても今日の俺達2人はずっとカートの上だけどな」
「残念だけど、しょうがないよねー」
「ゴルフ場って他の人達もプレイしてるだろ?ボールが飛んでくる可能性もあるんだと。俺らはプレイヤーじゃなくて、ただの同行者だから、カートから絶対に降りないってのがコースに入る条件で、月森さんにも念押しされてる」
「えー、弥々魅のプレー、近くで見たいのに!」
「気持ちは分かるけど、ルール違反になったら大変だからな。カートの中からでも十分見えるだろ」
渋々といった様子で頷くひなたに、久遠がスマホのカメラを構えながらにやりと笑う。
「それにカートの中からでも、記念になる映像は撮れるしな。今日はしっかり記録係、頑張るぞ」
「久遠くん、もう撮ってる!」
「今日は父さんから正式に頼まれてるからいいの!配信には使わない、家族用だって約束したし、他のお客さんが映らないようにって、月森さんがコースにも確認してくれてるしな」
そのレンズの先、スタートホールのティーグラウンドに立った弥々魅は、少し緊張した面持ちで、目の前に広がるフェアウェイを見つめていた。目標は18ホール。ただし、きつければ9ホールで切り上げる約束だ。どちらにしても、これまでで一番長い距離を歩くことになる。
朝露を含んだ芝の匂いを吸い込んだ瞬間、胸の奥で、遠い何かがかすかに疼いた気がした。
「弥々魅ちゃん体力配分を考えて、最初から飛ばしすぎないようにね。キツくなったら遠慮せずに言うんだよ。9ホールで終わりにしても全然恥ずかしい事じゃないからね」
月森氏がそっと声をかけると、弥々魅はこくりと頷いた。
「はい!ありがとうございます!」
その返事に、月森氏は目尻を下げて続けた。
「うん、でもまずは思いっきり楽しもう」
青空の下、初めての本格的なラウンドが、今まさに始まろうとしていた。




